2.金で買えないもの
その日四谷葉一はアルバイトを休んだ。
といっても大した病でもなく、もとより風邪気味だったものが夜半に熱を出しただけで朝方にはほぼ平熱にまで下がっていた。
特段大きい仕事もなくまさに『どちらでもいい』状態だった葉一は、芳しくなかった模試の結果を思いバイトを休んで受験勉強をすることにした。
「アイツが風邪で熱出すとは珍しい」
道具係の兼鉄仙斗は笑いながら振り向く。
照明係の音切爽太も笑いながら返す。
「なので今日、僕は初チーフっす。よろしくフォローお願いします。まぁ今日は中ホールで司会をピンで押さえるだけなんで何もないですけど。一応、葉一先輩は明日は普段どおり来るらしいです。」
「・・いじるネタでも作ってビビらせるか。」
「トラブルで大変だった〜とかですねー。」
笑いながら他のスタッフ達と控室を出て行った。
業務終了後の控室。
さくらが戻ってきた時仙斗は椅子にもたれかかりお茶を飲んでいた。
「四谷君風邪ですって?大丈夫かしら?」
仙斗が回転椅子を回しながら振り向く。
「メールでは思ったより早く熱下がったって。実家住みだし大丈夫だろ。」
さくらは机に荷物を置きながら軽く背伸びをする。
「そーね。普通の風邪ならね。」
仙斗は「ただ残念な事ができて」と続ける。
さくらは振り向きながら答える。
「何?仕事なら手伝うけど。」
「今日俺誕生日で葉一に晩ご飯奢ってもらう約束だった。なのでほとんど金持ってきてない。コンビニ弁当かファーストフードの2択」
「え?今日誕生日なの?」
「何年もの付き合いなのに悲しいなぁ」
「もらった事もあげた事も無いのに知ってるわけないじゃない。私の誕生日も知らないでしょ?」
「知らない。」
さくらは笑いながら答えた。「以上。」
仙斗はいたずら心からかもう少し絡むように言った。
「え〜誕生日だぜ。なんかくれよー。」
「貧乏なのよ。」
指先で自分の頭をトントンと叩く。ポロリと何か妙案がでないかというように。
しばらく考えていると金田マリがさくらに耳打ちして、さらに爽太も連れて出て行った。
今日は催し物がほとんどなくスタッフも今いたメンバーしかいない。
ひとりぼっちで残された仙斗はわずかな期待感とともに手持ち無沙汰にペンを回していた。
15分ほどだろうか。マリが控室にもどってきた。
まぁまぁと仙斗の背中を押しながら大ホールまで連れて行き、がら空きの客席が並ぶホールの一番いい席に座らせた。
その後マリは小走りに司会ポイントに行きマイクを取ると同時に客席灯が消え舞台が本番灯に変わる。
大ホールでは司会ポイントにはあらかじめ上部から固定されたスポットライトが当たるようになっている。
明日の本番灯だろうか?漫然とそんなことを考えながら前の座席の背もたれに組んだ腕を乗せアゴを乗せている仙斗。
司会のマリにスポットが当たる。
「では兼鉄仙斗様ご生誕祝いを行います。さくら嬢独占コンサート「オペラ『カルメン』より題名は『ハバネラ・恋は野の鳥』です。ではよろしくお願いします。」
舞台袖からスポットライトに照らされたドレス姿のさくらが現れる。
ドレスはスポットを浴びキラキラと輝きまさにオペラ歌手のようだった。
「綺麗だ。」
仙斗は思わず呟くと同時にさくらは歌い出した。
L'amour est un oiseau 〜♬
客席には自分しかおらず、目前には歌い続けるさくら。本当にあのさくらなのだろうか?
こんな経験を誰ができるのか。仙斗は世界に2人だけのような気がしていた。
上手に下手にと歩きながらさくらは歌う。
舞台袖でこの曲は聞いた事はある。恋は気まぐれだからご用心みたいな歌だったか。
仙斗とてこれまで告白された事もあるし彼女が居た事もある。
ただ仙斗にとっては告白されたから振るのも可哀想だしと付き合っただけだった。
結局数ヶ月の内に「本当に私の事好きなのか分からない」とキレられて別れを告げられ、仙斗もまたすがる事も無く関係は消滅していった。
叔父桂樹の『恋すら買える。』との考え方が良くも悪くも仙斗に影響していたのか、恋愛に対して一度も熱い想いを持つことなく達観するようになってしまっていた部分もあろう。
それだけに今自分を包む新鮮な感覚にとまどっていた。
それに道具係は建て付けが終わると控室に引き上げる事が多い。遠くにさくらの歌声を聴くことはあった。
だが目の前で聴くのは初めてであった。
今初めてさくらを見た気がしていた。
そして、誰もが経験できるわけではない『簡単に金で買えないもの』を手に入れている感覚は、両親を亡くして以来鈍感になっていた感覚を鋭敏にしたのだろう。仙斗は自身の目に涙が溜まっているのに気がついた。
叔父に言わせれば『歌い手雇って歌わせればいい話だろう。』とでも言いそうだが、仙斗はそこまですさんでもいない。特に『今、ここで、この状況』だから素晴らしいのだろう。
スポットライトを浴びているさくらからは客席は眩しくて見えない。
仙斗は涙を拭う。両親との幸せな日々。いくら払っても戻らない日々。
鳥のように、軽やかに、さくらは歌い続ける。
仙斗はさくらの道を支えてあげたいと強く感じた。そんな熱量のある想いは初めてであった。
それは自らの心の根に触れるものに対する恩義か恋の始まりか。
さくらが歌い終わり優雅に一礼し、舞台袖へはけていった。
と同時にマリが締め括る。
「以上を持ちまして兼鉄仙斗様ご生誕祝いを終了致します。ありがとうございました。」
しばしの時間余韻に浸り控室に戻る仙斗
「どうでした〜?」マリがはしゃいで近づいてくる。
「さくらさんからドレスがあるって聞いた時にすごい事できそうって思ったんですよ〜。」
爽太が続ける。
「でも本当にコンサートみたいでしたよ。歌もカッコよかったし。」
さくらのドヤ顔は照れ隠しなのか。
「声楽もやってて良かったわ。ともあれ時価にしてとんでもないプレゼントよ。お返しが期待できるわね。」
爽太とマリは裏方特有の高揚感を共有していた。
「ですよね。"私達"のプレゼント喜んでもらって良かったですよね」
「いやぁ"僕達"で頑張って良かったですね。」
さくらは苦笑いしながら頭を傾けた。
「でもマリはよく私がドレス持ってたの覚えてたわね。」
胸を張るマリ。
「一昨日先輩がロッカーの前でドレス売るか、あと一回着るかだいぶ悩んでましたからね。多分まだロッカーにあるかなと思って聞いたんです。そう思うとむしろ私の功績はかなり大きいかと。」
「強欲か。」
さくらにヘッドロックをされるマリ。
仙斗は呆けたようにその姿を見ていた。
その様子に気がついた爽太がからかう。
「兼鉄先輩さくらさんに感激して惚れちゃったんじゃないですか?」
仙斗は我に返り慌てて「良かったよ。ファンになった。」と言うのが精一杯であった。
「じゃあ私のファンクラブ1号認定ね。」
仙斗は、いつものように小悪魔のような笑い声をあげるさくらすら、初めて会う娘のような気がして見つめていた。
O型は「私・僕を好きな人が好き。」
A型は「みんなが素敵という人が好き。」
AB型は「何か光るセンスを感じさせる人が好き。」
B型は「なんか急に好きになる時がある。タイミングは分かんない。」
というそうです。
50年以上前に血液型と性格は関係ないと証明されてますけど、すんなりそうとは思えないですね。
てかB型www