断罪
「私は白ワインをいただこうかしら」
サラミスは迷うことなく、白ワインをとった。その様子に私は勿論、取り巻きの令嬢達も、一瞬ぎょっとする。でも、誰も何も言わない。
サラミスは、自身が男爵令嬢であることを忘れているようだ。今のように飲み物を差し出されたら、公爵令嬢である私が先にとり、その後に男爵令嬢であるサラミスがとるのが礼儀。それなのに……。
サラミスを取り巻く令嬢達は、誰一人注意をすることもなければ、さりげなく教えることもない。所詮はその程度の関係なのだろう。今はサラミスがロッドからちやほやされている。だから群がっているだけ。もし、ロッドが別の女性に目移りしたら……。
「乾杯しましょうと言いましたよね。早くグラスをお取りになって」
サラミスから催促され、私は慌てて赤ワインの入ったグラスを手に取る。その様子を見たサラミスの取り巻き令嬢達が、クスクスと笑う。
「では、乾ぱ」
乾杯といいかけたサラミスが、掲げたグラスをおろし、私を見る。
「やっぱり赤ワインをいただきたいわ」
「え……」
「それ、頂戴」
大変失礼なことをサラミスが言っていると、頭では理解している。でもなぜかそれに対し、私は文句を言う気が起きない。何とも言えない、あきらめの境地に達していた。
頭の片隅で、もうこの茶番からも解放される――という声が聞こえた気がする。
「さあ、私のこのグラス、受け取ってくださる?」
サラミスに言われるまま、彼女の手から白ワインが入ったグラスを受け取る。代わりに赤ワインの入ったグラスを渡す。その瞬間、サラミスの口元が、ニヤッと笑っていた。それを見て、私は言い知れない不安に襲われる。心臓が早鐘を打ち、何かを警告しているように思えた。でもそれは、何であるか分からない。
「今度こそ乾杯よ、オルセン公爵令嬢」
有無を言わせぬ勢いでそう言うと、サラミスは豪快に赤ワインを口に運ぶ。私は少し震える手で、白ワインを口に運ぼうとしたその時。
「うげぇ」
サラミスが蛙のような鳴き声を出した。その手から赤ワインの入ったグラスが、ふかふかの絨毯の上に落下する。絨毯のふかふかさにより、グラスは割れない。中身だけが、周囲に飛び散った。
「きゃーっ」と取り巻き令嬢達の声が聞こえ、サラミスが赤ワインを吐き出す。
何が起きたのか全く分からないはずだった。それなのに脳のどこかで、遂にこの時が来たと、冷静に理解している。
崩れるように倒れるサラミスのそばに駆け寄ったのは、ロッドだ。
「ユリアナ・オルセン、君は自分がしたことが分かっているのか! 公爵家の令嬢でもあり、僕の婚約者という立場でありながら、なんてことをしているのだ!? 僕の誕生日を祝う、宮殿で行われているこの舞踏会で、君は男爵家の令嬢であるサラミス・ジョーンズに毒を盛った! 公衆の面前でこんなことをするなんて、信じられないぞ!」
私が、毒を盛った……?
そんなことはしていない。
むしろ、毒を盛ろうとしたのは、サラミスの方だと思う。
なぜなら、私はサラミスとロッドに命を狙われていたのだから。
でも、それならどうして……。
毒が赤ワインに入っているなら、そのまま交換せず、私に飲ませればよかったのに。
え、間違えたの?
赤ワインではなく、白ワインに毒を入れたことを思い出し、交換した。でも間違いではなかった。赤ワインに毒が入っていたということ……?
無言で考え込む私に、ロッドが告げる。
「恐ろしい女だ。こんな女と婚約していたなんて、吐き気がする。ユリアナ・オルセン、君との婚約は破棄だ! 警備兵、この女を今すぐ捕えろ。そしてすぐに侍医を呼べ!」
ロッドの言葉に、こめかみがじんじんしている。心臓はバクバクし、口の中はからからに乾いているが、なんとか声を絞り出す。
「殿下、私は毒など盛っていません! その赤ワインは、私が飲むはずだったのです。直前に、ジョーンズ男爵令嬢が、自分が飲むと言い出して……」
「嘘をつくな。みんな、この女の言うことは嘘だろう?」
ロッドの問いかけに、サラミスの取り巻き令嬢達が、口々に答える。
「ええ、オルセン公爵令嬢は、嘘をついていると思いますわ。ジョーンズ男爵令嬢は、白ワインを飲みたがっていました。ですがオルセン公爵令嬢が、目で訴えたのです。白ワインを寄越しなさいと。恐ろしかったですわ」
「私も見ていました。オルセン公爵令嬢は、渋々と赤ワインの入ったグラスを手に取り、なかなか乾杯したがらなくて。見ていてジョーンズ男爵令嬢が、お可哀そうでしたわ。仕方なく、自身が持っていた白ワインと、オルセン公爵令嬢が持っていた赤ワインを、交換されたのです」
彼女達は……嘘を言っているわけではなかった。目の前で起きた出来事を、間違った解釈で語っているだけだった。起きたこととして語られる内容は、嘘ではない。でもその背景の心情は、全く違う。
私は白ワインを寄越せと、目で訴えてなんていない。なかなか乾杯をしたがらなかったわけではない。それにサラミスは、渋々ではなく、自らの意志で、私から赤ワインを受け取ったのに。
これではまるで『藪の中』だわ……。
え、藪の中? 藪の中って何かしら?
「痛っ!」
いきなり両腕を同時に背中に回され、驚く。
手にしていた白ワインが入ったグラスが、絨毯に落ちる。
私の腕を掴むのは、甲冑姿の警備兵だ。
「殿下、いかがなさいましたか?」
侍医がホールへ入ってきた。
私は、警備兵に取り囲まれている。
血の気が引いた。
「可哀そうなサラミス。すぐに解毒薬を飲ませるから、大丈夫だ。助かるよ。それに安心するがいい。君に毒を盛ったあの女は、僕が必ず断頭台へ送ってやる!」
ロッドの言葉に力が抜け、絨毯の上に、崩れ落ちそうになる。
「立ってください、オルセン公爵令嬢」
ぐいっと容赦なく警備兵に腕を引っ張られ、ドレスのレースがビリッと破れる音がする。
「私は、私は、毒なんて盛っていません!」
「黙れ、毒殺を企てた下賤女め!」
ロッドの容赦ない断罪の声に、取り巻き令嬢達が一斉に「公爵家の恥」「ご両親がお可哀そう」「悪魔ね」と口々に囁き、他の貴族達も、ざわざわとし始める。
私は何もしてないのに……!