あくまで悲劇
ルシアスは一命を取り留めたが、意識が戻らない状態となった。
明らかに毒矢が使われ、私の暗殺を試みた者がいるのに。これは不幸な事故として片付けられた。運悪く流れ矢が命中してしまった。害獣に備え、毒矢を持参する者もいた。その矢が偶然、ルシアスに命中し……ということで、ロッドが処理してしまったのだ。
これはさすがに酷いと思い、父親であるオルセン公爵に相談した。すると……。
シルバーモーブの髪に黒い瞳の父親は、言葉を挟むことなく、最後まで私の話を聞いてくれた。そして執務机の上に、ラベンダーグレーのジャケットからのびる手をのせる。その執務机の前に立つ、ラズベリー色のドレスを着る私に対し、静かに話しだした。
「狩猟会に、王太子であるハロルド殿下の姿がなかったことに、疑問は感じなかったかい?」
「それは……不思議に思いました。本来あの狩猟会の主役は、王太子殿下です。でも彼が不在でしたので、ロッド殿下が場を仕切る形になっていたと思います」
そこで父親は「そうなのだよ」と独り言のように呟き、私を見る。
「機密性の高いことゆえ、ごく限られた臣下にしか明かされていない。実は王太子であるハロルド殿下は、体調が優れないのだ。国王陛下夫妻も、ハロルド殿下のことを心配し、ロッドにまで目を配ることができていない。よってロッドがその男爵令嬢に現を抜かしているのも、放置されているのだろう」
なるほど。そういうことなのか、と理解する。
あそこまで公の場でベタベタしていたら、さすがに国王陛下夫妻が、ロッドを注意するのでは?と思ったが、それもないのは――。まさか王太子であるハロルドの体調が悪いなんて、知らなかった。
「ハロルド殿下の具合が悪いことで、今、王族内でのパワーバランスが変化してきている。それはどういうことか、分かるかい、ユリアナ?」
王太子に万一があった時、次期国王となるのは第二王子。今、ロッドの立場は強まりつつあるということだ。つまり確固たる証拠もなく、毒矢を放ち、暗殺を企てたのがロッドとサラミスであると指摘することは……できない、ということ。
私が考えたことを話すと「その通りだよ、ユリアナ」と父親は応じる。
「ただ今回、毒矢に倒れたのは、あのクレメント辺境伯の嫡男だ。……今は秋で、山林や森を、害獣が活発に動き回っている。冬を前に、少しでも食料を得ようとするからだ。クレメント辺境伯の領地は広く、害獣駆除もあり、今すぐには動けないだろう。だが間違いなく、クレメント辺境伯は、王都へ来る」
肩を落とす私に、父親は励ますように、教えてくれる。
「クレメント辺境伯であれば……ロッド殿下の立場など関係なく、国王陛下に物申す可能性は高い。既に抗議の手紙が届けられ、使者も宮殿に来ている。国王陛下は今回の件を受け、狩猟会への婦女の同行を禁じられた。さらに流れ矢で負傷者を出した場合、その猟に参加していた全員に、罰を与えることも決められている」
流れ矢による悲劇が起きないよう、国としては動いているというわけだ。さらに父親は、こんな内情も明かしてくれた。
「今回の狩猟会について言えば、ロッド殿下主催の猟でもあった。お詫びとしてクレメント辺境伯に、さらなる領地を与えることも決めたようだが……。クレメント辺境伯は、納得しないだろう。独自で調査もされると思っている」
クレメント辺境伯が動くとしても、それはあくまで自身の嫡男のため。結局、命を狙われた私のために、動いてくれる人はいない……。
……そんなことはないわ。ルシアスはあの時、確かに私のために動いてくれた。それに王族内のパワーバランスの変化もあり、父親は今回の件で、動きにくいだけだ。
そう頭で理解しても。
小さくため息が漏れる。
私の寂しそうな顔を見かねた父親は、こんな提案をした。
「ロッド殿下に関しては、わたしとしても今、動くのが難しい。だがジョーンズ男爵に対し、一言物申すこともできる。父からジョーンズ男爵に、一筆手紙でも書こうか?」
ジョーンズ男爵は、サラミスの父親。つまりサラミスに対しては、牽制することができる。でもそんなことをしたら、サラミスは間違いなく、ロッドに泣きつく。泣きつかれたロッドが、次に何をするかは……正直分からない。ロッドがまた何かを仕掛けた時、ルシアスのように、私を助けてくれる人はいないのだ。
変にロッドを刺激することはしたくない。
こんな時、公爵家から婚約破棄を、申し出ることができたらいいのに。王族に対し、それはできない。その一方で王族も、明確な非がなければ、婚約破棄ができないのだから……とても不便だった。
結局、何もできない。命を狙われたのに、泣き寝入りに近い状態。それでも私は助かったのだ。文句など言えない。それよりも……。