絶望と希望、そして――
突然、ビュンという風を切る音が聞こえ、矢が飛んできたのだ。
鹿狩りをする、誰かの流れ矢が飛んできたのかと、最初は思った。
でも、それは違う。
私のそばにいた馬丁に矢が刺さり、彼は倒れ、その近くにいた護衛の騎士も倒されていく。これは明らかに、人の命を狙った攻撃。
馬で横乗りではいい的になってしまうし、馬丁が倒れた今、馬が突然走り出す危険もあった。必死に馬から降り、逃げようとする。
令嬢やマダム、サラミス達は、ロッドが用意した護衛騎士が、しっかり守っていた。私の周囲にいた護衛の騎士は倒れているのに、誰一人、助けに来ようとはしない。
そこで、悟った。
これは狩りの流れ矢を装い、私を……害そうとしているのだと。そしてそんな計画を立てたのは、ロッドとサラミスに違いないと。
森の入口に戻ろうと、私は履いていたパンプスを脱ぎ、駆けだす。だがドレスなんて、走るのには、向いていない。
木の根につまずき、転び、顔を上げた時。
そこに暗殺者の姿を見た。
三人の狩人の装いをした暗殺者は、私に矢を向ける。もう、ダメだ――。
そう思った時。
暗殺者が次々と倒れた。
驚き、うつ伏せで倒れた暗殺者たちを見ると、その背には矢が刺さっている。そしてこちらへ向け、駆けてくる男性の姿が見えた。白馬に乗るのは、金髪に碧眼、スカイブルーのセットアップに、シルバーのマント――あれはクレメント辺境伯の嫡男、ルシアス!
クレメント辺境伯が治める北方の地ノースフォークは、一つの国として独立できるぐらい、広大。かつ国境で隣国と接する位置にあるため、古来よりクレメント辺境伯の一族は「王の盾」と言われ、国王からの信頼もとても厚かった。その信頼に応えるべく、彼らは文武両道であり、気高い騎士道精神を持っている。そんな彼らを題材にしたロマンス小説まで生まれ、クレメント辺境伯は、国内でも大人気の一族だった。
そのクレメント辺境伯の嫡男であるルシアスに助けられるなんて!
まるでロマンス小説の一場面のようだった。
もう目前に迫ったルシアスに「助かった!」と思い、私は立ち上がろうとした。
だがルシアスの碧い瞳は、一瞬左の方に向けられ「伏せて!」と叫んでいたのだ。
「えっ」と思った時。
ルシアスは左方向に向け、騎乗のまま矢を放ち、そしてそのまま馬で私の方へ突進してきた。
馬に蹴り殺される――そう思ったが……。
そうはならず、馬は私のそばすれすれを駆け抜け、そして止まった。止まった馬から素早く降りたルシアスは、私に駆け寄る。前方からは、彼と行動を共にしている騎士達が、こちらへと馬に乗り、向かってきてくれていた。
今度こそ助かったと思い、私のそばに来て、手を差し出してくれたルシアスを見ると……。
左肩に矢が刺さっている。
「伏せて!」と言われたが、咄嗟に伏せることはできなかった。そこでルシアスは身を挺し、私を守ってくれていた。自身が放たれた矢を受けることで。
そう、理解し、目に涙が溢れた。
「ご令嬢、怪我はありませんか?」
怪我をしているのは自分なのに、私を気遣うルシアスに、胸が熱くなった。彼が差し出した手に自分の手を乗せ、立ち上がろうとすると……。
端正なルシアスの顔に、異変が生じる。苦しそうに眉根を寄せ、唇をきゅっと噛みしめていた。青い瞳が肩の矢に向けられ、その透明感のある声は、恐ろしい言葉を呟く。
「毒矢――だったようです」
それがルシアスの口にした最後の言葉。彼はそのまま長い脚を折り曲げるようにして、地面に倒れた。白磁のような肌が土に汚れ、唇と頬から赤みが失われていく。
悲鳴が聞こえ、それが自分の発したものと気づくのに、数秒かかった。
彼の騎士達が駆け付け、半狂乱になる私を落ち着かせ、主のそばに駆け寄る。
「呼吸はしています。これは……毒では?」
騎士達は主であるルシアスを運び、私を森の入口まで護衛してくれた。