夏樹編
この作品は、短編2話+解説の編成となっております。
ドクドクドク…
…―今聞こえているこの落ち着きのない鼓動は誰のものだ…?
ハァ…ハァ…
…この乱れている息を整えたいのだが、俺はある一点から目が離せないでいる。
…―俺の眼下には、最愛の彼女が変わり果てた姿となって横たわっていた―…
――数分前――
「別れて」
俺は自分の耳を疑った。
誰もいない夕方の公園で、遠くで鳴く烏の鳴き声だけが悲しく響いている。
「ちょっ…待っ…何でだよ?!」
美冬は俺に背を向け、冷たく嘲笑うかのように話を続ける。
「…もう飽きたのよ。付き合ってみて何か違うなぁって思ってたの」
「なんだよ、それ…じ、じゃあ、今から美冬の理想の彼氏になれるように頑張るからっ!!もう一度っ―…」
ようやく振り向いた美冬の目はとても冷たく、俺は次の言葉を飲み込むしかなかった。
「もう無理よ…。私はもう夏樹に恋愛感情はない。だから、もう私のことは忘れて…」
「…俺は…?俺の気持ちはどうなんの?!俺は美冬のことが好きだよ?!」
美冬は溜息をつきながら、また俺に背を向けた。
「本当に鈍いわね…。ここまで言いたくはなかったんだけどなぁ…もうこの際だから言うけど、夏樹と付き合ったのは医者の息子だからよ!なのに夏樹は医者は目指さないで、漫画家を目指すって…。お金がないなら、もう付き合う意味なんかないわ!分かった?私はこういう女なの。だから、もう忘れてよ…」
そう言って美冬は目の前の階段を降り始める。この一言は俺の心の奥に眠っていた激しい怒りを呼び起こしてしまったようだ。
俺は我を忘れて、目の前の背中を押していた―…
…―この時の美冬の目に大粒の涙が光っていたなんて知らずに―…
…―そして、冒頭に戻るわけだ。
俺が美冬の背中から目が離せずにいると、後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「夏樹くーん。美冬見なかったー?待ち合わせしてたんだけどまだ来てないみたいで…ってどうしたのよ、青い顔して―…えっ…?…あれって、美冬…?夏樹君、もしかして…」
「春香ちゃん…どうしよう…俺っ…!!」
「夏樹君、落ち着いて!!とにかく、公園出てすぐの所に交番あるでしょ?すぐにお巡りさん呼んできて!!私はここで救急車を呼ぶわ!!」
「でも、俺っ…!!」
「…よく聞いて、夏樹君。貴方は間違って美冬にぶつかってしまっただけ。そして、バランスを崩した美冬は落ちてしまった…それだけよ。さぁ、早く!!」 「…わ、分かった!!」
そう言って俺はその場から走り去る。
耳元で鳴るピューピューという風音が、背中越しに響いていた鈍い音を掻き消した。
…―しばらくして救急車は到着したが、美冬の息はもうなかった。
…―それから、数日間は忙しい日々が続いた。
事情聴取では、春香ちゃんが言った通りに証言し、美冬の死は事故死として片付けられようとしていた。
「…―では、この件は事故ということで。夏樹さんにはもう何回かご足労頂くことになると思いますが、よろしくお願いします。それでは今日はもう結構ですので」
「…失礼します。」
俺が帰り支度をしていると、刑事さんはふと思い出したかのように話しだした。
「そうだ。もうご存知だとは思いますけど。あ、美冬さんの死因の件ですがね…」
「…死因?階段から落ちた時に頭打ったからでしょ?」
「えぇ。致命傷は落下時の後頭部強打による脳挫傷なんですが、どうやら彼女は―…。」
…―それを聞いた瞬間、俺はその場に泣き崩れてしまった―…