神官の少年
この世界には神がいる。らしい。見たことも会ったことも無い。ただ、『魔法がある』という事実が神さまがいるという証拠であると聞いた。神さまがこの世界に魔法と言う祝福を授けたのだから。それを中心にして文明を築いた私たち人間はきっとその神さまを信じるしか無いのかも知れない。
まぁ。私には関係ないけど。
ぼんやりと郊外にある鳥のように翼を広げた白亜の建物を私は見上げていた。誰もが息を飲むような美しい建物――神殿だ。大きくて長い階段。その中心には美しい天使の像が立てられていた。
扉がない――誰でも受け入れるような入口に学校の生徒たちが吸い込まれているのを見ながら私はその足元に座りこむ。
出来れば一緒に入りたかったのたけれど、私は入ることが出来ないらしい。『私たち』は神さまに嫌われているらしいから、不吉なことが起こるというのだ。
不吉な事って具体的に何。と喧嘩を吹っ掛ける訳にも行かず。私は素直にここで待つことにした。目立たないようにローブを頭から目深に被っているが――逆に悪目立ちの気がしてならない。
首都の大神殿はすべての神殿を統括している所で、ひっきりなしに人が出たり入ったりしている。その人々が不信そうに私を見ては過ぎ去っていった。
「まったく」
そう独り言ちる。
居心地が悪いのだ。ぶつぷつ文句を心の中で垂れ流しながら、私は空を見上げていた。
雲一つない晴天で良かった。これで曇っていたり、雨だったら私の所為に成るんだろうかと自嘲気味に笑みを浮かべていた。馬鹿馬鹿しい。
……眠い。ふぁあ。と欠伸をし、軽く身体を伸ばす。
すぐに戻るよ。という言葉はエドガーとブライト。あれから仲良くなったかと思えばそうでもないらしい。びっしりと一線が引かれているのがありありと分かった。ここまでに仲良くなるプランを考える予定だったんだけれど結局ノープランになってしまった自分を呪いたい。
だって頭の中で何考えても、想像した結果失敗に終わるんだもん。なぜだ。
言い訳をしながらどうにかしないとなどと頭の中で独り言ちる。このままではあの手記のように。
それだけはダメな気がする。いや、ダメでしょう。
「頑張らないとなぁ」
呟いて空を再び見上げようとすると、誰かが私を頭から覗き込んでいた。かちりと合う琥珀にも似たブラウンの双眸。空によく映える新緑の髪がふわりと舞う。
中性的な顔立ち――ブライトと違い人間味のある顔立ちだ――のその子は私と同じ年位だろうか。白いローブを纏い、袖などに美しい金の刺繍を施されている。首から下げたネックレスは羽根を抽象化したデザインのトップ。先ほど紹介されていた神官とほとんど同じ恰好をしている。
と言うことは神官だろうか。神の僕にて、人々を神の代行として幸福へと導く者たち。そのために清廉潔白が求められる。大神官などになると人間として出来すぎているのだろう。きっと。
まったくと言っていいほど私には関係の無い話だ。
そう言えばさっきの神官が言っていたとぼんやり思い出す。昔は神をも降臨させることが出来たと。嘘くさい。
くるりと見回すと所々同じような恰好をした人間が行き交っている。
その子は私の顔を見ると少し眉を寄せた。気づいたのだろう。私の色に。何を言われるのか、されるのか。構えてみていればはぁと呆れた様に溜息一つ聞こえてくる。
「こんな所で一人でいるのは危ないと思うよ」
少し不安定な低くも在り、高くもある声からして少年のようだ。彼はすとんと私の隣に腰を落としていた。白い服が汚れるのは気にも止めていないようだ。
何しているんだこの人とぱちぱち眺めていれば『珍しいね』と微笑まれた。
どこかの誰かさんのような胡散臭さは無く――なんだか聖人のようだ。あぁ。神官なので善意の塊と言ったところかも。考えて一人納得する。
「あ。私が学校に通っていることですか?」
当然ローブの下は制服だった。チェックのスカートはローブに隠しきれてはいない。趣味で着ているので無ければ学校の生徒だろうと分かる。
「ま、それもなんだけど。なんか――幸せそうだなって。それに、ここにくる子は基本いないですし」
言いながら裾から小さな包みを取り出すと私に渡してくれた。可愛らしい包装。軽く振れば中からサクサクとした音がする。
するりとリボンを解けば、少し割れたクッキーが現れた。それを一枚摘まんで少年は口に入れる。
「信者さんに貰ったので。変なものは入っていないはずたけど――うん。美味しいですよ?」
「ええと」
考えを巡らせてから私はクッキーを摘まんで口に入れた。甘い。
「もしかして。心配をしてくれているんですか?」
「まぁ、はい。君だって一人でいることの危なさは知っているとおもうけど――頭がお花畑でなければ」
私だってそんなことぐらいは知っている。ただどことなく語尾に厭味混じってませんか。心配して、共にいてくれることは私に取ってとても有難いことではあるけれど。
見たところ何一つ悪気はないようだ。
「友達がすぐ帰ると言ってくれたので、何とかここで待ってるんです。あ――それに神殿だし大丈夫かと。これも被っているし」
くいくいと自身のフードを引っ張って見せた。それを半眼で見た後少年は溜息一つ吐き出す。それでは不十分だ。そう言うような目に慌てて続きを紡ぐ。
「そ、それに。二人とも魔法で耳を済ませてくれているらしいし」
そのために絶対動くなと言われている。私に直接魔法を掛けられない以上、最後にいた位置を頼りに音を拾っているらしいから。すべて聞いているわけでは無く、些細な――例えば日常会話などは拾わないらしい。まぁ。自称なので正確には分からないが、プライバシーは守られていると信じたい。
いまいち信じられない頭で顔を顰めていると少年は神妙な顔つきで言葉を紡ぐ。
「……神殿は魔法が禁止されているけど大丈夫なのですか? それ」
は?
ポロリと口元からクッキーが落ちる。その間抜けとも言える光景を見ながら少年は困惑気味に続けた。
「バレたら犯罪――普通に」
「うそ?」
言葉に神官の服――白いローブ。その裾をひらひらと揺らした。まるで主張する様に。そうして少年は困ったような笑みを浮かべている。
「そう見えないかも知れないですが、僕は神官なんだけど――見習いですが」
「デスヨネ」
聞いてみただけだし。と項垂れた。何かあれば声一つ出せば絶対――魔法で――すっ飛んでくるだろう。エドガーはどうか分からないが、『犯罪なにそれ』と言いたげなブライトの表情が目に浮かんで来る。エネス家は至って普通のやさしい御両親なのにどうしてああなったし、手記のような性格になったんだろう。
おばさん曰く、私に会ってから随分マシになったって泣かれたけど。前ってなに。怖い。当時五歳なんだけど……。
ともかくとして。黙る。私は石だと言い聞かせて口元を結んだ。ばばば、バレなければ問題ない。ないったら、無い。
その様子を見て少年はクックッと面白そうに笑う。
「下手に黙ると心配してすっ飛んでくるかも」
「ここで私は石になる」
涙目で睨む――八つ当たりだが――と腹を抱えて笑われた。殴ってもいいだろうか。神官に手を出すと罰が当たるとか言われているけれど。もはや罰には当たりまくっているので良いんではないだろうかという邪心が過る。
「……友達を犯罪者に出来ないので」
「本当に真っ直ぐ育っているんですね。すごいね」
真っ直ぐ育ったのはそこまで凄くない事だと思う。凄いとするならば私の周りで在り私は何もしていなくて全然凄くないのだ。私は小首を傾げる。
そして。実際揶揄われているような気もするけれど、この少年も私には『凄く』見えた。
『私』を知ってこうして普通に過ごしてくれる人はまず――エドガーと身内を除く――いない。笑いかけてくれる人はいない。下手をすれば普通に接しただけなのに糾弾される事もあるというのに。
もしかしたら姿を隠しているからかも知れないが。それでも凄いことだ。
あれ。もしかしてエドガーってとても尊いんでは……。思考がブレそうになって私は軽く頭を振った。じっとブラウンの双眸を見ると軽くたじろぐのが分かる。
「――凄いのは貴方の方だと思いますよ。こんな私を心配してどこにも行かないでくれるし。クッキーもくれましたし」
そう言えばお礼を言っていないと思い出す。私は軽く手を握って真っ直ぐ少年を見た。白い肌が淡く朱に染まる。
「ありがとうございます」
「えっと、神官なので。困っている人は助けてあげないと、と――あと。それと『妹』の友達になってくれそうだなと。打算が」
ごめんなさい。と申し訳なさそうにもごもご口を動かしいる。その横顔は未だ色濃く残る子供の姿でとても可愛らしいものだった。
「妹さん?」
「ぁああ。ええと。妹は君と同じ――『色なし』なんだ」