放課後
問題はどう二人を仲良くするか。だ。手記通りに行けばいずれ仲良くなるのだろうけれど。『ここか』らで無くては、私が切々と訴えられない。どうしてもあの道に進んで貰いたくない。だから絶対に歯止めが必要なのだと思う。
ブライトにとって何よりも大切なものが。手記のエドガーが歯止めになるにはきっとなにもかも遅すぎたのだ。
「何してるんだ? レーネっち」
声に私は目を瞬かせていた。
私の家はこの学校からそう遠くない位置にある。いや、実家ではない。『通い』と言う事を危惧した両親が近くに買い上げたものだ。『何のためにお金があるかって? このためだよ』はははは。と両親が笑っていたのは記憶に新しい。使用人さんたちや護衛さん――私に張り付いている筈の未だ護衛は確認できないけど――もいるしそれは良いんではないだろうか。とは言ったのだけれど、良くはない。と押し切られた形だ。
まぁ。実際良くはなかった訳だが。一人で帰ろうとすると碌な目に会わないし。いろんな人間に絡まれたり、そのおかげかブライトや使用人さんにまで説教されたり――散々だ。
ともかく。そんな遠くもない道をいつもブライトと登下校していたのだけれど、放課後ブライトは用事があるらしく少し遅れるとのことだった。まぁそれもいつものことで。
ブライトは先生に信頼されているらしく、いろいろな事を負かされる事が多いのだ。多分だが、今回は近いうちに実施される神殿へ向かう行事の事について、だろうか。
ぼうっとしていたところに覗き込む様にして声を掛けられていた。
「エドガー?」
「帰んないの?」
「ん。ブライト待ってて」
「あぁ。忙しそうだよな。あの人」
考える素振りをしてエドガーは前の席。身体を私の方に向けて腰を掛けた。持っていたノートと本を取り出すとぺらりと開いて見せる。
「え?」
「なら。ちょっと教えて欲しいと思って。レーネっちはこういうの得意だろ? 代わりっていっていいのか分かんないけど、武術なら俺教えるからさ」
うーん。このノート白い。端の方には落書きを消した後が……。私の席は一番後ろなのでクラスメイトの背中と頭は見えるんだけれど、エドガーって寝てた記憶しかない。
私は苦笑を浮かべた。
「もうすぐ試験だもんね」
「落とすとなぁ。いろいろまずくて」
入るのは容易く出るのは難関。そんなシステムを取っている学校だ。試験を落とすと進級も難しくなる。実技と座学その及第点を取らなければならないのだけれど。
まぁ。無理だな――笑ったのはエドガーの事ではなく、私の事だ。座学トップを取るから進級させてくれないだろうか。それだったら出来そうだし。
無理か。
無理だよね。私が進級できる日はきっと来ない。
ならこの一年で『なんとか』しなければならないわけで。
「いいよ。暇だし――どこが分からない?」
「分からないことが分からない」
「え―ー」
それは胸をはっていう事ではないのだけど。何なの。進級したくないのかな。そしてそれは初めから復習し直すという意味に……。先が思いやられた。
私は溜息一つ。最初の頁を指で辿る。
魔法薬学。
頭では完璧なのに。と少しだけ愚痴が漏れそうだった。
寝るな。――起きろ。何度言ったか分からない。どうやらエドガーは文字を見れば拒否反応を起こし眠ってしまうタイプのようだ。ぺちぺち頬を叩くこと何十回。そのたびに少し戻ってまた進むの繰り返しだ。これで、いいの。良いのだろうか。覚えているかも疑問だし。
そんなに時間は立っていないのだけれど『つかれた』その声に今日はここ迄とすることにした。
大して進んでないだろう。と言う突っ込みは入れないことにしておく。
「あの人遅いね?」
とんとんとノートと本を整てカバンに突っ込んでいるエドガーは入口を見ると未だ人の気配は無い。
少し暗くなりかけた教室。エドガーはぽうっと小さな青い炎を数個教室に浮かべて見せる。なんだか炎にしては冷たそうで……。それを触ろうとして手を伸ばしたら霧散した。うん。当然だよね。分かっていても悲しい。
そんな気分をかき消す様に咳払い一つ。
「あ――まだそんなに時間は立ってないよ。帰る?」
私は残るけれど。と付け加えた。エドガーは軽く首を振る。
「いいや。も少しいるわ。世間話でも?」
「世間話――」
考えて私は顔を上げる。青い光に照らされたエドガーは精悍さの中に子供らしい幼い顔立ちを色濃く残していた。赤い双眸が光を受けて輝いている。私の目は良く他人に気持ち悪いと言われるけど、なるほど。本来の――祝福を受けたそれはとてもキレイだ。
水と火。合うかも。
「あのさ、レーネっちはあの人と付き合ってるの?」
あの人。考えてブライトの事だろうと思いつく。だって私と親しい異性なんて家族除けばブライトだけだし。でもと私は心底不思議そうに小首を傾げていた。
「え? 付き合うのはエドガーでしょう?」
だって手記ではそうなってるし。
エドガーが固まったのをよそに私は――そう言えば神殿へ行くのは二学年合同では無かったっけ。と考えていた。そこで二人が仲良く成れ無いだろうか。
今から付き合えば何とかなるかも知れない。いや――成る。
計画を頭で練りながらふんすと気合を入れる。
「まって。え――まってくれ。レーネっち?」
「え? 私忙しくて」
何の用だよぅ。と思わず睨んでいた。考えるのに忙しいんだけれど。私は。
エドガーは少し頭を抱え込んで、顔を上げる。この目には困惑がはっきりと浮かんでいた。
「いやいやいや。無いから。無い。どこでどう思ったのか知らねえけど、無いから」
「ブライトを好きにならない人はいないけど?」
事実そうなるし。それなのになぜ誤魔化すんだろうと不満交じりにエドガーを見返す。大体手記が無かったとしてもブライトの容姿を好きにならないものはいないのに。男でも女でも誘惑してしまう容姿は本人が一番嫌がっている物だったが。
あぁ。私は慣れてるし内情を薄々分かってるから。
「ないないない。大体あれは――レーネっちに執着しすぎてるし。俺だって……」
大げさに首を振ってから、少しだけ言葉を詰まらせ項垂れる。口元は何かを紡いだように見えたが音になって聞こえることは無なかった。
『あぁ』と軽く呻いてからエドガーは顔を上げていた。
「ともかく、そっちの気は俺にはねぇんだよ」
「そだね。心外だよ。レーネ」
――っ?
だからいつもなんでおと文句現れるんだよ。悲鳴を上げそうになってしまった。何とか堪えた。あれ――よく考えたら誰もいないので堪えなくても良いのかな。
それにしても。心臓がいくつあっても足りない。
青い炎を上書きする様に光が灯る。月を小さくしたような光は特徴的な青い目を照らし出していた。
「いつもどうして突然現れるのよ?」
バクバクと鳴る心臓を抑えながら溜息一つ。恨みがましく言うとコテンと不思議そうに小首を傾げている。
「うーん。僕はただ、声を掛けただけなんだけど」
「気配殺さないで」
手記のようにならなくても――なって欲しくは無いが――暗殺者には成れるきがしてきた。この国にも諜報部とかあるらしいからお呼びが掛かるかも知れない。と遠い目になってしまう。
……ダメ。日陰人生。ブライトは明るい世界で生きてほしいので。
ブライトはにこりと笑顔をエドガーに向けた。
「いつも、ありがとう。レーネが変な誤解をしてごめんね?」
「あ――いえ。じゃ、レーネっち。俺帰るわ」
どこか面倒そうに返事をすると、かたんと軽い音を立てて、エドガーは席を立つ。その裾を思わず私は握っていた。
不思議そうに赤い双眸が見下ろしている。その目を見て私はにっこりと笑って見せた。
「レーネ?」
「一緒に帰ろうよ。なんだか寂しいし――。それとも……」
迷惑と言いかけて口を噤んだ。
そう言えばそうだった。と奥歯を軽く噛んで、失態に心の中で舌打ちする。忘れていた訳ではないけれど、忘れさせるような空間に安心してしまったのだろうか。ほんと――バカだ。
ともかくエドガーが私の所為で皆から変な目で見られるのは申し訳なかった。
慌てて私は顔を上げると手を振った。目の前に文字が浮かんでいる訳でもないのにかき消すような仕草で。
ヘラリと浮かべる笑顔。
寂しいと思ったのは本当。ブライトと仲良く慣れればと思った打算もある。けれど仕方ない。
「いや。あの。ごめん。ごめん,なさい。ちょっと調子に乗りすぎたと思う」
「あ――俺としては邪魔しちゃ悪いかなって思ったんだけど。――うん。俺と帰ってくれるなら喜んで。気ぃ使わせて悪いな。レーネっち」
言いながらちらりとエドガーはブライトを見た。私の後ろにいるブライトの表情は見えないかきっと笑顔なのだろう――と予想する。
くるりと振り向けばやはりと言うべきなのか、にこりといつもの胡散臭い笑みがあった。
「ブライトもいいよね?」
「もちろん。僕には断る理由が無いから」
言葉を聞いて私は決まりとばかりに軽く両手を叩いた。心地よい音だ。ぱっとエドガーに笑顔を向けると軽くたじろいだがその意味は私には分からないし考えることは無い。
「だよね。一緒に帰ろう」
伸ばした手に緩く手が重ねられる。少しだけ照れ臭そうに笑うエドガー。それに私は満足し、開いてある手でブライトの手に触れる。少しだけ不思議そうなブライトの双眸に私はにっこりと笑いかけていた。
「じゃあ。ブライトも。これで二人も友達だね」
「え?」
「――は?」
待って。どこか納得いかないような、慌てているようなそんな言葉も聞かずに私は満足げに二人の未来を考えていた。恋に落ちるのは何時だろか。やっぱり『なにか』が無ければならないのだろうか。恋のスパイス的な――と考えるがその何かは分からないので放置することにした。
かつかつと二人の前を歩きながらはた、と止まる。
そう言えば。執着って何だろう。
言葉から程遠そうなブライトは相変わらずにこりと笑みを浮かべていた。