手記
あの『手記』を見つけたのは大体一年程前になるだろうか。
丁度ブライトが魔法学校の入学が決まった頃。私は行けずに臍を曲げていた。私だって学校と言うものに行きたかったのだ。けれど私たちのような特殊な人間はいく事が出来ないと知ると、悔しかった。
ブライトに八つ当たりは当たり前。いろいろ申し訳なかった時期である。それでも心が広いのか鈍感――恐らく後者な気がする――なのか、ブライトは毎日のように遊びに来ていたが。
ちなみに言えば私の学力は双子にみっちり仕込まれているので無知ではない。この間、実力テストなるものをブライトと共に行ったけれど私の方が成績は良かったし。どや顔をしたけどブライトは『すごいね』と笑っていた。悔しい。
――いや。ズレた。
ともかく。私はその当時不貞腐れ、よく部屋を抜け出していた。
まぁ、今もだがそれは置いておくとして。
我がレガシ家はとても広い。自慢ではないがお金持ちで、様々な部屋があった。私が好きだったのは世界の文献を収めた図書館のような部屋で。インクの匂いと窓から入る涼やかな風がお気に入りだった。お気に入りすぎてすぐ見つかることは余談だけれど、その日も私はそこにいた。ぷりぷりと自分の不幸を嘆きながら。まぁ――その時点で不幸ではないのだが。当時はそんなことが不幸だと思っていたのだ。
いつもは私が立ち入らない古い文献が納められた奥の古い棚。ブライトよりも頭がいいと証明したくてその中でも飛び切り古そうなものを数冊手に取っていた。
――ほとんどの本は古くて旧書体。しかも小難しい文体をたかだか、十二の子供が理解できるはずもなく敢え無く撃沈したのだが。
だけど。と私は思い出す。
ただ一つだけ。本当になぜそこにあったのか分からないほど、ただ一つだけ。私に読める『本』が存在していた。
正確に言えばあれは誰に読ませるための本ではなく――手記や日記のようなものだった。個人的なものを読むのはどうなのだろうかと戸惑ったが、その本もまた古く。読んでしまっても問題ないと判断していたのだ。まぁ。暇だったし、面白かったから仕方ない。
私は悪くない。
……いや。
……勝手に読んでごめんなさい。
ローブを頭から深く被り、おしゃれなカフェで私はずずっとオレンジジュースを喉に流し込んでいた。相当怪しいだろうがその怪しさをかき消す様に美形が微笑んでいる。多分私は霞んで見えない。そう思いたい。
「それで? その手記に僕の名が記されていた、と?」
「……うん。まぁ」
正確に言えば名前なんて一切出てこなかった。一人称で書かれていたから。記されている周りの状況からそう判断しただけだけど。
「で――それには未来が……」
少し考える様にしてブライトは視線を窓の外に投げている。その青い双眸からは感情は読み取れなかった。
きゃあきゃあとなんだか騒いでいる周囲はブライトに取って日常らしく気にならないようだ。
未来なのだと思う。読み進めるたびに重く悲しい足取り。誰かが留めてくれればこんな事にはならなかったのにと思わざるを得ない世界だった。
未来で――端的に言えばブライトは世界そのものに歯向かって。死ぬ。
……私にはそれがどうしても創作の用には思えなかった。誰かの悪戯だとも思えない。
悲しくて苦しい世界からブライトを救い出すのか考えた結果がこの有様だった。
救い出すとはいっても――私なんかに出来ることは少なくて。考えた結果。ブライトの親友で最愛――私は理解ある方だと思う――として出てくる少年にお願いしようと思っただけだった。
道を示してほしいと。このままで留めてほしいと。――だから学校に行きたかったのだ。その未来の中で。私は悲しいことに、故人なのだから。託したいと願った。
だって大切な幼馴染だから。不幸になって欲しくは無いのだ。
……まぁ。今まで遊んでくれたブライトが来なくなって、少し寂しかったのもあるけれど。
私はパッと顔を上げた。
「うん。でね。その本が本当なのかどうなのか確かめたくて――あの。ごめんなさい」
当然そんな内情諸々言えるはずもない。私が謝るとブライトはいつもの笑みで私を見返していた。何だろう。いつもより不自然な気もしないでも、ない。なにか、とは分からなかったが。
「その手記。今度見せてもらってもいいかな? 僕に関わる未来なら知りたいんだ」
「え。ああ。うん。家にあると思うけれど」
見せていいものだろうか。迷う。だが見たいと言っているので仕方ないか。傷付いて、あまつさえ絶望とかしなければいいのだが。それが些か心配だ。いや。心臓に毛が生えているのは知っているが。それでも心配して、守りたいと思ってしまう。
……ん?
――あれ。
とそこでようやく気付いて目を瞬かせた。あまりにも流れが自然で気にもしていなかったのだけれど。
「――って? 信じてくれるの?」
こんな荒唐無稽なことを。こんなこと失笑で終わるだろうに。私だって第三者であれば……近づかない。そう確信するが。
ブライトは不思議そうに小首を傾げた。
「なんで? レーネが信じているのなら信じるよ。それに預言を記した魔法だってあるって聞くし――無くは無いと思うよ?」
「そうなの?」
「うん――ああ。そろそろ帰ろうか。魔法で手紙出しておいたから、双子も落ち着いているとは思うけれど」
かたんとブライトが腰を上げる。それを見上げながら私は溜息一つ。ぶくぅと頬を膨らませて口を尖らす。
「忘れてたことを思い出さないでよ」
「あははは。いつものように、そんな大したことにはならないよ。僕がいるんだから」
伸ばされた白い手は私の手より些か骨ばっていた。昔はぷくぷくしていたのに。重ねる手は私より幾分か温かい。
「……だといいけど」
からんと乾いた音を背に、私たちはカフェを後にしていた。
ぱちぱちと炎が揺らめき、踊るようにそれは揺れていた。
炭になって行く文字の羅列。それを何の感慨もなく、ただ暗闇の中で少年は淡々とそれを見つめていた。