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彼女の色の独白  作者: 睦月紗江
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彼女の独白:日本語は何色か

「日本語は何色か」

 高校の時に、仲良くしてくださっていた先生にこう問いかけられたことがあります。周りの友人たちは山吹色や赤色など、様々な色をあげていた中、私の答えは「透明」でした。先生は私の返答も含めそれぞれの回答に嬉しそうに反応を示してくれましたが、私の中には少し何かが詰まってしまったような、そんな感覚になりました。日本語の色がすぐ浮かばなかったことが思っていたよりもショックだったのです。私自身英語は赤、中国語は黒の混じった紅色など他言語であればすぐに思い浮かびました。しかし、日本語だけはどうしても色のイメージが浮かばなかったのです。むしろ周りの友人がすぐに答えられたことに驚きました。彼らが実際にそう思っていたのか、もしくはその場の勢いで答えたのかは今となっては不明のままですが、それでもすぐに答えられた彼らの事をうらやましいと思ったものです。それはつまり、自分たちが使う言語について少なからず考え、色という形にまでイメージすることができたということに違いないのだろうから。もちろん私も全く考えなかったわけではありません。日本語をいくつか思い浮かべ、よく使う言葉を反芻し、それでもふわふわとした感覚のまま色が思い浮かぶことはついぞありませんでした。色が思い浮かばなかったからといって何か、例えば成績や学校生活に影響があったかといえば全くなかったのですが、しかしこの問いは私の心に深く残ったのです。

 そこから幾年か経って、この問いについて再び考えることになる出来事がありました。進学し大学生活に慣れた二回生の頃のことです。同じ大学の日本人らと共に留学をする機会がありました。その留学先で日本人の子に言われたのです。「日本語を話す時、まるでカンペを読んでいるような話し方をするね」よくよく話を聞いてみるとその子には悪意などは全くなく、一緒に話していて少し不思議に思ったそうです。何かを読んでいるような話し方をするなあと。この言葉に少なからず衝撃を受けたことは言うまでもありません。私はそのような話し方を意識的にしているわけではないので。むしろ考え方が変わっていると言われることもしばしばあったため、普通の話し方を意識していたつもりだったのですが、どうやらそれが裏目に出たようでした。そして後日このことについて考えた時にこの「カンペのような話し方」こそが、私が日本語に色を見出せなかった一因ではないかとふと思ったのです。カンペのような話し方とはつまり、言葉を上辺だけなぞっていると言われたようなものです。なぜならどんな演者であっても、カンペを読んでいると気づかれるようなら読んでいる人物は二流です。一流の演者は読んでいると思わせない話し方をし、他者によって作られた言葉に感情をのせることで自然な言葉として聞いている側に伝えます。作られた言葉でもそれぞれの演者が彩り鮮やかに変えていくのです。そうすれば聞いている側はそもそも言葉を読んでいるなどとは思いません。それができないと書かれている言葉をただ読むだけになり、当然それは聞いている側にも読んでいるということがばれます。彩のない無色な言葉などそうそう響きません。いわゆる大根役者というやつですね。結局普通を意識して話そうとするあまりあらかじめ作られたものをただ読んでいるような人間が、使っている言葉に色を見出せるわけはないのです。日本語の上辺を取り繕うのに必死で中身などないのですから。

 ではなぜ私は日本語以外なら色を思い浮かべられるのでしょうか。このことについて考えた時、やはり先に述べた留学が答えに関わっているように思います。私が日本語の場合のみ上辺だけをなぞるような話し方になるのは日本語に慣れていることが大きいでしょう。生まれ育った国の聞き慣れた言葉なら、話す時にいちいちここが主語で次に述語がきてなどとは考えません。逆に言えば、自分が後から学んだ言語であれば考えざるを得ないのです。文法の使い方から言い回しまで、勝手に身につくものではないため話す時は常にどの言葉なら伝わるかを考えながら話します。私の場合特に失敗したりすることをかなり恐れる性格であるので一つの会話をするにも熟考することが多かったです。もちろん日本語で話す際にも失敗はしたくないから何を話そうかなどは考えますが、あくまでどう話せば普通かを考えるだけで極論話す言葉の意味を深く考えなくても、会話が成立さえしたら普通の人っぽい会話はできるため日本語では熟考する必要はなかったのです。日本語で私が私の言葉に求めるものは人と話す会話が正解であることで、英語で求めるものは人と会話を成立させることでした。この二つは似ているようで違うのです。正解の会話を探すことは、難しいテストの問題に答える感覚に近いと言えます。あらかじめ作られたテストの選択肢の中から正解を選ぶ作業です。公式を使って解く作業とも言えるかもしれないですね。いろんな会話に対する公式がいくつかあって、話す時には正しい公式を選んで、さらに自分の中から公式に何を当てはめれば正しいかを選んで答えるのです。英語の場合はそもそもこの問題が理解できない場合があります。問題文の意味がわからなければ答えることができないように、話す時に選択肢から正しいものを選んでアウトプットする余裕なんてないので、日本語よりも考える事が多いのです。

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