32 笑う陰謀
その日の夕暮れ時の事だ。一人の男子生徒が周りを気にしながらコソコソと人目を盗んでとある建物内に入って行った。
そこは研究棟と呼ばれる場所で、生徒が普段勉強している本棟より西にある建物で、主に教師陣が自分の研究などに使う研究室が収まっている。
その研究棟の一室を男子生徒は扉をノックした。
「僕です」
「・・・・・・入れ」
簡素に来訪を告げると、中から一拍おいて返事が返ってくる。それに従って男子生徒は扉を開けて中に入る。その際に周囲に人がいないかも確認しながらの念の入れようだ。
「もう動いて平気なのか?オズシュタン」
「はい、オルゲル先生」
訊ねてきたのはオズシュタン。待ち受けていたのはオルゲルだった。
「話は聞いている。あの編入生に、一杯食わされたようだな?」
「・・・・・・はい」
苦虫を噛みつぶす様にしてオズシュタンは言う。
「先生、あの編入生は何者なんですか?僕がライアン以外の人間に負けるなんて・・・・・・」
あの編入生とはもちろんエルの事だ。オズシュタはあれから治療を受けた。エルが手加減していたおかげもあって、直ぐに治療は終わり、こうして出歩くことが出来るまで回復していた。
だが、オズシュタの体は完治しても、そのプライドは未だに傷ついたままだった。
(あの動き、とてもじゃないが普通じゃない・・・・・きっと、何かあるはずだ。そうでなければ僕があんな子供に負けるはずがっ!)
エルに敗北したことで傷ついたプライドは、次第にエルを憎むようになっていった。
そして、ここに来た。
(先生なら何か知っているかもしれない、あの生意気なガキが何者なのか)
その考えの下、オルゲルを尋ねに来た。それとももう一つ、オルゲルがオズシュタンをいたく気に入っているからだ。
(もしかしたら、先生の力であのガキをどうにかできるかもしれない)
そう言う打算的にな考えもあってオズシュタンはオルゲルを訪ねたのだ。果たしてオルゲルはと言うと・・・・
「・・・・・・やはり、あの者には何かあるな」
「やはり、と言うと?」
「学園長・・・・・フィーリアムの長耳が庇い盾をするようなそぶりを見せていた。私はそれが気になってな。少し調べてみたのだ」
長耳、とはエルフに向ける蔑称の事だ。オルゲルは以前から学園長であるフィーリアムの事が気に入らなかった。
オルゲルは典型的な人間主上主義だった。人族の中で数ある種族の中で頂点にいるのは自分達人間族だと言う考えの者達の事で、オルゲルはその思想に囚われた哀れな人間の一人だった。
(人よりも長く生きているからと偉ぶる事しか出来ん脆弱な種族ごときが、私の上に立つなどあってはならぬッ)
それがオルゲルのフィーリアムに対する思いだった。完全にただの当てつけにしかなっていないが、本人にはそれが当たり前だと認識しているので、何を言おうが聞き入れることは無い。
「それで、どうだったのですか?」
「・・・・・・遠見の魔術で動向を見張っていたのだが、長耳の小間使いの老いぼれに邪魔をされた」
「先生の監視を見抜かれたのですかッ!?」
そう、エルが編入試験を終えた後に学園長室に呼ばれた際、そこで遠見の魔術でエルを監視していたのはオルゲルだった。
(あの小娘を庇い立てするからには何かあるとは思っていたが・・・・・・しかし、そろいもそろって私の事を侮辱してくれるっ!)
フィーリアムだけでも気に入らないというのに、エルまでも自分の邪魔をすると憤慨するオルゲル。
(あの小娘にも痛い目を見てもらわなければな・・・・)
オルゲルがなぜエルの事を敵視するのか?それはエルが編入してから三日目の事が原因だった。
* * *
フィーリアムはエルに、十日間で二回も面倒ごとをしでかしたと言ったが、実は二回ではなく三回だった。
それはフィーリアムが上げた二つの間にあった事で、フィーリアムの耳には届いていない事だった。
その日、エルは気まぐれで図書室を訊ねていた。理由は別にない。ただどんな本が貯蔵されているのか見に来ただけだった。
そこでバッタリ会ったのがオルゲルだった。
丁度適当な本を見つけたエルがその本を取って机に向かおうとした時、本棚の陰から出てきたオルゲルにぶつかったことが切っ掛けだった。
「おっと、すまん」
「貴様、どこを見て・・・・・ん?貴様・・・・・」
ぶつかった弾みでオルゲルが手にしていた資料が床にばらまかれ、それに憤慨したオルゲルが顔を向けると知った顔がそこにあった。
「貴様、編入試験を合格した、エル、だったか」
「ん?私を知っているのか?すまないが、私はお前を知らんのだが」
エルのその物言いに眉間を引きつらせながら、オルゲルはエルを睨む。
「私の作った筆記試験で、馬鹿げた魔術理論を書いたのはお前だな?」
「筆記試験?・・・・・ああ、もしかしてあのファイアランスの問題を作ったのはお前か?」
エルのお前呼ばわりに、更に眉間に皺を寄せるオルゲルは、何とか込み上げる怒りを抑えながら口を開く。
「・・・・・・そうだ」
「そうか、あんなくだらない問題を作ったのは一体誰かと思っていたが、お前だったのか」
その人を馬鹿にしたような言い方に、遂にオルゲルの我慢が決壊した。
「くだらないだとっ!?貴様が回答したあの魔術理論の方がよっぽどくだらないではないか!!」
遅い時間と言う事もあって、図書室内の二人しかいない。図書委員がいるのだが、現在奥の倉庫室で学園に送られてきた本の整理に追われている。おかげでオルゲルの大声は他の誰にも聞きとがめられることは無かった。
「・・・・・くだらない?アレがくだらない、と?」
ピクリと不機嫌そうにエルの眉毛が動くも、オルゲルは気付くことなく喚き始める。
「ああそうだ!あのような悪戯に威力を上げることを目的にした魔術など、術者に自殺をしろと言っているようなものだ!貴様は暴発と言う言葉さえ理解できんのか!?」
「・・・・・・確かに私が考えた術式には威力向上を目的にしたルーンの配置をしている。たが、暴発を防ぐために、別に魔術理論も書いておいたはずだが?」
「それこそくだらんッ!!加速術式を応用した魔術理論のようだが、あれでは更に威力が増すだけで暴発を防ぐことなど出来ん!!貴様の頭の中は虫でも飼っているのか!?」
そのオルゲル発言に、エルの顔から表情がスッと抜け落ちる。
「・・・・・・・・」
「な、何だ貴様、何か言いたいことでもあるのか!?」
怒りでもなく、憤りでもない。ただただ無表情のエルの顔に、得体のしれない何かを感じたオルゲルは、無意識に声を上ずらせる。
「・・・・・・・・・・・・・・・別に、何でもない」
長い沈黙を挟んで、エルはそれだけを言った。
「ふ、ふん!とにかく、あんな術式を考える暇があるのなら、少しはその惨めなマナ値を上げる努力でもするのだな!」
そう言いながら床に散らばった資料を拾い上げる。粗方拾い上げたところで枚数が一枚足りない事に気が付いたオルゲルが周りを見ると、エルの手に資料が一枚握られ、エルはその資料に目を走らせていた。
「貴様、それを渡――――――」
「オリハルコンを使った魔導人形。それに適したコアの資料、か」
エルの読み上げた内容にオルゲルの口が唖然となる。
(馬鹿なっ!?私の暗号を読み解いたのか?この短時間で!?)
およそその魔術師は自分の魔術や研究成果などは秘匿する傾向が強い。それも当然と言えることで、それだけ魔術の研究とは多大な苦労や努力の結晶とも言えるものなのだ。それを簡単に他者に教えることを魔術師はしない。
だから、大半の魔術師は自分の研究資料などに暗号文を入れる、もしくは隠蔽魔術で資料を読めなくするなどの細工を施す。
オルゲルの持っていた資料は前者で、全て暗号化されていた。
それをエルはオルゲルが床に散らばる資料を回収しているほんのわずかな時間で読み解き、更にその資料が何なのかを理解してしまっていた。
「ベースとしているのは錬金術のゴーレム作成。そこに刻印魔術を入れる事で鎧の様にゴーレムの中に入って動かす、搭乗型ゴーレム。だが、核となるコアに問題ありだな。この資料の中にある物ではオリハルコン成のゴーレムを動かすにはマナが足りない。それに可動部分にもいささか問題があるな。このままでは柔軟性に欠けて、動かせる範囲が狭すぎる。これでは歩くこともままならん」
「な・・・なっ・・・・・!!」
何故それを、っと叫びそうになるが、上手く口が動かなく、意味のない言葉が口から洩れる。
(たった一枚の資料で、そこまで理解したのか!?)
今エルが上げた問題点は、オルゲルも頭を悩ませていた問題でもあった。しかし、今エルが言った事は、オルゲルが持つ資料も合わせて読まなければ出てこない指摘だった。それをエルは他の資料無しでいとも簡単に問題点を上げてみせた。
「妥協案としては、オリハルコンではなく、ミスリルにするべきだな。オリハルコンでは重量もあるし、何より魔力抵抗が大きすぎる。これでは刻印魔術もうまく起動できないだろうし、出来たとしても、重量のせいで動きが遅い。その点、ミスリル素材ならある程度問題をクリアできる。ただ、コアの問題だけはネックだな」
「ッ!!」
それはオルゲルも考えていた事だった。ただ、その答えはオルゲルが今抱えている資料に目を通さなければ出てこない答えだ。
一応オルゲルの頭の中では問題解決の答えが出ているのだが、流石に心が読める訳ではないエルは、そこまでの事は応えられない。
「しかし、これではコストがかかり過ぎるぞ?これだけの大きさのゴーレムを作るとなると、その素材にかかるコストも馬鹿に出来んぞ?ましてやオリハルコンなど、お前は一体何を目指しているんだ?失敗して笑い者にでもなりたいのか?変わっているなぁ。もしかして、罵られることに喜びを覚える変態か?」
だから煽る。先程自分を馬鹿にした分を返すかのように、エルはオルゲルを煽った。
「き、貴様ッ!!」
顔を真っ赤にしたオルゲルが、エルに言い寄ろうとしたその時、図書室に、いや、学園全体に完全下校時刻を告げる鐘の音が鳴った。
「完全下校時刻になりますので、図書室を閉めます。まだ読んでいる人は本を戻すか、貸出カウンターまで本を借りる許可をしてください」
そのタイミングを見計らったかのように、今まで倉庫室で本の整理をしていた図書委員が出てきて室内に向けてアナウンスをする。
それを聞いたエルはこれ幸いと言った感じで、オルゲルの手に、持っていた資料を握らせる。
「そろそろ時間の様だ。ではな」
それだけ告げて、エルはオルゲルの横をスタスタと横切って図書室を出て行ってしまう。
「ふ、ふざけおって・・・・・・・!!」
後に残されたのは、怒りで拳を震わすオルゲルと、そのオルゲルをどうすればいいか分からなくてオロオロする図書委員が残された。
* * *
(あの時のあの屈辱・・・・・・忘れるものかッ!!)
オルゲルの思考が現在に戻ると、目の前に縋るような眼を向けるオズシュタンの姿があった。
(こいつを上手く使えば、簡単な事だ)
そんな暗い思考を持ちながら、オルゲルはオズシュタンに尋ねる。
「・・・・・・模擬戦の時、編入生は何か変わったことはしていなかったか?」
この質問に、オズシュタンは数舜黙り、やがて答えを口にする。
「・・・・・・・そう言えば、試合が始まる前におかしなカードを取り出していました」
「カード?」
「はい。何のカードかは分かりませんが、あの時、アイツはカードを取り出してこう言ったんです『神に祈っていた』と」
「・・・・・・・・・」
オルゲルはしばしオズシュタンの言葉を整理するように考えを巡らせた。
(カード・・・・・カード、か)
「それは、アーティファクトの類かもしれんな」
「まさかッ!?」
「アーティファクトの力ならば、お前を倒すのも容易いだろう」
「あのガキっ・・・・・・やはりイカさまをしていたなッ!!」
オルゲルの推測を鵜吞みにして憤慨するオズシュタン。それを眺めながらオルゲルは更に考えを巡らせる。
(奴がアーティファクトを使ってオズシュタンを倒したのなら、すなわち、アーティファクトが無ければただの無力な子供というわけか・・・・・・)
そこまで考えたオルゲルはニヤっと笑みを浮かべる。
「オズシュタンよ。編入生からそのカードを奪ってこい」
「カードを、ですか?」
「そうだ。奴からカードを奪い私の所に持ってくるといい。そうすれば、今研究している術の役に立つかもしれん。そうすれば、お前にその研究成果を貸してやろう」
「先生の研究したものをですかッ!?」
その言葉にオズシュタンは歓喜の表情を浮かべる。
「ああ。それを使えばあのような小娘、取るに足らない小物同然だ」
「ッ!わかりました、必ず先生のもとに持ってきますッ!!」
「期待しているぞ?」
「はいッ!!」
大きく頷くオズシュタンを前に、オルゲルは内心で黒い笑みを浮かべる。
(くくっ・・・・・オズシュタンを倒したほどのアーティファクトだ、おそらく魔力増幅系のアーティファクトだろう。あの小娘のマナ値から考えればそれが自然だ)
全く見当はずれなのだが、それを知らないオルゲルは更に思考を深める。
(となれば、それをアレに組み込めば・・・・・くくっ)
そんな事を考えているオルゲルの前で、オズシュタンは別の事を考えていた。
(先生の力を借りれれば、あんなガキ、簡単に叩きのめせるっ!)
エルに対する負の感情が、オズシュタンの頭を黒く染める。
(叩きのめして、地に組み伏せて、あの生意気な顔を屈辱で歪めて辱めてやるッ!!)
エルの冗談で言った発言が、まさかこんなところで本当になろうとはきっとエル自身も考えていなかっただろう。
(あぁ・・・・・・きっと楽しい時間が待っているぞ)
その時を夢見て、二人は気味の悪い笑い声を響かせた。