31 刻印魔術
場所は変わって実験棟と呼ばれるエル達のクラスがある本棟から少し離れた教室の一室。そこでエル達のクラスは刻印魔術と呼ばれる魔術の授業をしているた。
「――――――で、あるからして、ここに刻印を入れることで魔力が通るようになるわけです」
刻印魔術の授業を担当するハーゲンはそう説明しながら薄い金属板のような物に魔術でルーンを刻む。
「ふむふむ、なるほど・・・・・」
それを最前列の席に陣取ったミラは熱心にハーゲンの手元を観察してはノートにメモを取る。そう、あの授業妨害をし、フィーリアムに注意を受けて以降、授業内容を聞き流していたエルがである。
「これで、光が満遍なく、かつ、効率よく魔術盤に広がる様になります。ここまでで何か質問はありますか?」
ハーゲンの声にいち早くエルが手を上げた。
「はい、エルさん」
「ここのルーンの配置に少し疑問を覚えたのだが、ここに拡散の印を入れることに意味があるのか?」
「いい点に目をつけましたね。そう、ここに拡散の印を入れることに、実はあまり意味はありません・・・・・このままならば、の話ですが」
「と、言うと?」
「これには――――――」
と、もはや二人だけで授業が進行しているのではないのか?と疑問を抱いてしまいそうなほど、先程からエルとハーゲンのやり取りが続いていた。
そう、授業をまるで聞いていなかったエルが、唯一興味を持って取り組んでいる授業が刻印魔術だ。
刻印魔術とは、ある成分を含んだ物体に対してのみ、魔術を起動させる術式を刻印できる術の事で、エルが封印されている間にできた新たな魔術の事だ。
今までの魔術では、物体に術式を刻むことは出来なかった。術式を物体に刻むことは出来るのだが、肝心の魔術は起動できなかったのだ。それを可能としたのがこの刻印魔術。
本来なら魔術を起動させるためには、術者の頭にキャンバスを最初に作る必要がある。そのキャンバスに術式を刻むのだが、ここにいたる工程で既に内在するマナを消費する。
刻印魔術はそれをあらかじめ物体(キャンバスの代わりとなる物)に術式を刻印する為、後は魔力を通すだけで術が起動する仕組みになっている。
それにより、術者は本来消費するマナの量の約半分で術が起動できるようになった。
この刻印魔術が研究され、更に年がたつほどに進化していき、今では魔力さえあれば、魔術師でなくとも魔術を起動できるようになった。
根っからの研究者気質のエルはこれに衝撃を受け、今ではすっかりのめり込んでいる、のだが――――――
「・・・・・・たかが刻印魔術程度で、何をそんなに騒いでるんだか」
と、授業に参加しているクラスメイトの誰かが小さく呟くが、ハーゲンとの会話に夢中なエルの耳には入ってこない。
先の説明だけなら、かなり画期的なもののように聞こえるが、残念なことに、『たかが刻印魔術』、と言われてしまうのには理由がある。
それは、刻印魔術で使える魔術は初級魔術、出来て中級の魔術が出来るかできないか、と言う限定的なものだからだ。
戦闘では省略して魔術を起動できる分、戦闘ではある程度活用されるのだが、大規模な術式を起動できない為、強力な魔物などには刻印魔術は不向きとされ、今現在では一般家庭などで使われる日常品などに活用されることの方が多いのだ。
なので、近年の魔術師たちの間では、刻印魔術は生活魔術、などと揶揄され、魔術として認めないなどの声まで上がっている始末だ。
ここにいる生徒達ももれなくこの刻印魔術をそう言う目で見る傾向がある。ただ、それでもこうして授業として組み込まれているのにはそれなりに理由がある。
先も述べた通り、刻印魔術のお陰で術の発動におけるマナの消費、そして発動までの時間が省略できる。このプラス要素があるおかげで、刻印魔術は魔術師が使う術具などには貢献しているのだ。
その証拠に、学生たちが使う魔道具には、大半の物にこの刻印魔術が使われている。なので、刻印魔術を否定はしないが、他の魔術に比べて刻印魔術に興味を示すものの数が少ないのだ。
しかし、魔とつくものには目がないエルにとっては、まさに金銀財宝に匹敵するぐらい魅力的なのだ。
「――――――と、いうわけです。分かりましたか?」
「なるほど、拡散の印を入れることで、後からつなげる分に対して拡張の意味を持たせているのか・・・・・」
「はは、エルさんは勉強熱心ですね。実に教えがいがあります」
そう言って好々爺然とした笑みを浮かべるハーゲンの眼は、まるで孫娘を見るような優し光が宿っていた。
今年で六十四歳になるハーゲンは、今の刻印魔術の在り方に嘆いていた。生活を支えている、と言う点では誇らしく思っているが、やはり本職の魔術師たちに下に見られるのは悔しい思いを抱いていた。
授業は受けてくれるが、ただ聞いているだけ、惰性で授業を受けている生徒が殆どだったことも、ハーゲンは寂しさを覚えていた。
それを、このエルと言う生徒が来てから変わった。
エルに触発されたのか、隣で聞いているフィオナもしきりに頷きながら熱心にノートを取っているし、少し後ろの席ではアルフォードもエルほどではないが、熱心にハーゲンの授業に耳を傾けている。
無邪気と言えるほど目を輝かせながら授業に取り込むエルや、授業を真面目に受けるフィオナ達の姿に、ハーゲンは自分が初めて刻印魔術に触れた時の感動を思い出せた。
近々引退して静かな田舎で余生を送ろうかと考えていたハーゲンにとって、エルの存在はまさしく天からの啓示の様に思えた。
(この子の様な生徒がいるのなら、私もまだまだ頑張らねばいけないな)
そう思いながら、ハーゲンの声に熱が入っていく。
そうして時間はあっという間に授業終了の鐘の音が鳴り響くことで、本日の授業は終わった。残念に思いつつもエルは教室を後にする。
「エルちゃん、刻印魔術好きだよね?いつも楽しそうにハーゲン先生の授業を聞いてるし」
隣りを歩くフィオナが何となく、と言った感じでエルに問うと、エルは大きく首を縦に振る。
「ああ、実に興味深い。ハーゲン氏の話す内容はどれも理論整然としていて、聞いていると引き込まれる魅力がある」
「それ、私も分かるかも!ハーゲン先生の授業は、何て言うかな・・・・・そう、まるで物語を聞いてるようで続きが気になるんだよね!」
「おお、素晴らしい例えだぞフィオナ!確かにハーゲン氏の話は冒険譚を聞いているような気持になるな」
「だねっ!」
エルが手放しで褒めちぎるなど、かなり貴重な事だ。まだ付き合いが短いとは言えフィオナもこんな風に誰かを褒めるエルなど見たことが無かったからか、フィオナも釣られて笑顔になる。
もしもハーゲンを褒める今のエルをフィーリアムが見たら、嫉妬していたであろう。それほどまでにエルが褒めることは滅多にないのだ。
(それに、刻印魔術はアイツの研究成果でもあるからな)
遠い眼をしながら、エルは昔の友人を思い出す。
刻印魔術はエルが封印される前、エルの研究仲間ともいえる錬金術師が考案した魔術なのだ。
(あの錬金バカめ、私がいない間に成功させよって)
その錬金術師はエルと共に色々な研究をしていた。刻印魔術を作る切っ掛けも、エルが使う魔術を見て思いついた試みだった。
(術を起動させるための、魔力が通う事の出来る『エントルネス成分』。これを錬金術で作り上げみせる、か・・・・・)
アーティファクトなど、凡そ人の手では作り出せない物の中に含まれているこの成分を錬金術で作ることが、その錬金術師の目標だった。
(封印される前、最後に合った時は頭を抱えていたが・・・・・やり遂げたようだな、あの馬鹿は)
「どうしたのエルちゃん?」
どこかぼんやりと歩くエルを心配してか、顔を覗きこむようにフィオナがエルの顔を見る。
「ん?いや、ちょっと考え事をしていただけだ」
「考え事?」
「ああ・・・・・・刻印魔術を作った奴は、完成した時、どんな気持ちだったのだろうな」
「完成させた時の気持ち・・・・・・」
んん~と首を捻って考え始めるフィオナに、エルは苦笑しながら口を開く。
「すまんすまん。言っても本人じゃないから分からないな」
「んん~・・・・完成した喜びと、これで見返せるって言う嬉しさじゃないかな?」
「見返せる?」
前半は分かるが、後半の『見返せる』と言う言葉に首を傾げる。
「うん。この前図書室で読んだ本に、刻印魔術を作った錬金術師さんの話が書いてあったの。その本には、『錬金術を馬鹿する奴を見返すために作ってやった』なんて書いてあったよ?でも、殆ど記録が残ってないから、ただの妄想だ、なんて本を書いた作家さんは言ってるみたいだけどね」
「ッ!!」
「エルちゃん?」
急に足を止めたエルにフィオナは首を傾げてる。
『見ていろエルフィアナ!馬鹿にした錬金術で、お前が出来なかった事をやってみせるからなッ!!』
エルの頭に、かつて知り合ったばかりの頃の友の声が木霊した。
「エルちゃん?」
「・・・・・・いや、何でもない。さ、教室に戻るぞ」
「?あ、待ってエルちゃんっ!」
立ち止まったかと思えば、そんなことを言ってまた歩き出すエルを、フィオナは後ろから慌てて追いかけて行く。
「・・・・・・・・・私を出し抜くなど、やってくれたな、あの錬金バカが」
エルの後ろを付いて行くフィオナの耳に、エルが小さく呟いた言葉は聞こえることは無かった。