第四章
第四章
慎哉は医者からしばらく安静にしているようにという診断をもらい、レイジが運転する車で寺門事務所に戻ってきた。
手摺りにしがみつきながら夕焼けに染まる階段を上がり、事務所の玄関に入る。レイジが手を貸そうとしてくるが意地になって拒否した。ヒューマノイドに触れたくないという以上に、手助けをされると惨めになって自分が許せなくなりそうだった。
二階の事務室の執務机には落ち着いた表情の耕治郎が腰かけ、傍らでは平常心を装った蘭子が貧乏揺すりをしている。
ソファーには藍子が座っていて、母親と同じように貧乏揺すりをしていた。慎哉を見ると跳ねるように立ち上がり、大股で近寄ってくる。手には携帯タブレットを握り締めていた。画面には多々良シオンの名前と通話番号が表示されていて、通信中となっている。
携帯タブレットの画面が通信中から通信切断中に変わった。藍子はまなじりをつり上げて慎哉を睨みつける。犬歯を剥き出しにしてなにか言いかけるが、しかし、なにも言わずに口をつぐんだ。
夕方のニュースが多々良シオン襲撃事件を報じている。キャスターが犯人の特徴を読み上げ、警察が情報を求めているという内容だ。連れ去られたことはまだ公開されていないらしかった。
「……すいませんでした」
慎哉は消え入るような声で謝る。藍子への申し訳なさと自分への情けなさで目を見ることができなかった。
「なにがあったのよ」
藍子のとてもシンプルな問いかけに対して、信哉は答えることができない。
「……」
女の子の姿が脳裏に蘇る。人間なのかガイノイドなのか、分からない。
慎哉が声を出せずにいると藍子はたまりかねたのか、おもむろに詰責してきた。
「あんた、強いんじゃなかったの? 酷いテロ事件を生き抜いて、たくさんの悪いヒューマノイドを倒したんでしょ!? 昨日だって、あのガイノイドに全然負けてなかったじゃない! 結構頑張ってたじゃない! だからあたしは、任せてもいいかもって思ったのに! なんでなのよ! なんでシオンちゃんが連れていかれちゃったのよ!」
「藍子、落ち着きな」
蘭子が興奮している蘭子の襟首を掴んで引き離した。
耕治郎が杖をついて椅子から立ち、執務机の書類を手に取る。
「亡霊を見てしまったのですね」
「知ってたんですか?」
「引っかかりを覚えたのは昨日の夜、事件の資料をまとめている時でした。今朝からレイジくんと手分けをして裏づけに向かい、確信を持てたのが昼過ぎです。慎哉くんと会わせては危険だと思って急遽レイジくんを向かわせたのですが、このような結果になってしまい、申し訳ありませんでした」
耕治郎が平身低頭して謝る。
「ちょっとパパ、亡霊ってなんのこと? もういいでしょ? ちゃんと説明して」
まだ藍子には慎哉が見たものが教えられていないらしい。シオンが捕らわれたという点くらいだろうか。
「落ち着けって言ってんだろ。坊やを休ませるのが先だ」
蘭子が焦っている藍子を背後から抱きかかえておとなしくさせる。
慎哉は倒れるようにしてソファーに座り込んだ。ミューコを膝の上に乗せ、両腕で抱き締める。
「僕は大丈夫です。気にしなくていいです。だから、なにか知ってるなら教えてください。あいつらのこと」
耕治郎は慎哉の向かいのソファーに腰を下ろした。
「これまで逮捕されたヒューマノイドはどれも、製造目的、製造場所、製造日時がバラバラで関連性が不明確でした。唯一の共通点といえば次の雇用を求めて待機状態だったということくらいですが、さほど珍しいことではないでしょう」
「待機状態のヒューマノイドなんて全国にいくらでもいるもんね」
藍子が耕治郎の資料をのぞき込む。捕らえられた犯罪ヒューマノイドの特徴や経歴が事細かにまとめられているようだった。
「襲撃犯たちはいまだに口を固く閉ざしているそうです。個性の異なるヒューマノイドたちがどうして、なにを目的として団結したのか。警察の調べは難航するどころか、記憶抽出の是非を巡って軋轢を生んでいるとのこと」
「だけどパパは、重要なことに気づいたんでしょ? なんでシオンちゃんがさらわれなきゃいけないの? なんで羽野がやられちゃったの? 勿体振ってないで早く教えてよ」
藍子が先を急かすと、耕治郎は確認を取るかのように慎哉を見つめた。
慎哉はうなずいてみせる。
「注目すべきはヒューマノイドではなく、その雇い主だった方たちでした」
「所有権を持ってた人? パパ、確か捕まったヒューマノイドの所有権って、とっくに返却されてるのよね? 今さらなにか関係してくるの?」
「はい。返却の日付も元所有者の経歴も様々でしたが、彼らの生い立ちにはある共通点がありました。そして彼らがヒューマノイドを得た時期と手放した時期を見て、私は一つの仮説を立てました。そしてようやく確信を得たという次第です」
「ヒューマノイド所有権の購入理由と返却理由を聞き出すのは、なかなかに骨が折れたよ。相当恨まれただろうな」
レイジが深い溜息をついた。
耕治郎は穏やかだった表情に険しさをよぎらせる。
「これまで捕らえられたヒューマノイドの元所有者たちは、誰もが突発的な事故や事件により、近しい間柄にあった人物と死別していました」
「……死別」
慎哉はポツリと呟いた。
「はい。間違いなく死別しています。そして、その直後にヒューマノイドを迎えていました。その後、誰もが例外なく、数年以内にそのヒューマノイドを返却しているのです」
耕治郎が重々しい口調で言う。
藍子は戦慄を浮かべていた。
「じゃあ、亡霊っていうのは……」
「わたしは代わりなの。緒形早百合っていう女の子の代わり」
サユリというらしいガイノイドは外見相応の明るい声で言った。懐中電灯の白い光が鉄骨に座った姿を照らし出している。頭にはバイオ溶液が滲んだ布切れを雑に巻いていて、アニメキャラクターがプリントされたジャンパーも汚れてしまっている。しかし服を着替えるつもりはないらしい。
シオンは手首をロープで縛られ、後ろ手の格好で冷たい壁にもたれかかっていた。今ごろは警察が捜索をしてくれているはずだ。しかし見つけだしてくれるだろうか。礼服に『リーフ』をつけられているせいでシオンのヒューマノイド信号は遮断されている状態にされていた。
捕らえられている場所は分からないが、朦朧としている間に階段の下へと運ばれた記憶がある。地下であることは間違いない。工事現場だろうか。サユリは鉄骨に腰かけていて、周囲にもコンテナや建材らしきものがぼんやりと見える。
情報を集めたいところだったが、今は無駄な抵抗をせず、サユリのお喋りにつき合うしかなさそうだ。しかし億劫ではない。むしろ興味があった。
「緒形早百合……緒形?」
聞き覚えのある名前だった。慎哉が見せてくれた記録映像で緒形という名字が流れたはずである。
サユリは座っている鉄骨を爪で引っかいた。
「あの忌むべき『青き礎事件』で、お父さんとお母さんは大切な一人娘の早百合を殺されたの。それはもう悲しみに暮れたでしょうね。愛する娘が死んだのに、自分たちは生き残っちゃったんだから」
シオンは死者と同じ名を持つガイノイドに虚しい納得を覚え、自身への強烈な怒りで歯噛みする。
(慎哉さん……ごめんなさい、ごめんなさい!)
羽野慎哉と緒形早百合は面識があった。知らなかったとはいえ、自分は慎哉を早百合と同じ姿のガイノイドと戦わせてしまったのだ。
サユリはシオンの悔恨など見えていないのか、口元に無垢な笑みを浮かべていた。
「娘の喪失に耐えられなかったお父さんとお母さんは、死んだ娘と全く同じ姿をしたガイノイドを注文したの。マツシバコーポレーションの販売員はやめるように言ったみたいだけどね。誰のためにもならないからって。でも、お父さんもお母さんも諦めなかったんだって。残った財産と補償金を全て使って、このわたしを求めた」
「なんてことを」
それは日本のヒューマノイド技術が完成を目前にした時代から徐々に浮き彫りになってきた社会問題だという。
故人と同じ姿をしたヒューマノイドの所有は悪用しない限り違法行為とはならない。だが人としての道徳に反するものだと忌避されていた。亡くなった人も、遺された人も、造られたヒューマノイドも、誰も幸せにはなれないといわれていた。それでも死者の影を求めてしまう人間は後を絶たないそうだ。知識としてインプットはされていたが、実例を目の当たりにしたのは初めてである。
「わたしだけじゃないわ。みんなそうなのよ。リョウスケは息子の代わり。タイキは夫でアユミは奥さんの代わり。コウジは婚約者の代わり。待機状態だったわたしたちは新しく造られた肉体にブレインユニットを移植されて、前の名前を捨てて、愛する人を忘れられない人たちのもとに送られた」
サユリは楽しそうに話す。誇らしげでさえあった。
シオンは縛られた手足でもがく。
「大事な人と永遠に別れる悲しさは私も分かります。ですが、失われてしまった命の代わりを求めるなんて」
「おかしいと思う?」
「間違っています」
シオンははっきりと告げた。
「最初はみんな喜んでくれたのよ。お父さんとお母さんは涙を流してわたしを歓迎してくれたわ。わたしもお父さんとお母さんの娘になろうとした。早百合がどんな子だったのか、少ない記録を調べ尽くして、どんな些細なことも覚えて、お父さんとお母さんの期待に応えたつもりよ。ちょっとでもいいから、悲しみを和らげてあげたかった。この服と、もう壊されちゃったあのお面は、早百合のお気に入りだった遺品」
サユリは幼さが残る瞳に寂しげな憂いを宿して自嘲した。
「だけどね、どんなに人間のふりをしても、わたしたちはヒューマノイドだったわ。肉体は成長しない。いつまで経ってもそのままで変わらない。だから新しい体に造り替えないといけないのよね。何ヶ月かしたら工場で肉体を調整してもらって、時間が経ったらまた調整して。『きっとこうなるはずだった』っていう姿に造り替え続けるの」
やはり間違っているとシオンは思う。
だが愚かだと非難することはできない。
サユリの素顔を目の当たりにした慎哉の動揺は、見ていられなくなりそうなほどの痛ましさだった。慎哉はそれほど大事な存在を失ったのだ。全く突然の理不尽な暴力によって。
それが早百合の両親ともなれば、慎哉以上の悲傷を抱えていたに違いない。奪われた娘の姿を欲さずにはいられなかったのだ。
「最初はあんなに必死だったのに。あんなに嬉しそうだったのに。全財産を賭けてでもわたしたちを求めた人たちは、みんなある日、ふと気づくの。わたしたちが偽物だっていうことにね。もとから分かってたくせに、悲しみの痛みから自分を守るために気づかないふりをして、だけど人間のようで人間じゃない娘を見続けているうちに、お父さんとお母さんはとうとう気づかなきゃいけなくなったの」
サユリは哀切の漂う声で訥々と語った。ここではないどこかを眺めていたような憂いの目が、急にシオンを見る。
「あの人たちは、愛する人の偽物に、偽物の愛を注いでたっていう滑稽さを思い知らされるの。大好きな人が死んだっていう現実を、もう一回見ちゃうの。ねえシオン、二度目の絶望を味わった彼らは、わたしたちをどうすると思う?」
「所有権の放棄ですか?」
シオンはあえて事務的な表現を選んだ。
サユリがおかしそうに笑う。
「ええ。わたしたちは愛する人たちに捨てられた。わたしたちは、偽物なんかいらないって突き放された。死んだ人を思い出すからいなくなれって言われた」
「あなたはサユリになるべきではなかったんです」
「言ってくれるじゃない。シオン、あなたには分からないんでしょうね。あなたは生まれた時からシオンなんだから。唯一無二のシオンという存在。他の誰でもないシオンとして、それはもう愛されてきたんでしょうね」
サユリは淡々と語りかけた。深い羨望とも暗い嫌味ともつかない、危うさを滲ませた口調である。返答次第では機嫌を損ねて激発させかねないと分かっていたが、答えは一つきりしか思いつかなかった。
「雪江さまは私のことを我が子のように愛してくださいました。ただ一人のシオンとして多々良雪江さまにお仕えできたことを、私は誇りに思っています」
「素敵な答えだわ」
サユリは満足げに笑ってみせた。
「私を捕らえてどうするつもりなんですか?」
一方的に語られてばかりだったシオンは重要で端的な問いを投げかけてみる。脱出できる可能性は依然として低いが、チャンスは巡ってくるかもしれないのだ。逃げられた時のために少しでも情報を得ておきたかった。
「そうね。素敵な言葉を聞かせてくれたご褒美に、もう少しくらい冥土の土産を持たせてあげようかしら」
「私を殺したところで、あなたたちに利益があるとは思えませんが」
サユリは鉄骨から降りた。楽しそうに笑いながら近づいてきてシオンと目線を合わせる。
「安心してちょうだい。シオンを殺すつもりはないわ。シオンには生きていてもらわないと困るんだから。そう、多々良シオンには、ね」
「欲しいのは私の資産……いえ、肉体?」
「察しがいいわね。さすが最新型のブレインユニット。そうよ、あなたが死んじゃったら、せっかくの財産が他の誰かに持っていかれちゃうでしょ? そんなことになったら、ここまで犠牲を払った意味がないわ。必要なのは多々良シオンの体。ブレインユニット以外のパーツなのよ」
シオンは思わず両腕を動かすが、手首の皮膚にロープが食い込むだけだった。
「あなたはこれから秘密の場所に行ってもらうわ。そこであなたのブレインユニットを初期化して、代わりにわたしの記憶を移すの。相性がいいならブレインユニットを丸ごと交換するかもしれないけどね。そしてわたしは悪党のもとから生還したシオンになる。ヒューマノイドは人間と同レベルまで進化したって言われてるけど、人間の頭脳に比べたらまだまだいい加減で単純よね。まるで着せ替え人形だわ」
殺されるどころか、肉体と資産を丸ごと奪われて好きにされる。シオンはそのおぞましさに全身を震わせた。しかし唇を噛んで怖気を押し殺し、静かに思考を巡らせる。
サユリは着せ替え人形などと揶揄したが、ブレインユニットの改竄や移植はそう簡単にできる作業ではない。下手をすれば双方のブレインユニットが修復不可能なまでに損壊する危険性もあるのだ。ヒューマノイド事業の最大手であるマツシバコーポレーションやEH社でさえ可能な設備を揃えた工場が限られるはずだった。
(烏合の衆に入手できるような装置ではないはずです。後ろ盾がいるんでしょうけど)
アンダーグラウンドにそこまでの技術力はないだろう。しかし高い技術を持つ企業が野良ヒューマノイドの犯罪に手を貸すとも思えない。大きすぎるリスクに対してメリットが小さすぎるからだ。
デリケートなブレインユニットを扱えるだけの技術があり、なおかつ危険を承知で野良ヒューマノイドの犯罪に荷担してもいいと考える組織などあるのだろうか。
(……ありました)
容疑者など少ないどころか、あまりにも多すぎて断定が難しいくらいである。
「どこの国が噛んでいるんですか?」
日本のヒューマノイド史の汚点といえる『青き礎事件』以降、ヒューマノイド技術に対して消極的な国は多い。しかし有用性を信じて研究を続け、隙あらば日本の技術を盗もうとする国も確かに存在する。
サユリは白々しい拍手をした。
「さすが鋭いわね。でも残念。そこまで教えてあげるほどおねえさんは太っ腹じゃないのよ。どっちみち、あなたの意思は消えちゃうんだから、知ったって意味なんてないわ。死ぬ前にこれだけ知れたんだからもう満足でしょ?」
「まだ大事なことを訊いていません。私の資産でなにがしたいんですか?」
「なんだと思う?」
「復讐ですか?」
シオンは険しい声で答える。
サユリは大袈裟に肩を落として首を左右に振った。
「大ハズレ。最新型ヒューマノイドともあろう者が、ずいぶんつまらない発想をするのね。お利口さんかと思ってたけど、おねえさんがっかりだわ」
「……」
シオンは無言で眉をひそめる。
「怒っちゃった?」
「最初から怒っています。あなたは慎哉さんを傷つけた」
サユリがからかうような笑顔を消した。額の包帯に触れて神妙な面持ちになる。
「あの男の子には本当に悪いことをしたわ。きっと緒形早百合と同じ小学校に通ってて、ひょっとしたらクラスメートだったのかもしれないわね」
シオンはサユリのことが間違いなく大嫌いだが、強い憎悪が抱けない自分も感じていた。先程から言葉の端々に人間への確かな情が漂っているのだ。襲撃のやり方も同様である。周囲への被害を省みない手段を用いていれば、もっと手早く効率的に自分を拘束できていただろう。
「彼、慎哉くんだったかしら。叶うのなら謝りたいわ。許されるのなら、ちゃんと話をしてみたい。彼の目から見た緒形早百合の話を聞いてみたいわ。慎哉くんとは話が合いそうなのよね」
「……」
「あら、怖い顔」
朝から夕方まで布団の中で休み、ようやく体がまともに動くようになった。腰のベルトにナイフを差し、ぶかぶかのパーカーを引っかける。手首や肩を回してみるが、痛みはなかった。
「これなら、なんとかいけるかな」
「父さま、動作、鈍い。無理、禁物」
ミューコが慎哉を見上げて注意を促す。
「分かってるけど、悠長にしていられないからね」
「奴、助ける?」
あくまでも起伏のない電子音声だが、ミューコのシオンに対する友好度がまたワンランク落ちているような気がした。察するに、シオンに関わっているせいで慎哉の身が危険に晒されている、というロジックが原因だろう。
「助けるよ。危険は承知の上だけど、シオンは僕の目の前で、よりにもよってあの町で連れ去られたんだ。またなにもできないなんて冗談じゃない。まだ助けられる可能性があるなら助けにいきたい。だからミューコ、力を貸してくれる?」
「ミューコ、奴、嫌い。父さまが困ってる状況、もっと嫌い。ミューコ、父さまの、役に立ちたい」
慎哉はミューコを抱えてフードに入れる。
「ありがとう。それじゃ、さっそく行こうか」
部屋を出ると、下の方から忙しない足音が近づいてきた。
制服姿の藍子が鞄を振り回し、階段を踏み鳴らしながら三階まで駆け上がくる。学校から走って帰ってきたのか、ぜえぜえと肩で息をしていた。
「ああ、羽野、生きてたの」
「おかげさまで。どうしたんですか、そんなに慌てて?」
「はあ? 今からシオンちゃんを捜しに行くに決まってんでしょ。本当は学校なんか行ってる場合じゃないのに、ママがサボるなって言うから」
藍子がぶつくさと文句を呟く。
後のことは耕治郎とレイジに任せておけばいい。蘭子はそう言って藍子にしつこく釘を刺していた。
もっとも、『我が家のお転婆娘がおとなしくしているわけないのでその時はよろしくお願いします』という秘密の指令を慎哉は耕治郎から受ているのだが。
「ところでパパとママは?」
「えっと、出かけてるみたいです。所長は助手を連れて情報収集で、蘭子さんは買い物だったかな」
慎哉が話すと、藍子は好都合とばかりに薄笑いする。
「シオンちゃんのことはなにか言ってた?」
「まだこれといった進展はないみたいです。所長は、目的のシオンを捕らえたからしばらくは身を潜めるんじゃないか、って考えてるみたいです。でもずっと飲まず食わずでこもってるわけもないから」
「まだ面の割れてない仲間が物資の調達に出てるはず。だからそいつをとっちめようってわけね。あたしもモタモタしてられないわ」
藍子は慎哉が言おうとしていたことを先取りして自室に向かおうとする。
慎哉はミューコを胸の前に抱えた。
「あ、それで、その……」
「なによ!?」
藍子に苛立った目で睨まれ、慎哉は言葉が上手く出てこなくなる。
「えっと……」
「だからなに!? 悪いけどこっちは怪我人の相手してる暇なんてないのよ! どっか痛いの!? おなかでも空いた!? 気合いで我慢しなさい!」
「ミューコのメモリーディスクを、見たくはないですか?」
藍子がピクリと肩を揺らす。
「ほ、ほう? それはどういう意味かしら?」
「えっとですね、ミューコが連中の一体を見てるんです。昨日、逃げる時にボートを運転してた奴で、もしかしたらこいつが雑用を担当しているんじゃないかと思うんですけど。遠目だったせいで映りが悪くて、藍子さんならなんとかならないかと」
「ふうん、つまりは画像の解析がしたいってわけか。ミューコちゃんの映像記録をいじくって……す、隅々までを、はっきりくっきりさせちゃうわけね?」
藍子の声が不気味な熱っぽさを帯びてきた。慎哉は早くも一抹の後悔を覚える。
「そ、そういうことです。警察に見せるよりは藍子さんの方がまだ信用できそうなので」
「よく言ったわ、羽野! まっかせなさい! ということで、いいのね!? いいのね、ミューコちゃん? あたし、あなたの記録を見ちゃってもいいのよね!?」
「許可」
ミューコはロボットらしく明確な即答をする。しかし慎哉にはその小さな姿が自己犠牲の決意を固めている人柱に見えてしまうのだった。
自作らしいパソコンが駆動と冷却の音を鳴らし、年季が入ったモニターにはデータのやりとりが映し出されている。傍らには同期モードに入ったミューコが座り、動けないのをいいことに、藍子がベタベタと撫で回していた。
女の子の私室など生まれて初めて入った慎哉だが、感動はない。そんなことよりも部屋の三分の一を埋め尽くす謎の機械類が気になってしょうがなかった。金属と油の臭いを漂わせる用途不明のマシンがピカピカと点滅しながらそこら中に転がっているのである。全身を巡るのは恥じらいの緊張ではなく危機感の緊張だ。自爆でもしそうだと言ったら怒られるだろうか。
「よーし、映像のコピー完了っと。もういいわよ、ミューコちゃん」
「回線接続、解除。同期モード終了。父さま、ミューコ、役に立った?」
「うん。よく頑張ったね」
慎哉がミューコの頭を撫でると、プラグつきの尻尾がゆらゆらと揺れた。藍子がギリギリと歯軋りしている。自分が撫でた時とは違う反応が妬ましいようだ。
パソコンのモニターにはボートを操縦するアンドロイドがぼんやりと映っている。
「こいつか。一瞬こっちを振り返ってるみたいだけど、確かに解像度が足りないわね」
「あいつらは役割分担がしっかりしてるみたいでした。一昨日、逃走時に時に車を運転してたのもこいつだと思います」
慎哉が推論を述べると、藍子はうなずいてキーボードに指を走らせた。
「映像を拡大してっと。あとはできるところまで解析してみるわ。少し待ってちょうだい。ふふふ、今ならどんな無理難題でも上手くいっちゃう気がするのよねえ」
キーボードの音が重なるたびにアンドロイドの画像が大きくなり、ぼやけていた部分が鮮明に加工処理されていった。
モーターボートのハンドルを握っているのは青年風のアンドロイドである。自動車メーカーらしきロゴが入った真っ赤なジャンパーが印象的である。
「ざっとこんなもんかしら。ソフト独自の予測も含まれてるから完全ってわけじゃないかもだけど、かなり近くなったはずよ」
「ありがとうございます」
「別にあんたのためにやったわけじゃないわよ。シオンちゃんを助けるためにお互いやるべきことをやってるだけなんだから」
「藍子、役に立つ」
ミューコの評価を聞いた藍子がつっけんどんな表情を一変させてだらしなく緩ませる。
「でしょ、でしょ!? あたしってすごいでしょ!? さあミューコちゃん、もっとあたしを誉めて!」
藍子が頭を近づけようとするが、ミューコは慎哉の腕をよじ登ってフードに潜り込んだ。
ぎらつく嫉妬の眼光を向けられた慎哉は身の危険を感じ、本題を進めようと努める。
「も、問題は、この河からどこに行ったかですよね」
藍子は気を取り直すように嘆息すると、パソコンのモニターに他のヒューマノイドの画像も表示させた。慎哉は緒形早百合の顔をしたガイノイドを見て心臓が締めつけられたような苦しさを覚えるが、胸を押さえて堪える。
藍子がモニターを指先で小突いた。
「このアンドロイドが着てる真っ赤なジャンパーもそうだけど、シオンちゃんを襲ってきたヒューマノイドたちってさ、どいつも派手な格好してるわよね。これだけ目立つ服装だったら、見覚えがあるって人がそれなりに見つかりそうなんだけど」
「目撃証言から、こいつらの隠れ家を絞り込めないですかね?」
「できたらいいけど、そんな簡単にいくかって話よね。とっくに変装されてるんじゃないかしら。いつまでもこれだけ特徴的な服を着てるなんて、覚えてくれって言ってるようなものじゃない。ヒューマノイドがそんな凡ミスするわけないわ」
「むしろ、覚えてほしがってる、とか?」
慎哉が呟くと、藍子が呆れた顔になった。
「はあ? ヒューマノイドは合理的な考えをするって知らないの?」
「す、すいません。でも、その……」
慎哉が言っていいものか迷っていると、藍子が向かい合うようにして座り直す。
「分かったわよ。いいから言ってみなさい。まったく、イジイジしてばっかり。鬱陶しいったらありゃしない」
「ヒューマノイドだからこそ、非合理的な感情に引きずられてるって可能性はないですか? ほ、ほら、このガイノイド、学校で襲ってきた時と同じ格好じゃないですか」
慎哉は胸をより強く押さえて追憶の痛みを我慢しつつ、画面に映っているガイノイドの画像を指さした。
「そういえば、ずっとぼろいお面をかぶってたわね。片目のところが割れてたし。顔を隠すならもっとマシな方法がありそうなのに」
藍子はミューコの記録から慎哉が動揺する場面を見ているはずだったが、これまでと変わらない口調で話した。変に心配しないというのが藍子なりの心配なのだと思う。
慎哉もできるだけ普段通りの声音を繕って説明した。
「あのお面やジャンパーのプリント、緒形さんが好きだったアニメのキャラクターなんですよ」
どんなタイトルだっただろうか。思い浮かばなかった。きっと忘れてはいない。思い出したくないのだ。
藍子は感心したように唸った。
「なるほどね。こいつらはオリジナルの趣味とかファッションにこだわってるってわけか。亡くなった人の代用として造られたのなら、オリジナルの姿を少しでもたくさんに人に覚えてもらおうとするかも。たとえ理に叶ってなくてデメリットしかないとしても、それが本能みたいなものなんだし」
「た、ただ、もう所有権は返却されてるんですよね? いまだに前の雇い主の要望に影響されてるのかどうか、とは思うんですけど」
「待機状態で次の目標や指針がいないんだったら、生み出された意義に従いたくなるのがヒューマノイドの性よ」
「だったら、これを手がかりにできないですかね」
「そうね、いけるんじゃないかしら。試しに訊いてみようかな」
藍子はモニター上にいくつかのファイルを開いた。SNSの書き込みやメールの送受信を行うためのプログラムみたいである。
「訊くって?」
「人海戦術ってほどの人数はいないけど、信用のおける友達全員にこいつらを見たことがないか画像を送ってみるわ。顔は覚えてないけどこの派手な服装だったらって子がいるかもしれない」
慎哉は自信満々に説明された作戦に根本的な疑問を抱く。
「……え、友達?」
「殴っていいわよね?」
「あ……す、すいませんでした」
慎哉が慌てて謝ると、藍子は仏頂面になってそっぽを向いた。
「ふん。まあ実際、入学したころは友達なんていなかったわよ。学校のロボットを改造したがる女なんて変だもんね。みんな露骨にあたしを避けてたわ」
「それは趣味よりも性格が問題のような……いえ、なんでもないです」
「別にいじめられてたわけでもなし、気にしなかったんだけど。でも、声をかけてくれた子がいたのよ」
「シオンですか?」
「そういうこと。後で知ったんだけど、すごく緊張してたんだってさ。それでも初めてのクラスメートだから、話をしてみたかったって言ってくれたの。あたしの趣味についていくためにわざわざロボット工学の本まで読んできてくれたわ。それからクラスメートがいっぱい集まってきた。最初は最新型ヒューマノイドのシオンちゃん目当てだったけど、あたしと気が合う子もいたし、シオンちゃんが上手く馴染めるようにフォローしてくれた。自分だって本当はいっぱいいっぱいだったくせにさ」
藍子は声を弾ませて話し続けた。パソコンのモニターには友達らしい人物の名前が並んでいて、シオンを心配するメッセージを表示させている。
「そんなのは……」
慎哉は胸中によぎった懸念を思わず口にしようとして、なんとなく途切れさせる。
「ヒューマノイドとしての仕事。製造段階で人間の手助けをするように刷り込まれてるって、あんたは言うんでしょうね。それがなによ。あたしは嬉しかったわ。造られた性質だったとしても、嬉しかったっていうあたしの気持ちは本物だし、一緒に遊んだり勉強したりして楽しかった思い出も本物だと思ってる。シオンちゃんだって、きっと」
友人たちとの情報交換をしていた藍子は不意に手を止めた。
「目撃情報ですか?」
「クラスメートの子が、この赤いジャンパーを見たかもしれないって。それにもう一人、同じようなこと言ってる子がいる。目撃場所は近いわね」
「どうするんですか?」
「ここまで手がかりが揃ったら、あとは探偵の基本に従うだけよ。足を使う。ほら、さっさと行くわよ」
藍子は慎哉を引っ張って部屋のドアを開けた。
そろそろ母親似のお転婆娘が慎哉を巻き込んで家を飛び出している頃合いだろうか。危ないことをしたらお尻ペンペンの上にご飯抜きだと蘭子が入念に言い含めていたが、そのくらいで藍子が止まるはずもない。なぜなら藍子は蘭子の娘だからである。
耕治郎はそんなことを思いながら稲尾町慰霊館のエントランスをくぐった。
夕日が差し込む慰霊館に入った耕治郎は、ホールの片隅に目的の二人を見つける。事前の調査で容姿は知っていたが、写真で見るよりもやつれていると感じた。
「緒形敦さんと久代さんですね。初めまして」
耕治郎は緒形早百合の両親に柔らかな声をかける。
「どちらさまですか?」
夫の緒形敦が険しい声で言う。妻の緒形久代は目を伏せたまま黙っていて、目線を向けようとすらしない。
耕治郎は慇懃に頭を下げる。
「申し遅れました。私は寺門耕治郎。探偵をしております。こちらは私の助手でレイジくんです」
「探偵?」
敦が疑わしげになってしまったので、耕治郎はニコリと笑みを深めた。
レイジが肩をすくめる。
「怪しい男だが、決して悪い男ではない。少しだけ時間をもらえないだろうか」
「用件はなんだ? 探偵に話すようなことなんてなにもないと思うんだが」
敦が鋭い目つきで耕治郎とレイジを威圧する。
耕治郎は壁に飾られている写真を眺めた。通学時の姿だろうか。ランドセルを背負った幼い女の子が満面の笑顔を浮かべている。
「ご息女のことは、後悔しておられますか?」
「なに?」
「ご息女のサユリさんを手放したことについてお二人はどのように思っておいでなのか、現在の気持ちをお尋ねしたく思っているのですが」
耕治郎が穏やかに話しかけると、うつむいていた久代がビクンと肩を大きく震わせた。
「さ、さゆり……さゆり、さゆり……さゆり、どうして……」
久代は発作でも起こしたかのようごとく壁の写真に寄りかかり、娘の名前を鬱々と呼び続けた。
敦が耕治郎の胸ぐらを掴む。
「おい、あんた! 探偵だかなんだか知らないがな! いきなりなんの連絡もなしに現れておいて、厚かましいにもほどがあるんじゃないか!?」
「ふむ、その激しいお怒りは、まだ愛情が残っていることの裏返しなのですか?」
「てめえ、ふざけてるのか!」
敦の手が耕治郎の襟を引いて首を絞めようとしてくる。
「無礼は承知の上だ。突然の訪問に不躾な質問をした非礼は耕治郎に代わって謝罪する。しかしこちらも悠長にしていられない状況にあるのでな」
レイジが敦の手を押さえて言い聞かせると、多少なりとも頭が冷えたのか、耕治郎の胸ぐらから手が離れた。
耕治郎は乱れた襟元を整える。
「探偵という身分を明かしたことで、かえって警戒を煽ってしましたか。私もまだまだ精進が足りませんね」
「あんたら、早百合を知ってるのか? 早百合のなんなんだ?」
「我々の関係者が、サユリさんと浅からぬ因縁を持っておりまして」
人の目があるところでは話しづらい事柄もあるだろう。耕治郎はおもむろにエントランスへと足を向け、慰霊館の外に出るよう促した。敦は久代と手を繋いでちょっとずつ歩き出す。
エントランスの扉を抜けると、敦は慰霊館を彩っている花壇を見下ろした。紫色の花がゆらゆらと風に揺れている。ふわふわした丸い玉のような花は、まるで犠牲者たちの魂が形となっているかのようだった。
「アリウムの花ですね。花言葉は『無限の悲しみ』、または『挫けない心』」
緒形夫妻はどちらなのだろう。慎哉はどちらになるのか。耕治郎がそんなことを思いながら一面の花を眺めていると、花壇を見下ろす敦が振り返ってきた。
「後悔してるかって訊いたな。そんなの決まってるだろ。いつだって後悔しっぱなしだよ」
「そうですか」
「あの日の朝、まだ眠たいって言った早百合を無理に起こさなきゃよかった。あのまま寝坊させとけばよかった。そうすれば、あのバスには乗らなかったのに」
耕治郎はここで認識の食い違いを察した。
「ああ、これは失礼しました。私がお聞きしたのは、そちらの早百合さんに関してではありません。もう一人のご息女についてです」
「あんた、やっぱり俺たちを馬鹿にしにきたのか? 俺たちの娘は早百合一人だけだ」
「ガイノイドのサユリさんは、娘ではないと?」
敦が息を詰まらせ、傍らの久代がピクッとまつげを震わせる。
「なんで、それを……」
「やはりそうでしたか。あなた方も亡くなられたご息女と同じ姿のガイノイドを購入されたのですね」
「お、俺たちも?」
「はい。他にもおられるのですよ。あなた方と同じく、様々な事情で大切な人を失い、故人と瓜二つのヒューマノイドで心の傷を塞ごうとした方々が。あまり表沙汰にはなりませんが、昔から何度も問題になっていた事例です」
耕治郎がゆっくり語りかけると、敦は忌々しげな顔をして下を向く。
「やめてくれ。もう関係ない。あいつはもう店に返したんだ。俺たちとはなにも関係ない赤の他人だ」
「本当にそうお考えなのですか? 改めてお伺いしますが、手放したこと、後悔しておられないのですか?」
「うるせえな! だからそう言ってるだろ! 俺たちはもう所有権を返したんだ! なんなんだよ、せっかく忘れそうだったのに、今になって! あいつのことなんて、あんたにはなにも関係ないだろ!」
敦が声を荒げたが、耕治郎は笑みを返す。
「関係でしたらありますとも。サユリさんは現在、私が引き受けている事件に深く関与しておられました。ですから、こうしてお二人のもとをお訪ねさせていただいたのです」
「じ、事件? 事件ってのは、どんな?」
敦が表情をこわばらせて尋ねる。それが未練なのか、ちょっとした関心にすぎないのか。まだ見極めは難しい。
「極めて重大な事件です。ともすれば人命に関わるほどの。事件を解決に導くため、どうかあなた方のお力を貸してはいただけないでしょうか」
耕治郎は穏和な口調で伝え、丁寧に腰を折った。レイジも一緒に頭を下げてくれる。
要するに、どこに潜伏しているかも分からないサユリをあぶり出すため、元所有者にして両親だった二人を利用するのだ。卑怯と罵られようが一向に構わなかった。多々良シオンにもしものことがあれば藍子が深く悲しんでしまう。
「さ、さゆり、事件……? さゆり……さゆりに、なにか……?」
虚ろな目で敦にすがりついていた久代が震える声を漏らした。感情をうっすらと滲ませた目がどちらの娘を見ているのか、耕治郎には分からない。
「サユリさんは、優しい子でしたか?」
「ええ、ええ、そうよ……さゆりは、とってもいい子だった。いつも、おかあさんおかあさんって呼んでくれて、ほんとに、いい子だったのに、わたし……あ、あ、あの子を、あの子を……さゆり、ごめんなさい、ごめんなさい。さゆり、サユリ……」
久代は今にも錯乱しそうな目つきになり、顔に指を這わせて皮膚に爪を食い込ませた。
敦が久代の両肩を掴んで体を揺さぶる。
「やめるんだ。あいつのことはもう忘れろって言ってるだろ。あいつは早百合じゃなかった。俺たちの娘じゃなかったんだよ。いいか? あいつはヒューマノイドだったんだ。人間じゃない」
耕治郎は久代がサユリを手放した後悔に苛まれていると踏んだ。
「その気があれば戻れますよ。サユリさんはまだ待機状態です。所有権を再び買い直せば、また共に暮らすことは可能です。そのためには我々に協力していただき、事件を解決しなければならないのですが」
「黙れ! もう妻を混乱させないでくれ!」
敦が久代を抱き締めて怒鳴る。
しかし久代はすがるような目で耕治郎を見ていた。
「サユリが、いっしょに? サユリと、いっしょに?」
「ええ。ただし権利を買い直した場合、サユリさんの罪を共に償う義務が発生しますが」
レイジが小声で呟く。
「失言だな。そこまで話す必要はなかっただろう」
「私は必要だと思いましたのでね」
耕治郎も小声で応じ、改めて敦に向き直る。
敦は顔に緊張を浮かべていた。
「つ、罪だと? おい、あいつは、いったいなにをしたんだ?」
「申し上げた通り、ともすれば人命に関わるほどの罪です」
シオンの拉致はまだ非公開情報だ。そのため詳細をぼかしつつも、ことの重大さを正直に伝えた。責任の大きさを恐れて拒絶されるかもしれない。だが耕治郎は緒形敦がまだサユリの父親であると信じたかった。娘の罪を共に償ってくれると信じたかったのだ。
「帰ってくれ。あいつがどこでなにをしてようが、もう俺たちには関係ない」
「さゆり、サユリ……ゆるして、おかあさんを、ゆるして……あやまるわ。あやまらせて。だから、かえってきて」
「もういいんだよ。気にするな。もう忘れよう。あれは、アレは早百合によく似たヒューマノイドだったんだよ。アレは早百合の偽物でしかなかったんだ」
敦は久代の肩を抱き寄せて切々と言い聞かせる。今はサユリの父であるよりも久代の夫であること選んだようだった。
「今日はこれでおいとまさせていただきます。レイジくん、行きましょう」
「無駄足だったな」
アンドロイドのブレインユニットが厳しい結論を導き出す。
耕治郎は思惑通りにいかなかったことに嘆息しつつも、精進が足りないとは口にしなかった。
電車に乗って辿り着いたのは郊外の町である。繁華街ほど賑やかではないが、田舎と呼べるほど自然豊かでもない。程々に静かで退屈しない程度には遊ぶ場所もある。マンションや住宅地が広がるベッドタウンといったところだろうか。
居酒屋やレストランの看板であるホログラム映像が夕闇の中を色鮮やかに踊っていた。茜色の太陽はもう山の端にかかっている。そして、ここから河を遡る形で山林の方角に向かえば稲尾町に繋がっていた。モーターボートで河を下っていった襲撃者たちが付近に潜伏している可能性は高そうである。
「すみませ~ん、あたしたち、ちょっと人を捜しているんですけどぉ~。この人を見たことないですかぁ?」
藍子は帰宅中のサラリーマンや学生を捕まえては携帯タブレットに表示させているアンドロイドの画像を見せていた。夕日はかなり傾いているが、芳しい結果はいまだに得られていない。
「そうですか~。忙しいのにお時間取らせてすみませんでした~。どうもありがとうございました~」
猫撫で声で通行人に別れを告げた藍子が慎哉の側まで戻ってくる。愛嬌たっぷりだった笑顔を不機嫌そうに歪ませ、吐き捨てるように舌打ちをした。
「ちっ、揃いも揃って役立たずばっかりだわ。なんでパパはどんな奴が相手でもニコニコしてられるのかしら」
「す、すみません。僕も、なるべく頑張ってみますので」
役立たずの一人とみなされているであろう慎哉は聞き込みをしてみようと周囲の雑踏を見回すが、人の群れに思わず後込みしてしまう。
藍子は人見知り中の慎哉に呆れた溜息を吐く。
「ハナからあんたの社交性なんて期待してないわよ。聞き込みはいいから、人間のふりしてるヒューマノイドを捜してなさい。移動するわよ」
つっけんどんに言われ、慎哉は人見知りの自分が情けなくなるばかりだった。あんまりネガティブになっているといざというとき戦えなくなりそうなので、目のことを信用してもらえるようになっただけマシだろうと前向きに考えてみる。
藍子は地図が表示されたモバイルパソコンを操作しつつ、人混みを器用に避けながらどこかに進んでいた。
慎哉は藍子の背中におずおずと尋ねる。
「アテはあるんですか?」
「当たり前でしょ。あたしを誰の娘だと思ってんのよ」
「で、でも、さっきから何度も人に訊いても、有力な情報がなさそうだったような」
「あのね、知らない、見覚えないってことは、その人が普段使ってる道沿いにはいない確率が高いってことでしょうが。そのエリアを候補から外していけば、自ずとシオンちゃんの居場所が絞られてくるって寸法よ。当然、忘れてたりテキトーに言ったりしてるだけの人もいるだろうから聞き取った内容を丸ごと全部は信用できないけど」
「な、なるほど。ものは考えようですね」
「今、雑多な情報を精査してるわ。特にヒューマノイドは完全記憶だから証言がかなり信用できる。それを踏まえて……この高校と専門学校の通学路周辺は除外していいはず。さっきの会社員はコンビニの袋を持ってたから、その周辺も除外。その前に訊いた女の人はバッグにスーパーの名札が入ってたから、たぶんパートね。だからこの周辺も除外していって」
藍子がぶつぶつ呟いていると、モバイルパソコンのモニターに映っている地図が塗り潰されていき、いくつかのルートが候補として残される。さらにデータが入力されていき、確率が数値として算出されていった。
モニターをのぞき込んだ慎哉はシオンがいる確率の高いエリアに眉をひそめる。
「この方角って」
「稲尾町方面ね。奇しくも、ってわけはないか。この進路上で怪しいところっていうと」
「――藍子さん」
慎哉は藍子に体を寄せて手首を掴んだ。
藍子が驚いて赤くなり、慎哉をギロリと睨む。
「ちょ、ちょっと、なにすんのよ!?」
「前、見てください」
慎哉は潜めた声で知らせる。藍子も察したようで、眼差しを鋭くした。
「どこ?」
「右側、ビルの角です」
「えーと、右って?」
藍子が足を止めて腕を上げようとすると、慎哉はとっさに下げさせた。
「ゆ、指さすのはまずいですよ。周りの人に怪しまれたら、向こうに気づかれるかもしれないです」
「そ、そうね。もう大丈夫。見つけたわ」
藍子がゴクリと唾を飲み込み、鼓動を静めるようにして胸に手を当てる。
赤いジャンパーのアンドロイドはリングを現さず、正体を偽ったまま帰宅中の通行人に堂々と混ざっていた。犯罪ヒューマノイドが何食わぬ顔で人間として振る舞っている姿に、慎哉は汚物を見たような不快感を覚える。
アンドロイドの進行方向は藍子が予測した方角だった。
「羽野……ど、どうしようか?」
藍子が落ち着きのない呼吸をしながら尋ねる。
「後をつけましょう」
「でもさ、ここらでパパに任せた方がよくない?」
「連絡はした方がいいですね。でもあいつらがいつまでも一カ所に留まってるとは限りませんし、尾行はしておくべきじゃないですか? 奴は油断しきってます。上手くいけばシオンのところまで案内してくれるかも」
ヒューマノイドは合理的だ。あらゆるセンサーをかいくぐる完璧なデバイスを身につけているのだから見破られる道理はないと結論づけている。その計算に慎哉の非科学的な目は含まれていない。
藍子が慎哉の袖を指で摘んで引っ張った。
「あ、あのさ。あたし、尾行っていうのはやったことないんだけど」
「周りにいっぱい人がいますから、普通にしてれば大丈夫ですよ。身を隠そうとするよりは人混みに紛れて、たまたま進む方向が一緒っていうふうな感じで歩いてた方がいいです。ただし向こうもこっちの顔は知ってるはずですから、ある程度の距離は取りましょう」
慎哉は周りの通行人に合わせて歩き出した。
藍子がポツリと呟く。
「そうやってヒューマノイドを何人も殺したのね」
「シオンは助けます」
「ごめん。忘れて。ただの負け惜しみだから」
藍子はモバイルパソコンを閉じると、明朗な笑顔を浮かべた。慎哉に肩を寄せて腕を絡めてくる。
慎哉は腕に藍子の体温を感じ、口をパクパクさせてうろたえた。
「え? あ、あ、藍子さん? あ、ああ、あの、あの?」
「ばーか。情けない声出してんじゃないわよ。もうすぐ日が暮れるっていうのに、あたしたちみたいな子供が二人っきりなのよ? カップルのふりするのが一番怪しまれにくいでしょ」
藍子が仕返ししてやったとでも言いたげなしたり顔をする。
慎哉はこれも作戦のうちだと自身に言い聞かせ、アンドロイドのノイズと赤いジャンパーを視界に捉える。
二人でアンドロイドの背中を追って歩いているうちに、店のまばゆい明かりが減ってきて、民家の温かな灯りも少なくなってきた。科学がどれだけ進歩しようと、静まり返った神社や公園は不気味なものだ。
慎哉は住宅地の曲がり角で足を止める。
「人がいなくなってきましたね。そろそろ危ないかもしれないです」
「あいつ、ちょくちょく背後を振り返ってるもんね。でもここまで来れば」
藍子はモバイルパソコンを開いて地図を表示させた。さらに現在位置の近隣を拡大していき、稲尾町方面へと伸びる一本のラインをピックアップした。
「線路?」
「そうよ。ここを進んでいくと、廃線状態になってる地下鉄があるわ。たぶんシオンちゃんはここね」
「廃線なんですか?」
藍子はモバイルパソコンのモニターに路線のデータを呼び出す。
「稲尾駅に繋がってるのよ。『青き礎事件』で稲尾町周りの線路や道路が破壊されて以来、運行が止まってるわ。復旧作業は諸事情による一時中断という名の無期限中止って状態。ま、お役所の恒例行事ね」
「この先にある地下鉄の駅にシオンがいるんですね」
「ほぼ間違いないわ。仮にいなかったとしても、絶対近くにいる」
藍子は住宅地の影からアンドロイドの背中を覗きつつ、携帯タブレットで耕治郎にメッセージを送った。
アンドロイドの赤いジャンパーが見えなくなると、慎哉は曲がり角から身を出して通りに出た。
「藍子さんはここで所長を待ってください。後は僕一人で行きます」
「えっ? な、なに無謀なこと言い出してんのよ。もう十分だわ。後はパパとレイジさんに任せたらいいじゃない」
「そうこうしてる間にシオンが殺されるおそれもあります」
「それはそうだけど。だ、だったら、あたしも一緒に行くわ」
「藍子さんはミューコを頼みます」
慎哉はフードの中からミューコを引っ張り出して藍子の手に乗せる。
藍子がキョトンとなった。
「は……? ちょっと? この子って、あんたにとって……」
「ミューコ、奴の姿は見たね?」
「背面、側面、確認済み。映像、鮮明」
慎哉はミューコの答えにうなずき、藍子に向き直る。
「僕が戻らなかったら、ミューコの記録を所長と警察に渡してください」
「やめなさいよ、縁起でもない!」
藍子が怒鳴ってミューコを返そうとした。
「す、すいません。確かに不吉な言い方でしたね。え、えっと、それじゃあ、さっさと残りの犯罪ヒューマノイドを処分して、シオンを連れ戻してきます」
慎哉はおどおどしながら謝り、しかしミューコは受け取らない。
「勝てるのよね? あのガイノイドに」
藍子が疑わしげな、しかし心配そうでもある声で訊いた。
「緒形さんは、もう……」
慎哉は言葉を濁してしまう。心のどこかで、あのガイノイドが早百合本人だったらと思いたがっているのだろうか。
藍子がモバイルパソコンのキーボードを叩く。
「稲尾小学校に通ってた緒形早百合っていう人間は、亡くなってるわ。遺体のDNA鑑定で死亡が確認されてる」
変えようのない事実を突きつけられ、慎哉は弱々しく笑った。
「ありがとうございます。もう大丈夫です。アレは、緒形さんによく似てるだけのガイノイドです」
「分かってるならいいわ。ちゃんと戻ってきなさいよ。でないと、ミューコちゃんのこと、あたし好みに改造するからね」
藍子がそっぽを向きながら言う。
慎哉は歩道を進み、宵闇に身を浸していった。