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ヒューマノイドノイズ  作者: 柏木滋
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第三章

   第三章


 早朝のニュースが多々良シオンを取り巻く事件の続報を伝えている。警察は襲撃犯と思しきヒューマノイドの映像を公開し、広く情報を集めるつもりらしい。映像の提供元として寺門探偵事務所の名前がちらっとだけ表示された。

 アナウンサーが次のニュースを読み始めると、耕治郎はからになった茶碗に箸を置いて手を合わせる。

「ごちそうさまでした。それでは行きましょうか。たまには自分の足で調査をしませんとね。レイジくんは車の運転をよろしくお願いします」

「こら待てや。レイジも連れてくってことは、今日も坊や一人にお嬢ちゃんのボディガードをやらせる気か?」

 蘭子が上着を着込む耕治郎を呼び止めた。

 レイジが肩をすくめて応じる。

「私も昨日の今日で気がかりではある。だが今日ばかりは、な。慎哉の側にいるヒューマノイドは一体でも少ない方がいいだろう」

「蘭子にはまだ言っていませんでしたね。シオンさんは本日、学校を休んで稲尾町に行かれるのですよ。遺族会の方たちとお話があるそうです」

 耕治郎が慎哉を一瞥すると、蘭子はムスッとしてそっぽを向いた。

「ふん、そういうことはさっさと言えっての」

「では行ってきます。藍子ちゃんが遅刻しそうでしたら、ちゃんと起こしてあげてくださいね」

 耕治郎は杖を手にしてレイジと共にダイニングを出ていった。

 蘭子と二人きりになってしまった慎哉はテレビに映っている時刻を見る。シオンとは駅で待ち合わせという約束をしているのだが、まだ出発するには早い時間だった。

 慎哉は食器を片づけにきた蘭子に声をかける。

「あ、あのー……蘭子さん」

「おう、なんだ?」

「え、えっとですね、ずっと気になってたんですけど、蘭子さんはヒューマノイドが嫌いなんですか?」

 なぜこんなことを訊いてしまったのだろう。自分と同じだと思ったからだろうか。いや違う。寺門蘭子が羽野慎哉とは異なる考え方を持っている人物だというのはなんとなく感じ取っていた。

 ただ話題として丁度よさそうに思ったのだ。せっかく蘭子が手作りの食事を用意してくれているのに、いつまでも借りてきた猫のように人見知りをしていていたくなかった。少しでも距離感を縮めてみようと思ったから、そのためのきっかけが欲しかったのだ。

「あたしとレイジのことか?」

「い、言いたくないならいいんですけど」

 慎哉は怖くなってきた。蘭子の厚意に応えるはずが、かえって困らせてしまったかもしれない。

(くそ、あいつのせいだ)

 心の未熟なガイノイドが慎哉に言いそびれていた感謝をちゃんと伝えた。そんなシオンに比べて自分は、などと思ってしまったのだ。

 蘭子は食器の片づけをやめて慎哉の向かいに座った。

「ヒューマノイドが嫌いってわけじゃねえよ。シオンは藍子の大事なダチだし、いい子だって思ってるしな。あたしが大嫌いなのはレイジの野郎だよ。あのすかしたクソ犬だ」

「……」

 慎哉は反応に困って黙るしかない。レイジに対して散々な言い様だが、憎悪のような陰険さは感じられなかった。しかし軽口というには根が深そうである。

「なんで一緒に暮らしてるんだってツラだな」

「は、はい」

「あたしが奴と出会ったのは、かれこれ一八年も前になるな。こう見えても昔のあたしはしょっちゅうヤンチャしてた札付きのワルでな」

「……はあ」

「いや、そこは見たまんまだってつっこめよ」

「えっと……」

「まあいい。あのころのあたしは、世の中をなめきってるクソガキがやるような悪事は一通りやってた。ケンカはもちろん、万引きにカツアゲ、タバコに酒、無免許運転のスピード違反。そんなあたしをことあるごとにパクってたのが出来立てホヤホヤのアンドロイドだった。ポリ公になったばっかりのレイジだ」

「元刑事とは聞いてましたけど、そんな昔からの知り合いだったんですか」

「まあな。鬱陶しいことこの上なかった公僕が、なんの因果か、今じゃ旦那の部下で同居人だぜ」

 蘭子はテーブルに頬杖をついて溜息をついた。

「昔のことを恨んでるんですか?」

「そういうこった。奴にされてきた仕打ちを、あたしは一生忘れねえ。まだなんもしてねえって時でも人のケツを追い回しやがって」

「……」

「ここは自業自得だってツッコミするところだろ」

「あ、えっと、すいません……」

 慎哉がまた反応に困っていると、蘭子は気まずそうに髪を掻いた。

「いやまあ、何回も何回も捕まったことは恨んじゃいねえんだよ。てめえが悪いんだって分かってる。ああしてもらわなきゃ、あたしはとっくに人生を棒に振ってたさ」

「え、それじゃあ、どうして?」

「んー、まあ、なんだ。あのころの警察署にな、どこぞの駆け出し探偵がよく出入りしてたんだ。レイジに捕まって何度も連れてこられてりゃ、それだけ顔もつき合わせるし、後はほら、こうなってんだから、分かるだろ?」

「その探偵に惚れたんですか?」

「はっきり言うんじゃねえよ! 恥ずいだろうが!」

 蘭子がテーブルをバンバンと叩く。

 慎哉は蘭子がレイジに悪感情を抱く理由がますます分からなくなってきた。

「あの、それって、いわゆるキューピッドになってもらったってことじゃ」

「それだ。問題はそこだ。あの野郎もそう思って変な責任感とか使命感を燃やしたらしくてな、なにかとくだらねえ気を回してあたしと耕治郎をくっつけようとしやがったんだ」

「そのおかげで結婚したのでは?」

 慎哉が不思議に思って訊くと、蘭子は苦々しい表情になって頭を抱える。

「んー、まー、どうにかこうにかな。しかしまあ、それまでの過程といったら。奴がどういうタイプのアンドロイドか、藍子から聞いてねえか?」

「確かEH社っていうところが造ってて、身体能力の高さに特化してるとかなんとか」

「殴り合いしか能のねえ新米デカが男と女のあれこれについてのアドバイスなんかしたらどうなると思うよ。しかも見てくれは今と変わんねえ、いかにも人生経験豊富で生真面目な好青年ってツラだ。実際は造られてほんの数年。一応知識が生まれつきインプットされてるとはいえ、精神年齢はせいぜい新成人ってところだぜ?」

「所長との交際は大変だったんですか?」

「詳しいことは想像に任せる。まあ、ガチ惚れしてのぼせ上がってたあたしも悪かったんだけどよ。アホ犬のトンチンカンな恋愛テクを疑いもせず鵜呑みにしちまった」

「そ、そうだったんですか」

「ああ、そうだったんだ。だからあたしは旦那とのデートを何度も何度もぶち壊したヒューマノイドが大嫌いなのさ」

 しかしそんな母親から生まれた娘はヒューマノイドへの造詣が深いのだから不思議なものである。妙なバランスで成り立っている探偵事務所だと慎哉は思った。

「あ、そろそろ時間か」

「悪かったな。朝っぱらからつまんねえ話につき合わせて」

「あ、いえ、その……楽しかったです、話ができて。あと、ご飯も、おいしかったです。ありがとう、ございました」

 慎哉は目を逸らしながら言うと、ミューコを抱えて逃げるようにダイニングを出る。

 廊下から階段に向かおうとすると、パジャマ姿の藍子が自室から出てきた。髪がボサボサで顔つきも眠気でぼんやりしているが、最低限の身だしなみだけは整えている。

「んー……羽野? あれ、もう出る時間だっけ? 早くない?」

「電車で稲尾町まで行かなきゃいけないんです。帰りも遅くなると思います」

「あー、そうだった。シオンちゃん、今日は遺族会の人たちと会うんだったっけ」

「それじゃ、僕はこれで」

 目的地についての話をあまり続けたくなかった。慎哉は藍子の横を通り過ぎて階段を下りようとする。

「あー、あのさー」

 藍子がわざと気を抜いたような声で慎哉を呼び止める。

「な、なんですか?」

「シオンちゃんのこと、頼んだわよ」

 嫌味の一つでも言われると思っていた信哉は、意外な言葉を聞いて呆気に取られる。

「え……あ、はい」

「それとさ。ま、あんまり無理するんじゃないわよ」

 藍子は慎哉に顔を向けず、ボサボサの長髪を指先でいじくっていた。

「……ありがとうございます」

 慎哉は小さく言って階段を下りていく。

 藍子は誤魔化すように髪をガシガシと引っ掻き、早足でダイニングに入っていった。

「あれ? あたし、まだ夢の中にいる? ママがすっごい笑顔でカーペットの上をのたうち回ってるような?」



 もう無理かもしれない。

 慎哉は次のバス停を知らせる車内放送を聞きながら思った。ヒューマノイドを見ているわけでもないのに目の前が灰色に染まり、胃袋の中身が逆流してきそうになる。顔からは血の気が引いていて、寒気がしてきた。

「あと二つ先ですから、それまで頑張ってください」

 背中をさすってくるシオンの声がやけに遠い。物音を聞くだけでも億劫である。目的地はまだだろうか。早く到着してほしい。赤信号がこの世から消えてしまえばいいのに。頭の中はそんな焦燥感でいっぱいだった。

 次は稲尾小学校前というアナウンスが流れる。

「着きましたよ。降りましょう」

 礼服姿のシオンに手を引かれ、慎哉はバスを降車した。バス停のベンチに座り込んで深呼吸を繰り返す。春の日中を吹き抜ける涼風が心地よかった。

「……バスで移動なんて、聞いてない」

「車、苦手だったんですね」

「いや、バスが、無理で……」

 慎哉は涼しい風を吸って気分を落ち着けると、周囲の風景を眺めた。

 稲尾町を貫くように広い河が流れていて、河川敷には花弁を散らした葉桜が連なっている。中途半端な時節に来てしまった。桜が満開だったら花見で盛り上がり、夏休みなら水遊びする子供たちで騒がしく、秋期大会が近ければトレーニングする運動部員のかけ声が響き、雪がちらつくころであれば渡り鳥の餌やりに人々が集まっていただろう。

 もっとも、そんなのは昔の話だ。この町がヒューマノイドの殺戮に呑み込まれる前の、もう戻ってこない光景である。

 高いマンションや大きなショッピングモールは廃墟となり、よく遊びに行った友達たちの家やしょっちゅう買い食いをした駄菓子屋も空き家になっていた。生まれて一〇年以上を過ごした自宅も消えている。代わりにこぢんまりとしたアパートがかなり増えていた。仮設住宅だろうか。車の往来や人通りはちらほらと見られるが、道行く人たちの目は一様に暗い影を帯びていた。自分も同じような目をしているのだろうと慎哉は思う。

「慎哉さんは、この町に来たことは?」

「まあ、有名すぎる場所だし、近くに住んでれば誰だって一度は足を運ぶと思うけど」

 慎哉は他人事のような言い方をした。

「そうですか」

「なんで『青き礎事件』の遺族会っていうのとおまえが関係あるんだ?」

「雪江さまと縁のあった方々で、私が相続した遺産の中に手続きが必要となるものが含まれていたんです」

 シオンは手首に投影した青いリングに触れる。ホログラムなので当然ながら透過してしまうが、輪を形成する情報の集まりになにかを感じているのだろうか。表情が少し強張っていて、緊張が見られる。葬式に参列でもしようとしているかのようだった。

「なんで稲小なんかでそんな大事なことを?」

「稲小?」

 自然と口にしてしまった略称をシオンが訝る。

 慎哉は無理やり話を進めた。

「普通、こんなところで遺産がどうこうなんて話をするものかな。授業の邪魔になると思うんだけど」

「学校はもうありません。『青き礎事件』の後に復旧しようという動きはあったんですけど、生き残った子供たちは事件を思い出してしまうので、別の学校に転校してしまいました。入学したがる子供もいませんでしたので、結局廃校になってしまったんです」

「ふうん」

 慎哉も思い出が怖くて近づけなかった一人である。胸中で自虐しながら立ち上がり、バス停から続く坂道を見上げた。シオンがゆっくりと歩いていき、慎哉も後に続く。

「しばらくは無人の状態だったんですが、事件を生き抜いた被害者や犠牲者の遺族の方々が協力して土地を買い取ったんです。犠牲者を弔うため場所を造りたかったそうで。それをお聞きになった雪江さまも力になりたいとおっしゃられて出資をされたんです。私も秘書としてお手伝いをさせもらいました」

 シオンが坂道の先を指さす。

 平らな広場が慎哉の視界いっぱいに続いていた。遊具やトラックの線、敷地を囲むフェンスなど、いまだに小学校のグラウンドだった名残が点在している。

 しかし現在の用途は駐車場らしく、様々な種類の車やバイクが停められていた。

 グラウンドの奥には純白の建物が佇んでいる。校舎の面影はあるが、窓や扉の配置が違っていたり、外壁の塗装が塗り直されたりしていて、慎哉の記憶にある校舎からかなり変わってしまっていた。

 周囲には花壇が作られ、一面に紫色の花が咲いていた。ふわふわの玉みたいな形をした不思議な花である。春風で一様に揺れている風景は愛嬌がありつつもどこか神秘的だ。葉桜の瑞々しい緑色も相まって、白い建物には教会のような厳かさが感じられる。

 正面に大扉があり、傍らの石柱に稲尾町慰霊館と刻まれていた。

「子供たちは、どんな気持ちでここを歩いていたんでしょう」

 シオンが坂道の左右に広がる葉桜を見上げ、抑えた小声で呟く。

 慎哉は灰色のノイズがかかって見えるシオンの瞳に、強い哀切が溢れているのを見て取った。

 風に揺れる枝葉のざわめきが五年前の記憶を揺り起こす。バスを降りて、学校まであと少しという坂道で、友達となにを話しただろうか。

「こんな坂道、めんどくさいってだけだよ」

 シオンは揶揄されたと思ったのか、少し寂しそうに目を伏せた。



 慰霊館の前には数人の大人がそわそわした様子で立っている。一人の中年男性がシオンを見つけ、心配そうだった表情を明るく一転させる。

「お待ちしてました、多々良シオンさん。遠路はるばる、ようこそお越しくださいました」

 男が挨拶すると、他の人たちも揃って一礼をした。

 シオンは丁寧に腰を折る。

「ご無沙汰しています、館長さん」

「お疲れでしょう。本来であればお出迎えしなければならないところを、ご足労願ってしまいまして、申し訳ありません」

「いえ、自分の足で来たいと我が儘を申し出たのは私ですから」

「後ろの男の子は?」

「彼は羽野慎哉さん。私のボディガードをしてくれています」

「はあ、ボディガードですか。ん? 君、どこかで会ったかな?」

 館長が首をかしげて慎哉を見つめる。

「え? いえ、僕は覚えがないですけど。ミューコはどう?」

「顔面形状、契合率八〇パーセントで検索……該当なし」

 ミューコも出会った記録はないようである。

 館長はまあいいかと言ってシオンに向き直った。

「ニュース、見ましたよ。大変でしたね。理解のないヒューマノイドがいるようで、我々も悲しいです」

「どうか負けないでください。私たち遺族会はシオンさんを全面的に支持しています」

「ありがとうございます。皆さんのご期待に応えられるように励んでいきます」

 シオンは館長たちに促されて慰霊館に入っていった。

「多々良雪江さんのこと、心中お察しします。とても素晴らしい方でした。途方に暮れていた我々に多大な支援をしてくださって、どれだけ感謝しても足りないくらいです」

「そう言っていただけて、雪江さまも喜んでおられると思います」

 慎哉は周りを警戒しつつ、館長と話すシオンについて入館した。エントランスを抜けた先のホールは体育館のように広く、三階までの吹き抜けになっている。中央には漆黒の石碑があり、数多の名前が金の象嵌で刻まれていた。

「……っ」

 慎哉は正面の石碑から壁にかかっていた額縁へと何気なく目を向け、衝撃で息が止まりそうになる。

 遺族会の一人が柔らかな声をかけてきた。

「あなたは、ここに来るのは初めてなの?」

「……はい」

 慎哉は辛うじてうなずいた。

 一階から三階までの壁一面に無数の写真が飾られている。赤ん坊から老人まで、性別も年齢も色々な人たちが写っていた。館内の各所には薄くも硬そうなガラスケースが置かれ、様々な雑貨が収納されている。壊れた携帯タブレット、汚れた鞄、血が滲んだ衣服など、ついさっきまで使われていたような生々しさを残して保存されていた。周囲の来館者たちはこれらを前にして涙を流している。

 館長が慎哉の横に並んで一緒に写真を見渡した。

「これは、あの事件で犠牲となった人たちの遺品や生前の写真だよ。我々が犠牲者のための慰霊碑を造ろうと計画していた時、多々良雪江さんは金銭的な支援だけでなく、こういった犠牲者たちの記録も集めてくださったんだ」

 遺品の中には壊れた機械類も存在していた。ヒューマノイドのパーツだ。犠牲となった人間だけでなく、ヒューマノイドの記録も残しているらしい。周囲を見ると、アンドロイドの写真にすがりついて咽び泣く女性やガイノイドの遺品に手を合わせる男の子の姿があった。

 犠牲者の記録は住所ごとに区分されているようだ。

 遠方の県名もある。その区分にある遺品のほとんどが、遠くの地から一人でも多くの人間を助けようと駆けつけ、そして犠牲となったヒューマノイドの物であるらしい。

 慎哉は吸い寄せられるようにして見覚えのある地区名に視線を這わせていき、そこに友人たちの名前と写真を見つけた。運動会や文化祭でのワンシーンが残され、焼け焦げたマンガやランドセルがガラスケースに保管されている。

(ああ……おまえら、本当に死んだんだな)

 バス爆破の現場から見つかったという雑誌が目に留まった。ヒューマノイド技術を子供向けに紹介する雑誌だ。黒く焦げついた表紙からは最新型ヒューマノイド特集の文字が辛うじて読み取れる。

 気づけば、シオンが訝しげに顔を近づけていた。

「大丈夫ですか? 顔色がよくありませんけど」

「なんでもないよ」

 慎哉は冷たく言ってシオンとは反対の方を向いた。きっと両親の記録もどこかにあるのだろう。だがこれ以上平静を取り繕って探すのは無理だ。

 シオンはまだ納得していない様子でなにかを問いかけようとしたが、フードの中にいるミューコがアームを振って追い払った。

 館長が壁の写真からシオンに顔を向ける。

「シオンさんにも心から感謝しています。素人の我々に代わってプロジェクトを主導していただき、本当にありがとうございました」

「完成したのは皆さんの頑張りがあったからです。私はほんの少しお手伝いをさせてもらっただけですから」

 シオンは手首のリングに触れて、遺族会の人たちから目を逸らす。

 慎哉はシオンの澄ました表情に引っかかりを覚える。なにか隠し事をしてはいないだろうか。自覚があるのかは不明だが、どうもシオンは心配事や気がかりなどがあるとリングに触れる癖があるらしい。

「ご謙遜を。さっそく早く引き継ぎの手続きをしましょう」

 館長と遺族会がシオンを奥の部屋に促した。



 応接室に案内されたシオンはソファーに座って待つように言われる。慎哉は側に立って窓やドアの方を警戒した。こういう厳かな場所で荒事にはなってほしくないのだが、犯罪に手を染めたヒューマノイドに空気を読むという感性があるのかどうかは怪しい。

 テーブルには温かい紅茶が用意されているが、シオンは手をつけようとしなかった。

「館長は先ほどの方ですが、亡くなった雪江さまも責任者の一人だったんです。ですが遺産相続に伴って、名義が私に変更されていたんです。ですから正式に引き継ぐために書面での手続きを済ませないといけなかったんですけど」

 シオンが訥々とした口調で話し出す。不安かなにかを会話で紛らわせようとしているようだと慎哉は感じた。

「乗り気じゃないの? 手続きが面倒とか?」

「手続きはすぐ終わります。ですが、本当に私が責任者でいいのでしょうか」

「そんなこと僕が知るわけないだろ。いいもなにも、そういう遺言だったんじゃないの? 法律とかよく知らないけど」

「私は、砂のお城を作ろうとしているだけのお姫さま」

 シオンを襲ってきたヒューマノイドたちがそんなことを言っていただろうか。

「だから?」

「私の存在は、国民にとって、人類にとって、有害なのでしょうか。私の目指しているものは、砂のようにすぐ崩れ去る、不毛な綺麗事なのでしょうか」

「……」

 慎哉は明答しなかった。そんなことはないとその場限りの気休めを言ってもらいたがるタイプではないだろう。静かに沈思黙考してみたが、やはりこれといった答えは見つからない。有害だと断ずるつもりはないが、まだつき合いの浅い慎哉には有益だと判断することもできなかった。

「時々、怖くなります。私の選択が本当に正しかったのかどうか。あのヒューマノイドたちが言っていたように、私は雪江さまが思い描いていた理想を実現するどころか、台無しにしてしまうかもしれないと、どうしようもなく怖くなります」

 シオンは平淡な声で呟き、応接室の奥にある扉を見つめた。待っていれば、館長が必要な書類を持って出てくるだろう。

「ヒューマノイドの私に、この慰霊館を守っていく資格があるんでしょうか。同胞が多くの尊い命を奪ったというのに」

「それは……」

 慎哉が声をかけようとすると、シオンは自戒するように唇を噛んだ。

「ごめんなさい。私、なにを言っているんでしょうね。今の言葉は忘れてください。少し、疲れているんでしょう」

 シオンはすっと瞼を閉じて不安が滲んでいた瞳を覆い隠す。顔色にこれといって大きな変調はない。だが胸の奥はどうなのだろう。

(こいつは最新型のヒューマノイドで、ここの責任者になるのか)

 慎哉はそんな確認をして、ポケットから携帯タブレットを取り出す。保存データの中からとある古い映像を探している途中、ふと顔を上げてホールに続く扉の方を見た。

「なんか向こう側が騒がしくないか?」

「はい。揉め事のような声が聞こえます」

 シオンがソファーから立ち上がって応接室を出る。

 ホールでは館長と見知らぬ老人が取っ組み合いをしていた。

「放せ! 放さんか! 貴様、こんなことをしてただで済むと思っとるのか!」

「落ち着いてください。先に迷惑をかけたのはあなた方でしょう」

「迷惑!? まあっ! 私たちは苦しんでる人を救ってあげようとしてたのよ! せっかくの善意を、あろうことか迷惑ですって!?」

 今度は初老の女性が館長に食ってかかった。

 シオンが館長に駆け寄る。

「館長さん、これは?」

「ああ、シオンさん。すみません、少しばかり立て込んでしまいまして。来館されていた方が、こちらの方々にしつこく話しかけられて困っていたので、どういうことなのか詳しいお話を伺っていたのですが」

「おい! なぜ殺人マシンなんかがここにいるんだ!」

 初老の男がシオンのリングを見て野太い大音声を反響させる。

 ホールには鬼のような形相をしている団体がいた。年齢の幅は中年から老人くらいまでである。慎哉はシオンを狙ったヒューマノイドの襲撃かと警戒したが、全員が人間だった。

 シオンは剣呑な雰囲気の団体に向かっておもむろに声をかける。

「私になにかご用でしょうか」

「うるさいわ! 人間の偽物が人間みたいに喋るな! おい、館長! なぜロボット風情がここにおるんじゃ!」

「なんてことかしら! せっかく死んだ人の弔いに来てあげたっていうのに、酷く不愉快だわ! 最低の気分よ! どうしてくれるの!」

 団体の面々がシオンを睨んでヒステリックに叫んだ。

 館長は眉をひそめたが、それでも穏便に済ませようと冷静な声をかける。

「ここは犠牲者の方々の思い出が眠る場所です。もう少しお静かに願えますか」

「黙れ、馬鹿者が! つべこべ言ってないで、大量虐殺をしたロボットをとっとと追い出さんか!」

「多々良シオンさんはヒューマノイド、人間と変わらない知性と感情を持った人工生命体です。ロボットでもマシンでもありません」

「なんでもいいわよ! ただの人殺しでしょう!」

「ここは人殺しがいていい場所じゃねえだろ! とっとと消え失せろや!」

 怪しげな団体が喚き立て、慰霊館に口汚い罵声を響かせる。

「わ、私は……」

 シオンは青いリングが回る手首を押さえながらうつむく。

 すると遺族会の人が気落ちしているシオンに耳打ちをした。

「シオンさん、気にしないで。あの人たちはヒューマノイドに反対する団体なのよ。この前も来てて、ヒューマノイドの来館者に難癖をつけてたわ。さっきもご遺族の方が思い出に浸っているところに図々しく話しかけて、根も葉もないヒューマノイドの悪口を吹き込もうとしてたの。館長がそれをやめさせたらこのありさま」

「こいつらは犠牲者を弔うつもりなんてこれっぽっちも持ってないんだ。ただヒューマノイドを悪く言えたらいいだけなんですよ。亡くなった人たちを自分たちの主張に利用して、恥ずかしくないのかよ」

「どうかお静かに願えますか。皆さんの言い分は理解しました。しかし、まずは場所をわきまえませんか? あなた方に犠牲者の安らぎを願う気持ちがあるのであれば、分かっていただけると思うのですが」

 館長の取りなしには不機嫌な怒鳴り声が返された。

「うるさい奴じゃな! 殺人ロボットがすぐそこにおるんじゃぞ! なぜ貴様らはぼさっとしとるんじゃ!」

「目を覚ましなさい! ソレはおとなしそうな顔で油断させて、腹の中じゃ私たちを皆殺しにしようとしてるのよ! みんなそうやって殺されたのよ!」

「私にそのような意思はありません」

 シオンは静かな声で訴えた。

「嘘をつくな、この殺人鬼めが!」

「かつて一部のヒューマノイドが暴れて大勢の尊い人命を奪ったことは、申し訳ありませんでした。どんなに償っても許されることではないと分かっています」

 その程度では謝罪が足りないと反ヒューマノイド団体がシオンを罵り、シオンの謝罪は筋違いだと遺族会が擁護する。他の来館者は口論に加わりこそしないが、反ヒューマノイド団体の横柄な大声にうんざりしているようだった。

 遺族会がもう相手にしてはいけないと忠告するが、シオンは制止を振り切って凛然と言葉を重ねる。

「私は、亡くなった人たちのためにも、遺された人たちのためにも、私にできる限りのことをしたいと思っています。今すぐ理解していただかなくても構いません。許してくれなくても構いません。ですが、もう少しだけ待ってください。犠牲になった命はもう取り戻せませんが、これからを生きていく人たちが一人でも、少しでも幸せになれるように頑張りますから」

「どうせ口先だけじゃ! おまえロボットの言うことは全部嘘っぱちじゃ! 顔を見れば分かる! 能面みたいな冷たい顔をしておるわい!」

「死んだ人のためだと!? よくもぬけぬけとそんなことを言えるな! 作り物が偉そうに!」

「そうよ! あんたには殺された人の気持ちが分かるっていうの!?」

 反ヒューマノイド団体が囂々と責め立て、シオンは言葉を詰まらせた。

 代わりに館長が前に出て訴える。

「いい加減にしてください。先ほどから聞いていれば、的外れなことばかり。シオンさんは事件の直後も、事件の集束後も、被害者と犠牲者の遺族のために身を粉にして奔走してくださいました。人殺し呼ばわりされるいわれはありません」

「うるさいって言ってるでしょ! あんたたちの意見なんてどうだっていいのよ! 問題は死んだ人の気持ちよ!」

「殺された者が、人殺しの仲間になにかしてもらいたいと思うはずなかろうが!」

 シオンは足をふらつかせた。

「雪江さま、やはり私には……」

 苛つきながら携帯タブレットを操作していた信哉は、映像機能のオプションを立体投射モードに設定する。

「……」

 信哉はわずかにためらって、しかし、再生のボタンに触れる

 シオンと反ヒューマノイド団体の間に、在りし日の風景が立体ホログラムで投影された。

 幼い少年たちの姿と声が再生される。

「楽しみだなあ、コンサート!」

「まだ言ってる」

「なんだよ、慎哉。おまえは楽しみじゃないのか? 母ちゃんの手伝いいっぱいやって、やっとチケット買ってもらったんだからな。ぶつくさ言ってる奴は誘ってやらねえぞ?」

「ねえねえ、そのガイノイドのアイドルがやるコンサートってさ、最新型のヒューマノイドがゲストに来るんだよね?」

「ああ、そうだ。ついこないだ完成したばかりのヒューマノイドが紹介されるんだ。まだタタラグループっていうでっけえ会社にしかいないんだぜ。その会社がコンサートのスポンサー? ていうのになってるから、特別にお披露目されるんだってよ。どんなヒューマノイドなんだろうな」

「ぼくも行ってみたいんだけどなあ。最新のヒューマノイドに会ってみたいなあ」

「おう、行こうぜ! 一緒におれたちのアイドルを応援しような!」

「そっちは別に。新型のヒューマノイドに会えたらそれでいいし。歌なら人間の方が奥深いっていうか」

「けっ、カッコつけてんじゃねえよ。おい、慎哉、おまえも来るよな? おまえはどっちが楽しみだ? 超人気ガイノイドアイドルか? 最新型ヒューマノイドか? やっぱ両方だよな!?」

「どっちでもいいよ。ていうか、疲れた。なんでこんなめんどくさい坂の上に学校があるんだろ」

「この野郎、どっちでもいいとはなんだ!」

「どうせ前を歩いてる緒方(おがた)さんのことが気になってしょうがないんだよ」

 音声が途切れる。長い坂道を歩いて校舎に向かう生徒たちのホログラム映像も消えて、館内が重い静寂で満たされた。反ヒューマノイド団体は映っていた子供たちがどこの誰なのか、映像になんの意味があったのか、まるで分かっていない様子である。しかし遺族会の何人かが下を向いて涙をこらえている姿を見て、あの子供たちがもうこの世にいないのだと察したらしく、きまりの悪そうな顔つきになっていった。

「最新型ヒューマノイドに会ってみたい。それが死んだ友達の気持ちだった」

 慎哉は反ヒューマノイド団体を睨みつける。懐かしい記憶が胸の奥へと響き、沸き立つ怒りで心臓が強く脈打った。

「友達の、最後の願いを……シオンを傷つけるために利用するな」

 団体の何人かが忌々しそうに顔を歪めた。口を開けようとするも反駁せず、苛立たしげに背を向け、エントランスの外に去っていった。



 反ヒューマノイド団体の姿が見えなくなり、慎哉は携帯タブレットをポケットに戻す。

 周りの遺族会や来館者は言葉もなく慎哉を見つめていた。ヒューマノイドのシオンに気を遣われるのが嫌だったから稲尾町出身だということを黙っていたのだが、こんなことになるなら最初から話しておけばよかったかもしれない。

「慎哉さんも、被害者の一人だったんですね」

 シオンが痛切な声で言った。

 慎哉はあえて素っ気ない声を返す。

「探せばどこかに親の記録があると思う」

「ご友人に、ご両親まで……」

 シオンの表情は依然として暗かった。

「結局、あいつらがコンサートに行くことはできなかった。あの最期の日も、楽しみにしてたんだけど」

 慎哉が壁の写真を見上げると、館長がおもむろにうなずいた。

「君の顔、思い出したよ。よくここに来る夫婦が見ていた写真だ。バスを狙った自爆テロで通学途中の娘さんを亡くされたそうで、その子の写っている写真に君と似た男の子が写っていたはずだ。事件初期は交通機関を狙った爆破が頻発していて、いったいどれだけの幼い子供が犠牲になったことか」

 慎哉は全てが壊れた瞬間の光景が脳裏に蘇りかけ、背中のフードに入っているミューコを抱きかかえてフラッシュバックをやり過ごす。

「あの時ミューコがいなかったら、僕も爆弾で吹っ飛んでたな」

「逃がせた人間、父さまだけ。他の人間、逃がせなかった」

 ミューコは無念を表すようにプラグつきの尻尾を下に垂らしていた。

 シオンが後悔を滲ませて肩を落とす。

「だからバスが。ごめんなさい」

「別に謝らなくていいよ。僕が話さなかっただけなのに。そうだ、シオン」

「なんでしょう?」

「まあ、たいしたことじゃないんだけど、五年前にやる予定だったアイドルのコンサートで発表されるはずだったヒューマノイドって」

「はい。私が紹介される予定でした。懐かしいですね。あの時はスピーチの内容がなかなかまとまらなくて右往左往していました。それでもようやく原稿を完成させたのですが、残念ながらコンサートどころではなくなってしまいましたね」

「シオンさんは事件直後から一人でも多くの被害者を助けようと手を尽くされたそうですね。多々良雪江さんがよく自慢げに話しておられましたよ」

 館長が言うと遺族会の人たちもうなずき、次にエントランスの方向を向いて憤りを露わにした。

「それなのにあいつらときたら、なにも知らないくせに!」

「ホント困ったものよね。中には被害者でもなんでもない、ただヒューマノイドが気に入らないっていうだけの人がいるんだから馬鹿げてるわ」

「シオンさん、先ほどはすみませんでした。こちらの対応が遅れてしまったせいで、不快な思いをさせてしまいました」

 館長がシオンに深々と頭を下げた。

「私が危険性を孕んだヒューマノイドなのは事実ですから」

 シオンが自虐的に言うと、遺族会の人たち全員が揃って否定する。

「そんなこと言わないでください。僕たちは信じています。シオンさんなら多々良雪江会長の志を引き継げると」

「そうですよ。むしろシオンさんだからこそ、多々良会長は信頼してこの慰霊館を託されたんじゃないでしょうか」

 館長が遺族会の人から数枚の書類を受け取り、シオンに差し出した。

「後はサインをしていただければ引き継ぎが完了します。我々一同は是非ともシオンさんに稲尾町慰霊館を守ってもらいたいと願っています」

「……」

 シオンは受け取った書類を無言で見下ろす。表情には迷いをよぎらせていた。これが正しい選択なのか否か、何度も自問しているようである。

「あいつらも、そうしてほしいって望んでるんじゃないかな」

 最新型のヒューマノイドに会いたがっていたお調子者たちである。もしかしたら嬉しさのあまり化けて出てくるかもしれない。慎哉はそんなことを思った。

 シオンが迷いで暗かった表情に柔らかな笑みを浮かべる。

「慎哉さん、ありがとうございます。私、ここを守ります」

 シオンは力強い筆跡で書類にサインを記し、館長に手渡した。



 稲尾小学校に臨んだ橋を歩くのも久しぶりである。商店や住居が密集した駅周辺と小学校の地区を結んでいる、大きくて長い橋だ。男子が度胸試しとして河に飛び込み、女子が先生に密告して叱られるという流れは夏の風物詩だった。

 信哉はシオンと並んで歩きながら駅に向かう。シオンは次の予定があるのですぐ榊ヶ丘に戻らなければならないのだが、信哉はバスに乗れない。タクシーを呼ぼうにも先ほどの反ヒューマノイド団体が近くの動けるタクシーを全て呼んでしまったらしいので、やむなく徒歩という羽目になってしまっていた。

 慎哉は特にシオンと話をするでもなく、橋と平行して架かっている線路を眺める。電車が大きな音を立てて走り去り、走行音の余韻が霧散すると、急激に静けさが広がっていく。住人がみんな町外の学校や職場に出ていっているからだろう。昼下がりの稲尾町は抜け殻のように閑静だった。

 電車の音が聞こえなくなったのを機に、隣を無言で歩いていたシオンがおもむろに口を開く。

「慎哉さんはヒューマノイドが嫌いだと藍子さんから聞いています。理由はやはり、家族や友人を奪われたからですか?」

「だったら?」

 ぞんざいに問い返すと、シオンは足を止めて礼服の胸元に手を添えた。

「私のことも憎いですか?」

 慎哉はシオンの姿を見つめた。灰色のノイズで容貌の輪郭が歪み、凛とした目鼻立ちや口元が曖昧にかげる。まるで水面に映った鏡像のように不安定な姿は、憎悪するモノと同じだった。稲尾町を壊し、両親と友達を惨殺したヒューマノイドたちとなにも変わらない。

「たまに自分のやってることが正しいのか分からなくなる。おまえを守ってたら、ヒューマノイドに殺された人たちが浮かばれないんじゃないかって」

「……そうかもしれませんね」

 シオンの指が礼服の裾を握って皺を作る。

 慎哉は目を閉じた。灰色に歪むガイノイドを視界から消し、犠牲者と遺族のためを思って訴えていたシオンの声を思い返す。

「だけど、あれをやったのは青き礎っていう狂ったヒューマノイドの連中で、だから、シオンはなにも関係ない。シオンは、あいつらとは違う」

 慎哉は瞼を開けた。驚いている様子のシオンと目が合ってしまい、なんとなく顔を背ける。

「って、藍子さんなら言うと思う」

 そうつけ加えると、シオンは微笑した。

「寺門探偵事務所に依頼をしてよかったです」

 慎哉は気恥ずかしくなって目を泳がせ、不意に腰のナイフを握る。

「ごきげんよう、シオン。こんなところで会えるなんてね」

 破れたお面をつけるガイノイドが橋の向こうから歩いてきた。傍らには帽子とサングラスで顔を隠したアンドロイドも一緒である。

「しつこい方たちですね」

 シオンが冷淡に言うと、小さなガイノイドは横を向いて稲尾町を一望した。

「ストーカーみたいに言わないでちょうだい。今日は本当にたまたまの偶然なんだから。ここにはよく来るの。みんなと誓い合った悲願を改めて胸に刻みつけるためにね。ヒューマノイドのブレインユニットは完全記憶だけど、やっぱり記憶の映像だけで反芻するのと、こうして目に焼きつけるのとでは、込み上げてくるものが違うわ」

「まさに千載一遇。自分は神さまや霊魂の類など信じていなかったのだが、こうして好機を得られたというのは、やはりここで亡くなった者たちが計画の完遂を望んでいるのだろうか」

 背後から厳めしい声が聞こえてくる。橋の反対側から長身の男が歩いてきた。前に警察官の格好をしていたアンドロイドである。今はワイシャツに長ズボンという質素な格好だ。昨日の傷がまだ塞がっていないらしく、バイオ溶液のシミが胸にうっすらと滲んでいる。

 慎哉は革の鞘からナイフの刃を抜いた。

 前後からヒューマノイドに接近され、シオンは橋の欄干を背にする。

 ガイノイドが腕を素早く振り、銀色の警棒を伸ばして慎哉に向けた。

「シオンを引き渡してちょうだい。いくらあなたでも、ヒューマノイド三体を相手にして勝ち目があるとは思えないけど?」

「僕は正真正銘の人間だからな。ヒューマノイドみたいに物分かりがよくないんだ」

「勇敢なのね。あなたみたいないい子を見ると、日本の行く末に明るい希望が持てて嬉しくなるわ。だからこそ、わたしたちはここでシオンを連れていく」

 ガイノイドが姿勢を低くして駆けた。

 慎哉は前に出ると、ナイフの刃でガイノイドの警棒を迎え撃つ。

 ナイフと警棒がぶつかり合って火花を咲かせた。鍔迫り合いとなっている間に、手傷を負っているアンドロイドがシオンに迫る。拳銃のような大型のスタンガンを取り出し、青白い電光を閃かせた。

 シオンは身構え、スタンガンを持つアンドロイドと対峙した。

「やる気か? 貴様はこちらを普通の人間だと認識しているはずだが」

「ご心配なく。あなたのことは一般人に暴力を振るった危険な人間として認識しています」

「なるほど。素顔を晒したのは失策だったか。しかしマツシバコーポレーションの最新型とやらはキャパシティこそ大きいが、初期能力が極めて低いと聞く。シオン、貴様の力がいかほどか見せてもらおう」

 慎哉はガイノイドを退けてシオンのもとに戻ろうとする。しかし背中を見せた瞬間、警棒の一撃が鋭く振り抜かれた。やむなく足を止めて防御する。ガイノイドはすでに凄まじいストレスを溜め込んでいるはずだが、お面の破れ目から覗く左目に疲弊の色は見えず、鬼気迫る執念を燃やし続けていた。

 アンドロイドがシオンに向けてスタンガンを突き出す。

 シオンは体を横にずらし、スタンガンを紙一重で避けた。電極の先端が橋の欄干に当たって閃光が散る。

 アンドロイドは身を大きく翻してシオンに詰め寄った。

 シオンがよろめき、アンドロイドはつまらなそうに嘲笑する。

「期待外れだ。体捌きは素人か」

 アンドロイドが太い指を開いてシオンの首を掴む。勢いそのままに腰を捻り、シオンの背を橋の欄干に押しつけた。衝撃で華奢な体が仰け反る。

 慎哉は焦ってきびすを返そうとするが、見計らったようにガイノイドが肉迫してきた。

「邪魔するな!」

「あら、ひどい。目の前のレディを無視してどこに行くつもりなの?」

 ガイノイドがからかうように笑う。その視線の先ではシオンが首を絞められ、かすれた吐息を漏らしていた。屈強なアンドロイドの腕を掴むが、腹部にスタンガンを押し当てられ、目を見開いて苦悶の声を溢す。それでも手を動かして抵抗しようとすると、アンドロイドは再度スタンガンを構えた。

 トドメの電撃が打ち出されようとしたその時、稲尾小学校の方角から一台の車が走ってくる。法定速度をオーバーした車体が急ブレーキによる高音を掻き鳴らし、黒い轍を描きながら停まった。

 運転席のドアが開き、アンドロイドがオーバーコートをはためかせながら現れる。

「依頼人を放してもらおうか」

 レイジがスタンガンを持つ犯罪アンドロイドに悠然と向かっていく。スタンガンを繰り出す腕を掌打で軽く弾いたかと思うと、次の瞬間には自分の手の中に奪い取っていた。

 アンドロイドはぐったりしているシオンを路上に放り投げ、レイジから離れて身構える。

「慎哉、少しの間だけそちらを任せた。私もすぐこの犯罪者を制圧する」

「只者ではないな。だが侮られては困るぞ。計画は完遂させる。ましてや、この稲尾町でつまずくなどあってはならない!」

「つまらん能書きは取調室で存分に語ってくれたまえ」

 レイジがスタンガンを振るった。

 アンドロイドはスタンガンを避けるも、懐に踏み込まれて腹部に掌打を受けた。追い打ちにスタンガンを放たれるが、狂気のこもった裂帛を上げて払いのける。レイジに拳を繰り出して退かせ、鋭い蹴りでスタンガンを弾き飛ばした。

 レイジは再度前進して弾丸のような打撃を迸らせたが、犯罪アンドロイドも巧みな体術で攻撃を受け流す。両者とも格闘能力に秀でたタイプのヒューマノイドらしかった。

「そうよ。ここでもたついてる場合じゃないわ。先は長いんだから、急がないといけない。お父さん、お母さん、待ってて」

 お面のガイノイドが路面を蹴って駆ける。その背後に控えているサングラスのアンドロイドはまだ動かないようだ。ストレスを溜めないように待機していて、シオンを確実に回収できる隙を窺っているのだろう。

 慎哉はナイフを握り締め、再びガイノイドの警棒と打ち合った。一歩も退かず、繰り返される連撃を打ち払う。

(まだなのか? そろそろのはず……)

 全く衰えない攻勢に焦燥を覚えかけた瞬間である。

「――うっ!? あ……?」

 唐突にガイノイドの挙措が鈍った。ストレスの蓄積が気迫を越えたのである。執念で燃えていた瞳が虚ろになり、両腕も力なく垂れ下がっていた。最後の底力で地面を踏み締め、辛くも正気を保ったようだが、もう遅い。

 慎哉はよろめいたガイノイドの前に踏み込み、ナイフを一閃する。

 人工皮膚の欠片とバイオ溶液の飛沫が散り、ガイノイドが路面に転がった。切り裂かれたお面が落ちる。

「リーダー!?」

 サングラスのアンドロイドが駆け寄ろうとするが、ガイノイドは手を伸ばして制した。

「動いちゃダメ! まだ……! まだ大丈夫だから……! あなたは、自分のやるべきことに集中してなさい!」

 お面を失ったガイノイドが額を押さえながら立ち上がる。指の間から淡黄色のバイオ溶液が流れていき、ジャンパーの袖に染み込んでいった。

「……」

「さあ、続きをしましょうか。まだまだやれるわよ。ここからが、おねえさんの、本気なんだからね」

「……」

「どうしたの?」

 ガイノイドが片目を細めて訝る。

「……う、そ」

 慎哉はようやく声を出すことができた。

 交戦中だったレイジと犯罪アンドロイドも距離を取って怪訝な顔をする。

「慎哉? まさか、そのガイノイドは……」

「う、うそだ。そんな……そんな、はず……こんな……」

「父さま、呼吸、心拍、異常。父さま、落ち着いて。父さま、安静、必要。父さま! 父さま!」

 ミューコがフードの中で警告を繰り返す。

「な、なんで……? なんで! そんなはずない! こんな……! だって!」

「慎哉さん? どうしたんですか?」

 倒れていたシオンがスタンガンによる麻痺に呻きながら身じろぎする。

 慎哉は眼前のガイノイドに問う。

「緒形さん?」

 それはもうどこにもいない女の子の名前である。五年前、青き礎を名乗るヒューマノイドが行ったバス爆破で殺されたのだ。爆風に呑み込まれて死んだのだ。慎哉の目の前で。

「過去記録、参照。データ照合、契合率九三パーセント」

 ミューコが厳然たる分析結果を知らせる。

 自分の目の前で死んだ女の子が、もしも生きていてくれたら。そんなありえない願いの形が、すぐ目の前に存在している。

 だが灰色のノイズがかかっていた。人工タンパク質とナノマシンの維持に必要な、赤くない血液を流している。人間ではない。人間そっくりのヒューマノイドだ。

「緒形さんなの?」

 ヒューマノイドだと分かっていても、訊かずにはいられなかった。

 ガイノイドが悲しみを湛えた眼差しで慎哉を見る。

「そっか。あなたは緒形早百合(さゆり)を知ってるのね。それどころか、その年齢からして」

「ど、どうして……? だって、あ、あ、あの時……!」

 炎の中に消えていく直前の緒形早百合が、灰色のノイズでぼやけたガイノイドに重なる。

 どこからか糾弾が聞こえてきた。なんで自分だけ逃げたのか。なんで助けてくれなかったのか。なんで見殺しにしたのか。なんでのうのうと生きているのか。

「違う! 僕はそんなつもりなんかなかった! だって! 僕だって必死で! あ、あんなの、どうしようもなかったじゃないか! 逃げるしかなくて! 見捨てるつもりなんてなかった! 僕だって見捨てたくなかった! 助けたかった! 助けたかったけど、どうしようもなかったんだ! どうしようも、どうしようもなくて……!」

 慎哉は弁解の言葉を喚き散らした。スタンガンを出して接近するガイノイドの姿が涙で朧気になり、緒形早百合の幻影が鮮明になる。恐怖で震える手からナイフが滑り落ち、固い音を響かせた。

「ごめんなさい」

 体にスタンガンを当てられ、慎哉は崩れ落ちた。意識はまだ残っていたが、手足の感覚はほとんど残っていない。

 ガイノイドも膝をついて悶絶する。

「リョウスケ、シオンを、確保……!」

「了解っす!」

 サングラスのアンドロイドが動く。

 レイジは対峙していたアンドロイドに突撃し、打ち出された拳にカウンターの拳を突き出した。顔面を捉えて昏倒させると、オーバーコートを翻してシオンのもとに向かおうとする。

 しかしサングラスのアンドロイドはすでにシオンを抱え上げていた。

「亡霊め、多々良シオンを下ろせ」

「嫌ですよ。俺らはなにがなんでも計画を成し遂げます。もう止まれないんすよ」

「止まってもらう。こちらには車がある。ヒューマノイドならば逃走が無為だと合理的に判断できるだろう?」

「サユリ、リョウスケ! 離脱しろ!」

 倒れ込んでいたアンドロイドがレイジの背に飛びかかる。

 同時に河の下流からエンジンと水飛沫の音が響いてきた。小型のモーターボートが波紋を広げながら遡ってくる。

 レイジはしがみつくアンドロイドを振りほどき、腹部に重い打撃を入れて気絶させた。

「さようなら、タイキ。後は任せてちょうだい」

「また一体、脱落っすね」

 二体のヒューマノイドが橋の欄干の手すりに上がり、真下に停まったボートの座席に向かって飛び降りる。スクリューが水を掻き回して白い飛沫を起こした。

 慎哉は橋の路面に爪を立てて這いずり、欄干を掴んで体をもたせかける。

「父さま、動作、危険! 安静、必要! 治療、必要!」

 ミューコが最大音量で警告を繰り返し、アームで慎哉の肩を叩く。

 慎哉は遠ざかっていくボートに向かって痙攣する手を伸ばし、手足の感覚が消えて倒れ伏した。

 全身の痛みがなくなり、意識が途切れる。いったいなにを掴みたかったのだろう。シオンだったのか。それとも、早百合だったのか。最後まで分からなかった。

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