5時間目 波乱はこれから…?
「……ユ、ユキ…」
「ああ?」
「昨日…大丈夫だった?」
「訊くな。散々だったわ。」
「あー…はい。」
げっそりとしているユキに、トモがなんともいえない顔で目を逸らした。
(ったく、この馬鹿は…)
ユキは昨日の恨みを込めてナギを睨んだ。
だが、当のナギはそんな視線に気づかずにこにことしている。
無理矢理ベッドの中にまで入ってきた奴は気楽でいいことだ。さすがに一人用のベッドに三人は窮屈すぎたので、こっちはナギが寝静まるまで待ってベッドを抜け出し、物音を立てないようにと配慮した結果、絨毯の上で寝る羽目になった。おかけで今の気分は最悪である。
とまあ、それは一旦置いておき…。
ユキはやれやれと肩を落とす。
「やだやだ、帰りたくない!」
「ルーちゃん、我が儘言わないの。たくさんお兄ちゃんに遊んでもらったでしょ?」
「まだ遊ぶのー!」
そこでは帰る帰らないの押し問答を繰り広げるサヤとルキアが。
「ユキ…ほんと愛されてるね。」
「まあ、仕方ないとはいえオレが半分育てたようなもんだしな。」
これは自分が説得しないと埒が明かないようだ。
「ルキア。」
ユキはサヤの隣にしゃがみ、ルキアの目を優しく見つめた。
「今日は帰らなきゃだめだ。明日は幼稚園もあるし、このままだと母さんが困っちゃうだろ?」
「ううー…」
ルキアが目尻に涙を溜める。
ユキは苦笑してその涙を拭った。
「大丈夫。あともう少ししたら春休みだから、そしたら兄ちゃんが家に帰るよ。」
「ほんと?」
「ほんと。そしたら、またくぅちゃん作ってやろうな。」
「ほんとにほんと?」
何度も確認してくるルキアに、ユキはしっかりと頷いた。
「うん、約束。だから、兄ちゃんが帰るまで母さんと家で待っててくれるか?」
ユキは穏やかに目元を和らげてルキアに訊ねる。
すると。
「……うん。」
ルキアがこくりと首を縦に振った。
「偉いぞ。」
ユキはルキアを一度強く抱き締めると、ぽんぽんとその背中を優しく叩く。
「じゃ、気をつけて。」
「ユキ、ありがとね。」
ユキからルキアを引き受けたサヤが礼を言うと、ユキは軽く首を横に振った。
「オレもいい気晴らしになったよ。雪道に気をつけて。」
「はーい。」
少しずつ遠のいていくサヤとルキアを、ユキたちは手を振りながら見送る。
「……ねぇ、ユキ。」
その時、ふとナギが口を開いた。
「なんだ?」
「ルキアがいる前では訊けなかったんだけどさ。」
「うん。」
「部屋を片づけてた時にあったあの手紙……何?」
「うっ…」
ナギの質問に、ユキの笑顔が綺麗に固まった。
「……中、読んだのか?」
「うん。思わず。」
「引いたろ?」
「うん、ちょっとね…」
「え、何? 手紙?」
一人何も知らないトモが首を捻った。
「よく分かんねぇけど、たまに変な手紙がポストに入ってくるんだわ。」
ユキがどこか青い顔で告げる。
「それって、何かの嫌がらせ?」
「いやぁ…どうなんだろ? 少なくとも、オレには理解できねぇのは確か。」
「あれは一種のファンレター……とでもいうのかな?」
訊ねるトモに、ユキどころかナギですらも複雑そうな表情をしていた。
「今日の罵りも最高でした、とか…」
「やめろ。」
「ぜひとも今度は冷たい視線をください、とか…」
「だから手紙の内容を反芻するな…」
思い出したくない。
顔を覆ったユキは首を振る。
「わぁお……それは濃いですねぇ…。」
事情を聞いたトモも若干引いている。
「ちなみに、特定の誰かから来てる感じ? 学内? 学外?」
「いや、何人かいると思う。筆跡が違ったから。手紙に切手とかもなかったし、学校の誰かなんじゃないかな?」
「おい。なんでお前が答えるんだよ。」
ユキが半目でナギを睨んだ。
「だって、ごみ箱見たら他にも何通かあったんだもん。」
「ほほう? 人の部屋のごみ箱を漁るなんて、随分といい趣味だな?」
「いたたたたっ! だ、だって、ごみ捨てに行ったら入ってたんだもん!」
ユキにぐりぐりと両方のこめかみを拳で抉られ、ナギがその痛みで顔を歪める。
「なるほどなぁ……ま、仕方ないね!」
トモはあっけらかんとそう言ったのはその時。
「仕方ないって、何がだよ?」
ナギを締め上げながらユキが訊ねる。
「いやだって、ユキって性格きつめじゃん? 顔もいいから、その手の隠れファン多いよ。」
「はあ?」
「そう、それ。その心底蔑んだ目がたまらないわけよ。」
顔をしかめるユキの鼻先に指を突きつけ、トモはずばりと断言する。そして次に、彼は非常に複雑そうな顔で頬を掻いた。
「……まあ、切手がない手紙って辺り、その手紙の主がほぼ百パー男っていうのがなんとも…」
「やめろよ、ほんとに…。オレにはそんな趣味はないって……」
ドMに男って、なんという二重苦だ。
「ま、まあまあ! 手紙で済んでるんだったら平気だって! 読まなきゃ実害ないんだし!」
「そりゃそうなんだけどさ…」
ユキはげんなりと肩を落とす。
そう。手紙で済んでいる内はまだ実害はない。
手紙で済んでいる内は……
だが魔の手がすぐ傍まで迫っていることを、この時の三人は知る由もなかった。
★
「はぁ、はぁ……ものすごくレアなショットいただいちゃったぁ。」
遠くからユキたちの様子を見ていた彼は、望遠レンズをはめた高級カメラから目を離した。
幼い子供に向けられた優しい笑顔。
あんなものに出会えるなんて、なんという幸運だろうか。
「ああ、いいなぁ、いいなぁ。キツい顔だけじゃなくてあんな顔もできるなんて、反則っすよー。」
彼はカメラのデータをあらためながら、興奮したように息を上げる。
「んんー、もう我慢できない。どうにかお近づきになれないっすかねぇ……ユキ先輩♪」
ふへへ、と下心丸出しの笑みで彩られる唇。
一難去ってまた一難。
波乱はまだまだ終わらない。