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2話

(うーん、どうしよう)


 メディは困っていた。煮える大釜を前に腕組みをする。

 材料が足りない。

 足りない材料がうっかりどこかにまじってないかと、小屋の中を見回す。


 木こりのそれを思わせる小屋――丸太作りの小屋の中は、テーブルと椅子、壁には各種の乾物を並べた棚、台所まわりには束ねて乾燥させた薬草をつるしてある。

 頻繁に人里に出るわけではないので、備蓄は多めだ。


 手近の棚をごそごそとあさり、なんとか代用できるものを見つけ、鍋に放り込む。そのままじっと鍋を見ていると、またあの光景が脳裏をよぎった。


 ――鍋の前に椅子を持ってきて立ち、危なっかしい手つきで煮加減を見る少年。

 そのときの姿では手伝いたくても手伝えず、はらはらと見守るしかなかった。


(……元気かな)


 ほの温かいような、少し切ないような気持ちが胸に満ちる。

 この森で、迷い子であった少年を助けたのは、もう十年前のことだ。


 メディは変身した姿のままこの小屋に少年を連れて帰り、少しの間匿った。

 少年を小屋においてひとり臭いの痕跡をたどると、やがて彼を探しているらしき大人の人間達を見つけた。

 どうやら狩りの途中ではぐれてしまったようだった。


 彼らを少年のところまで誘導したかったが、そうすると自分の小屋が露見してしまう。

 なによりだいたいの人間は、メディの()()姿()を見ると狩るべき獣として敵対してくる。


 捜索の手の者がどこから来たのかを突き止め、後日、少年を誘導してやったほうがいい。

 そう判断してメディは数日、少年と小屋で過ごした。その後、実際に少年を森から出してやった。


 一緒にいたのはわずかな間だったが、メディは少年に対して強く好意を抱いた。

 狼のほうの姿で出会ってしまった以上、少年の前で人の姿に戻るわけにもいかず、言葉による意思疎通さえもできなかったが、そのぶん少年の聡明さや優しさが身に染みた。


 少年は挙措きょそのすべてにどこかおっとりしたところがあった。体もやや病弱なところがあるようで、線の細さが少し心配になったが、それはメディの庇護欲をいっそうかきたてた。


 賢い少年だったから、メディが森の出口まで案内し、これが別れだと悟ると、緑の美しい目に涙をいっぱいためた。

 林檎のように頬を染め、石榴を思わせる赤い唇は震えていた。別れたくないと、全身で叫んでいた。ぎゅっと首元に抱きつかれもした。


 けれど少年は言葉にしてメディを困らせるようなことはせず、ただ、


『……ありがとう』


 とかすれた声で言ったのだ。

 それが、メディには何より堪えた。同時に、ひどく胸をしめつけられた。


(健気すぎる……!)


 抱きしめ返すかわりに頭を少年にこすりつけ、彼が何度も振り返りながら森の外へ出て行くのを見守った。ついにその姿が見えなくなったとき、うなだれながらとぼとぼと帰路についた。

 一緒に過ごしたのはほんの数日であったのに、少年が帰っていってしばらく、小さな小屋はやけに広く、冷たい場所のように思えた。


 あれから十年――あの優しくて繊細な少年も、大人になっていることだろう。

 儚げな美少年であったから、きっと気品ある美青年になっているに違いない。年頃のよい女性と出会って結婚しているかもしれない。幸せに暮らしていればいいと思う。


 まるで姉か母親のような気持ちでいたが、ふと現実に返った。


(……だというのに私ときたら)


 はあ、とついつい長い溜息をついてしまう。


『あんた、もう二九よ? 二九! 自分の娘が結婚するような年齢よ!?』


 ほとんど唯一といっていい友人であるベティの叱声を思い出し、メディは頬をかいた。

 ベティはこの森の外の村に住まう、気の良い同い年の女性である。むろん、メディと違ってとうに結婚していて可愛い子供もいる。


 男性はともかく、女性は十五歳前後が結婚適齢期で、遅くても二十までには結婚すべきといわれている。それが、メディは限界とされる年齢を十近くも上回っている。


 ――が、これも当然のことではあった。

 メディはそれこそ十八までは俗世にいたが、以後はこの森に引きこもるようになった。そもそも人との接点がないのだ。


 くわえて、別段優れた容姿でもない。

 黒みの強かった褐色の髪は、陽光をよく浴びているせいでだいぶ明るくなっているものの、美しい金髪というわけではない。

 瞳の色も、ごくごく平凡な薄茶である。


 その年にしては顔が若い、とベティにうらやましがられるようなことを言われたことがあるが、メディ自身にはよくわからない。おそらく、ベティのように人と共に暮らす生活をしていないから、ふわふわと現実離れした感じが顔に出ているのではないかと思う。

 唯一、体が横に伸びるようなことはまだないのは長所といえるかもしれないが、貧相というそしりを免れないような気もする。


(……まあ、別にいいけども)


 ここでの暮らしは静かで快適で、気に入っている。森は豊かで、大狼の姿を持てれば危険もほとんどない。群れをなす小型の魔物も圧倒できる。


 それに物資補給のためにたまに森を出て人里に向かうので、まったくの世捨て人というわけでもない。

 ただ――時々、無性に寂しいと思ってしまうだけだ。きっと話し相手に飢えているのだろう。


 ここで一緒に暮らした相手といえば、あの名も知らぬ少年だけ。それも数日の間、しかもこちらはずっと獣の姿だった。

 メディはまた長く息を吐き出して頭を振ると、妙に感傷的な気分を追いやった。


 ――悩んだところで伴侶がそのあたりにわいたり生えてたりするわけでもない。


(散歩ついでに野草摘みでもして来ようかな)


 メディは革袋を背負うと、小屋の扉に手をかけた。押し開こうとしたとたん、ぐいっと扉がひとりでに開く。

 え、と短く声を出し――固まった。


(な、……っ!?)


 開いた扉の向こうに、()()があった。

 自分以外の人間がそこに立っている。この――誰も知らないはずの自分の小屋に。

 あまりの不意打ちに硬直するメディに劣らず、相手もまた、大きく目を見開いていた。


 長身の青年だった。外套に身を包んでいるが、腰に剣をいているのは明らかで、間違って外の村や町の人間が迷い込んだというのは考えられなかった。

 なによりもその容貌が、のどかな農民とはほど遠かった。


 引き締まって鋭利な、だが少し繊細さを残した輪郭。高く形の良い鼻。長い睫毛は明るい色で、やや物憂さのある目元には吸い込まれそうな深さがある。血色の良い唇には気品が漂っていた。

 年は二十前後だろう。

 メディがかつて見たことのない美貌の青年だった。


 ――なのに一瞬、何か、懐かしいものを見たような気がした。


 青年の目が、繊細な新緑色だからなのか。


「……」

「……」


 完全に予想外の訪問者にメディは固まり、青年もまた戸惑っているような、驚いているような気配で立ちすくんでいた。

 奇妙な沈黙が落ちる。


 それをはじめに破ったのは、青年のほうだった。


「……その、あなたは……誰なのだろうか。なぜ、ここに?」


 秀麗な顔立ちとは裏腹に、声は低く耳をくすぐる。が、その口調には警戒と戸惑いのようなものが滲んでいる。

 メディはそこでようやく正気を取り戻した。怪訝な顔になって青年を見る。


「……それって、私の言葉じゃないでしょうか」

「! そ、そうだな。失礼した」


 とたん、少し慌てたように謝られ、青年は目を逸らしてしまう。高い頬骨のあたりにほんのりと朱色がさして、なぜかメディのほうがばつが悪くなった。


「ええと、まあ、驚いただけです。私はメディ。ここの小屋に住んでます」


 最低限のことだけを言うと、青年ははっとしたように目を戻した。気まずそうな表情を払い、とたんに目に光を取り戻している。


「あなた一人で? いつから? 他には?」


 前のめりになるような勢いで食いつかれ、メディはまたも面食らった。だが、ようやく、不安――警戒心のようなものがわいてくる。


 この青年は神殿の関係者なのだろうか。十年も経っているが、もしや疑われているか――調べられているなどといったことはありえるだろうか。


 メディが背を冷たくしながら沈黙していると、青年ははっとしたように言った。


「……すまない、名乗りもせずに。私はクロードという。人を探している。あ、いや、人というか……」


 言葉の後半で妙に戸惑いを表している。メディは無言で青年をうかがった。

 青年は見るからにそれなりの身分の者のようだが、気取ったところや威圧的なところはない。


「誰を探しているんです?」


 探るようにそう言ってから、唐突に、何か既視感のようなものを覚えた。

 十年前の記憶がふいに思い出された。

 しかしあのときの少年はとっくに帰している――。


「黒い、狼を探している。地獄の番犬のように大きくて立派な狼だ」


 ぴた、とメディは動きを止めた。


「……奇妙に思われるかもしれないが、十年前、私が子供の時にこの森で迷ったところ、その黒い狼に助けられた。黒い狼は私をある小屋へ連れて行った。それがここだったのだ」


 青年の声に力がこもり、ひときわ鮮やかに響く。


 メディは頭上に雷でも落ちてきたかのように感じ、声を失った。

 大きく目を見開き、青年を凝視する。

 まさか。このクロードという青年は。


(じゅ、十年前の――あの子!?)

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