訓練機の生活空間
この物語は、もしも
「科学的な要望より先に政治的な理由で日本が有人宇宙飛行船を運用」
というシチュエーションでのシミュレーション小説です。
2020年頃の各国をモデルにし、組織名もそのままだが、
個人や計画そのものにモデルはあっても、実在のものではない、
あくまでも架空の物語として読んで下さい。
訓練は二ヶ月が過ぎようとしていた。
特に閉所恐怖症を発症した訓練生は居なかったものの、非常に狭い空間に閉じ込められていた為、ストレスを抱えているのが判る者は居た。
訓練機は実機より狭い。
それは設計変更になるとか、実機が二回り程大きくなるとかよりも、無重力での使用と異なり側面や天井を歩けないからだ。
宇宙空間では上下左右は無いが、重力影響下では床と天井が出来てしまう。
その床に当たる平面に4人暮らしているのだから、狭くもなる。
更に、本番では往復に使う「ジェミニ改」も寝床に利用出来る。
無論、訓練機にも訓練機用の「ジェミニ改」は取り付けられているが、重力がある中で操縦シートで寝ると、一昔前の長距離夜行バス、某番組風に言えば「深夜バス」の座席で寝るような感じになる。
つまり、
「ね……寝れないんだよ……」
という状態になる為、使う訓練生はほとんど居ない。
一人、1号機の訓練生が
「自分、長距離バスとか飛行機のエコノミークラスとか気になりませんから」
と座席寝が好きな変人が居たくらいだ。
それもあって、1号機はパーソナルスペースが多少広くなり、全員ストレスが他よりも無いようだった。
通常は、生活モジュールとコアモジュールにある、カプセルホテルより一回り小さい個室が4、中間補給モジュールの「のすり」に2有る仮眠ベッド、そこで休養する。
輸送機がドッキングしている時は、荷物を運び出した後に、そこの仮眠ベッドも使える。
「この個室は改良した方が良い」
と、管制チームも設計チームも考えていた。
カプセルホテル未満、日焼けサロンのタンク以上の個室は、プライベートを確保する為に閉める事が出来るが、閉塞感が堪らないようで、全員開けて寝ている。
モニターでそれを確認した管制チームは、実際に「こうのとり改」で生活した宇宙飛行士に聞いてみたら、彼らもそうしていたと言った。
「あれは言っちゃなんですが、『棺桶の蓋』みたいなものですから」
訓練生にも聴取をすると
「暑い」
という返答があった。
「おかしいな? 宇宙では問題無かった筈だが。
放熱処理の問題か?」
答えは、無重力でほとんど筋肉を使わない状態と、重力下で足や腰の筋肉を使う状態では、後者の方が体温を上げやすく、狭い空間だと熱が籠るという事だった。
逆に頭に血が上る、というか下がって来ない為、宇宙の方が頭は暑く感じる。
「重力下の問題か」
「だからと言って、無視して良い意見じゃないですね」
当然、排気・排熱・エアコンは個室に施されているが、より快適なものに換えられる。
自宅待機、外出禁止を経験した設計チームは、
「合理的にコンパクトに、ではなく
無駄遣いでも余裕を持った設計に!」
と変わっている。
さらに設計チームは、軟式拡張モジュール、強化ビニール等の素材で宇宙に向かって拡張して作る空間をも有効活用しようとしている。
ここの空間は、実験を行ったり、生活空間として使用するにはもう少し改良が必要という評価だったのだが、
「何かに使う必要はありません。
ただ、その空間が有れば、それで十分でしょう」
と言っている。
(余程外出出来なかった事で鬱憤が溜まったんだな)
秋山はそう洞察した。
設計チームはまさにその「外出」用の空間をそこに作るつもりである。
本来、宇宙に出るには船外活動用の宇宙服が必要だ。
だが、そんな仰々しい恰好にならずとも、フラっと外を散歩したい気分の時もある。
そこで、実験モジュールや生活モジュールとは別に、何がある訳でも無い空間を用意する。
今までは何かに使う為に強度重視で考えていたが、強度は必要にしても透明な素材を使って、宇宙に飛び出しているような、外に出ているような感じを味わえるようにしたい。
狭い船内で、小さい窓から外を見るだけでなく、たまにはもっと大きく外を見たい。
ISSにだって展望用窓がある。
そんな感じで、何をするでもなく、ただそこに居てボーっとしてるだけでリフレッシュ出来る贅沢な空間を作るという事だった。
「それで、そいつは宇宙ステーション側でなく、『ジェミニ改』と共に飛行する『のすり』側に設置します」
「理由は?」
「まず、過去に一回実験済みなので、新規に設計する手間がありません。
第二に、何か故障があった場合、宇宙ステーション側のハッチを閉めれば危機は最低限に抑えられます。
そして第三に、『ジェミニ改』が移動中でも使えた方が、飛行士のリラックスに役立ちます」
「次のミッションはロシアのソユーズとのドッキングテストでしたよね。
そのミッションみたいに、宇宙ステーションは使わず『ジェミニ改』と『のすり』だけで運用される事もありますから、『のすり』に付けた方が良いでしょう」
「展望窓も、ISSの程大きなものではないですが、『のすり』に付けようと思います」
軟式拡張モジュールは、中が空気で満たされているだけなので、重心が伸ばした側に移動する事はない。
よって、慣性航行する機体から伸ばして使用しても、それで軌道がズレる事も無い。
「じゃあ、その方針でいきましょうか」
特に問題も無し、設計チームがやる気な以上、秋山は彼等に任せる事にした。
「しかし訓練生で、二次に進出出来るメンバーは、
次の訓練機の生活空間が一変しているのを見て驚くでしょうね」
「……訓練なんだから、不便な方が良いのですが……」
「それはプロの飛行士の方で、ミッション・スペシャリスト候補はそこまでは不要でしょ」
「それまでに設計を終えて、せめてモックアップまでは作っていないとな。
言い出した以上、間に合わせるように」
秋山が
(我ながら、他人に超過勤務を強いるような事言っているなあ)
と思いながらも、そう言って気を引き締めた。
とりあえず外部に作業を依頼するのが不安な昨今、やれる事を自分たちでやっておくのだ。