海外でも
この物語は、もしも
「科学的な要望より先に政治的な理由で日本が有人宇宙飛行船を運用」
というシチュエーションでのシミュレーション小説です。
2020年頃の各国をモデルにし、組織名もそのままだが、
個人や計画そのものにモデルはあっても、実在のものではない、
あくまでも架空の物語として読んで下さい。
アメリカは大都市圏は危険なようだ。
病死者が半端な数じゃない。
病院も病人を収容し切れない。
「ジェミニ改」後継機というか改造機というか、新バージョンの機体について担当している小野は、そのような地獄の真っ只中に
……いた訳ではない。
彼の住んでいる地域は、知名度の割に人口も少ないし、疫病も然程には蔓延していない、少なくとも今は。
それでも警戒中であり、見ず知らずの者から東洋人の小野に向けられる視線は差別の混ざったものだったが、
コミュ障気味で他人の事などどうでも良い彼にとって、どう見られていようが知った事じゃなかった。
他人の事などどうでも良い彼にとっての悩みは、既に完成した「ジェミニ改2」(アメリカではジェミニ2.2)の書類作成であった。
例によってアメリカ製品はマニュアルの束、契約書の束、許可証の束をファイリングしたバインダー10冊近くを伴っている。
この翻訳を一人ではやらない。
それこそ在宅ワークでは日本より進んでいるアメリカで、翻訳家を探すのは簡単なのだが、企業秘密も含まれている為、誰某適当には依頼出来ない。
信頼出来る者と、それでも機密保持の契約を交わす必要がある。
そして、出来上がったものを読み直し、役所提出用に書き直すのは小野の仕事なのだ。
更に、ある程度を抜粋し、乗り組む可能性のあるフランスやイタリア人用に操縦マニュアルを作らねばならない。
これは製作担当のB社には頼れない。
日本向けに製作したB社にとって、フランスやイタリアは適用外である。
このマニュアルの要約を作るのは小野の仕事となる。
要約さえ出来れば、フランス人もイタリア人も読めるから良いが、まずは要約を纏めなければならない。
そんなこんなで、小野はずっとマニュアル関係の仕事をしている。
書類を作成して、日本への報告やアメリカの政府機関に提出もする。
アメリカはともかく、日本は電子化が一気に進んだ感じだ。
どちらも「家から動くな、pdfファイルで寄越せ」と言って来る。
そして「署名をファイル内にちゃんと入れておけ」「セキュリティ考えるように」「暗号化」と今更ながらに言われるようになった。
(去年までは電子ファイルはともかく、紙の印刷物を渡せとうるさかった癖に……)
若い小野は電子化への対応が早い。
アメリカも問題は無い。
面倒なのは、今更うるさくなった日本であった。
『解凍出来ないんだが』
(パスワードは次のメールで送りました)
『なんで一緒のメールに載せないのか?』
(見られた時に一気に全部分かると困るでしょ!
分けて送れば、片方見られただけなら意味を為さない)
『どのファイルの解凍パスワードか分からなくならないか?』
(subjectにファイル通番入れてます)
『有った。
納得した』
しばらくして
『解凍出来ないので再送するように』
(違うPC使って下さい)
『解凍出来た、ありがとう』
(わざわざアメリカにメールで問い合わせないで、秋山さんたちに聞いて下さい)
『いや、こういうのは送った本人に……』
秋山たちは特に問題無く読んでいるが、bccで送られている上長たちが相変わらずアナログであった。
彼等は電子化電子化言っているが、最終的にはやはり紙媒体も求めている。
「分からんでもないな。
紙ってのは保存次第では電子媒体より余程長く維持出来るものだからね」
B社の同僚はそう言ったりするが、そんな高尚な理由では無いと小野は考える。
単に昔からのやり方から離れられず、政府も世間も電子化電子化言ってるから使ってみたものの、やはり紙も無いと寂しいのだろう。
添付ファイルで送った物を、光記憶媒体にも焼き、印刷物と共に国際便で日本に送る、何か無駄な事をしている気になっている小野だった。
アメリカも流行病は酷いが、フランスもまた酷かった。
イタリアも同様である。
そして、日本勤務でフランスからは帰国拒否を食らったミュラ氏もまた、専門外の事で多忙となっている。
日本の様子の報告である。
ピックアップしていたシェフの中から、日本行きを辞退する者が出て来たのだ。
シェフの中で、宇宙で料理をしないかという要望に応じただけあり、宇宙飛行士の訓練等には積極的な彼等なのだが、
「日本は随分と酷いと聞く。
どうせならアメリカの方が……」
と言い出してるそうだ。
「どう考えても、アメリカより日本の方がマシだ!」
ミュラ氏は、個々の問い合わせに答える。
「東京じゃ前月の10倍の感染者が出たとか……」
「そりゃ前の月は30人くらいだったからね。
今月は300人超す人もあるけど、
本国の数の10分の1に過ぎないんだが!」
「厳密に都市が封鎖されてないから、感染者が平気で出歩いてると聞くぞ」
「厳密な命令でなく、市民へのお願いに過ぎないが、
50〜70%の外出が減っている。
それに、隔離された研究施設で訓練するのに、
町の外出人数は何か意味があるのかね?」
「それは本当の話なのか?
日本のクオリティペーパーが、二週間後には東京はニューヨーク化すると言っているが」
「悪いが、日本にクオリティペーパーは無いぞ。
紙のサイズがデカいだけで
全部中身はタブロイド紙だ。
信じるな」
「それをママとワイフに説明してくれないか?」
「難問だ!
断る!」
イタリアからも似た問い合わせが来る。
イタリア宇宙局の派遣職員も苦笑いしている。
欧州は、日本が自分たちより酷いと「信じたい」とこがあり、それが偏見となっている。
かくして宇宙レストランのシェフ候補は4分の1に減ってしまった。