スペースドリップコーヒー
この物語は、もしも
「科学的な要望より先に政治的な理由で日本が有人宇宙飛行船を運用」
というシチュエーションでのシミュレーション小説です。
2020年頃の各国をモデルにし、組織名もそのままだが、
個人や計画そのものにモデルはあっても、実在のものではない、
あくまでも架空の物語として読んで下さい。
餃子に比べ、コーヒーは遠心分離機部門の得意な領域である。
サンプルはあっという間に出来た。
喫茶店でも使っているフラスコ状のコーヒー入れ。
その上に漏斗を置き、フィルターをつける。
そこにコーヒー豆とお湯を入れる。
密閉し、豆やお湯が飛び散らないようにしたら
「分速50回転! 重力1G、回転開始!」
でぶん回す。
そしてフラスコに抽出された黒い液体を、零れないように封をして取り出す。
「これをどう飲めと?」
「ストローで飲めば良いだろ」
「あんた、コーヒー飲みじゃないな!
どうしてホットコーヒーをストローで飲むんだよ!」
「宇宙じゃ無重力なんだから、他に手段ないだろ!」
「砂糖とミルクはどうするんだ?」
「これから考える!」
珈琲愛好家には、この遠心分離ドリップでもまだ物足りない。
豆から挽けないものか?
遠心分離部門は、豆を挽く「ミル」までは面倒を見ないと言っている。
「インスタントコーヒーをビニールパックに入れ、熱湯を注ぐアメリカ式で十分だろう?」
という頭なのだ。
それに、食事と違いコーヒー、紅茶の類は嗜好品だ。
アンチ炒飯党は少ないが、アンチコーヒー党はそれよりは多く存在する。
好みの分かれるものの為に、開発労力を割きたくはない。
遠心分離ドリップを開発しただけで、お釣りが来る筈だ。
この遠心分離ドリップは、紅茶にも、日本茶にも、スープや出汁取りにも応用は利く。
茶の木は栽培出来るかもしれない。
宇宙養鶏で鶏ガラも確保出来るかもしれないし、宇宙養魚で魚のアラや海草も得られるかもしれない。
しかし、コーヒー豆は特殊なのだ。
地球でもコーヒーベルトと呼ばれる北回帰線と南回帰線との間の地域でしか栽培出来ない。
そしてコーヒーノキに実が付くまでには数年を要する。
充分な降水量も必要とする。
宇宙で栽培するには不適当な作物なのだ。
だから、コーヒー豆を持ち込み、そこで飲む分には良いが、それ専用機を作る気はサラサラ無い。
茶葉もそれなりの加工を必要とするが、コーヒー豆は更に面倒だ。
機械乾燥機もあるが、それでも3日はかかってしまう。
という制約があっても、コーヒー党は諦めなかった。
無重力用コーヒーミルを開発し始める。
コーヒーミル自体はそう大きなものではない。
手動でも大丈夫だ。
そこで、無重力で下に落ちないなら、圧力をかけて押し出せば良いと、簡単な解決をする。
挽いた豆は、そのまま受け口につけられたパックに収納される。
そのパックを遠心分離ドリップ機に入れたら、挽きたてコーヒーが飲める!
コーヒーノキの栽培については、遠心分離チームの言う通りである。
というか彼等は、コーヒーを飲みたいのであり、育てたいのではない。
宇宙で栽培が不適当ならば、長期保存が利くようにして、複数種類を持っていけば良い。
ミルの開発までを行った彼等は、世界各地のコーヒーを扱う会社に資料請求をする。
当然、コーヒー大国アメリカと、カフェの国フランス、そしてエスプレッソの国イタリアの耳に入る。
「ミスターアキヤマ、JAXAではスペースドリップコーヒーのシステム開発と、
長期保存に向けた豆の選別を行っているとか?」
NASAの担当者からそういう連絡を受けた秋山は、少々恥ずかしくなった。
「申し訳ありません。
中型ステーション化のコアモジュールがまだで、変にやりたい事ばかり先走ってまして」
「プロジェクトチームを派遣する!」
「は?」
秋山はNASAから何を言われているか、解釈に困った。
下らない事ばかりしているJAXAへの指導チームが来るというのか?
「我々の組織についての問題でしたら、言ってくれたら我々で何とかしますが?」
「君たちの組織?
何を言っているんだ?」
「プロジェクトチーム派遣でしょ?」
「ああ、スペースコーヒープロジェクトだ」
秋山は眩暈がした。
こ・い・つ・ら・も・か!?
「我々NASAは2050年迄に火星に行く計画を立てている」
「存じています」
「数年がかりの飛行と滞在になる」
「ええ」
「そんな毎日にだ、朝のホットコーヒーが無い生活など考えられるか!」
「…………」
「君たちがやると分かった以上、止めはしない。
我々にも教えて欲しいのだ。
我が国のコーヒー屋も乗り気になっておる!」
「はあ……」
「その遠心分離ドリップ機も、送っていただきたい」
「今まで開発してなかったのですか?」
「今まではパックにインスタントと熱湯で十分だったのだ。
君たちがパンドラの箱を開けたのだ!」
「はあー、宇宙飛行士たちに欲が出てしまったと」
「そういう事です。
責任を取って、プロジェクトチームを受け容れて下さい」
同様の情報寄越せは、フランス(CNES)とイタリア(ASI)からも来た。
職員の派遣とかは無いが、我が国の方式も試して欲しい、結果を教えて欲しい、豆はどうするか教えて欲しいとの事だった。
元からJAXAに派遣されているCNESのミュラ氏は
「私はカフェの味には拘りがありまーす。
貴方がたは私を味見のメンバーに入れなければなりません。
フランス人の拘りが生み出す味は、きっと世界を、いや宇宙を魅了するでしょう!」
と強引にメンバーに入って来た。
そんな中、次回飛行では「パックの中にコンデンスミルクとロブストス種のコーヒーを使った、ベトナムコーヒー」を持っていく事が、どこかで勝手に決められていた……。
道理でここ最近、ベトナムレストランの経営者の出入りが多かったわけだ。
コメントで教えていただきましたが、
NASAは既にISSに特性ドリップコーヒー機を導入したそうです。
こっちの話で扱うのは、サイフォン式、ミルで一々豆を挽くものと別物にします。
別物であって、アメさん、サイフォン式にも興味あるって事にします。