普通のホテルでもVIP宿泊が決まったらそれなりに準備をするさ
この物語は、もしも
「科学的な要望より先に政治的な理由で日本が有人宇宙飛行船を運用」
というシチュエーションでのシミュレーション小説です。
2022年頃の各国をモデルにし、組織名もそのままだが、
個人や計画そのものにモデルはあっても、実在のものではない、
あくまでも架空の物語として読んで下さい。
日本の前総理、アメリカの前大統領訪問を前に、宇宙ステーション「こうのす」にはまたも短期滞在者が到着した。
前回同様、前大統領の宿泊施設の前乗り調査役である。
ただ今回は搭乗した宇宙船が異なる。
民間宇宙船をチャーターしたものではなく、オリオン宇宙船先行運用型、通称「オリオン・ゼロ」が使用された。
オリオン宇宙船はNASAの次世代宇宙船である。
本来の目的は月や火星探査、長期間の運用である。
低軌道を周回する中型宇宙ステーションへの往復なんて、贅沢な運用であった。
乗員が少ない分、居住性を相当に向上させている。
本来その居住性は長期滞在で苦痛にさせない為に使用されるのだが、それを荷物と豪華な内装用に使ったのが地球周回専用にカスタマイズされたオリオン・ゼロである。
ゼロの後、1以降は正規の使用をする予定だ。
そして、この宇宙船は正式運用に先立って「日米の仲を示すパフォーマンス」に使用される。
アメリカの考え方からいって、ぶっつけ本番での使用なんかはしない。
今回来たのは、無人試験を終えての有人試験機であった。
「おお、自力でドッキングしたよ」
「こうのす」滞在中の飛行士たちが今は見学をしている。
無人機は、自動ドッキングもやってやれない事はないが、万が一の事を考えてロボットアームで把持してのドッキング方法を採る。
アメリカの民間宇宙船もその方式でドッキングする。
無人機から発展したものであり、自動操縦によって飛行士に負担を掛けない、言い方を変えると特殊な訓練を受けた飛行士でなくても宇宙飛行が可能である事を目指した為、宇宙ステーションのロボットアームで掴まえてもらい方式とした。
一方でジェミニ改同様オリオンは、正規の宇宙飛行士が操縦する事が前提である為、ロボットアームに頼らずにドッキング可能である。
アポロ宇宙船やソユーズ宇宙船のような「計算された衝突」で凸凹連結をするのではなく、スペースシャトルと同じようにソフトタッチでの凹凹連結を行う。
そうしてドッキングして入船したのは2人のアメリカ人。
操縦を行う正規の飛行士と、設備を最終確認しに来た政府関係者であった。
現在「こうのす」では、2機のジェミニ改の内1機を多目的ドッキングモジュールに移動させていた。
そうしてコア2側のドッキングポートを空けている。
そこにオリオン・ゼロがドッキングした。
コア2側には新型宿泊モジュール「アネックス」と汎用観測モジュール「ホルス」が接続されている。
「アネックス」はアメリカが製作したもの、「ホルス」はアメリカ所有モジュールで入室もアメリカの許可無しでは出来ない。
科学実験モジュールを外して駐機ポートに仮接続している。
ここに大統領専用宿泊モジュール、通称「スペースフォース1」(通称とコールサインは同じものが使われる)を接続する。
今回の任務は、その接続とセットアップであった。
オリオン到着後、半日で「スペースフォース1」が「こうのす」のランデブー軌道に入って来た。
時間を掛けて「こうのす」本体に接近して来る。
そしてロボットアームの把持距離に入ると、船長が操作してドッキング作業に入った。
ドッキング作業中はアメリカ人飛行士も、政府関係者も特にする事が無い。
マツバラ料理長が作ったホットドッグを食しながら、作業の邪魔をしないよう待機している。
マツバラ料理長もオリオン宇宙船からの補給物資を受けて、料理に力が入る。
前大統領や随員用の食材が今回送られて来た。
今回の飛行士たち用の材料も、である。
挽肉とそれを使ったハンバーグやソーセージ、チキンウィング、シュリンプといったものの冷凍品である。
アメリカ人好みの料理の食材である。
今すぐに使うものもあるが、ほとんどは前大統領の訪問まで保存する事になる。
「肉類の補充はナイスだ」
野菜は宇宙で栽培し、そこで採種・播種を行って再帰的に何度も収穫している。
しかし豚肉や牛肉、羊肉は宇宙で得る事は出来ない。
鶏卵と鶏肉は再帰的生産の計画があるが、獣肉はまず宇宙ステーションのサイズ的にも無理だろう。
それだけに、肉好きなアメリカ人の端くれとしても、肉類の大量補充は有り難いのだ。
さて、連結作業は終わったようだ。
そして「スペースフォース1」のドッキングが終わった後から、今回来訪したアメリカ人たちの仕事が始まる。
「えー-っと、日本人立ち入り禁止か」
「まあ大統領の執務室になるモジュールだからね。
いくら宇宙ステーションの所有国とはいえ、他国の者が勝手には入れないだろうなあ」
ミッションスペシャリストたちは完全に高みの見物である。
自分の仕事もある為、ずっと見ている訳にもいかず、チラチラ見に来る。
一方、船長と副船長はアメリカの作業の手伝いをしていた。
電源との接続、通電。
空調の確認に二酸化炭素濃度の測定。
中には入らないが、本体側の端末を操作し、共同で確認作業を行う。
「オールクリア。
スペースフォース1は正常に機能する事を確認した」
「おめでとう!」
「じゃあ、電源を落とす」
折角立ち上げたモジュールだが、主がまだ来ていない。
空気供給はそのままだが、その他の機能は一旦落としておこう。
そしてその晩、持って来た食材を使った軽いパーティーを行う。
任務が終わり、「一杯くらいなら」と晩酌用に許されたワインを煽る。
緊張感から解かれた事と、無重力という事もあってアルコールの回りが速かったようだ。
普段は陽気、或いは静かに飲んでいたアメリカ人2人は、今回は愚痴を零しまくっていた。
「なんだって政治家のお遊びの為に宇宙まで出張せねばならんのだ!
訓練まで含めて、どれだけ官僚としての仕事時間を無駄にしたと思うのか、君たちに分かるか?」
「オリオン宇宙船はNASA期待のものだ。
その試験飛行に関わるのは飛行士として誇りである。
だが、そのきっかけが前大統領の観光旅行の下準備というのは納得いかない。
だが、その観光旅行が無ければオリオンのデビューはもっと後になったかもしれないし、何とも言えんなあ」
「私はなあ、今回の飛行に選ばれた結果、本番の飛行時には参加出来ない。
別に宇宙に来たかったのではない。
だが、どうせ行く事になるなら本番の方が良かった。
そうは思わんか?」
「我々の任務はセットアップし、問題が無いか確認する事だ。
決してあの部屋を使ってはいけない。
それは政府設備の私用になるからだ。
理解している、ああ、理解しているとも。
だが、なんだ、あの設備は!
宇宙船の寝床というのは、もっとこう不便なものではないのか!
日本の宇宙での生活を快適にというコンセプトは素晴らしい。
その恩恵には、宇宙に出る者全てが預かれるからな。
だがあの部屋は限られた者の専用になる。
しかも、この後またいつ使用されるか分からんではないか!
何かモヤモヤした気分になる!」
周囲の日本人飛行士たちは思った。
(ああ、アメリカの現場担当者たちも、このミッションは面倒だと思っていたんだなあ)
愚痴が出る出る夕食会は、この後もうしばらく続くのであった。