病人もこの場合は良いサンプル
この物語は、もしも
「科学的な要望より先に政治的な理由で日本が有人宇宙飛行船を運用」
というシチュエーションでのシミュレーション小説です。
2020年頃の各国をモデルにし、組織名もそのままだが、
個人や計画そのものにモデルはあっても、実在のものではない、
あくまでも架空の物語として読んで下さい。
宇宙飛行士は滅多に病気にならない。
兆候を見て、少しでも怪しい場合は任務から外すからだ。
宇宙ステーションという閉鎖空間に、病原菌をばら撒くような者を送るのは悪夢である。
だが、宇宙酔いというのは人によっては防げない。
無重力というものがもたらす病で、頭に血が集まり過ぎるとか、足に設置圧が無くなる為違和感を感じるとか、視覚情報が上下を判断し得ないとかで、起こるとされている。
宇宙飛行士の75%が経験するという。
これまでのミッションは、長くて1日程度であった。
我慢しようと思えば出来たし、狭い座席に座り、床に足を置く事もあった為、若干具合悪くはなったとは言っても、地上に降り立つ頃までは耐えられた。
今回は、打ち上げて丸1日ドッキングの訓練、次の2日目はドッキング状態から宇宙ステーション内の各種チェック、その後の入室であった。
3日目であり、宇宙食も食欲不振で食べていない。
既に宇宙酔いの兆候は出ていたが、無理に食べて寝て、ついに吐き気とむくみとなって現れたようだ。
谷元飛行士は目が良いだけに、余計に上下の無い空間で違和感があったのかもしれない。
さらに
「目を瞑っていても、無数の光が瞼の中に入って来る」
と、宇宙放射線の影響についても語っている。
日本独自宇宙ステーションで、初めて出た病人となった。
ベテランのライナー飛行士が同行しているのが心強い。
まず、嘔吐したものがトイレに吸い込まれなかった事から、異臭がするかと聞いてみた。
手際よく清掃した為、大丈夫なようだ。
まだ酸っぱい臭気が漂っていたら、所謂「貰う」事も起こり得る。
谷元飛行士の容態だが、頭痛は激しいようだ。
任務においては、細かい計器の数字を見ると眩暈がするそうだ。
熱は微熱。
耳鳴りあり。
ライナー飛行士が製氷機の中にある氷嚢を持って来て、目の上の辺りから頭に巻き付けて、谷元飛行士の症状が少しでも収まるようにしている。
食欲は相変わらず無い。
昨日のように無茶ブリはせず、栄養剤だけ飲ませる事にした。
ライナー飛行士が言うには
「明日か明後日には収まるよ。
でも、データ取るなら今の内かな」
という事で、疲れが出て来たのと、3日くらいまでに症状が出る宇宙酔いが重なって、ちょっと重い感じになっているそうだ。
こういう日は注意力散漫になるから、疲れを取る意味でも休ませる。
谷元飛行士が氷嚢を目の上にあてて休んでいる。
どうも目の疲れからなようで、無意識に目を治すように動いている。
そんな中でもライナー飛行士はミッションを継続している。
自分の体にセンサーをつけて、収納庫からバイクを出して組み立て、ペダルを漕いで運動をする。
船外に出して動作させている機器の生存を確認する。
太陽電池の出力、酸素残量、室内の二酸化炭素濃度を定期的にチェックする。
レーダーと肉眼で、定期的に周囲のデブリの軌道を調べる。
とりあえずタフの一言だ。
そのタフな飛行士が言った通り、翌日になると谷元飛行士は快復する。
具合が悪かった時期の事で、要求を確認すると
・点眼剤が欲しい
・目がチカチカしないアイマスクを開発して欲しい
・マッサージ機無いかい?
・ちょっと湿度が低過ぎる気がする、渇き目な感じがある
・外を見たいから、窓がもう少し大きい方が良い
「全部目に関係する要求だね」
「だが、目から来る疲労と、目から来る宇宙酔いがあるなら、検討すべき内容ですよ」
「マッサージは……ライナーさんにやって貰う訳にもいかないしなあ」
「いや、素人がやるとかえって揉み疲れが起きます」
「あと、重力無いとちょっとの力で動いてしまって、上手くいかないかと」
「目の疲れは手の親指の付け根辺りを揉むといいと言うけど」
「それだと宇宙でもズレたりはしないか」
「肩こりとかどうなんだろ?」
「肩こりはむしろ無くなるんじゃないか?
肩の筋肉、下にかかる力が無くなるから」
「いや、でも固まって寝ると、やっぱ凝るんじゃないかな」
NASAの派遣職員が秋山に聞く、
「彼等は何を必死に話しているんだい?」
「マッサージについてだ」
「重要なのか?」
「今回は多分重要だと思う。
というのも、無重力になると血流の滞りとか出るから、どこかに不自然な痛みが出ると思う。
NASAの方ではその辺、研究してないのですか?」
「私たちは、貴方がたが言う程に肩こりってのが有りませんから」
「羨ましい事だ。
我々日本人は肩こりと眼精疲労に、ほぼ毎日悩まされているのだから」
やがて
「鍼は流石に危険か」
「専門の鍼灸師を宇宙に送らないとダメだろ」
「お灸なら大丈夫だね」
「煙出ないタイプもあるよね」
「加熱はするが煙の出ないタイプのお灸は、今後必要かもしれない」
「次回の検討課題にしておきます」
「低周波マッサージ機は?」
「嵩張らないなら持って行っても良いかも」
「空気圧で足マッサージする奴は?」
「足は無重力だと、むしろ血が減る方じゃないか」
「そうなると血圧は?」
「心臓が負担少なくなるから、下がるぞ」
「空気圧で血流循環を良くするのはどうだろう?」
「それ、嵩張るんじゃないかな」
「血流って言ったら、やっぱ風呂だな」
「風呂だな」
……そこに落ち付いたか……。
次回は簡易灸や低周波マッサージ機を持って行かせようという事に話がまとまった。
「つくばより『こうのとり改』どうぞ」
「『こうのとり改』です、どうぞ」
「風呂入った?」
「これからだ」
「センサー忘れるなよ」
「了解」
風呂と言っても、ロッカーサイズのシャワー室でぬるま湯を浴びるだけの代物である。
それでも、センサーは血流の改善を示し、多少谷元飛行士の体のこりが改善されたように感じられた。
シャワー室から出る前に、温風乾燥機にスイッチを入れて水分を飛ばす。
出て来た谷元飛行士に聞いてみた。
「熱い湯にしてくれよ!!
あんなんじゃ、かえってストレス溜まる!」
シャワーの設定温度についても討議課題に加わった……。