日本人は食べ物の事以外では滅多に怒らないと言うが
この物語は、もしも
「科学的な要望より先に政治的な理由で日本が有人宇宙飛行船を運用」
というシチュエーションでのシミュレーション小説です。
2020年頃の各国をモデルにし、組織名もそのままだが、
個人や計画そのものにモデルはあっても、実在のものではない、
あくまでも架空の物語として読んで下さい。
4機目のモジュールの話である。
コアモジュール上部のAポートには、今の「こうのとり改」が居住区として連結される。
コアモジュール下部のBポートには、エアロック兼ロシア機ドッキングポート兼倉庫が着く。
コアモジュール左右のCポート、Dポートのどちらかには輸送機「こうのとり」を接続する。
残ったC、Dどちらかに繋げる4機目の構成について、秋山たちは喧々諤々な議論を重ねている。
本日の課題は「生卵」であった。
「長期宇宙飛行の為、養鶏を船内で行うという案がある」
「鶏なんざ細菌の塊じゃないの?」
「農学部に行ってみろ! 無菌鶏なんていくらでもいるぞ」
「それで、その無菌鶏を汎用モジュールで飼って、常に新鮮な卵を得るという実験案だ」
「誰が鶏の世話するんだ?」
「そりゃ、言い出しっぺだな。
実験を募集した時に案を出した、この大学生、いや院生にやって貰うさ」
「うるさいだろ、コッコッコッコ、毎朝鳴き続けるだろ」
「その為の隔離モジュールです」
「奴ら、糞とかバンバンまき散らすぞ。
臭いぞ。
うちは田舎で軍鶏飼ってたから知ってるぞ」
「その為の隔離モジュールです」
「そんで、生卵をどうするの?」
「食うだろ、常識的に考えて」
(ウッ…………)
聞いていたアメリカ人スタッフが気持ち悪がる。
日本人気にしない。
「卵かけご飯は独自実験の一個だし、我々のアイデンティティだからな」
「ちょい待て、いつからアイデンティティになった?」
「それは置いといて、卵かけご飯の実験もついでに出来るし、養鶏モジュールは有りだろ」
「毎日それじゃ嫌だろ」
「私は嫌ではないが」
「特殊な意見を全世界共通のものと思うな!」
「じゃあ何が言いたいの? 意見を言って!」
「卵料理専門のシェフに頼んで、宇宙行って貰わない?」
「伝手は有るのか?」
「実は有る。
だから言ってみた」
「てことは、最大4人滞在するとして、養鶏実験担当とシェフと、後2人は一般業務で、いけるか」
「いこう!」
「で、NASAとしての意見はどうでしょう?」
話を振られたアメリカ人は
(どうしてこいつらは、どうでもいい些末事項でこんなに盛り上がるんだ?)
と疑問視していたが、
「ベーコンエッグは出るのかい?」
と思わず聞いてみた。
「オフコース!!」
「では鶏についてはNASAと航空安全委員会の他に、検疫の方にも書類を出そう」
「どうしてアメリカに持ち込む訳でも無いのに、検疫が必要なんだ?」
「情報共有だよ。
宇宙に持っていくものはチェックしているんだが、宇宙で生まれた卵とか想像していなかった。
だからあらゆる方面に情報は出しておく必要はあるんじゃないかな」
「了解しました。
書類取り寄せましょう」
(マジか、こいつら。
食事の事になると目の色変わるなあ)
普段は書類業務、嫌いはしないが自分から増やそうとは絶対にしないのに。
「ついでですから、こっちも一緒に出来ませんかね?」
「なになに、ああー、養魚か」
「貝や海草もです。
海草は上手くいけば酸素生成にも使えますし」
「そして魚は、成長したら食す」
「だが、焼き魚は大いに煙が出るぞ」
「煮りゃいいだろ」
「焼き魚が有ってもいいだろ!」
「煮魚で我慢しろよ」
「いいや、そんな事言われたら、絶対に焼き魚作る機械を用意する。
秋山さん、いいですね?」
「NASAではどうでした?」
「えーーっと、君たち電子レンジ持ち込むのも前提になってるが、あれもアメリカでは本来NGなんだぞ」
「な、なんだってー!」
「ISSに積んでるのは電気加熱器や温水装置で、レトルトパウチを温めるだけ。
なんで煮魚とか焼き魚とか考えるかな。
さっきのスクランブルエッグもだが、加熱調理の時点でNG食らうと思う。
そういうのをクリアする調理器具を発明する事に時間を費やすより、もっと有意義な事に時間使わないか?」
「IH調理ならいけるんじゃね?」
「ノンオイルフライヤーとか」
「電気圧力鍋も有るぞ」
「無水鍋っての使えそうだな」
「ホームベーカリーもな」
「おいおい、特殊な調理器具は持ち込めないんだぞ」
「今言ったのは、そこらの安物量販店で売ってるものだ!
サンプルとして欲しいなら送るから、どれ欲しいか言って下さい」
「マジかよ、日本人……」
日本のレトルト食品は2、3の修正だけでNASAの宇宙食としてOKが出ている。
家電製品も特殊なものではなく、必要なら5種類くらい買ってアメリカに送り、そこで宇宙で使用出来るかどうか試せば良い。
……というよりも、既にアメリカに輸出されているから、社名と型番だけ言えば、アメリカでも買ってチェック出来る。
食事に余り拘らず、毎日大体決まったメニューと栄養剤飲んで過ごしているこの職員は、普通の日本人がここまで簡単に電気調理器具を手に入れられるというのを、意識すらしていなかった。
そうこうしているうちに、日本人の話題は養魚設備の利用について、更に進行していた。
「鰹節を作るのは無理にしても、煮干しくらいなら」
「海草はフノリとかアオサとかかな。
ワカメって栽培出来ないか?」
「貝は浄水機能からもシジミやアサリがいいなあ」
「となると味噌汁ですか!」
「味噌か!
それも宇宙で作れないかな」
「いいですねえ。
味噌作れるんなら醤油も」
「待て!
お前ら、味噌・醤油の分離の段階で重力が必要だ。
そう簡単には……」
「遠心分離機が有るではないか」
そして話が風呂に戻った。
「遠心分離機っていうか、ああやって疑似重力作れるなら、それで普通に湯舟につかれないか?」
「あ!」
「盲点でした」
「でも、内径4.2メートルの船内で回転させれば、目を回しますよ」
「将来の話にしよう。
浴場モジュールを作って、長い支柱の先に接続し、入浴中は回転させれば、大パノラマ浴場の完成だ」
「おおー!
直径を大きくすれば、回転の角速度は小さくて済みますしね」
「別に1Gに拘らずとも、0.4Gくらいでいいぞ。
地表の3分の1でも重力が有れば、湯は普通に湯舟に入れられる」
「往復のエレベーターで、湿気の多い浴場モジュールと湿気厳禁の本体を隔てて、移動中に完全に乾かせば良いわけですからね」
「将来はその方向で考えてみよう」
「異議無し!!!!!!」
その晩、NASAには
「日本人は食事と風呂には妥協しません」
という報告が送られたと言う。