空の上で食べる母国料理は格別だ
この物語は、もしも
「科学的な要望より先に政治的な理由で日本が有人宇宙飛行船を運用」
というシチュエーションでのシミュレーション小説です。
2021年頃の各国をモデルにし、組織名もそのままだが、
個人や計画そのものにモデルはあっても、実在のものではない、
あくまでも架空の物語として読んで下さい。
フィリピンという国は、20世紀になるまでスペインの植民地であった。
その後の歴史は語らない。
スペインの影響は食生活にも及んでいる。
よってイタリアンのアントーニオ料理長は、とりあえずスペイン料理を作って、フィリピン人飛行士用の振る舞いとしていた。
多くが中東系な為、そちらが主となる食事になっていたが、決してフィリピン人も蔑ろにはされていない。
だが、そろそろ本家のフィリピン料理に挑戦する時だ。
小型衛星放出という一大任務を終了させた彼への労いもある。
この食後に、本国フィリピンとの通信も控えている。
料理長は食材と調味料を見ながら、頭をフル回転させる。
フィリピンの料理で美味しいと言えば「レチョン」があるが、これは無理だ。
なにせ「豚の丸焼き」なのだから。
ムスリム4人への配慮のみならず、流石の厨房モジュール「ビストロ・エール」をもってしても、豚の丸焼きを作れるコンロは無い。
もし有るなら、無重力特有の油が垂れない、ずっと同じ場所に留まるという特性を生かした新境地の料理になるかもしれないが、今は言っても意味が無い。
「シニガン」というスープは作りやすい。
材料も肉(魚肉、牛肉、鶏肉が可能)とトマト、ニンニク、玉ねぎ、オクラ、大根 、空心菜、ナスで良い。
宇宙ステーションに無い野菜もあるし、先日輸送機で送られたものもあり、そこは料理人の腕一つだ。
ただ、アクセントに乏しい。
本場なら酸味にグアバ、カラマンシー、スターフルーツ、熟していないマンゴー等を使うが、それは流石に宇宙ステーションに存在しない。
代用品を使う事になる。
味の決め手のキダチトウガラシ、日本では沖縄の島唐辛子、タイではプリッキーヌという品種がある、これも無い。
カプサイシンが多く、刺激が強いトウガラシは、下手な処理をすると催涙ガスになってしまう為、廃除されているのだ。
従って、フランス人好みのカイエンヌペッパー、日本人の一味唐辛子くらいしか宇宙ステーションには持ち込まれていない。
余談だが、トウガラシの中で気圧の低い高地で育ち、生長期が短いエスパニョーラ唐辛子は、NASAが宇宙栽培の候補としている。
アヒとも呼ばれる。
このトウガラシは受粉しやすく、高濃度の二酸化炭素環境でも生存出来る為、火星探査の際に役立つと考えられている。
そして、コロンブスの頃からヨーロッパに持ち込まれた種であり、ハバネロとかブートジョルキアのような嫌がらせのような激辛でもない。
NASAはこのトウガラシからビタミンを得られる事を期待している。
フィリピン料理で代表的なもの、「アドボ」を作る事にした。
アドボは肉や野菜の煮込み料理で、酢を使うから「マリネ」の意味のスペイン語から来ている。
スペイン料理とフィリピン料理共通の料理だ。
ただ、フィリピン料理の方は材料に骨付きの鶏を使い、野菜にもタケノコといったアジアならでは食材を加えたりする。
好みで唐辛子、ココナッツミルクなどを加えたりもする。
これならヨーロッパ料理の手法を使いながら、フィリピンならでは味を再現する事も出来よう。
という訳で、二品フィリピン料理を作り、あとは以前にも作ったデザート・ハロハロを提供する。
スープは、食材をパックの吸い口を通る大きさに刻み、電熱器で煮込む。
酸味として、前任が遺していった梅干を流用しよう。
先日輸送機で送られて来た調味料も、遠慮なく使わせて貰おう。
アドボはニンニク、醤油、砂糖、黒コショウの味付けで鶏肉を宇宙風照り焼きにする。
宇宙風照り焼きとは、中空に浮かせて炙り焼きをするのだが、その状態で浮いた食材に刷毛で少しずつ重ねて照り焼きダレを重ね塗りする手法だ。
重力下フライパンで焼くのと違い、多く塗り過ぎると熱がタレを蒸発させる方に使われ、中の食材への熱の通り具合が悪くなる為、薄く塗るのを繰り返すのだ。
アドボはシチュー風にする場合と、ほとんど汁を残さずに照り焼き風のものを残す場合とがある。
無重力で汁気が多いのは好まれないし、スープが既にある以上、汁物2品重ねたくもない。
フィリピン風に米の上に乗せる(無重力だから単に置いただけだが)よう、汁気を飛ばしたものに仕上げた。
米の炊き方については、地上スタッフが良い知恵を出してくれた。
パサパサしているのが特徴のフィリピンの長粒米だが、これに同じくフィリピン米の「ピリット」という品種を混ぜて炊く。
普通の長粒米のように鍋で煮るのではなく、日本風に炊飯器で良い。
そして炊きあがってから蒸らす。
これで長粒米でありながら、ねばりのある日本風になるという。
かくして夕食が出来た。
フィリピン人飛行士は大いに感動した。
「私の国は無視されているかと思いました」
「そんな事無いって、理解して貰えましたか?」
「あなた方に感謝します」
実際、無視はしていない。
人数と戒律的に食べられない食材の関係で、中東・ムスリム風を優先にしていただけだ。
東南アジアの飛行士が増えれば、食卓はもっと南国風になろう。
……スペイン料理の影響を受けたフィリピン料理以上にアジアの味が強くなれば、料理担当のアントーニオ料理長の手に負えなくなって来るが。
食後、フィリピンとの通信の時間が来た。
飛行士は大統領や教育相、大学や工専との中継で、衛星放出任務の詳しい手順と、その後に受けたもてなしについて饒舌に語った。
宇宙で食べた母国料理は、テイストはやや違ったが、それでも心に沁みる、と。
大統領は非常に満足し、流石は日本総理、我が友人の気遣いだ、と国民に向けて配信した。
日本の総理も納得であろう。
後に編集され国営放送で中継されたものを見て、多くの少年少女が夢を抱いた。
宇宙飛行士になって、宇宙で美味い食事をするんだ!と。




