第2章 1
桜木は、病院から出た後、駐車場に向かった。桜木は十四歳だ、運転免許はない。タクシーを待たせていたのだ。桜木はタクシーに乗り込むと、伊達家の住所を運転手に告げた。伊達家は有名なので、運転手は迷わずその場所へ向かうことができた。
桜木は、伊達家に着くと、ポケットからクシャクシャの一万円札を掴めるだけ取り出した。そして運転手にそれを差し出し、またここで待っているように告げた。運転手は「わかりました」と言いながら、一万円札を一枚一枚丁寧に広げ始めた(十万円近くあった)。桜木は運転手の返事を聞きもせず、外へ飛び出した。
伊達の屋敷は、森の中にあり、敷地内は柵に囲まれている。柵の正門は開け放たれており、立ち入り禁止のテープが道を塞いでいた。パトカーが何台か敷地内に停まっているが、警官の姿は見えない。
桜木は、当然のようにテープをくぐり、敷地内に入って行った。
正門から玄関まで、芝生の中に道が作られていた。その道は、玄関前でロータリーを作っている。そこまで歩くだけでも、うんざりするほど遠い。桜木は、テープさえなければ、タクシーをここまでよこせたのに、と警察を恨んだ。
しかし、目的は玄関ではなく、墜落した飛行機だ。桜木は墜落した飛行機をどうしても見たかった。
桜木は玄関には向かわず、屋敷を回り込み、瓦礫が散らばっている庭へと向かった。
野球ができるほど無駄に広い庭は、爆発によって吹き飛ばされた瓦礫でいっぱいになっていた。その庭に面した屋敷の壁は、大きくえぐられており、そこから、屋敷の中に穴を掘っていた。まるで、巨大な虫が、屋敷を食って行ったようだ。壁が何重にも貫かれ、その奥に飛行機の断片が見えた。
「あは、すっごい……」なかなか見れない光景に、桜木は感嘆の声を上げた。
桜木は、楽しくなって、飛行機の元へ走って行った。瓦礫につまづき、転び、頭をぶつけ、そこから血が出ても、飛行機から目を離さず、笑いながらかけて行った。
そして、飛行機の後ろ半分がある場所についた。飛行機は、傾き、羽を床にめり込ませている。羽が床に爪痕を残しており、それが飛行機の軌道を示していた。
周りで鑑識たちが、現場検証をしている。桜木は全くそれに構わず、飛行機のそばに駆け寄り、床にめり込んだ羽を登り始めた。
「おっと、メガネかけないと……」桜木は、言いながら、ポケットからメガネを取り出し、かけた。
そして、窓をしっかり見つめた。壊れたエンジンも見つめた。窓には、たしかに手形が付いている。しかもたくさん。桜木は手形を人差し指で触り、見つめ、匂いを嗅いだ。ハンドクリームらしき薬品の匂いだ。
「手形つけたままなんて、バカだなぁ」
桜木がそう呟くと、後ろから両脇に手を入れられ、体を持ち上げられた。
「こら、ここは危険だから入っちゃダメだよ」鑑識だ。
鑑識の兄貴は、桜木を簡単に持ち上げ、床に下ろした。そして、近くにいた警官に、桜木を退去させるように頼んだ。
しかし、桜木は、今見ていた反対側も見たかった。そこで、伝家の宝刀を抜くことにした。
「見たいのーー! あっち側見たいぃぃ! 見るだけだからーー!」と泣き叫び、地団駄を踏んだ。つまり、子供のフリだ。
「しょうがないなぁ、見るだけだからね。触っちゃダメだよ? 見たら帰ること」鑑識は中腰にかがみ、桜木に目線を合わせてくれた。
「やった、ありがとう!」桜木は無邪気な笑顔を構築し、ぴょんぴょん飛び跳ねた。
鑑識の兄貴は、桜木が勝手な行動を取らないよう、手を握り、飛行機の反対側に連れて行った。
桜木は眼鏡を通し、飛行機を見た。窓に沢山手形が付いている。猫型の跡もあった。
桜木は「わあー」と子供のように感動した。しばらく眺めていると、鑑識の兄貴が「もう気は済んだ?」と確認してきた。
桜木は「うん!」と大げさにうなづいた。
「じゃあ、帰ろうね」鑑識の兄貴はそう言うと、桜木の手を引き、外へ連れ出した。今度は玄関からだ。
途中、パトカーの前に来ると、鑑識は立ち止まった。「ちょっと待ってて」と言い、桜木を置いて、そばにいた警官に頼み、パトカーのトランクを開けてもらった。
鑑識の兄貴はパトカーから、救急箱を取り出した。そして、救急箱の中から、消毒液と、絆創膏を取り出した。
「お嬢ちゃん。君、おでこ怪我してるよ。こっちにおいで」
桜木は、おでこに触れ、指についた血を確認した。そして、鑑識の兄貴に言われるがまま、彼に歩み寄った。
「ここは瓦礫が多いから、危ないんだよ。転んだんでしょ?」
桜木はうなづいた。
鑑識の兄貴は、綿に消毒液をつけ、それを優しく桜木のおでこにポンポンと当てた。傷に消毒液がしみるが、桜木は全く動じない。無表情で鑑識の兄貴を見つめた。
「我慢できて偉いね」鑑識の兄貴は、言いながら絆創膏を開き、桜木の傷に貼った。「よし、これでオーケー!」鑑識の兄貴は、桜木の頭をポンポンした。
「ありがとうございます」桜木は、少し不機嫌そうに礼を言った。
桜木は、人の優しさが苦手だった。桜木は、計算能力がずば抜けており、人の行動はほとんど予測できる。しかし、優しさや親切に関しては精度が低かった。
さっき、自分の手を引いて、飛行機を見せてくれたのには、さっさと桜木を納得させ、ここから出て行って欲しいという感情があったに違いない。
しかし、今回の怪我の治療は、鑑識の兄貴には全く得がない。さっさと桜木を外に出して、仕事に戻りたいはずだ。でも、小さな子供(中学生だけど)が怪我をしていたら、本能的に心配してしまい、手当ができるなら、してしまうのが、普通の人間なのだ。
桜木にはその感情が全く理解できなかった。機械的には理解できる。小さな子供が怪我をしていたら、人間はなぜか、大人が怪我しているよりも、かわいそうに思うものだ。問題なのは、そこからの行動だった。
治療を率先して行う人間と、そうではない人間の違いが、桜木にはどうしても計算できなかった。
今回、鑑識の兄貴の性格を、顔や、動きから分析し、子供のように駄々をこねれば、飛行機を見せてくれると言うことは計算できた。実際そうだった。しかし、自分を治療するとは思わなかった。パトカーから、救急箱を出した時になってやっとわかったのだ。
桜木はそれが悔しかった。
次こそは優しさも計算して見せると、心の中で誓った。
鑑識の兄貴に見送られながら、桜木は正門のテープをくぐり、タクシーに乗った。
桜木はスマホを取り出し、マップを開いた。そして自宅の住所を表示し、運転手にそれを見せた。
「この住所までお願いします」
「えーっと……ああ、マナタウン(大型の商業施設)の近くですね」運転手は、そういうと、桜木の顔色が悪いことに気づいたようで「何か、嫌なことでもあったんですか?」と聞いてきた。
桜木は運転手の質問も計算できていなかった。これは、鑑識の兄貴のせいで、考え事をしていたからだ。桜木は気を取直し、「いえ、いいことがあったんです」と返した。
自宅に着くと、桜木は運転手に「いくらですか?」と聞いた。運転手は「さっきもらった分で十分です」と言って、何度払いますと言っても、頑なにお金を受け取ろうとしなかった。桜木は、この運転手の答えを予測していた。自分の予測が外れなかったことに少し安心し、桜木はタクシーを降りた。
桜木の自宅は、住宅街にある小さなアパートだった。一つの階に三部屋あり、二階建てだ。ベランダの下部の角から、水が滴った跡が黒く残っており、ところどころペンキが剥がれている。地区20年は経ってそうな見た目だった。
桜木は二階の真ん中のへやに入って行った。そこが桜木の作業室だった。両隣は桜木の寝室と倉庫。一階は全部屋、桜木が設計した発電機や、サーバー、発明品、おもちゃの倉庫だ。つまりは、このアパート全てが桜木のものだった。大家も桜木だ。
アパートの駐車場には、車が6台(部屋の分)止められるだけのスペースがあり、3台の車が停まっていた。これは、住民が複数いると思わせるためのフェイクだった。車種も、軽自動車、家族用のワゴン、そして、ありがちなプリウスだ。
桜木の作業室は簡素なもので、机、冷蔵庫、隅にはなぜか、点滴スタンドがある。ただし、机は大きく、上には、パソコンの画面が三つ、リモコン、加湿器と、常人には理解できないあらゆる機械が置いてあった。机の位置も珍しく、クローゼットに向かって置かれている。クローゼットの隙間からは、コードが何本も出て、パソコンや、ほかの機械につながっていた。
床は灰色のマットで覆われていて、開けられたことがないカーテンも灰色だ。
部屋に入った桜木は、まず照明をつけ、エアコンを二十度に設定した。今は11月なので少し寒いのだ。次に加湿器をかけ、コンロにやかんを置き、お湯を沸かし始めた。湯を沸かしている間に、桜木はクローゼットの引き戸を開けた。
クローゼットの中には、ありとあらゆる機械がパズルのように敷き詰められていた。実は、これがパソコンの本体なのだ。机に置いてあるのはただの画面である。
桜木はパソコンの起動ボタンを押した。すると、パソコンたちは目をさまし、ファンが回り始める音とともに、ポツポツと明かりがついた。
やかんがお湯が沸いたと泣き始めたので、桜木はコンロを止め、お湯を魔法瓶の中に入れた。それを机の上に置き、コップにお湯を注いだ。
それをそのままにし、服を脱ぎ始めた。下着も脱ぎ全裸になると、脱いだ服を綺麗にたたみ、冷蔵庫の中に入れた。身につけているものは、眼鏡だけと言う変態ぶりだ。代わりに、タオルを二枚取り出した。肌触りのいいお気に入りのタオルだ。それを、パソコン前の椅子にかぶせた。座る部分と、背もたれの部分だ。
椅子の座り心地を確かめ(冷蔵庫で冷やされていたため「うひゃあ」という声が出た)。「よし」と一言言い、桜木は再度、冷蔵庫に向かった。
冷蔵庫から取り出したのは、点滴だった。食事を取れない患者が、血管から栄養を取るためのものだ。
桜木はそれを手に取り、部屋の隅にあった点滴スタンドにつけた。そして、腕をガーゼで消毒した跡、点滴を自分の左腕に刺し、テープで固定した。
桜木は点滴スタンドを机のとなりに持って行き、椅子に座った。そして、リモコンで照明を操作すると、部屋の明かりは、パソコン周辺だけになった。桜木の舞台がつくられたのだ。
「よーし準備完了」桜木はそう言うと、ポケットから、スマホを取り出そうとした。
もちろんポケットはない。全裸だからだ。ここに女子限定のポケットがあるから、そこに入れられればなぁ……と桜木は思い、一人でにやけた。
桜木は自分の間抜けさにため息をつきながら、点滴スタンドを引き連れ、冷蔵庫の中の服をあさり、ポケットからスマホを取り出した。
椅子に戻り、パソコンにスマホをつなげた。
このスマホには、あらゆる情報が転送されており、桜木が眼鏡を通して見た映像も入っていた。そう、眼鏡にはカメラがついていたのだ。
桜木は、眼鏡の映像をパソコンに取り込み、それを再生した。
今日、病院で黒菜と会った時の映像が、真ん中の画面に映る。黒菜が別れ際、手を振っているところだ。桜木は、マウスを操作し、黒菜の手のひらがしっかり映っている場面で一時停止した。
そして、黒菜の手を拡大し、それをスキャンした。すると、右隣の画面に、黒菜の指紋と手形が、詳細に表示された。
次に、飛行機を見たときの映像を確認した。窓についた手形を、さっきと同じ要領で分析する。その手形の詳細が、左側の画面に表示された。
桜木は、無表情でマウスを操作した。
飛行機の手形と、黒菜の手形が一致した。
桜木は、ニッコリと笑った。瞳の中にパソコンの画面が映り込む。
「もしかして、空も飛べるのかな? ふふふ……」桜木は、手を擦り合わせ、身をのりだし、ものすごいスピードでキーボードを打ち始めた。