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桜木は、伊達と黒菜との口論のあと、墓場から自宅までテレポートをした。
蘇生魔法の実験をする前に、うっかり裸のまま墓場まで行ってしまい、慌てて自宅に帰り、服を着てから再度墓場に行った。その時、めがねを忘れてしまい、自宅に取りに戻り、再度墓場に来た。その移動を、全てテレポートでしたのだ。もうテレポートには慣れていた(取り寄せ魔法の事は、うっかり忘れていた)。
アパートの一階の真ん中、物置にしている部屋に入る。
そこには、普通の人間には理解できないであろう機械類、液体、薬品などが雑多に置かれていて『足の踏み場だけ確保しました』という感じの部屋だ。
桜木は、その機械類たちを乱暴にどかし、歩みを進めた。桜木に倒された機械が、その下の機械を押しつぶし、互いに破壊しあった。桜木の足元に、小さな部品がコロコロ転がる。桜木はそのことを全く気にせず、その奥にあるステンレスの棚を開けた。
その棚には、小型の黒いモデルガンがあった。
基本は模型店で買った、BB弾を発射するエアガンであるが、桜木が改造し、威力を増してある(有効射程は一五メートル)。
それに、桜木特製のBB弾に似た、小さな弾を装填する。これは、スチール製の玉と同じ強度で、発射された後、数分経つと、溶けて消えるのだ。毒性はない。
桜木はそのモデルガンを部屋の隅に向けて構えた。視線の先には、機械類。その上に、教科書がぎっしり詰まった赤いランドセルが置いてあった。その色から、女児のものと思われるランドセルは、傷だらけで、角という角、端という端が削り取られ、内側の茶色い皮がむき出しになっていた。
桜木はそれに向かって、モデルガンを二発撃った。
弾丸を受け、ランドセルは二度、跳ね、床に落ちた。
桜木はそのランドセルに歩み寄った。しかし、ランドセルには目もくれない。見てるのはその後ろの壁だ。
弾丸は、ランドセルも教科書も貫き、背後の木製の壁に食い込んでいた。人を殺すには十分な威力である。
「よし……」桜木は、モデルガンを見つめ、無感情で言った。「これで、ぶち殺してやる」
桜木は、もう我慢の限界だった。
眠ると悪夢を見る。その悪夢を見るたび、自分は自分でなくなり、冷静さを失う。ただ恐怖し、泣きじゃくり、許しを請うだけの存在になってしまう。
体のアザは、悪夢の中で蹴られ、踏まれ、殴られた場所だ。ひどい時には、血を吐くこともある。桜木はそのアザが、自分の弱さを象徴しているようで、大っ嫌いだった。
悪夢から目を覚ませば、体に刻まれたアザが「お前、夢の中で泣いていたな? 謝っていたな? かわいそうな奴だ、ハハハハハ!」と笑っているのだ。
ムカついてムカついて、しょうがなかった。自分は、天才なんだ。たった12才で、名門大学を卒業出来た。軍事機密に指定されるような技術も開発した。闇ノーベル科学賞(通称名。表沙汰にはできない新技術を開発した人に送られる。授賞式はない)も受け取った。幽霊だって捕まえた(誰にも認められてないけど)。
そんな私が、派遣社員にしかなれない、子供一人もまとも食わせられない、妻にも愛想を尽かされ、出ていかれるようなくだらない男にビビっているのが許せない!
桜木志十菜は、父親を自分の手でぶち殺したかったのだ。
幽霊を捕まえる装置も、幽霊に効果のある(可能性のある)スタンガンも、全ては、父の悪霊をぶち殺すために作ったものだ。
しかし、上記の二つは効果がなかった。そのことから、桜木は、二つ可能性を考えた。
・悪夢の父は幽霊ではない
・そもそも、上記の装置は幽霊には効かない
もし、父が幽霊じゃないとしたら、悪夢を見る理由は、自分の精神が、未だに父を怖がっているからだ。許せないが、科学的にはこれが一番考えらえる結論だ。
もう一つ考えられるのは、自分の開発した、幽霊を捕まえる装置と、スタンガンが、幽霊に対して効果が無いということだ。夢の中の父にいくらスタンガンを当てても、なんの感触も無いのは、このせいかもしれない。
そんな考えを心の底で煮込んでいた時に、桜木は魔法の存在を知った。そして、人を生き返らせる魔法があると知った。そして、思いついた。
父を生き返らせられれば、悪夢の中の父がが幽霊であった場合、生き返ることによって、幽霊は発生しなくなる。そして、生き返った父に対して、「自分を殴りに来たら、また生き返らせて、なぶり殺しにしてやる」とでも言い、殺せば、もう夢に出てこないだろう。
そして、自分の恐怖によって作り出された幻だとしたら、生き返った父を殺せば、潜在的な恐怖は無くなると考えた。
どちらにせよ、父を生き返らせて、殺せば解決するのだ。一石二鳥とは言わないが、桜木は、この解決方法が一番手取り早いと思った。
一番のネックは、対象に承認を得なければ、生き返らせることができないということである。わざわざ殺される為に生き返る奴がいるだろうか?
桜木の心配はそこだった。とりあえず、電話口では、父の好みそうな嘘八百を並びたてて、生き返ることを許可させる。そして、生き返ったら、こちらの思いのままに殺せばいい。
もし嘘がバレて、生き返らなかったとしても、魔装推進委員会にハッキングして、情報を改ざんすれば、生き返ることを許可したと思わせることもできるだろう。
桜木は、悪夢を消す方法として、父を自分の手で殺す事だけしか考えていなかった。精神科やセラピーに通って、医者に直してもらうなんて事、全く考えていなかった。
なぜなら、父が幽霊だった場合は、意味がない。
そして、医者や、セラピストが言う事は、大体予想がついているからだ。
『自分を虐待していた、父を許しなさい』とか言うに決まっている。あるいは、言い方を変えて、そう言う種類のことを言うのだ。
許すことによって、父の呪縛から逃れられる事は、桜木だってわかっている。でも、許したくない。復讐しなきゃ気が済まない。と言うか、何年も何年も苦しめられ、未だに苦しめてくる人間を、許せるわけがない。
桜木は許さずに悪夢を取り除く方法を、やっと発見した、と思い込んでいた。
桜木は、ポケットからビニール袋を取り出し、モデルガンをそれに入れた。そして、ビニール袋を小さく丸めると、パーカーのポケットに入れた。パーカーのポケットからは、ビニール袋の一部が少し出ているだけだ。
まさか、人を殺せる威力を持つモデルガンんがそこにあるなんて、誰も思わないだろう。
桜木は、スマホを取り出し、魔法のアプリを起動した。魔法のアプリは、自動的に黒菜のマホーンに接続し、それを操る。
マップを開き、東山霊園を検索する。確か、共同墓地に遺骨を入れたはずだ。桜木は、地図をスクロールし、共同墓地を探す。
しかし、東山霊園は広い。東京ドーム二一個分はある。桜木はそこから、共同墓地を探した。
「どこだっけ?」桜木は頭を抱えた。
共同墓地なんて、父の遺骨を入れてから一回も行っていない。興味がなさすぎたのだ。
魔法で共同墓地と検索すれば、場所がわかるだろうか? 桜木は共同墓地を検索した。しかし、全く表示されない。表示されたとしても、東山霊園以外だ。人の名前を検索すれば、その人物の居場所が出ると言うのに、共同墓地の場所はわからないのか? 桜木は魔法のアプリに怪訝な目を向けた。
ここで、桜木はちょっとした思い違いをしていた。
東山霊園は、共同墓地とは言わずに、合葬墓と言うのだ。桜木は、東山霊園に父を埋葬したと言う記憶はあったが、その正式な名称を覚えていなかったのである。
場所が分からなかったので、桜木は、先に管理事務所に行くことにした。
マップの管理事務所をタップすると「ここに桜木志十菜をテレポートしますか?』と出る。
桜木は『はい』を押した。
伊達と黒菜の二人は、執事の運転するリムジンに乗って、東山霊園に向かっていた。今回のリムジンは、対面シートになっている。伊達が、桜木とその父親を乗せる可能性があると考え、定員の多いリムジンを選んだのだ。
二人は隣り合って座っている。ここでも黒菜は、リムジンの高級感に緊張していた。
「緊張なさらなくてもよろしいのよ? ほら、足を伸ばして」
伊達は言いながら、足を伸ばし、背もたれに体を預けた。モデル体型の伊達が、足を伸ばせるぐらい座席が広いのである。
黒菜もそれを真似する。そして、深呼吸をすると、幾分か緊張が和らいだ
黒菜はなんとなしに、自分と伊達の足の長さを比べてしまった。比べるまでもなく伊達は足が長く、そして綺麗な足をしていた。伊達の足は、全体的に白く、ツヤツヤしている。黒菜は自分のひざ小僧の乾燥具合に、不思議な恥ずかしさを覚えた。
今は夜七時だ。暗雲が空を覆い、月灯りを遮っている。それでも、雲の薄い部分から、月明かりが滲み出ていた。
道路は街を過ぎ、見通しの良い場所に出た。真っ暗な野原が道路を囲んでおり、道路には所々街灯がついて、暗闇の海に道路を浮かび上がらせていた。右側には、空を隠す大きな黒い影がある。そこが東山霊園のある山のようだ。
リムジンはその山の方へ曲がっていった。
「あ、伊達さん、雨降ってきたよ……」
窓から山を見ていた黒菜は、窓に落ちる一粒の雨に気がついた。黒菜が気付いた時には、雨は次々に降りはじめ、その勢いを増していった。
伊達はそれを見て「傘はありますわ」と一言。黒菜はなんだか気分が重くなっていった。雨の水分が心に染み込んで、その重量を増したかのようだ。
黒菜は窓を見ている。窓に自分とその背後に伊達が映っている。そして二人の間に、ゴエモン……が見えたような気がした。黒菜はなんとなく、自分のマホーンを取り出した。相変わらず、ロック画面しか映し出されない。
「使い魔、契約、再開」
黒菜はマホーンに向かって言ってみた。伊達が、その声を聞き、黒菜の方を見つめる。
「音声入力もできませんのね……」
「まあ、分かってた事だけどね……試してみたくなっちゃって……」
「桜木さんは、黒沢さんのマホーンを操って魔法を使っているのでしょう? たしか、スマホで操作していましたわね?」
「そうだったね」黒菜は桜木の部屋に行った時と、墓場での桜木を思い出した。
「見た感じ、スマホを奪ってしまえば、桜木さんは魔法を使えなさそうですわ。力ずくというのはあまりしたくないのだけれど……」伊達は言いながら、腕を組む。
「私のマホーンは奪われても、取り寄せ魔法を使えば、すぐ手元に来るけどね。今はできないけど……」
「便利ですわね。私はその魔法を高田に使いたいですわ」伊達は冗談めかして言った。
二人は、ニッコリと笑いながらも、霊園に向かう道を、なんとなしに視界に入れていた。
暗い。
霊園内には街灯が無いため、リムジンのライトだけが、道の存在を証明していた。ライトがなければ、星のない宇宙を疾走している、と言われても信用できるレベルの暗さだった。
リムジンのライトが、緩やかな坂を上っていく。道の両脇には、木々が植えられており、ライトによって浮かび上がるそれらは、人間の霊が奇妙なダンスをして、黒菜たちを歓迎しているようだった。
カーブの先に丘が見えた。その上にも木々があり、その合間に、小さな棒状の板がいくつもある。ある程度近づき、ライトが照らすと、それが卒塔婆だとわかった。その下には、背の低い暮石が沢山ある。
黒菜はホラー映画が好きだったため、少しワクワクしてしまった。自分にも幽霊が見えないかと、木の影などをチラチラと見ていた。
桜木はテレポートで管理事務所の中へ入り込んだ。本来なら、入ることのない時間だ。誰もいない事務所を、スマホのライトで照らしながら、歩いた。
入り口近くに、お目当ての地図があった。
地図は、何枚も机の上に重ねられ、自由にとって良いようだった。桜木はそれを一枚取り、中を見た。
桜木は自分の勘違いに気づいた。
共同墓地というのは、『ある地域の共同体が、管理、運営、使用する墓地』という意味と『複数の人間を一つの墓に埋葬する墓地』という意味があり、桜木は後者だと思っていた。それ故に、共同墓地を検索したのだが、東山霊園は、後者の意味の共同墓地を『合葬墓』と呼んでいた。
合葬墓の字を見た瞬間、桜木は「これだ」と思った。桜木は、スマホのマップを開き、その地図と、スマホのマップを照らし合わせた。位置を確認し、スマホをタップする。
『ここに桜木志十菜をテレポートしますか?』
もちろん、『はい』を押した。
次の瞬間、桜木は、光に包まれる。そして、その光が弾け飛ぶと、周りの風景は変わっていた。
目の前に、建物が見える。本を開いて伏せたような屋根が、地面にそのまま置かれているような建物だ。照明は最低限で、足元が穏やかなオレンジ色の光で照らされているだけだった。その建物の周りは砂利で囲まれていた。桜木はスマホで足元を照らしながら、ジャリジャリと音を立て、建物へと歩みを進めた。
その建物が合葬墓だった。建物の横には、四つ慰霊碑があり、そこに英雄でもない、知り合いでもない、知らない名前がいくつも書かれている。その中に『桜木大志」父の名前があった。
桜木は、父の名前を見た瞬間、目元がピクピクするのを自覚した。名前にすら恐怖しているのかと思い、舌打ちをした。桜木はさっさと合葬墓に入った。
合葬墓に壁はなく、柱と屋根だけの建物だった。風が強く吹くため、線香をあげるのも一苦労だろう。屋根の下には、献花台だろうか? 水が入った大きな器が二つあり、その間に香炉があった。
その香炉の下に、オレンジ色の間接照明が設置されている。その光は、床を這うように広がり、あたりを優しく照らしている。天井に照明はない。
「ここで良いかな…」桜木は蘇生魔法のボタンをタップした。
スマホの画面には、生き返らせる候補の名前がぎっしりと表示された。桜木は父の名前を見つけた。その名をタップすると、あの世の父と電話が繋がるのだ。
桜木は、父の名をタップしようとした。しかし、できない。不思議に思い、桜木は自分の指を凝視した。指が動かなくなっている……いや、震えている。それに気づくと、呼吸が荒くなっていること、次に鼓動が早まっていることに気がつく。
「はあ……はあ……ちくしょう……」桜木は震える指を無理やり動かし、スマホに表示された父の名前をタップした。
電話の呼び出し音が鳴る。スマホに大きく『桜木大志』の名前が出る。その名前を見た瞬間、桜木は、「ひッ」と声を出し、高温のものを手放すかのように、スマホを落としてしまった。
スマホのスピーカーから、呼び出し音が聞こえる。
桜木は自分の情けなさに、苛立ちながら、スマホを見つめた。今すぐスマホを拾って、耳に当てなくてはならない。もし、父が出て、話をしないでいたら、切られてしまう。
桜木はゆっくり、スマホに手を伸ばした。震える手が、地面に落ちたスマホをつかみ損ねる。
電話はまだ呼び出しを続けている。桜木は、両手を使い、スマホを拾い上げた。
今度は落とさないようにと、しっかり両手でスマホを包み込み、画面を見る。
その時、画面が通話中になった。
『はい、桜木大志です』
桜木はその声を聞いて硬直した。
『もしもし、すいませーん』
父の声は、桜木の記憶よりも、穏やかな感じがした。桜木は、震える手で、スマホを耳に当てた。
『なんだろ? 間違いかな?』
「間違いじゃないよ」桜木は緊張と恐怖に染まった声を出した。
『申し訳ありませんが、どなたですか?』
「志十菜……志十菜だよ!」桜木は息遣いが荒くなっていた。それは、電話越しにも伝わっているだろう。
桜木父は、ハアハアと荒い呼吸をする桜木に、違和感を感じながらも、話を続けた。
『志十菜か……何の用だ?』父の声は、なにかを探っているような声だ。
「生き返ってよ……フゥ……フゥ……今なら、生き返ることができるから、生き返って!」桜木は、まるで首を絞められているかのように、やっと声を絞り出した。
桜木は父を騙してでも生き返らせようとしていた。「私、今お金持ちなんだ。一億円あげるから、生き返って遊んでみなよ」とか「お母さんが、もう一度会いたいって言ってたよ」などの、嘘を並べ、父に蘇生の許可を得ようと思っていたのだ。
しかし、桜木は、恐怖と緊張のあまり、せっかく考えた嘘も言えなくなっていた。ただ、自分の要求を言うのが精一杯だった。
これでは、父は生き返ろうだなんて思わない。ちくしょう! 桜木は、自分の思い通りに動かない体と心に、苛立ち、涙をにじませた。
『わかった、生き返る』
「……へ?」桜木は耳を疑った。思わず、気の抜けた声が出た。「いいの?」
『生き返ってほしいんだろ? いいぞ、生き返らせてくれ……』父の声は、穏やかだ。
「わかった……」桜木は力のない返事をした。
電話が切れ、画面に『蘇生の許可がおりました。蘇生しますか?』と出た。桜木はその画面を見つめ『はい』を押そうとした。
いや、待て。銃をいつでも撃てるように準備をしなくては。桜木はポケットから、ビニール袋を取り出し、改造モデルガンを手に取った。そして、ビニールは丸めて左のポケットに突っ込み、モデルガンは右のポケットに入れた。これでいつでも撃てる。
桜木は、大きく息を吐き、呼吸を整えた。そして、スマホを見て『はい』をタップした。
リムジンから外を眺めていた黒菜は、暗闇の中に、一本の光の柱が降りてくるのが見えた。
「あ、あそこ! 光が降りてるよ!」黒菜は窓の外を指差す。
「どこですか?」伊達が黒菜の後ろから、窓の外を覗き込む。「あ、あの光ですわ! 高田! あの光のところに行って!」
「了解しました。合葬墓の場所ですねぇ」
と言っても、一本道なので道を変えることはない。高田は、光が降りている場所の、すぐ側の駐車場に車を停めた。
「高田はここで待ってて!」伊達はそう言いながら、ドアを開けて出て行った。
黒菜も、リムジンの扉に手こずりながらも、お礼を言って、出て行った。二人とも、雨など無視して、傘を持たず、光の下へ向かう。光は、合葬墓の屋根を貫いて、中へ入っているようだ。
二人が走っていく間に、光は細くなっていき、天に帰って行った。
二人は、合葬墓の中に入った。
そこでは、桜木と男が向かい合っていた。桜木は男に銃を向けている。伊達と黒菜の二人は、男の後ろ側にいた。
「桜木さん!」伊達が叫ぶ。
桜木父は驚き、伊達の方を向いた。桜木は伊達を睨み、めんどくさそうな顔をした。空いた手でスマホを取り出し、伊達をにらみながら操作を始める。
「桜木さん、待って! 話を聞いて!」
「話? この男を拷問する方法なら、提案を聞いてやってもいい。でも、殺すのをやめろって言うなら、消えろ!」桜木は、銃で父を指しながら言った。
「ねえ、あの銃って本物かな?」黒菜が後ろから声を出した。
「多分改造されたモデルガンですわ」伊達は、桜木から目を離さず答えた。
桜木父はここで、桜木が自分を殺そうとしている事をはっきりと理解した。しかし、抵抗しようとはしてないようだ。
「桜木さん、お父さまを殺しても、あなたの悪夢は消えないわ! わかっているでしょう?」伊達が大声を上げる。演劇部なだけあって、綺麗な声のまま声量をあげた。
「消える可能性はある、可能性があるなら、やる価値はある!」
「あなたは本当はいい子ですわ! 人を殺して、普通でいられるとは思えません!」
「こいつは元々死人なんだ! 殺す事に罪悪感を感じるわけないし、法律的にも問題ない!」
「親を否定することは、無意識的に自分を否定することだって、桜木さんが言っていた事ですわ!」
「うるさーい! 私はこいつに仕返しがしたいんだ! 邪魔するなぁぁぁぁ!」
桜木は叫び、スマホのボタンを押して、伊達と黒菜を転送した。
伊達と黒菜はその場から消えた。
桜木は、二人が消えたことを確認もせず、スマホをポケットにしまい、銃を両手で持った。照準を通して、父を睨みつける。
「もうわかってるんだろ? なんの為に生き返らせたか……」桜木の声は震えている。
「ああ……」父は桜木を見つめながら答えた。
ビキュッ!
なにかが弾ける音とともに、桜木父の右膝が血を吹き出した。桜木が銃を撃ったのだ。弾は貫通し、床に球がめりこんだ。
桜木父は、唸りながらその場にうずくまり、膝を両手で抑えた。
桜木はその様子を見ながら、荒い呼吸を止められずにいた。
「はあ、はあ、その程度で済むと思うなよ。わかるだろ? その程度で済むわけないよな!」桜木は、父の傷を見て、さらに手の震えが激しくなった。
「ああ、わかってる……」桜木父は、痛みに堪えながら言った。
伊達と黒菜の二人は、相変わらず、伊達屋敷に転送されていた。玄関の前で、桜木に向けていた目を、周辺の確認に向ける。
ここが自分の家だと確認した伊達は、頭を抱え、ため息を吐いた。
「ダメでしたわ……。聞く耳持たずですわ……」伊達は頭を抱えたまま、首を振った。
「伊達さん、ちょっと試してみたいことがあるんだけど……スマホ貸して?」
「え? 今からでも間に合うんですの?」伊達は言いながら、スマホを取り出した。
「多分、一番可能性がある方法だと思う……」
黒菜は伊達からスマホを受け取り、桜木に電話をかけた。
桜木は、手を震わせながら、父の左肩を撃ち抜いた。狙いが外れ、うっかり頭を撃ち抜かないように、細心の注意を払っていた。
「痛いか? けど、そんなもんじゃない。絶対その程度じゃない! 私はもっと痛かったんだ!」桜木は言いながら、さらに引き金を引く。今度は腹に当たった。桜木父が呻き、打たれた場所に血が滲む。彼の足元には、血だまりが出来始めていた。
そこに電話がかかってきた。桜木はうるさく鳴るスマホに注意を引かれた。桜木はスマホの呼び出し音に、神経を逆撫でされた。これでは、父を撃つことに集中できない。
桜木は、ポケットからスマホを取り出した。画面には『伊達麻紀』と表示されている。すぐに通話ボタンを押し、スマホに向かって叫んだ。
「うるさいんだよーー! 邪魔するなぁ!」
そう叫び、すぐに通話を切ろうとした。が、電話の向こうで何か言っている。自分に対する言葉ではない。
『伊達さんと私、転送。桜木さんの隣』黒菜の声だった。『実行』
桜木は、しまったと思った。桜木のスマホは、黒菜のマホーンの操作権を得ている。もちろん音声操作もだ。自分の声では、音声操作はできないが、黒菜なら……
桜木の目の前、一瞬の光と共に、黒菜が現れた。桜木の後ろには伊達だ。
桜木が光に目をくらませている隙に、黒菜は、桜木からスマホを取り上げた。
「あ、お前! かえせ!」桜木が黒菜に銃を向ける。
「私は緊急防衛魔法があるから、銃なんて効かないよ!」黒菜は、スマホを桜木から遠ざけるように、体を捻った
「桜木さん、殺しなんてやめて、ほかの解決法を探しましょうよ。ほら、病院に通って悪夢を取り除きましょう? 私も一緒に行きますわ……」伊達が桜木をなだめるように話しかける。
桜木は黒菜の気配を感じながら、伊達を見つめた。黒菜はスマホを操作し、なにか魔法を使おうとしているようだ。
桜木は、黒菜に向かってモデルガンを乱射した。大きな音ともに、スマホが弾け飛び、破片が散らばった。弾はいくつか黒菜に当たったが、緊急防衛魔法のお陰で、怪我はない。
「うわ、うわぁ!」黒菜は驚き、上半分がなくなったスマホを落とした。
「くだらないことやってんじゃねえぞ」桜木は黒菜を睨む。黒菜はビクッと首を縮めた。
桜木は父に銃を向けながら、円を描くように移動した。黒菜、父、伊達を、同時に視界に入れるためだ。
黒菜は桜木と父の間に立ちふさがり、両手を広げている。
「ねえ桜木さん。こんなことしても、悪夢は消えないよ。だって、桜木さん全然楽しそうじゃないもん!」
「そんなことどうでもいいんだよ! 私は、こいつを痛めつけなきゃ、気が済まないんだ!」桜木は叫ぶように話した。「毎日毎日酒飲んで、私を殴りやがって! お前は、許せるのか? 自分の吐いた血とゲロを毎日片付けさせられるんだぞ!」
黒菜は、痛そうに顔をしかめた。桜木は続ける。
「酒の金が欲しいからって、ロリコンに私の裸の写真を売ってた! 私が作った料理がまずいと言って死ぬほど蹴り飛ばした! どんだけ料理を練習しても、一度も美味しいって言わなかった! テストで百点以外を取ると怒って殴った! 自分では一切勉強を教えてくれないくせに!」それを言う桜木は涙が止まらなくなっていた。「ぶっ殺す! 殺すんだ! そこをどけ! どけぇ!」
黒菜は、桜木の話す内容に、涙が滲んでいた。どうしたらいいか分からず、手が震える。
「あの、桜木さん……その……」黒菜は何も言えなくなった。広げていた両腕は、徐々に下がって行った。
いつまでも父の前に立ちふさがる黒菜に業を煮やした桜木は、銃口を自分の二の腕に向け、
バンッ!
そのまま発砲した。
桜木の左腕は、だらんとたれた。黒いパーカーだったので、血の色はよく分からなかったが、しばらく経つと、手の先から、ポタポタと血が滴り落ち始めた。弾痕はかなり小さく、黒菜からは、穴が見えなかった。
「どけ、どかないともっと撃つぞ」桜木は自分の腹に銃を向けた。床に血が溜まり始めている。
黒菜と伊達は開いた口が塞がらなかった。「え、その……」黒菜の口から出た言葉がこれだ。桜木の行動の意外さに、脳が追いついていないのだ。
桜木は、舌打ちをした。そして
バンッ!
また発砲した。
桜木は咳き込み、血を吐いた。そして、今度は、こめかみに銃口を当てた。
「どけ……」桜木は黒菜をにらみ、静かに言った。
黒菜は、緊急防衛魔法があるから、盾になればいい、なんて思った、自分の浅はかさを呪いながら、その場を退いた。
黒菜がどいた瞬間、桜木は父を撃った。今度はわき腹に当たった。桜木父のうめき声が合葬墓内に響く。
黒菜と伊達はそれを、辛そうに見つめた。
「桜木さん、最後の質問です! 聞いてください!」一か八か、伊達が叫んだ。
「うるさいな、なんだよ。撃たれたいのか?」桜木は、父に銃口を向けたまま伊達に答えた。
伊達は一歩前に出て、桜木に語りかける。
「料理を作っていたと言う事でしたが、ほかにも家事をしていたのですか?」伊達は、なるべく普段の会話のような声を出すことを心がけた。
桜木は、その質問の意図がよく分からなかったが、最後の質問だと言う伊達の宣言もあり、答えることにした。
「掃除、洗濯、料理、家の事は全部私がやってた! 毎日だ! 学校に行きながら、宿題もやって、家事もやってたんだ! それなのに、掃除が下手だとか、洗濯物を取り込んでないとか、料理がまずいとか難癖つけて、私を殴りやがって!」桜木の、銃をにぎる拳に力が入る。
「桜木さん、家事をして、褒められた事は?」
「ない! 一度もない!」
「テストで百点を取ったら、褒めてもらえましたの?」
「私を殴る口実が無くなって、つまらなさそうにするだけだ!」
伊達は、桜木を見つめ、言った。
「桜木さん……あなた……
……本当は褒められたいのではなくて?」
その瞬間、桜木は驚いた表情で伊達を見つめた。しかし、その顔は一瞬で怒りの表情に変わった。
「んなわけないだろぉ! ふざけんなぁ!」桜木は、伊達に向かって銃を撃った。
「キャッ!」銃弾が伊達の肩をかすめる。コートを貫通し、腕に傷がついたようだ。血がじんわりしみてきた。
「くだらない事言いやがって! お前から先に殺して欲しいのか!」
桜木は叫び、銃を撃ちながら、伊達に向かっていく。
「桜木さん! 撃たないで!」
黒菜は伊達の前に立ちふさがり、両手を広げた。今度こそは、本当に役に立った。伊達への銃弾を二、三発防いだのだ。
「志十菜! 俺を撃て!」
今まで黙り込んでいた桜木父が声を張り上げた。桜木はその声に驚き、その場に倒れこみ、父に目を向けた。
「志十菜! 撃つなら俺を撃ってくれ、ほかの人は関係ない!」桜木父は、自分の胸に手を当て、懇願した。
「うるさい! 言われなくても、撃ってやる!」桜木は、父の声にビビって、後ずさりしながら言った。背中に柱が当たる。
桜木は、立ち上がろうと、手をつく。左腕は使えないので、銃を持った手を床についた。
ビチャッ……
液体がたまっていた。
ここは屋根しかないとはいえ、整備された合葬墓だ。水たまりができるなんて、設計ミスだと桜木は思い、その水たまりを見た。
水たまりは真っ赤だった。
桜木の血が、合葬墓の床に溜まっていたのだ。桜木は自分のズボンを見た。少し大きめのジーンズが、余すところなく、血で染まっていた。握ると、血を搾り取れるほどだ。
桜木はそれでも、立とうとした。そこで初めて自分が貧血を起こしていることに気づいた。
普通の人なら、この程度の出血でめまいを起こす事はない。しかし、桜木は小柄な上に、常に栄養失調気味で、睡眠不足で、貧血気味だ。
桜木は、痛いはずの左腕をあげ、柱に手をついて立ち上がった。柱に血の手形がついた。
桜木は柱を背もたれにして、無表情のまま銃を構えた。一つ咳をする。血が飛び散った。
視界が狭くなってきた。息をするのも辛くなってきた。桜木は、ぼやける視界の先にいる父に照準を合わせる。
頭に照準を合わせた。
『……あなた……本当は褒められたいのではなくて?』
伊達の声が脳内に残っていた。その声は。桜木の頭の中で響き続ける「そんなわけない!」と、心の中で何度否定しても、消えない。きっと理由が曖昧だから消えないんだと桜木は分析した。
否定する根拠を探すため、桜木は父との生活を思い出した。
せっかく作った夕飯をまずいと言われ、殴られた。だからといって作らなければ怒られる。桜木は夕飯を作るのが怖くて仕方がなかった。
テストで百点以外を取ると、殴られる。桜木はテストが怖くて、仕方がなかった。恐ろしすぎて、テスト中に過呼吸になり、病院に運ばれた事もあった。
家に帰るのが怖かった。授業が終わった後も図書館で過ごし、なるべく家にいる時間を減らしたかった。でも、父が家に帰る前に、夕食を作らなければ、殴られるため、図書室に長くいる事は出来なかった。
トイレに入るのが怖かった。少しでも長くなってしまうと、父に殴られるから。
食べるのが怖かった。食べ方が汚いと、父に殴られるから。
生きるのが怖かった。辛いことしかないからだ。何をしても怒られる。殴られる。楽しいことなんて何もない。
全部自分が悪いと思ってた。自分がバカだから、父に気に入られないんだと思っていた。
自分は、料理もテストも、洗濯も、息の仕方も、全部ダメなんだ。だから父に気に入られないんだ……
……なんで、父に気に入られないとダメなんだ?
伊達の言葉を否定するために、昔の事を思い出していたのに、桜木は、違う場所に疑問点を見つけてしまった。
『……あなた……本当は褒められたいのではなくて?』
……そんなわけないだろう?
……じゃあ、試しに、父に褒められたところを想像してみようか?
作った料理を「美味しい」と言って、頭を撫でてくれる父。
テストで百点を取ったら、喜んでくれる父。
図書室から借りてきた本を、一緒に呼んでくれる父。
トイレに長居すると、体の調子を心配してくれる父。
食事中、口の周りに汚れがつくと、笑顔で拭いてくれる父。
桜木は、銃を構えたまま、大粒の涙を流していた。
「なんで、こんなクズに……」桜木は涙声でつぶやく。
桜木は、柱に体重を預けながら、その場に座り込んだ。柱は、血がなすりつけられ、かすれて伸びた。座り込むと、銃を構える力もなくなったようで、モデルガンを床に下ろした。
黒菜と伊達が、ゆっくりと桜木に近づいた。
「お……お前らのせいで、殺せなくなっちゃっただろ……」
桜木は、涙を流しながら、伊達と黒菜をにらんでいた。
「そうだ、救急車を呼ばなくては……」伊達は、自分のスマホを黒菜から受け取り、電話をかけ始めた。
伊達が、電話をかけるのを見て、黒菜が言った。
「救急車、待つだけじゃなくて、こっちからも運んだ方が良くない?」
「そうですわね……。ここに来る前に、コンビニがあったからそこまで運びましょう。救急車はコンビニに来るように手配して……」
二人が話している間に、桜木は、座る事も出来なくなり、体を床に倒した。
桜木父は、四つん這いのまま桜木に近づいた。
桜木は、父に対する恐怖も感じ無いほど、意識が薄れていた。目の絵に父が来ても、なんの反応もしめさない。
桜木父は、銃を持った娘の手を、両手で包み込み、その顔を覗き込んだ。
「志十菜……志十菜ぁ……。ずっと、ずっと……毎日……後悔してたんだ。お前に暴力を振るうたび……」桜木父は泣きながら、娘に何度も頭を下げている。「でも、どうしても止められなくて……本当にごめん。ごめんな……」
桜木父の涙が桜木の頬に落ちた。桜木は、傷ついた左腕をゆっくりと持ち上げ、自分を覗き込む父の顔に手を触れた。
「……酔って無いお父さん見るのって初めてかも……」桜木は父の顔をじっと見つめ、かすれた声を出した。
「こんな感じなんだぁ……」
桜木はそう言うと、ニッコリと笑った。
次の瞬間、桜木は意識を失った。左腕は床に力なく落ちた。
「志十菜、おい志十菜!」桜木父は桜木に呼びかける。しかし、返事はない。
「桜木さんのお父上様! 娘さんを運んでくださる? 私の執事がリムジンで待ってますの!」伊達はリムジンがある方を指差した。
「わかった!」桜木父は、桜木を抱き上げた。あまりの軽さに、少し驚き、悲しい顔をした。
黒菜は何もすることがないので、とりあえず、動きを素早くした。主に、顔の向きを変える速度をだ。
全員リムジンに乗り込むと、伊達は執事に「急いで、さっき通ったコンビニへ!」と言った。
執事は一言「了解しました」と言い、リムジンをありえ無いほど吹っ飛ばした。むしろこのまま病院に行っても、間に合うんじゃないかと思うくらいのスピードだった。
道中、桜木を椅子に寝かし、伊達と桜木父は、床に膝をつき、桜木の出血している部分、腹と腕にハンカチを当て、抑えていた。
黒菜は、マホーンを見て、回復魔法が使え無いか試してみたが、やはりダメだった。桜木の施した設定はまだ生きている。桜木のスマホも一応持ってきたが、完全に破壊されていて、もう操作できない。
黒菜は心配そうに、桜木を見た。しかし、桜木の父も、かなりの重症だ。顔が青ざめている。
「あれ? 桜木さんのお父さん、薄くなってるよ」黒菜が桜木父を指差した。
桜木父は、半透明になっていた。黒菜から、彼の体を通して、桜木が見えるのだ。桜木父も、自分の手を見る。手を裏返し、手の甲に透ける黒菜を見た。
「これは一体……?」伊達が言った。
「え? わかんない……生き返らせるのも、時間制限みたいなのがあるのかな?」
「そうなのか、俺はもう……ここにはいられ無いのか……」桜木父はつぶやいた。
桜木父は、床に手をつき、声を上げた。
「二人とも、頼む! 娘を助けてくれ!」桜木父はそういうと、頭を下げた。
「言われなくても助けますわよ!」
「あと、志十菜と、仲良くしてやってくれ……。あんたらに迷惑をかけたのはわかる。でも、それは俺のせいなんだ。こいつは悪くないんだ」
「大丈夫だよ! もう友達だから!」黒菜はなんの根拠もなく言った。桜木にかけられた迷惑のことなんて、すっかり頭の中に残ってなかった。
桜木父は、うつむきながら言った。「ありがとう……ありがとう……」桜木父の声はだんだんと薄れていく。体も、消えていく。
「桜さんのお父様、私、絶対桜木さんを幸せにしてみせますわ!」伊達は、胸に手を当て、宣言した。
「伊達さん、言い方!」
「何かおかしいですの?」
桜木父は、透過率八十%くらいの顔で笑い、やがて、消えた。
「安心してくれるといいのですけど……」
「伊達さんってさ、なんか、たまにイケメンみたいな事言うよね(黒菜の個人的な見解です)?」
「そうですか? そんなことより、黒沢さん、桜木さんのお腹を抑えてください!」
「あ、はい……」黒菜は腕まくりをし、桜木の腹に手を置いた。出血のせいで、置いたあったハンカチがビチャビチャである。
黒菜は、一度両手で抑えたハンカチを、片手で抑え直し、空いた手のひらを見た。
血で真っ赤に染まっていた。
「だ、大丈夫かなぁ……」黒菜は再度、両手で桜木の腹を抑えた。
「大丈夫ですわ、桜木さんは、貧血になりやすい体質ですの! だから、今倒れているのは、怪我が重傷とかではなく、貧血で倒れている可能性が高いですわ!」
「こんなに血が出てる時点で、重傷じゃないの?」
「血なら、輸血すればいいのです。私、O型ですわ」
「私、A。桜木さんは?」
「Bですわ!」
「だめじゃん!」
「大丈夫ですって、病院に輸血用の血がたくさんあるはずですから……」
「あわわわ……」黒菜は無駄に慌て、意味不明な言葉を吐いた。
(あわわわって言う人初めて見ましたわ……)伊達は思った。
リムジンがコンビニに着くと、すぐそこに救急車がやってきた。コンビニの店員が様子を見に、外へ出てきたが、救急隊員が事情を説明すると、中へ戻っていった。
付き添いは、桜木に詳しい伊達一人となり、黒菜はリムジンで送ってもらうことになった。
黒菜は、救急車を見送った後、リムジンに乗り込んだ。伊達がいないと、余計に緊張する。
驚いたことに、桜木が救急車に乗るまでの間。執事は、リムジンの中を清掃してしまっていた。足元のカーペットにシミが残っているが、それ以外は、完璧だった。血の匂いすらしない。黒菜は、執事の高田さんは潔癖症なのかな? と思った。
実際は、ただ、黒菜が心地よく乗れるようにと気を使ってくれただけである。
執事は、出発する前に、黒菜を伊達屋敷に送ることを宣言した。理由は、黒菜の服が血で汚れていたからである。しかし、以外にも、汚れていたのは、スカートの裾と靴下と靴の先だけだった。真っ白なコートは白いままだ。
「お嬢様が自分の服を、黒沢様に譲りたいとの事です」
「え? いいですよ……悪いし……」
「いえいえ、お嬢様は、小学生の頃の服を処分しようとしていました。ただ捨てるのももったいないですし、好きなだけ持って行って欲しいとの事です。その方が処分も楽だと……」
「あ、そうなんですか……それなら……」黒菜は、伊達の服を想像した。一つ、何十万円もするような服しかなかったらどうしよう。流石にもらえない……。
伊達屋敷についたリムジンは、玄関の前に停車した。
執事は黒菜を案内し、伊達のクローゼットに連れて行った。そこは、クローゼットではなく、クローゼット代わりの部屋だった。
その部屋には、いくつものハンガーラックに何枚もの服がかけられており、ラックごとに、ビニールがかけられていた。ビニールがなければ、お店と変わらないだろう。
執事は、ビニールを取っていき、それを小脇にまとめた。そして「ご用がおありになれば、お呼びください」と言い、部屋を去って行った。
一人になった黒菜は、部屋を見渡し、ため息をついた。今日は色々ありすぎた。黒菜はかなり疲れている。
朝は学校で母が突撃してくるし、昼は桜木の家でゴエモンが消えるし、夕方は墓地で人が生き返るし、夜は桜木さんが、父親を生き返らせた。
「今日だけで、一ヶ月分くらい事件が起きた気がする」黒菜は独り言を言う。
時計を見ると、もう二二時過ぎだ。眠い。もう、服を選ぶのもめんどくさい。
普通の女子なら、眠気を忘れて服選びに夢中になるような状況かもしれないが、黒菜は妙に冷静だった。
「とりあえず、適当にあったかそうなのを選ぼう……」黒菜は、服選びに取り掛かった。
黒菜は、スカートだけ変えればいいやと思い、ズボンを探した。スカートだと、夜は寒いのだ。汚れた靴下と靴は、どうでもよかった。
意外にもズボンは少なかったので、選考はすぐに終わった。裏地がモコモコした、見た目がジーンズのやつだ。
黒菜がそれを履くと、裾が余ったが、めくればいいやと思い、裾を折りめくった。めくっている間に、ある疑問にぶち当たった。伊達は、小学生の頃から自分より足が長かったのかという事だ。そのくせ、ウエストは自分より細いのだから(今でも)、本当、なんだろう、なんだこの差は? と思いながら姿見にポーズを決めた。
伊達がくれたコートが、ふわふわの女児向けだったこともあり、黒菜は、スカートを履いている時より、子供っぽく見えた。
少し悲しくなった黒菜は、コートだけでも変えようかと思ったが、眠気がひどい。
これでいいやと思い、部屋を出ようとした。そこで、ふと、思った。眠気に負けることがガキっぽいのかな? と……。でも、黒菜は勝てる気もしなかった。
黒菜は部屋を出て、執事に声をかけた。
執事は、黒菜の選択を褒めた。多分何を選んでも、褒めてくれるのだろう。
執事はリムジンで黒菜を自宅まで送った。リムジンに乗っているところを母に見られたら、説明がめんどくさいので、黒菜は少し離れたところに止めるように頼んだ。
黒菜は、リムジンから降り、家に向かう。その間、執事はリムジンから降り、黒菜が家に入るまで、見守ってくれていた。黒菜はなんだか悪くて、早歩きになり、家に入る前に執事に頭を下げた。
家の中に入ると、台所から明かりが漏れていることに気づいた。
黒菜は思い出した。そういえば母は、桜木がかけた魔法のせいで、むやみに自分を愛するようになっているのだ。
「ただいまー」黒菜は試しに挨拶をしてみた。
「おかえりー」母が台所から出てきた。
疲れた顔の黒菜を、母が笑顔で迎えてくれた。エプロンをつけ、服は上下スウェットに着替えている。いつものスーツ姿とは、全く印象が違う。黒菜は、久しぶりに母の姿を見た気がした。
「遅かったわね……何かあったの?」黒菜母は、いいながら、自然に黒菜を抱き寄せた。
「いや、ちょっと友達と遊んでたら、白熱しちゃって……」まあ、白熱していたのは自分ではないが……。
「黒菜が食べたいって言ってたラーメン、スープは完成してるから、あとは麺を茹でるだけよ。食べる?」黒菜母は、黒菜の肩を抱きながら、台所の方へ歩いている。
「えーっと……時間が遅いから……やめとこうかな……」ぐぅぅぅぅぅ……。
そう言った黒菜の腹が鳴った。そういえば、昼食も夕飯もまともに食べてないのだ。昼食べてないんだから、夜、カロリー多いの食べてもよくね? 黒菜はそんな言い訳を心の中でした。
「お母さん……やっぱり食べる」
「食べる? じゃあ、麺茹でるね!」黒菜母は嬉しそうに言った。
「私着替えてくるね……」黒菜は言い、二階に上がっていった。
黒菜は二階に上がり、部屋着に着替えた。モコモコしたピンクのパジャマで、このまま眠る事ができる格好だ。
黒菜はその上に、ジャンバーを羽織った。ラーメンの汁が、パジャマにつくのが嫌だからだ。
本来なら、母は夜中にラーメンなど許さない性格だ。しかし、今は魔法によって、黒菜の要求に応えるのが最優先になっているのだろう。油ギットリの豚骨ラーメンを作って、台所で待っていた。
テーブルには『つけ麺モリモリ屋の豚骨ラーメン』を再現したものが置かれていた。店名に『つけ麺』があるのに、ラーメンである。
黒菜はそのラーメンを見て、すごい再現度だと思った。チャーシュー、小口ねぎ、メンマまでお店そっくりに乗せられている。ラーメンの香りが食欲に引火し、誘爆し始めた。よだれが止まらない。
黒菜は席に座り、母も座るのを確認すると、手を合わせた。
「いただきまーす」
黒菜は麺をすくい上げ、フーフー冷ました。そして麺をすする。
母はその光景を興味深そうに見つめていた。黒菜の動作一つ一つが、全て愛しいと言わんばかりに、笑顔だった。かなり輝いている。
黒菜は麺を咀嚼しながら、そんな母を見て、キモいと思った。
「美味しい?」
「うん、美味しい」母はキモいが、ラーメンの味は良かった。
「よかった!」母はそういうと、自分もラーメンを食べ始めた。ゆっくりと、黒菜を見ながら……。
黒菜は夢中でラーメンを食べていると、頰に、スープの滴が飛んでついた。黒菜は気付かず、そのまま食べ進めている。
「黒菜、頬についてるわよ」母はそう言い、ティッシュを一枚取り、黒菜の頬を拭いた。
「もう、自分でできるよぉ〜」黒菜は母からティシュを取り上げ、自分の頬を再度拭いた。
母は黒菜を幸せそうに見つめている。キモい。
しかし、黒菜はそこで気づいた。確か、黒菜が九歳以下だった頃は、母はこんな感じだった気がする。なんか変だと思ったら、母は自分を必要以上に子供扱いしているのだ。
『私の仕事が終わるまで、おかしくなった母親と、ゆっくりイチャイチャしてな』
『黒沢さんは大人しく、自分を愛してくれる親と一緒に、ラブラブやってりゃいいんだよ』
黒菜は不意に、桜木が言った言葉を思い出した。
桜木は、このような愛され方をした事がないのかもしれない。こんな風に、子供扱いされた事がないのかもしれない。必要以上に大切にされ、甘やかされ、無条件で愛される。そんな関係に憧れていたのだろうか?
本当は、愛の魔法を、自分の父にかけたかったのではないか? 黒菜はそう考えた。
黒菜は、自分が今の母をキモいと思う事が、贅沢で悪いことのように思えてきた。
「ねえ、お母さん……」
「何? 黒菜?」
「今日一緒に寝てもいい?」
「もちろん、いいわよ」母は笑顔で答えた。
たまには心置きなく、思いっきり子供扱いされてみる事にした。




