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魔装御前  作者: 快速丸
PR
13/16

6



 三人はアパートの前に出現した。一階に三部屋、二階にも三部屋ある、全六部屋の古びたアパートだ。全ての部屋を、桜木が貸し切っている。つまりは、桜木の家である。

 駐車場にはいつも通り、複数の家族が部屋を借りている、と思わせるための車が三台停まっていた。


「桜木さんって、発明家だよね? 儲かってないのかな?」黒菜はアパートを見上げながら言った。

「このアパートは全て桜木さんの所有物ですわ。全ての部屋を、役割ごとに分けて使ってますの」伊達が説明する。「寝室なら、眠りに集中できる部屋。研究なら、研究に集中できる部屋。物置、遊び場。全て役割ごとに分ける事によって、集中力が段違いだと言ってましたわ。私もそれを聞いてからは、勉強部屋だけは独立させてますの」

「ああ、そうなんだ……」金持ちにしかできない、と黒菜は思った。

 

 黒菜がマホーンを操作し、マップを立体化した。桜木はこのアパートの、二階、真ん中の部屋にいることがわかった。


「二階の真ん中の部屋だよ」黒菜が指差す。

「今は研究中ですのね……」伊達が言った。伊達は、この桜木のアパートの役割分担が、頭に入っているようだ。


 二人は階段を上がり(ゴエモンは浮かんでショートカットした)、真ん中の部屋の扉前に立った。

 黒菜がおもむろに、呼び鈴を押す。


「なんだ、不意をついて襲撃するんじゃないのか?」ゴエモンが笑う。

「だって、一応人の家だし……」

「自分は襲撃されたってのに……」ゴエモンが言おうとすると、伊達が口を挟んだ。

「呼び鈴を鳴らしても無駄ですわよ。研究の邪魔になるからって、鳴らないようにされていますわ」伊達はそう言った後、「やってしまいましたわ……」と頭を抱えた。

「どうしたの、伊達さん」黒菜が不思議そうな顔を伊達に向けた。

「昔預かったここの鍵を、家に忘れていましたわ。取りに戻らなければ……」伊達は、扉とは反対方向を見る。まるで、その方向に自分の家が見えるかのようだ。目線の先は、住宅街しか見えない。


 黒菜は「なんだそんな事か」と言いながら、ドアノブを握り、「解錠魔法、実行」と言った。ドアノブの中から、ガチャッという音が聞こえる。

 その音がしたのち、黒菜がドアノブを回すと、扉は開いた。伊達は、あっけにとられ……


「え? そんな魔法、大丈夫ですの?」とゴエモンを見た。

「安心しろ、開けられる施設には限りがあるし、使う人間に悪意がある場合は開けられん」とゴエモンは言った。

「そうなんですの……。悪意って、どのぐらいが悪意なんですの?」

「魔法を使う人間の罪悪感を測るんだ。つまり、サイコパスには効果がない。もちろん、サイコパスには魔法を使用する許可が下りないがな」

「すごいですわね……」


 伊達とゴエモンが会話をしている間に、黒菜は扉の隙間に顔を突っ込んだ。

 まずは、扉の隙間から中を確認し、誰もいない事を確認したのち、扉を全開した。


「桜木さんは奥にいるみたいだよ」


 玄関の奥に、扉がある。その扉は、中心に型ガラスがはめ込まれており、部屋の中の明かりがかすかに見えた。部屋は薄暗いことがここからもわかる。

 あかりが一瞬遮られ、元の形に戻った。桜木が灯りの前を通ったのだろうか。


「よし、行くよ、ゴエモン、伊達さん」黒菜は囁き声で言った。

「了解」

「ですわ」


 二人は、静かに返事をし、扉をゆっくり、音を立てないように閉めた。そして、三人は靴を脱ぎ、フローリングに足を乗せた。


「お邪魔しまーーーーーす!」黒菜は大声を上げた。


 伊達とゴエモンはずっこけた。


「え? どうしたの二人とも?」こけた二人を不思議そうな顔で見つめる黒菜。

「あの状況で挨拶するとは思えんだろ!」

「私も、気づかれないように入るのかと思いましたわ……」

「え? 話しに来ただけだし、見つかってもいいじゃん……」

「そ、そうだけどな……」ゴエモンは頭を掻いている。


 そう言っている間に、部屋の奥から、桜木の声が聞こえた。


「はーい」部屋の扉が開いた。


「あ、伊達と黒沢さん。来たね……」桜木は全裸だった。腹やあばらには、痛々しいアザが浮かんでいる。


 桜木の格好に驚き、黒菜は声が出なかった。桜木は、そんなことには構わず。「中に入る? 話すことがあるんでしょ?」と二人を部屋の中に招いた。

 三人は、招きに応じ、桜木に着いて、部屋の中に入った。

 伊達は、桜木が全裸な事にはまるで動じていない。黒菜は、それを不思議に思いながら、目の前を通り過ぎる伊達の後ろに着いた。


 机とその上にコンピューター、冷蔵庫と、点滴スタンドと加湿器。それ以外に目立ったものの無い桜木の部屋に、黒菜は唖然とした。カーテンも閉め切っており、机上の照明以外の明かりがない。

 黒菜は、桜木の服は何処だろう? といらぬ心配をした。

 桜木は、冷蔵庫を開けた。冷蔵庫の明かりが、あばらの浮き上がった細い体を照らす。

 桜木は冷蔵庫の中から、チョコレートの大袋を取り出した。

 黒菜はその瞬間、冷蔵庫の中に、服や本、お金、タオル、バッグ、などなど、およそ冷蔵庫に入れるべきではないものが入っている事に気付いた。

 桜木は、チョコの袋を持ったまま音を立て、床に座った。

 伊達は、桜木が冷蔵庫を漁っている間に、照明のスイッチを見つけていた。桜木が座った直後に、照明のスイッチを入れる。

 部屋が明るくなった。桜木はその明るさに目をしかめる。しかめながらも、チョコを一つ取り出し、フィルムを剥いて、それを口に入れた。パキパキと、チョコの砕ける音が聞こえる。


「来る頃だとは思ってたよ。気づいたんでしょ? 私が黒沢さんのスマホ……マホーンだっけ? それを乗っ取った事。あ、まだ乗っ取ってはいないか、黒沢さんも操作できるもんね? チョコ食べる?」桜木はチョコの袋に手を突っ込んだ。


「いりませんわ」伊達が立ったまま答えた。黒菜はチョコに未練があったが、伊達が先に断ったのを見て、出そうとした手を引っ込めた。

「わかってるなら話は早い。お前がやっている事が魔装推進委員会にバレたら、この世界では考えられないような罰を受けるぞ」ゴエモンは腕を組み、低い声で威嚇するような言い方をした。


 桜木はその言葉を聞き、ニッコリと笑顔になった。


「バレたら、でしょ? 今はバレてないんだよね?」桜木は余裕の表情を崩さない。

「目的はなんだ? それによっちゃ……」

「ねえ、なんで裸なの?」


 黒菜が、ゴエモンの言葉を遮り、全くその場に見合わない質問をした。伊達もゴエモンも、黒菜を見た。その目は「今聞く事か?」と言っている。

 この空気の読めなさが、いじめの原因の一端なのだが、黒菜はまだ自覚していない。

 桜木もその質問は予想外だったようで、黒菜を見て、一瞬硬直した。


「ほら、研究中にさ、服と肌が擦れると、集中が途切れる時があるんだよね。それが嫌なんだ……」


 桜木は答えると、その答えにどんな反応を示すか、興味深そうに黒菜を見つめた。黒菜は「へぇ〜」と言う顔をしている。


「あの、じゃあさ……冷蔵庫の中に服とか、バッグとか入ってたよね? なんで?」黒菜は冷蔵庫を指差す。

「収納する道具を増やしたくないんだよ。本棚とか、カラーボックスとか、視界に入れるのが嫌なんだ。視界に無駄なものが入ると、脳が疲れるんだよ」

「なんで冷蔵庫なの? 本棚だけじゃだめなの?」黒菜は続けて質問する。

「本棚でチョコは冷やしておけないだろ? 私は溶けたチョコは食べたくないんだ、手にくっつくし」桜木は楽しそうに答えた。

「そのお腹のアザはどうしたの?」


 桜木の空気が変わった。楽しそうな表情は、一気に怒りを含んだ無の表情になった。


「黒沢さん……今はそんなことを聞いている場合じゃ……」桜木の表情の変化に気づいた伊達が、黒菜の質問から、桜木を守ろうとした。しかし、

「幽霊に殴られたんだよ」桜木は答えた。

「幽霊なんているの?」黒菜は、否定するつもりもなく、肯定するつもりもなく、ただ純粋に、桜木の意見を求めていた。

「魔法を使っているやつがそれを言う?」桜木は笑う。「いるよ、現に殴られてるんだから。捕まえる道具も、退治する道具も開発したしね」桜木はアザを指先で撫でている。目は虚ろだ。


 伊達は、桜木が昔、自宅に持ってきた、幽霊を捕まえるマシンを思い出した。

 そしてゴエモンは、桜木が黒菜に対して使ったスタンガンは、幽霊を退治するためのものではないかと勘ぐった。

 

「でも、どうしても消せない幽霊がいて、そいつ……まあいいや。聞きたいことはそれじゃないでしょ?」桜木の顔が一瞬曇った。


 黒菜は、悪いこと聞いちゃったかなぁと思い、質問を変えることにした。

 

「そうだ。どうやって私のマホーンを操ったの? 魔装推進委員会は、絶対そんなことできないって言ってたのに」

「そんなことが聞きたいの? 言ってもわからないと思うよ」桜木は、黒菜の質問を鼻で笑った。

「黒菜、原理はどうでもいいんだ。マホーンを操るのをやめて欲しいんだろ? 今、月額二百万の契約になってんだから」ゴエモンが口を出す。

「あ、そうだ! 桜木さん、私のマホーンを操るのやめてよ。お母さんが変になったし、月額二百万円なんて、私、払えないよ!」


 桜木はそれを聞くと、立ち上がり、冷蔵庫を開けた。そして、中から百万円の束を五つ取り出した。奥にはまだあるようだ。

 黒菜は口をあんぐりと開け、桜木の持つ札束を見つめた。桜木は、束の端をパラパラとめくり、全てが本物の一万円札であることを黒菜にアピールした。

 そして、ニッコリと笑い、その札束を、黒菜の腹に押し当てた。黒菜は慌ててそれを受け取った。


「これで問題ないでしょ? 一ヶ月以上、マホーンを操る気はないから安心して。私の仕事が終わるまで、おかしくなった母親と、ゆっくりイチャイチャしてな」


 黒菜は受け取った五百万円を、手の中でくるくる回した。爆弾を渡された気分だった。自分がこれを持ってていいのかと、迷っているのだ。

 桜木は、慌てる黒菜を見て、満足そうににこりと笑い、再度床に座った。


「問題の本質はそこではありませんわ!」伊達が口を開いた。腕を組み、座る桜木を睨みつけている。「重要なのは桜木さん! あなたの目的ですわ」

「そうだ。魔法は絶大な力があるからな。使用者の目的によっては、世界に悪い影響を及ぼす可能性がある」ゴエモンが言った。


 黒菜は、ゴエモンの言葉を聞いて、やっと思い出した。魔法は、世界を変えるために使ってはいけないのだ。だからこそ、大金持ちや、政治家、科学者など、社会的に影響を及ぼせる人間と、及ぼすことを考えそうな人間には、魔法を使う許可が下りない。

 桜木は、革新的な発明を、幾度もしている。今回マホーンを操ったのも、革新的といえる。それを考えれば、魔法を使う許可が下りないのは、火を見るより明らかだ。

 桜木の目的によっては、世界が変わってしまう可能性がある。


「うーん……目的は言えないなぁ。言ったら邪魔するでしょ? あ、でも、チェスターを生き返らせて、あの歌声をもう一度聴きたいってのは考えたよ」桜木は、チョコレートを口に入れながら、もごもごと喋った。

「だめだ。そんな大人物、許可が下りるわけがない」ゴエモンがキッパリと言った。


 それを聞いた桜木は、「へえ、そうなんだ……」と、嬉しそうに笑った。許可が下りないということは、下ろさせるために、何か細工が必要なのだ。桜木は、その細工の思案を楽しんでいた。


「桜木さん、今回ばかりは諦めてもらいますわよ。あなたのやっていることは、核兵器の開発よりも、世界に影響を与える可能性があることですわ」

「なるほどね。私としては、世界に影響を与えるつもりはなかったんだけど……それもいいかもね……」


 桜木は立ち上がり、机に向かって歩いて行った。


「おい、滅多なことは口にするなよ?」ゴエモンが威嚇する。桜木は気にせず続けた。

「家に楽団を呼んで、その演奏を楽しむ。これってさ、昔は王族とか、貴族にしかできないことだったんだよ?」桜木は、スマートフォンを手に取った。

「それがどうした?」ゴエモンが言った。

「今はみんな、このスマートフォンで動画を観れるでしょ? 一流のアーティストのライブだって、サーカスだって、映画だって……。ツイッターがあれば、お偉いさんに意見だってできる」

「何が言いたい?」ゴエモンは嫌な予感がした。

「技術の進歩によって、王族だけに許された事が、ほとんどの人間にできるようになったんだ。技術の進歩は、人の生活水準をあげる。

馬鹿な奴は『貧富の差が激しくなった』ってことだけに注目するけど、その代わりに、死ぬほど貧乏な人は、かなり減ってるんだ」桜木は、つまんだスマホを揺らしながら言った。

「おい、それ以上は言わない方がいいぜ……」ゴエモンが警告した。しかし、桜木は続けた。

「魔法だって、世界中の人間が使えるようになれば、もっと世界は良くなる! 私は科学の力で、魔法を再現して、世界に広めてやる!」桜木は演技がかった声で、高らかに宣言した。そして、ゴエモンに向かって舌を出した。「そう言ったら、私はどうなるの? 殺されるの? いひひひ(笑)」


 ゴエモンと伊達は、苦い顔で桜木を見つめた。黒菜だけは、何をしていいかわからず、そこにいる全員を、落ち着きなく見回した。

 

「今の映像は、録画されてる。俺の目には録画機能がついてるんだ。お前が、黒菜のマホーンを操ることをやめないなら、これを魔装推進委員会に送る」ゴエモンが言った。


 桜木は、無表情でゴエモンを見つめた。そして、自分のスマホを操作し、その画面をゴエモンに見せた。


 その画面には『使い魔の契約を解除しますか? はい いいえ』と出ていた。


「あ!」ゴエモンは驚きの声を上げた。


 忘れていた。今なら、桜木にもマホーンを操作できる。使い魔の契約も、解除する事が出来てしまうのだ。

 黒菜も、これには危機感を感じた。いつもそばにいたゴエモンが消えてしまう。うざい存在が消えてしまう。


「あなたが消えても、映像を送る事が出来るのかな?」桜木はゴエモンの狼狽を見て、答えを得たようだ。

「や、やめて桜木さん。私、困る!」黒菜は、気の利いたセリフが全く浮かばなかった。


 ゴエモンは目を閉じ、自分が録画した映像を、魔装推進委員会に送ろうとした。はたから見たら、目を閉じているようにしか見えない。しかし、桜木は、ゴエモンが映像を送ろうとしていると直感した。

 桜木はスマホのスイッチを押した。


 その瞬間、ゴエモンの周りに光が現れた。光は収束し、ゴエモンはその中に消えた。


 ゴエモンは、いなくなった。本当にそこに存在していたのかわからないほど、跡形もなく消えた。


 伊達と黒菜は、ゴエモンがいた場所を見たまま、機能停止していた。黒菜は呆然とし、力の抜けた手が、札束を落とす。その音に正気を取り戻した伊達は、桜木を睨んだ。


「桜木さん! なんて事を!」伊達は床をふみ鳴らし、桜木に迫った。


 桜木は伊達に向かってスマホの画面を差し出した。『伊達麻紀、自宅に転送』そう表示されていた。

 そレを見た伊達は「え?」と声を漏らした。その瞬間、伊達は消えた。。


 部屋には、黒菜と桜木だけになった。二人の中に静寂が流れた。

 黒菜は、消えた伊達を探そうとしているのか、部屋を落ち着きなく見回す。


「黒沢さん。わかるでしょ? 使い魔は消えたし、伊達は家に帰したよ」

「あ、あの……なんでこんな事するの?」黒菜は桜木の考えが全く読めず、ただ恐怖を感じていた。

「なんでって、私の目的の邪魔になるからだよ。私は、邪魔されるのが嫌いなんだ。どんなくだらない目的でもね」


 桜木は黒菜に歩み寄った。桜木は痩せていて、身長も、黒菜より小さい。普通なら、恐怖の対象ではない。しかし、桜木は異様な雰囲気を醸し出し、有無を言わせぬ覇気をまとっていた。


「も、目的って何?」

「だからそれは言えないって。でも大丈夫だよ。本当は、世界を変えるなんて事考えてないし、目的が達成出来たら、マホーンの操作権は返すから。黒沢さんは大人しく、自分を愛してくれる親と一緒に、ラブラブやってりゃいいんだよ」


 桜木は、黒菜が落とした札束を拾い、それを黒菜に差し出した。黒菜は受け取ろうとしない。桜木は、黒菜の手を取った。手を取られた黒菜は、ビクッと体を震わせた。桜木は、黒菜の手に札束を持たせた。

 そして、冷たい目を黒菜に向け、言った。


「邪魔されたくないから、マホーンの操作、できないようにするね。不便になると思うけど、まあ、少しの間だから……」桜木は、作られた笑みを黒菜にむけた。

「あの、桜木さん……」黒菜は声を出した。声を出しただけで、何を聞こうとか、言おうとか、全く思いつかなかった。


 桜木は『黒沢黒菜、自宅に転送』の操作をした。黒菜は光に包まれ、その中に消えた。次の瞬間、自宅の玄関前にいた。手には五百万円だ。

 黒菜は呆然と玄関を見つめた。頭がうまく回転せず、しばらくその場で立ち尽くしていた。

 家の中から、ドタドタと足音が聞こえた。黒菜はその音を聞き、正気を取り戻した。足音は玄関までやってきた。その音の主が玄関を開けた。

 母親だった。


「黒菜、よかった!」黒菜母は、泣きそうな顔で、黒菜を抱きしめた。

「お母さん……」黒菜は呆然と声を出した。

「探したけど、電話も通じないし、心配したのよ!」どうやら黒菜母は、家にいない黒菜を探そうと、外に飛び出したところだったようだ。「さ、一緒に夕飯食べましょう。なんでも作ってあげるわよ」


 黒菜母は、黒菜の背中に手を当て、黒菜を家の中に誘導した。黒菜が持っている札束には、目もくれない。黒菜は、母の『電話が通じない』という言葉を思い出し、マホーンをポケットから取り出した。

 マホーンは電源ボタンを押すと、ロック画面が出る。しかし、それ以上の操作は出来なかった。マホーンが自分の指を認識していないように思えた。

 これも桜木の仕業なのだろうか? 黒菜は、マホーンに向かってため息をついた。


 実際は、桜木がマホーンに対して、電気を感知する機能を制限したのだ。それによって、黒菜のマホーンは、人間の指を感知できなくなり、操作ができなくなったのだ。


 玄関に上がり、靴を脱いだところで、母が言った。


「夕飯何食べたい? ハンバーグ? それとも、オムライス? 黒菜、何がいい?」


 黒菜はその質問でやっと、正常な思考を取り戻した。今自分は家にいて、魔法で自分を愛するように操作された母と話している。時計を見ると、まだ三時だ。気が早いと思った。

 母は、自分の好きな食べ物の候補を挙げている。

 黒菜は『自分が好きな食べ物って、なんだっけ?』と考えた。ハンバーグもオムライスも、小学校の頃に好きだった食べ物だ。もちろん今も好きだが、母親の、自分に対する知識が、小学校の頃から変わっていない事に、少し落胆を覚えた。


「着替えてから考えるから、ちょっと待ってて……」黒菜はそういうと、母親を残し、二階に上がった。


 部屋に入ると、黒菜は照明をつけた。そして、今日あった事を、頭の中で整理しながら着替え初めた。

 制服のボタンを外しながら、虚ろな目で、桜木の言った事を思い出す。


『私の仕事が終わるまで、おかしくなった母親と、ゆっくりイチャイチャしてな』

『黒沢さんは大人しく、自分を愛してくれる親と一緒に、ラブラブやってりゃいいんだよ』

『でも、どうしても捕まえられない幽霊がいて、そいつ……』


 黒菜の頭の中で、桜木の声がこだましている。黒菜は、桜木の言葉の中で、なぜかこの言葉を強く印象に残した。

 理由としては、自分に対して言った言葉というものが一つ。

 もう一つは、ほかの言葉は小難しくて、印象に残らない、というもの。

 そして、黒菜自身は気づいていないが、この言葉には、桜木の感情が、幾分かこもっている。というのが挙げられた。

 感情のこもった言葉というのは、良くも悪くも、印象に残りやすい。論文より、物語の方が覚えやすいのと同じように、小難しい論理より、感情のこもった言葉の方が、記憶に残るのだ。


(論文の方が覚えやすい、という人もいるだろうが、それは、論文を読んで、新しい発見に、何かしらの感情を覚えているからである。物語が覚えにくいという人は、その物語に対して、感情を感じていない可能性がある)


 黒菜は、桜木の言葉を反芻し『母親とイチャイチャしてな』という言葉の通りにする自分を想像した。

 自分が母親と一緒にハンバーグを食べる。母親と一緒に遊園地に行く。母親と一緒にドライブする。今ならそれが簡単にできる。

 今まで無視された分、ここぞとばかりにわがままを言う事もできるだろう。

 黒菜はそんな事を考えながら、着替えを終えた。黒菜は、自分の姿を姿見で確認した。そこに映っている自分は、部屋着ではなく、外出用の服装だった。

 黒菜は「どうしたのだろう、自分は、母と外食がしたいのか?」と思った。

 黒菜は、部屋のドアを開け、廊下に出る。そこには、着替えを見られたくないがために、出てもらっていたゴエモンが……


 今はいない。


 黒菜の胸が、ドクンと音を立て、高鳴った。

 黒菜は決めた。ポケットに財布を入れ、急いで一階におり、母の元へ向かった。

 母は、台所の椅子に座って頬杖をついていた。黒菜を見た途端に立ち上がり、笑顔で話しかけてきた。


「何が食べたいか決まった?」


 黒菜は、言った。


「ラーメンが食べたいなぁ。お母さんが作った、つけ麺モリモリ屋の豚骨ラーメン!」

「ラーメン?」母は、不思議そうな顔をする。

「うん、再現レシピがネットに載ってるよ。見てみて!」


 黒菜母は、内ポケットからスマホを取り出し、黒菜に言われたサイトを探した。

 そのサイトに載っていたレシピはとても難しいものだった。

 材料は水以外、家に無い。そして、豚骨と野菜を五時間以上煮込むとか、麺を小麦粉から作るとか、大鍋が必要だとかで、とても短時間ではできないものだった。


「これが食べたいのね? すごく時間がかかるようだけど……」

「大丈夫、私待ってるから、頑張って!」

「わかった。じゃあ、材料を買ってくるわね!」黒菜母はそう言い、財布片手に買い物をしに行った。


 黒菜は、母親がどれだけ自分の言う事を聞くのかを試したわけでは無い。時間稼ぎがしたかったのだ。

 黒菜はテーブルの上に置いてあったチラシの裏側に「ちょっと友達の家に行ってくる。遅くなるかも」と書き、家を飛び出した。


 黒菜の目的地は、伊達の家だ。魔法が使えれば一瞬だが、今は交通機関を使うしか無い。黒菜はバスを乗り継ぎ、伊達の家へと向かった。

 伊達の家に一番近いのは、温泉がある公共施設の停留所だ。黒菜はその停留所で降り、歩き始めた。

 

 一人で歩くのは久しぶりだった。最近はいつもゴエモンが一緒にいて、くだらない事を話しながら歩いていた。無言の黒菜は、どうしてもゴエモンの事を思い出してしまった。歩いている最中、ゴエモンがプカプカと浮かんでいないかと、自分の後ろを何度も確認した。そして、確認するたび、ため息が漏れた。

 途中、運動不足がたたってか、砂利道で思いっきり転んでしまった。しかし、痛くもなく、怪我もなかった。黒菜はそれを、ただの幸運と受け止め、歩行を再開した。


 夕日に街並みが染まる頃、目の前に、やっと伊達家の敷地が見えてきた。道路を森が挟んでおり、その奥に、門がある。その、さらに奥に屋敷が見える。門は、敷地を囲む柵を通るためのものだった。


「まだこんなにあるの?」黒菜は愚痴をこぼした。ゴエモンがいれば「いい運動になるじゃねえか」とか言ってくれるだろう。


 門の前に着くと、黒菜は、門の両脇にある石造りの柱を見た。その柱には、インターホンらしき機械があった。黒菜はインターホンのボタンを押した。

 しばらくすると、インターホンから、声が聞こえた。


『伊達屋敷にご訪問ありがとうございます。私、執事の高田と申します。ご用件をどうぞ』伊達屋敷って言うのか? と黒菜は違和感を感じたが、それを振り払い、用件を言うことにした。

「あの、私、黒澤黒菜って言います。伊達さんの友達です。ちょっとマホ……スマホが使えなくなったから、直接会いに来たんです」黒菜は、相手が見えないことに緊張しながらも、たどたどしく話した。

『少々お待ちを……』


 黒菜は少々待った。しばらくして、インターホンから声が聞こえた。


『お嬢様が迎えに行くとおっしゃっています。少々お待ちください』


 その言葉を聞いたあと、黒菜は、『はい』と返事をし、屋敷を見てみた。伊達屋敷の側面には、足場が組まれている。修復の真っ最中のようだった。

 

 「ふーん」と、黒菜はその工事に感心していた。その時、上空から空気を切り裂く音が聞こえた。黒菜はその音の方を見上げた。

 その瞬間、ドクロ御前の格好をした伊達が、黒菜の目の前に降りてきた。

 着地した反動で、片手、片膝をついた伊達の着地は、ヒーロー着地のお手本だった。


「伊達さん、カッコいい……」黒菜は思わず声を出した。

「黒沢さん、私もあなたの家へ行こうと思っていたところでしたのよ。すれ違いになってしまって、申し訳ありませんわ!」伊達は、ドクロの仮面を外しながら、黒菜に歩み寄った。

「伊達さんは悪く無いよ。空飛ぶ魔法しか使えないし。というか、伊達さんはまだ魔法が使えるんだね」

「黒沢さんは使えないんですの?」

「うん、なんか、桜木さんが、マホーンに細工したのかなぁ? マホーン、全然動かないんだ……」

「桜木さん、そんなことまで出来るんですのね……。え? じゃあここまで歩いてきたんですの?」

「いや、バスだよ。まあ、それと歩き……」

「疲れたでしょう? さあ、中へどうぞ。紅茶とお菓子をお出ししますわ!」伊達はそう言うと、インターホンを押した。執事の声が聞こえてくる。

『伊達屋敷に訪問……』

「ワタクシですわ!」執事の言葉をさえぎり、伊達が言った。

『あ、お嬢様? で、では……』執事は、伊達の早さに驚いていたようだった。無理もない。執事は、伊達が家にいて、そこから迎えに行くと思っていたのだ。まさか、空を飛んで、家を飛び出していたとは、思いもよらないだろう。


 門は、人間二人が通るには、大げさすぎるほど開いた。本当なら、車で通る門なのだろう。黒菜は自分のために、大変な事をしてもらっていると思い、少し戸惑った。伊達は、そんなことお構いなしに黒菜を先導し、歩いた。

 屋敷の中に入ると、執事が「おかえりなさいませ? お嬢様? その格好は?」と言ってきた。伊達はドクロ御前の格好のままだった。

「あ、これは、その……趣味のコスプレですわ!」伊達は慌てて言いつくろった。

「なるほど、とても幽玄で美しいコスチュームですね」執事がニッコリした。


 黒菜はそのやり取りを、微笑ましく思った。ドクロ御前の格好を、褒められたのも嬉しかった。

 伊達は「私の部屋に、紅茶とお菓子をお願いしますわ」と執事に言い、黒菜を自分の部屋に案内した。


 元々の伊達の部屋は、飛行機の墜落により破壊されたため、今の部屋は空いていた別の部屋である。しかし、伊達は黒菜が罪悪感を感じないよう、そのことは言わなかった。

 伊達の屋敷の中は、ホテルのように豪華だった。部屋の扉も、白塗りの豪華な装飾がされており、個人の部屋とは思えなかった。

 部屋の中もまるでホテルだ。たかそうなカーペットが敷かれており、中央には、アンティークらしき円型の木製テーブルが置いてある。その周りに置いてある椅子も、高級そうで、椅子と言うよりは美術品だ。

 黒菜はその高級な空間に、居心地の悪さを感じた。なんだか、背筋をピンと伸ばしていないといけない感じがする。


「さあ、遠慮せずお座りになって。黒沢さん、緊張しなくてもいいのよ?」


 黒菜の緊張を感じ取ったのか? 伊達が言った。


「う、うんそうだよね……」黒菜は返事をしながら、椅子に座った。妙に座り心地のいい椅子に、黒菜はさらに緊張した。


 伊達も椅子に座り、スマホを操作した。すると、伊達の服が光に変化した。その光が弾け飛んだかと思うと、伊達はいつもの制服姿に変わっていた。


「さて、黒沢さん。多分、桜木さんと、ゴエモンさんの事で話があるのだろ思うのだけれど……」

「あ、そうだった。伊達さん、マホーンが使えなくなっちゃったんだ」

「ああ、そうでしたわね。桜木さんがそこまでできるとは思ってませんでしたわ。まさか、魔法を凌駕してしまうとは」

「ゴエモンも、消えちゃったし……」黒菜はうつむいて、消え入りそうな声で言った。

「ゴエモンさんが消えてしまったのは残念ですが、マホーンの操作権を取り戻せば、また復活させられるのではなくて?」

「そうだといいんだけど……」


 その時、部屋のドアがノックされた。伊達が「どうぞ」と言うと、執事がワゴンを押して、部屋の中に入ってきた。ワゴンの上には、紅茶のセットと、見慣れないお菓子だ。


「紅茶をお持ちしました」執事が言う。

「ありがとう……あ、そうだ黒沢さん。今更ですけど、紅茶、ダージリンでよろしい?」

「全然いいよ。というか、あまり紅茶って飲まないから、好き嫌いがわからないし……」味の違いもわからない。


 執事が紅茶を作り、その紅茶とお菓子をテーブルに置く。その間、黒菜は緊張して、何も話せなかった。

 それが終わると、伊達は、黒菜を落ち着かせるためか、「あとは自分でやりますわ」と言い、執事に出て行ってもらった。

 伊達は「どうぞ」と黒菜に紅茶を飲むようにうながし、自分は紅茶を一口飲んだ。

 黒菜も、それにつられ、紅茶をすすった。とても香りがいい、しっかり葉っぱから出汁を取っていると、黒菜は思った。


「黒沢さん、あなたの意見が聞きたいですわ。一番の被害者はあなたですもの……。使い魔を失いましたし、母上様に魔法をかけられましたし、マホーンまで乗っ取られて……」

「ああ、そうか……。改めて言われると、結構すごい事されたよね……。でも、五百万円もらっちゃった。家に置いてきたけど……」

「そこなんですわ、黒沢さん」伊達は、カップを下ろし、黒菜の目をまっすぐ見た。「桜木さんは一ヶ月以内に、マホーンを操るのをやめると言っています。待っていれば、母上様も、ゴエモンさんも、マホーンの操作権も、戻る可能性があります」

「そうなんだよねぇ……。マホーンを使えないのは不便だけど、五百万円だからねぇ」

「私としては、黒沢さんが五百万円と引き換えに、一ヶ月程度マホーンを我慢するというのなら止めはしませんわ」

「え? そうなの? でもなぁ……」


 黒菜はそう言いながら、お菓子を一つ取る。フィルムに包まれた楕円形のクッキーだ。黒菜はそれを開けながら、話を続けた。


「桜木さん、なんか辛そうだったしなぁ……」


 黒菜の言葉に、伊達は口に運ぼうとしたカップを止めた。そして、ゆっくりソーサーに戻す。


「辛そうとは……どういう事ですの?」

「あふぉふぇ……」黒菜はクッキーを口に入れたまま、モガモガと喋った。

「飲んでからでいいですわよ……」伊達は再度、紅茶を持ち上げ、飲みながら待った。


 黒菜は、クッキーを紅茶で流し込む。紅茶とクッキーの相性は最高だった。


「あ、美味しい」黒菜は無邪気に驚く。

「桜木さんが辛そうとはなんですの?」

「ああ、そうだった。なんか桜木さん、身体中アザついてたし、目にクマあったし、なんか研究に必死になりすぎって感じだった」

「まあ、そうですわね。あの子はいつもあんな感じですわよ?」

「イメージでいうとね……なんていうか、溶岩? 地上が全て溶岩で覆われた地球の空を飛ぶ鳥って感じかな? 飛んでないと死んじゃうの……」黒菜は自分のイメージをたどたどしく言葉にした。

「泳がないと死んでしまうマグロみたいな?」伊達が簡単に言い直した。

「そんな感じ……。このままだと、飛べなくなって、落ちちゃいそうな感じがするの……」


 伊達は黒菜の言葉を受け、考え始めた。

 

 伊達は、桜木に対して『夢中になれる事を、夢中で探している子』という印象を持っていた。自分としては、桜木はただ単に、面白いものが好きで、それに一直線に進んでしまう性格なのだろうとしか思ってなかった。

 しかし、黒菜の言葉を聞いて、その印象は一八〇度変わった。

 もしかしたら、桜木は『何かから逃げ続けるために、夢中になるものを求めているのかもしれない』と。なにかを見ないために、何かに夢中になっている。そういう事だ。

 自分にもそんな事をしていた時期があった。親に会えない寂しさをごまかすために、演劇や、勉強、習い事(と黒菜いじめ)に熱心に取り組んでいた。


「なるほど、一理ありますわ……で、どうするつもりですの?」

「わからないんだけど、このままだと、よくない気はするんだよね……。マホーンがどうとかより、桜木さんはこのままでいいのかなって……」

「ふむ、なるほど。では、私の考えを聞いてもらってもよろしいですか?」伊達は、紅茶のカップを置いた。

「うん」黒菜は膝に手を置き、背筋を伸ばした。

「私は桜木さんを止めるべきだと思っています。理由は簡単です。魔装推進委員会がそれを望んでいるからです」伊達は高らかに宣言する。

「え? どういう事?」

「黒沢さん、車の生産者は、人を轢き殺すために車を作っていると思いますか?」

「いや、それはないと思うけど……」

「その通り、せっかく作った車が、殺人に使われたら、生産者は悲しみます! 魔法も同じなのです。魔法の生産者、魔装推進委員会は、桜木さんの言うような使い方は望まれておりませんわ! 商品は、生産者の意図を汲んで使われるべきなのです。チケット転売とかもそうですわ! 生産者がダメだと言ってるんだから、禁止するべきなのですわ!」伊達は、拳を握りしめ、熱く(るしく)語った。

「なんか途中から私情が入ってない?」

「ごほん(咳)、申し訳ありませんわ……」伊達は恥ずかしそうに、目を伏せた。

「と言うことは、伊達さんは桜木さんの研究を止めるべきだと思ってるんだよね?」

「まあ、そうですわ」

「私も、なんとなく今のままじゃダメだと思うんだよね」

「なんとなくって……、もっと明確な理由はありませんの?」

「だってわかんないんだもん。そりゃあ、お母さんはいつもより優しいし、うざいゴエモンはいないし、五百万円はもらったけど……」黒菜は視線を上げ、言った。「なんでも言うこと聞いてくれるお母さんって、キモいんだよね……」

「ふふふ……」伊達は思わず笑ってしまった。

「あと、お母さんがちゃんと働いてくれないと、弟の仕事がなくなっちゃうんだよ? 私のこと見てる場合じゃないんだよ?」

「黒沢さん。あなた、桜木さんが気になってしかたがないんですわ。適当な理由をつけていますけど、本当は桜木さんを救いたいんでしょう?」

「うーん、そうなのかなぁ……」


 黒菜は、自分の気持ちがはっきりと分からなかった。自覚のない直感というものが、今桜木を止めるべきだと言っている。


「まあ、私も伊達さんと同じく、桜木さんを止めた方がいいと思ってるよ。伊達さんのチケット転売の話にも賛成だし……」

「そ、その話は忘れても結構ですのよ?」伊達は恥ずかしそうに咳をする。

「でも、どうやって止めるのかが分からないんだよね……」

「そうですわね、無理やり止めたって無駄なのはわかっていますし、また魔法で家まで帰されて終わりですわ」

「魔法って、的に回すと厄介だねぇ……」黒菜はため息をつく。

「やはり、まずは出来る事をやってみるしかありませんわね……」

「出来ることって?」


 伊達は、黒菜を受け入れるかのように両腕を広げ、言った。


「話し合いですわ」

「話し合い? さっきもしたじゃん」

「あれはこちらの要求を、一方的に言っただけですわ。まあ、最初に黒沢さんのマホーンを乗っ取った桜木さんが悪いのだけれど」


 その時、部屋の扉にノックがあった。落ち着いた音で四回。礼儀正しいノックだ。伊達が「どうぞ」というと、先ほどの執事が何も持たずに入ってきた。


「どうしたの高田?」

「お嬢様、先程言われていた、不思議な事件についてなのですが、テレビをご覧ください」執事は、テレビに向かって、手のひらを差し出している。テレビは、伊達の部屋の隅にあり、かなり大きい。4Kというやつだろう。

「不思議な事件?」黒菜が、執事の言葉に違和感を覚え、聞いた。

「ええ、桜木さんが何かしたら、事件になるかと思って、何か普通ではない事件がニュースになっていたら、私に言うように頼んでおいたの」


 伊達は立ち上がり、テレビに向かって歩いて行った。そして、テレビ台の上に置いてあったリモコンを手に取り、テレビの電源を入れた。

 黒菜は、リモコンをテレビの近くに置いていたら、リモコンの意味なくね? と思った。

 テレビが緊急ニュースを報じている。リポーターが画面の端に立ち、自分の背後の事件を解説していた。リポーターがいる場所は、墓場だ。墓場でリポーターが何を解説すると言うのか? しかし、その答えはすぐにでた。

 リポーターの背後、数十メートル離れた場所に、天から、光の柱が降りたのだ。

 

「あ、きました。行ってみましょう!」アナウンサーは、光が降りた場所に走り出す。カメラマンもそれを追う。


 リポーターは、墓場の段差にこけそうになりながら走り、カメラマンは、画面を揺らしながら、光が降りた場所へ向かう。

 カメラは、光の柱がだんだん細くなり、消えゆくのを映していた。細くなった光は、天に帰っていくように見えた。

 カメラは光の降りていた場所についた。そこには、人がいた。白髪の老人だ。老人は、ここがどこだかわからないのか、あたりをキョロキョロと見回している。


「すみません! 少し質問いいですか?」


 リポーターが老人に駆け寄り、マイクを向ける。老人はうろたえるばかりだ。


「私、福島ティービーの鈴木ともうします。失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

「え、え? あの、佐藤ケンジと言います」

老人はうろたえながらも答えた。


 すると、カメラは老人のそばの墓誌を映した。そこには佐藤ケンジと書かれている。

 リポーターは、カメラに向かって解説を再開した。


「このように、ここ道有寺では、死人が生き返るという、ありえない現象が多発しています。先程見えた光もCGではありません。現実に起こった事なのです」


 リポーターは一生懸命説明するが、テレビを見ている人は、映画か、ドラマか、フェイクニュースだと思うだろう。

 もちろん、伊達と黒菜はそうは思わない。


「桜木さんですわね」伊達は腕を組みながら言った。

「人を生き返らせちゃったんだ……」黒菜はいつのまにか、テレビの前まで来ていた。

「ありがとう高田、仕事に戻って結構よ」


 執事はそう言われると、礼をして、部屋を去って行った。

 黒菜は、執事が部屋を出たのを見計らって、話し始めた。

「伊達さん、行ってみてどうするの? 私たちじゃ何もできないかもしれないよ?」

「黒沢さん、何もできなくてもいいんです。出来る事を出来るだけしてみるのが大事なんです。行きましょう」伊達は、黒菜の目を見つめて言った。

「わかった……行ってみよう」黒菜は伊達の目を見つめ返した。


 伊達は、スマホを取り出し、制服の上にコートを着て、飛行魔法を自分にかけた。伊達がドクロ御前の衣装に早変わりする。

 伊達と黒菜は、バルコニーに出た。太陽はとっくに地平線に隠れ、見えなくなっている。そろそろ夜が近く、空は薄暗い。


「さ、黒沢さん」伊達はそういうと、黒菜に向かって、両手を広げた。

「え? なに、まさか私を担いで飛ぶの?」黒菜は後ずさった。

「それ以外に方法がありますか? 黒沢さん、今は空を飛べないのでしょう?」

「そ、そうだけど……なんか恥ずかしいなぁ」

「ふふふ、さあ、おいでなさいまし!」伊達は笑いながら、恥ずかしがる黒菜を抱きしめた。


 胸や腹から、伊達の体温が伝わってくる。黒菜の恥ずかしさはマックスになった。


「ほら、黒沢さんも、私に腕をまきつけて!」伊達が言う。

「え、エェ……」黒菜は言いながら、伊達の背中で、手を組んだ。


 伊達が、黒菜を強く抱きしめた。その瞬間二人は空に舞い上がって行った。

 ここまでくると、流石に黒菜も恥ずかしがってはいられなかった。伊達に回した腕を、思いっきり締める。いつもの飛行とは違う。

 いつもは、体が宙に浮く感覚だけだが、今回は、伊達の腕が絡んだ脇腹と背中に、局所的に力がかかり、少し痛い。黒菜は改めて、自分が使っていた魔法は便利だったんだなぁ、と感じるのだった。

 伊達は、空に向かって仰向けに飛び、黒菜の体重を体全体で受け止めながら飛行した。それにより、黒菜を抱きしめる力は最小限に抑えられた。

 

「落とさないでね!」黒菜は、通り過ぎていく風に負けないよう、大声を出した。

「もちろんですわ! でも、落としても、緊急防衛魔法がなんとかするはずですわ。黒沢さんのマホーンは、桜木さんに操られているだけで、所持者があなたなのは変わってませんもの」

「あ、そうか。でも、落とさないでね!」

「わかってますわ。オホホ」伊達は笑う。やはり、どんな状況でも、空を飛ぶのは楽しいようだ。


 黒菜は、今伊達に言われた言葉を、心の中で反芻していた。

『マホーンは、桜木さんに操られているだけで、所有者があなたなのは変わってませんもの』

 そうなのだ。マホーンは、黒菜に操作できないだけだった。昔からの魔法設定は生きている。伊達屋敷への道中、転んでも怪我がなかったのは、そのせいだ。

 黒菜は、まだ自分にも、魔法を使うチャンスがあるかもしれないと思った。

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