第十一話「魔王フリージア」
「さっすが、ジキル様の移動は速いねぇ!」
「無駄口を叩く暇はないぞ――ッ!」
ジキルは、ブルースを抱え込んで逃げていた。ただひたすらに魔大陸を離れ、人大陸を目指して走っていた。
やがて鬱蒼とした森を抜け出し、砂浜に転がり込む。
息が荒いが休んでいる暇はない、とジキルは自分に言い聞かせる。
「お前は先に行けよ」
「なっ……何を言っているんだ!? これくらいなら、お前は泳いでいけるだろう!?」
人大陸と魔大陸の間は、それなりの距離の海で区切られている。
それくらいなら泳いでいけるという、ブルースの驚愕の事実はさておき。
「誰かが追手を食い止めなきゃだろ? へへっ、たまにはかっこいい役もやらせてくれよ」
ブルースは立ち上がり、剣を抜いて見せる。
そしてジキルは、今の自分の役目について考える。
ジキルは戦闘が得意ではなかった。特に相手を思うがあまり、敵を傷つけることを躊躇ってしまうのだ。
相手を傷つけてしまうのではないかと恐れるため、口数も少なく、付いた異名が『静寂のジキル』。
ここで自分も戦闘に加われば、ブルースの枷になる。そしてこの事実を、誰かに伝えなければならない。
「……悪い、先に行く」
「ああ……! 頼んだぜ、ジキル」
ジキルは振り返らずに、海に向かって走り出す。振り向いてしまえば、堪えている涙があふれ出そうになるからである。
そしてジキルは、水上を地面のように走り出した。
(目指すは――グリームの店!)
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魔王とは、魔族を統べる魔族の絶対的王者である。
魔王は実力もさることながら、真に脅威なのはその“カリスマ性”だ。
魔王が一声命令を下せば、家臣は死ぬ気で魔王を護る……と言われている。
ここまでは既存の情報。ここからは拙者……ジキルとブルースが調べた、もっと具体的な情報である。
現在魔王の座についているのは“オーフェン・バルバロス”という男のようだ。
拙者達も実際に見たわけではないが、こちらに友好的な魔族はそう答えていた。
オーフェンは魔族の中でも穏健派らしい。魔王を倒すくらいなら、今はそっとしておくほうが無難だろう。
なお、この資料はまだ経過報告に過ぎない――
「――いっ!?」
「ああ、言わんこっちゃない……」
痛む額を抑え、俺は資料から目の前へと視線を移し替える。どうやら木にぶつかったらしい。
「大丈夫? ロニード君」
言葉と共に手を差し出したのはソフィだ。秋だというのに、そのへその出ているタンクトップは如何なものかと問いたくなる。
あと、額に着けているゴーグルは彼女のトレードマークのようなものらしい。
因みにソフィ曰く、俺のトレードマークは呪い装備らしい。その後、一回ぶん殴ってやったので許してやろう。
「歩きながら読み物をするのはやめたほうがいいと言ったのに……というか、何を読んでいるんだい?」
ソフィの手を取り立ち上がると、アルマが言う。
彼女もまた寒そうな恰好をしている。半ズボンに腕の見える黒服、それから黄土色の外套――ポンチョというらしい――を羽織っていた。
「グリームから貰ったんだ。魔王についての資料だってさ」
「グリームさんが? 優しいんだね」
「優しいというより、あいつはああ見えても頼れる奴だよ」
ちょうどいい時間歩いたので、俺達は休息がてら話をすることにする。
それぞれが木に背をもたれるのを確認すると、俺は前々から気になっていたことを口にする。
「……二人はこの旅の終着点について、考えたことはあるか?」
「終着点?」
ソフィがよくわからなさそうに聞き返す。
ああ、ソフィには少し難しかったか。……何故か年下の俺よりも馬鹿なソフィはさておき。
「大丈夫。ボクはソフィのことも、ロニのことも嫌いじゃないよ。
たとえこの旅が終わり、それぞれが散り散りになったとしても、僕らが仲間だった事実に変わりはないよ」
アルマは言うと、微笑しながらファイティングポーズをとる。
ここで俺は、アルマが旅に同行した意味を理解する。
アルマとはまだ出会って少ししか経っていないが、彼女は勇者になれるほどの実力、そして戦闘に対する熱い情熱を持っている。
きっとアルマは魔王に挑みたいのだろう。そして俺達と出会って、その目標が俺達とともに魔王を倒すことになったのだろう。
「私は難しいことはあんまり考えたことはないけど……でも、私はロニード君のことが好きだから。
ロニード君のことをもっと知りたいから、旅が終わっても一緒にいたいな……」
ソフィは天を見上げながら言う。その時、ソフィの顔が赤いような気がした。熱でもあったらマジで困るんだが。
「……俺も、二人のことが好きだ。本当に出会えてよかったと思っているよ」
「へっ!? す、好きとか……そんな、急に言われても――」
「……たぶんそういう意味で言ったんじゃないと思うよ、ソフィ。ロニは鈍感だから」
鈍感って、俺のどの辺が鈍感なんだ? そう尋ねようとするが、それよりも早く誰かの手を叩く音が林道に響く。
「誰だ……――――ッ!?」
幼女だ。頭にヤギか何かの角をはやした、幼女がいた。
白銀のおかっぱの髪で、紫のワンピースを纏っており……何より赤と青のオッドアイだ。一番の衝撃は角だが。
そして俺達は言葉を発することも、動くこともできずにいた。いわゆる蛇に睨まれた蛙状態である。
何故なら、この幼女がとんでもないほどの威圧感と殺気を放っていたからだ。
「あんた達も運が悪いわねー。勇者なんてやってなければ、死なずに済んだのに」
幼女の片手に冷気が集まり、氷槍が作り出される。
あ、こりゃヤベーな。まずそんな思考にたどり着く。
次にどうにかして生き残る手段を模索する。どれをとっても逃げられるような相手ではないことを察するが、そこで浮上した疑問を俺は口にする。
「――オーフェン・バルバロス……?」
「え? あんた、なんでその名前を……って、うっそ!? この未来……こんなヒョロガリの冴えない少年が?」
幼女は左の目を閉じて、右の青い目で俺の瞳を覗き込むと、何やら一人ではしゃぎだす。
……とりあえず、助かったようだ。
しかしこの威圧感と殺気、そして一瞬にして魔法の武器を作り出すハイレベルな魔術。間違いない。この幼女は『魔王』だ。
いや、でもジキルさんとブルースさんが調べた情報によれば、魔王は男っていう話なんだが……
「どうかなさいましたか、フリージア様」
「ウルファル。見つけちゃったのよ、例の人間」
今度は――深い緑色の髪をした、背が高めの男が現れた。
名前は……魔王(仮)がウルファルと言っていたな。そしてウルファルは魔王(仮)のことをフリージアと呼んでいた。
「こんなアリの糞のような人間が……あ、いや失敬。人間とは興味深い生物ですね」
俺の顔があからさまに引きつっていたのか、逆に謝るウルファル。いや、引きつっていたのは多分幼女が来てからだと思うが。
「とにかく、これで退屈しなくて済みそうね。引き上げるわよ、ウルファル!」
「かしこまりました。このウルファル、お供致します」
するとフリージアはジャンプし、ウルファルの首にまたがる。うわ、羨まし……いやなんでもないです。
二人が森を疾駆し、完全に見えなくなると、途端に俺達の気は抜けてその場に崩れ落ちそうになる。
「……なあ、アルマ。お前はあんな怪物と戦いたいのか? 俺は正直ごめんだな……」
「いや、ボクも素手で獅子くらいならいけると思ったんだけど……獅子以上の獲物に素手で挑むのはちょっとね」
ぽつりと独り言のようにつぶやいた言葉に、アルマも同じくぽつりと答えた。
===
ロニード達がグリームの店を出て半日。
ジキルは人のものとは思えないほどのスピードとスタミナで走り続け、ようやくグリームの下までたどり着いた。
「とりあえず、水でも飲むか?」
「……いや、今はそんな気分じゃない」
グリームは人の心に入り込むのが上手い。持ち前の人柄の良さと、長年酒場のマスターをやってきた賜物でもある。
故に、ただ事ではない様子のジキルをゆっくりと、優しく紐解くようにして話を進めた。
「ところでジキル。ブルースはどうした?」
「あいつは……おそらく、死んだ」
「……そうか。それは悪いことをしちまったな……」
「いや、あいつは覚悟を決めてこの仕事を受け持った。グリームは、悪くない……」
常連の冒険者がある日を境に、突然店に現れなくなる。こんなことは酒場のマスターにとっては日常茶飯事だった。
それでもなお、グリームにとっては耐え難い悲報だった。
「……魔王が、変わったんだ」
「なに? 魔王が?」
「ああ……。名前はフリージア。幼子の魔王だったが、とても恐ろしかった……」
ジキルはフリージアを思い出すと、震えが止まらなかった。そして何よりも、ブルースのことが心配だった。
自分のために犠牲になった。だが、まだ死んだと決まったわけではない。でも、あの魔族から逃げられるとは思えない。
そんな脳内議論が延々と続いていた。
それを見かねたグリームは、コップに水を注いでジキルに差し出す。
「なあ、知ってるか? 飲み物を飲むと、喉につかえているものが流されるんだってよ。嘘じゃねぇぜ、なんなら試してみるか?」
「グリーム……」
ジキルが上を見上げると、そこには涙を流すグリームの姿があった。
「……今は泣こう、星となったあいつのために。そしたら歩き出そうぜ。今度は自分のために。それが残された俺達の使命ってもんだ……」
「グリーム……。ああ……」
ジキルはネックウォーマーから口を出し、涙を零しながら差し出された水を飲んだ。




