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02 鏡の迷宮

 * * *



 二人は壁を伝いながら歩いていた。


「ちょっと! 前を照らすんじゃなくて、足元を照らすんだよ!」

 (たける)は不機嫌な声で(つき)()に訴える。

 月華が手にしていた懐中電灯の光が、ミラーハウスの壁に幾度も反射して健の目をくらませたのだ。



「あ、ごめん……」

「月華、どんくさいよな、ほんとに」


「たけちゃん……ひどいよ。そんな言い方」



 月華はイライラしている様子の健が怖かった。


 棘のあるきつい言葉を投げられると、月華はそのたびに息が止まりそうになってしまう。そんな時の健は、ひどく冷たい眼をしていた。

 そして月華が怯えた様子を見て、「月華は俺のことが嫌いなの?」と、また機嫌を損ねるのだ。


 昔はこんなじゃなかったのに、いつの間に感情の激しい性格に変わってしまったんだろう、と月華は思う。



「男の子なんて大体そんなもんでしょ?」と、月華の母親は言っていた。


 だが月華にはそうは思えない。

 普段は優しい健が、ある日突然中身だけ別人になったかのように見えるのだ。





「――やっぱ、たけちゃんって呼ぶな」

 懐中電灯をくるくる回しながら、健はぶっきらぼうに吐き捨てる。



「どうして?」


「なんかさ……中学にもなって、ちゃん付けってどうなんだろうなぁって」

「でもたけちゃ――」

「だからやめろって、それ」


 健は言葉を遮り、月華の手をぐいっと引っ張る。


「俺のそば、離れんな」

「……う、うん」



 月華の手を引いて自ら先頭に立つ健は、幼かった頃よりもずっと頼もしい。

 自分のことを『俺』と言い出したのも中学に上がってからのことだ。まだ時々『僕』が出てしまい、それに気付くと慌てて『俺』と言い直すのだが。


 だがやはりどこか健らしくないのだ。

 以前の健は臆病でも慎重で和を好み、トラブルを嫌う性格だったのだから。



 月華も臆病な性格のため、「例え(にち)()たちに笑われても、自分たちはこのペースでいいよね」とお互いに確かめ合っていたはず――なのに、いつから健だけが変わってしまったのか。



 月華を不安にさせる健の変化は、この遊園地(ドリームランド)にまつわる噂のひとつに合致していた。その噂とは、このミラーハウスに関係するものだ。


 曰く、『ミラーハウスから出て来たあと、中身だけ別人のようになってしまった人がいる』という――――



 * * *  * * *



 月華と健は生まれる前からの幼馴染みという間柄だ。

 母親同士が妊娠中に出会い、お互いの子どもが双子らしいということで意気投合したのである。


 月華と日香は二卵性であまり似ていなかったが、健と(しずる)はそっくりな一卵性双生児の兄弟だった。



 小さい頃の健たちは時々、入れ替わりごっこをして遊んでいた。

 毎日一緒に遊んでいる月華たちや彼らの両親でさえも見分けるのが難しいため、いつも面白い遊びになった。


 ただし彼らがそっくりなのは外見のみで、性格は驚くほど正反対なのだ。

 兄の康は気まぐれで気分屋。何が気に入らないのか突然傍若無人に振舞ったりもする。機嫌のいい時はリーダーシップを発揮するが、強引なところもあって月華は少し苦手だった。


 対して弟の健は、女子よりも――つまり月華よりも気弱で大人しく温和な性格。優柔不断というわけではないが主張することも少ないため、一緒に遊んでいても月華がリードすることも多かった。



 逆に、自身も活発で男の子に混ざって遊ぶのが常だった日香は、多少乱暴でも男の子らしい康の方を好ましく思っているようだった。


 保育園の遠足で来た遊園地(ドリームランド)を回る時に、月華と健、日香と康のペアになったのも当然のことだろう。



 だがそこで事件が起きる。

 月華たち四人は、ミラーハウスで迷子になったのだ。


 幻想的なライティングに魅了された幼い月華は、その日に限って、制止する健の声を無視してどんどん奥へと進んで行った。



 やがて日香たちともはぐれて袋小路に突き当たる。周りを囲む大勢の月華と健。

 右も左もわからなくなった月華は、恐怖と不安のために立ち往生し泣き出してしまった。


 結局、普段は月華の後ろにいて怯えているだけの健に、逆に手を引かれる形で、しかも予定時間を三十分もオーバーしてからようやく出られたのだった。



 迷路に迷い込んだせいか、それとも時間帯のせいだったのか、他の客とは一切出逢わなかったのも月華をパニックに陥らせた要因だったのだろう。

 そして当時の幼い月華たちは『一方の壁伝いに歩く』などという知恵も、当然ながら持ち合わせていなかった。


 よほどショックだったのだろうか。遠足の翌日からの数日間、月華は熱を出して寝込んでしまう。


 そして翌年の遠足の前日にもまた、高熱を出してしまった。




 だがその原因は、ミラーハウスで迷子になったというだけではない。


 更に重大な事件が、彼らの身の上に降り掛かったからだった。



 * * *  * * *



 やがて月華と健は一枚の大きな鏡の前に出た。


 天井の付近を懐中電灯で照らすと、ネオン管がぶら下がっている。

 確かここは撮影スポットとなっていたはずだ、と月華はおぼろげな記憶をたどる。だがその痕跡も、今ではネオン管のひとつくらいしか残っていない。



「この後ろに何かあるらしいんだけど……」と言いながら、健は大きな鏡の手前側の(へり)を触る。


「ガラスだから、手を切らないようにね?」

「わかってるよ――いちいちうるさいなぁ」


 投げつけられた言葉のとげとげしさに、月華はまた立ちすくむ。

 だが健は、そんな月華の心情にはお構いなしな様子だった。



「――ん、なんか隙間があるみたいだ。ちょっと月華も見てみてよ」


 月華はおそるおそる、健と一緒に覗き込む。ほんの少しだけ、鏡と鏡の間に隙間ができていた。空気の流れも感じる。

 そして鏡の向こうは、うすぼんやりとだが(あか)りがあるようだ。


「横に引く……んじゃないな、押してみようか。僕ひとりでも押せそうだけど、月華も一緒に押した方が確実かな。どうしよう」


 健は鏡の左側の(へり)に両手を当て、めいっぱいの力を込めて押してみた。だが鏡はびくともしない。



「もう一度、体重を掛けて押さなきゃ……」

 息を荒くしながら健がつぶやく。


「一番端の部分に力を掛けてみよう……危ないから月華は少し離れていて」

 そう言って、健は月華を後ろに下がらせる。



 健は中学に入ってからぐんぐんと背が伸び、元々少し低めだった月華との身長差が、いつの間にか二十センチ近くにもなっていた。

 その背中に向かって、月華は祈るような気持ちで応援する。


「たけちゃん、頑張って」


「ん……」

 健は全体重を両腕に押しつけるようにした。


 ザリ……と擦れる音がして鏡がほんの少し動く。


「もう一度――!」

 健はまた思いっきり体重を掛けた――と、バランスを崩して左肩から鏡に体当たりする形になってしまう。



 その途端、鏡がぐらりと揺れた。


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