第5話 ふたり
「彼女を作ろうとは思わないんですか? 彼女ができれば、流石にハーレムメンバー達も透さんのことを諦めると思いますよ」
馨さんが俺にそう尋ねたのは、追跡者が去って30分程度たった後のことだった。すぐに外に出るのは危険だと判断した俺たちは、体育倉庫で時間を潰すことにした。マットの上に並んで座り、こうして他愛もないおしゃべりに花を咲かせているというわけだ。
「うーん、まあその方法も考えたことがあるんだけど……」
俺はそこで言葉を切る。
馨さんの意見は最もだろう。彼女を作らずフラフラしているから、ハーレムなんてふざけた集団ができてしまったんだ。偽装の彼女を作ろうかなぁ、と思ったことは何度かある。しかし俺はどうしても踏み切ることができなかった。
まず第1の理由として、リスクが高い。俺の正体が女ということは家族以外は知らない、いわばトップシークレット。もちろん他人にはバレてはいけない。親しくなればなるほど女バレのリスクは高くなるだろう。
そして第2の理由はーー。
「俺は本当に好きな人としか付き合いたくないんだ」
そう、やっぱり自分の心は偽れない。例え一生一人身だとしても妥協だけはしたくない。それにもしかしたら白馬の王子様がある日突然現れるかもしれないし。
「そうですか」
馨さんは満足そうに微笑んだ。
「私も同じです。私も好きな人としか付き合いたくありません。本当に私たちって似ていますね」
「そうだね。本当に俺たちはよく似てる」
「ええ、私たち『いいお友達』になれそうですね」
お友達ーー?
その言葉を聞いた瞬間、俺の心に鈍い痛みが走った。ああ、この痛みは知ってる。あれは確か8年前、密かに好きだった健太君が女の子と手を繋いでいるのを目撃した時と同じーー。
ドクンーー。
俺の心臓が大きく脈打った。なんだか顔もカーっと熱くなってきたぞ。
えええええ! ナニコレ? イヤイヤ、俺ノーマルだよ? 女の子になんて全く興味ないはずだよね? これは本格的にマズいぞ。
俺は立ち上がると、馨さんに背を向けた。もうとても彼女のことは見ていられなかった。
「……いや、俺たちは友達にはなれないよ」
「えっ、なんでですか」
「ハーレムメンバーはきっと俺たちの仲をよく思わないだろう。君にもたくさん迷惑がかかる」
「そんなの関係ありません!」
背後から馨さんの大きくハッキリした声。彼女は俺の前に回り込むと、さらに続ける。
「私、はじめてなんです。ここまで誰かと仲良くなりたいと思ったのは。透さんもそうなんじゃないですか」
ああ、そうだよ。俺は馨さんと仲良くなりたい。でもそれは友達としてではない。それは許されてはいけない禁断の道だ。きっと馨さんをたくさん傷つけるだろう。だから君のために、俺は君を全力で拒否しよう。
「……俺は君のことが嫌いだ」
「嘘です。なんでさっきから私のことを見てくれないんですか? それに透さん、気付いていますか。あなたの今の顔、とっても辛そうです」
馨さんが一歩前へ出る。さっきまでか弱った馨さんと思えないくらい、その双眸は強い決意の光が輝いていて。その迫力に俺は思わず後ずさる。
「えっ?」
何かに足を取られ大きくバランスを崩し、そしてそのまま前のめりに倒れる。もちろん目の前には馨さん。危ない、逃げて!
次の瞬間には、頭から床に叩きつけられた。イテテ、思いっきり鼻を打っちゃったよ。目の前にテニスボールがコロコロと転がってきた。そうかこれにつまずいたんだな。でもよかった、どうやら馨さんは巻き込まずに済んだみたいだ。
ん? いつの間にやら俺の手には布状のものが握られていた。これはスカート、それに白いレースのついた布……これパンツじゃねーか! その瞬間、体中から血の気が引くような感じがした。あっ、もしかして、やらかしちゃった? 俺は恐る恐る顔を上げる。
しかしそこに広がっていた光景は、俺の予想の斜め上をいくものだった。
俺のせいでスカートどころかパンツもずり下げられてしまった馨さん。白くて細い下半身は余すことなく空気に晒されている。しかし股間にはありえないモノがブラブラとしていたのだ。
「キャアアアアアアァァ!」
絹裂くような女性の悲鳴。ちなみにこの声の主は馨さんではなく俺だ。だってこんな展開、声を出さない方が難しいわ。こんな可愛い子の股間にこんな立派なものが生えてるなんて誰が予想できるだろうか? いやーー、男の娘なんて二次元だけの存在だと思っていたんだけどなぁ。まさかリアルに、しかもこんなに近くにいるとはびっくりだ。
俺は乙女らしく両手で目を覆い隠す。しかしちょっと気になるので、指の間から馨さんの股間を盗み見る。うん、やっぱりデカイな。親父のくらいしか見たことないけれど、こっちのほうが倍はデカイ! 親父(笑)
「えっ……ウワアアアアア!」
ワンテンポ遅れて馨さんの悲鳴。そのまま床にペタンと座り込み、ソレを隠す。彼女、いや彼は顔を林檎みたいに真っ赤にし今にも泣き出しそうなくらい瞳を潤ませている。
「あ、あのあの。これには深い訳がありまして。お願いします、このことだけは秘密にして下さい。黙っていてくれたら、な、なんでもしますからぁ!」
馨さんは汚れることも気にしないで、そのまま頭を床にこすりつけた。なんだか他人事には思えない。きっと俺も女バレしたらこれくらい必死になるんだろうなぁ。
その瞬間、俺は全てを理解した。そうか、薫さんは俺と似ているんじゃない。同じなんだーー。
俺は馨さんに歩み寄る。彼女の肩が怯えたように小さく震えた。
「ね、どうしてそんな格好しているか当ててあげようか。家庭の事情で女として育てられた、違う?」
「え、はい。実は実家が華道の家元なんですけど、男子禁制の流派でして。女児が生まれず、その責任を末息子の私が被ることになったんです。で、でもなんで知っているんですか?」
「知っているんじゃない、分かるんだ」
「え? それってどういうことですか?
馨さんは首を傾げる。男と分かっていてもやっぱりその仕草は最高に可愛い。俺の頰が自然と緩む。
「あのさ、このことは黙っていてあげるよ。ただし、俺のお願いをひとつ聞いて欲しい」
「は、はい。私ができることならなんでもします」
「それじゃあ、俺と付き合って下さい」
「え」
馨さんが一瞬、硬直する。しかし次の瞬間には、ブンブンと大げさなくらい首を振りはじめた。
「あ、あの! 分かっているんですか? 私は男なんですよ」
「ああ十分理解している。だからあえて、だよ」
「え、えええ。もしかして透さんってホモなんですか! 困ったなぁ。私こんな格好してますけど、実は普通に女の子が好きなんです! うーん、でも透さんなら別にオッケーな気もしてきたような。あ、あれ。私ホモじゃないはずなのに」
「ぷっ、そんなところまで俺と一緒なんだね」
「あの、さっきから何を言ってるんですか?」
「だから、こういうことさ!」
そう言うやいなや、学ランを脱ぎ捨てる。次はYシャツ、肌着、そして最後に残ったのは胸にグルグル巻き付いたサラシ。この先はトップシークレット、本当は誰にも見せちゃいけないんだけど……俺は何の迷いもなく外し、放り投げる。サラシが宙を舞い、俺の自慢のEカップバストが白日のもとに晒される。ああ、今まで押さえつけていたものを開放するということはなんて気持ちがいいのだろう。
スッキリしている俺に対し、馨さんは驚いたように目をまんまるにしている。君のその気持ちよくわかるよ。だってついさっき俺も体験したばかりだからね。
「ええ、そんなまさか。そんなに格好いいのになんて大きな胸! クソババアの数倍はでかい!」
「ね、だから一緒だって言っただろ」
「は、はい」
ちなみに馨さんは俺の胸をガン見中である。そうか、君も本当は健康な男子なんだね……。なんか急に恥ずかしくなってきた。俺は腕を組み、胸を隠す。馨さんの目が悲しそうに濁った。
「コラ、いやらしい目で見るな」
「ご、ごめんなさい。だってあまりにも立派なオッパイだったから、見なくちゃ逆に失礼かと」
可愛い顔してコイツとんだスケベ野郎だな。まあ全然女の子に興味ないよりはマシか。
「そんなことより、さっきの返事を聞かせてくれよ」
「あ、そうでした。えーと……」
馨さんは3秒ほど悩んだ後、おずおずと手を差し出した。
「こんな私ですが、末永くお願いします」
「ああ、こちらこそ」
俺は王子さまみたいに跪いて、馨さんの手を取った。にこにこと笑う馨さんはお姫様みたいに可愛い。それから俺達は無言で見つめ合う。同じ悩みを持ち、秘密を共有するふたりには言葉や時間は必要なかった。きっと俺たちは世界一お似合いにカップルになるだろう。
体育倉庫の小さい窓からは夕日が差し込み、まるで俺たちを祝福するように照らし出す。舞い上がったホコリは光に反射して、まるで宝石みたいにキラキラと輝いてーー。
ああ、なんて素敵なシーンだろう。俺は生涯、この時のことを忘れないぞ!
……いや、やっぱりそれはなし。お互い大切な場所を丸出しにしていたことだけは忘れたいです。