第3話 只今絶賛逃走中
校舎内に終業を告げる鐘の音が鳴り響く。同時にクラスメイトたちの顔が綻んだ。つまらない授業から解放され放課後の予定が楽しみでしかたない、そんな表情。しかしそんな教室に、まるで戦場に赴く兵士のような険しい顔の生徒が1人。俺だ。
放課後ーーそれはありとあらゆるイベントが発生し恋愛フラグが乱立する、いわゆる『ボーナスステージ』である。そんなチャンスを彼女達がみすみす見逃すわけはなく、わらわらと俺に群がってくるのは仕方がないことだ。さっさと帰宅し、乙女ゲーでキュンキュンしたい俺にとっては迷惑以外のなにものではないのだけれど。ハーレムメンバーに捕まる前にさっさと下校しよう。そう思った俺は号令が終わるとほぼ同時に、教室を飛び出した。
「待って下さい」
廊下に出た瞬間、 ショートヘアーの眼鏡をかけた少女、牧田さんに腕を掴まれる。いきなり捕まってしまうとは、なんたる不覚!
「白鳥君、この前の物理のテストで赤点だったんですよね? 次の追試が駄目だったら留年するとか」
「え、うん」
なんで知っているんだろう。誰にも言っていないのに! すると、牧田さんの眼鏡の奥の瞳が怪しく輝いた。
「仕方ないですねー。この学年1位の私が直々に勉強を教えてあげましょう。か、勘違いしないでくださいね。別に白鳥君のことが心配なわけではありませんから。クラスメイトが留年なんて、私の経歴に傷が付くというか。と、とにかく! 白鳥君は私と勉強をしなくちゃいけないわけです。いいですね?」
牧田さんは早口でまくし立てた後、恥ずかしそうに顔を赤らめ眼鏡のツルをクイと持ち上げる。
うわぁ、色々ぶっ込んできたよこの人。断り辛いシチュエーションを作りつつ、ツンデレキャラで萌えを誘う。牧田さんめ、学年1位というだけありなかなかの策士だな。だが残念なことに俺は女だ。牧田さんとの勉強会になんの魅力も感じないわけで。申し訳ないけど、断らせてもらおう。俺は眼をうるうるさせ、震える声でこう言った。
「ごめん。今日は本当に駄目なんだ。実は姉が急死して、急いで実家に帰らなくちゃいけなくて……」
「えっ、1ヶ月前もお姉さんが亡くなったんじゃ?」
この言い訳、一ヶ月前も使ってたーー!! でも今更嘘なんて言えないしな。なんとか誤魔化そう。
「先月亡くなったのは3番目の姉なんだ。今日のは6番目の姉で。実は俺、6人姉がいるんだ」
ちなみに姉が6人いるとこだけは本当だ。
「えっ、そうなんですか。そんな立て続けに」
「なんか俺の一族呪われてるんだよね。白鳥家に生まれた女性はなぜか長く生きられないんだ」
牧田さんの表情がどんよりと暗くなる。苦しすぎる言い訳だが、どうやら信じてくれたようだ。
「その、引き止めてごめんなさい。元気だしてくださいね」
「うん、本当にごめんね」
牧田さんにクルリと背を向けると、そのまま廊下を全速力で走り出す。可笑しくて自然と笑みが溢れ落ちる。牧田さんマジチョロ! それにあの言い訳、あと4回は使えるじゃん。そんな不謹慎なことを考えていると、突然背後から声をかけられた。
「トオルは相変わらず足早いねぇ!」
声の主はそのまま俺に追いつき、ぴったり並走し始めた。風にたなびくポニーテール、豊かなバストを揺らしながら走る彼女は、陸上部のキャプテンの佐々木|先輩だ。俺は小さく舌打ちする。
「なぁ、やっぱり陸上部に入らない? 一緒に金メダルを目指そうよ」
「お断りします」
この足はハーレムメンバーから逃れるために鍛えたものだ。断じて金メダルなんかのためではない。まあ、そのせいで先輩に好かれる羽目になってしまったんだけど。ああ、それにしても今日はとことん運が悪い。よりにもよって先輩と鉢合わせになるなんて! 彼女はインターハイで優勝するくらい足が早い。追いかけっこに敗北し、陸上部に無理矢理付き合わされたのは一度や二度ではない。このままでは俺の貴重なプライベートタイムが潰れてしまう。かくなる上はーー。
俺は直角90度方向転換、廊下の窓をがらりと開けた。
「それでは佐々木先輩、俺は急ぎますのでここで失礼します」
「えっ? まさか、ここ3階ーー」
先輩が言葉を言い切る前に、俺は飛び降りた。
ああ、空が青い。
そう思った次の瞬間には強い衝撃、樹齢千年の大木の枝に引っかかった。実はあの窓、俺の非常口なんだ。ハーレムメンバーから逃げ出す常套手段。木から降りるのもお手の物、なんの危なげなく地面にひらりと着地する。ふう、今日も疲れたな。早く帰ろう。俺は髪の毛に付いた枝やら葉っぱやらを落とすと足を踏み出したーー。
「お待ちしていました。今日は少し遅かったですわね」
目の前にニコニコ笑顔の櫻子さんが立ち塞がった。俺の背筋がゾクゾクと凍り付く。なぜかって? 彼女の背後には黒服を着た屈強な男達が立っていたからさ。流石ハーレム序列第1位だ。コイツ勝つためなら何でもやる気なんだな……。
「透様、この後お暇ですか?」
「いや、今日は忙しくて」
「いつもお忙しいんですね。一昨々日はガスの定期点検、一昨日は歯医者、昨日は予備校。そういえば、お姉さんはもう6人亡くなりましたよね。それで今日は何の用事ですか?」
櫻子さんは笑顔は崩さず、目付きだけがまるで猟犬のように鋭くなる。それが合図になったのか、黒服達が俺をぐるりと取り囲んだ。ヤバイ、これは詰みというヤツか。取って食われるわけではあるまいし、大人しく従うか……
「ふふ。実はですね、父が貴方に会いたがっているんですよ。あ、大丈夫ですよ。きっと透様なら父とすぐに仲良くなれますから。だから安心して下さい、ね?」
はい、無理。
何、親巻き込んでるんだよ! これ行ったら色んな意味で逃げられなくなるパターンだよね。しかし、この黒服たちから逃げるのは難しいだろう。しかたない、奥の手を使うか……。俺は通学鞄から野球ボール大の球体を取り出すと、
「セイ」
という掛け声とそのまま地面に叩きつけた。すると次の瞬間には辺りは白い煙で覆われ、ほんの10センチ先の景色も見えなくなった。これは俺自作の煙玉である。忍者が敵の目をくらますときに使うやつ、といえば分かりやすいだろう。こんなこともあろうかとこっそり持っていたのだ。
よし、今がチャンス。俺は全力で地面を蹴り、そのまま走り出した。
「キャー、一体何事ですの? 」
「櫻子お嬢様、落ち着いて下さい」
「皆、櫻子お嬢様をお護りするのだ」
背後で櫻子さんと黒服の声。向こうはまだ混乱中のようだが、あまり時間は稼げないだろう。どこかに隠れないと。するとようやく白煙から脱し、視界が一気にクリアになった。おっ、あそこに見えるは体育倉庫!よし、あの中に隠れよう。
倉庫の引き戸をガラリと開けると、俺は勢いよく中へ飛び込んだ。しかしーー。
「えっ?」
「キャッ!」
体育倉庫の中には先客ーー馨さんがいた。そんなことなど知らなかった俺は勢いよく彼女にぶつかり、そのまま覆いかぶさるように倒れ込んだ。