陰陽一課
草稿。溜まったら推敲。
とある惑星の、誰が数え始めたか今となっては誰にもわからないが、およそ千八百年ほど続く人間の文明。
その中のとある国家。
渡来者から齎された蒸気機関によりにわかに発展を遂げたその国は活気に満ち溢れ、それでいてその興隆の性急さから焼いた餅のように彼方此方が罅割れ、軋轢み、歪に摩擦し、まるで成長痛に泣くこどものようにやかましい。
多様な価値観、文化を取り込み、またそれらは人と共に流れ込み、まさしく混沌。光と闇が入り混じり、丁度黎明の様相を呈している。
そんな国の、中央都市。
大衆食堂は世の縮図だ。
老若男女、いや、それどころではない。
老いだの若きだの、男だの女だの、四つ切りではすまない。
生まれも話す言葉も、なにもかもがバラバラの綯交ぜである。地方人、異邦人、故のなき人。
「人」がひしめき、急いては飯を食う。
そんな中に似つかわしくない二人の男と女。中央都警察署陰陽一課、三好海吉と又三郎がいた。
三好海吉。ぼさぼさ頭の痩躯。ぎょろりとした強い眼光。それでいてどこか愛嬌のある表情は、見る人に狼を思わせる。
対する又三郎は、軍服に身を包んだ麗人である。長い髪。澄んだ瞳にはうすらと血潮の赤が滲む。その所作は露を纏うように凛としている。
陰陽一課。すなわち怪異殺し。けだもの狩り、妖怪退治。
陰陽の名を冠する通り、浮世ならざる存在を取り締まるために措れた部署であり、つまり、甚だしく時代錯誤なのである。
世に蔓延る怪異などというのは、結局は迷信や見間違い、勘違いであることが殆どで、それらは所詮科学の進歩により淘汰されるものである。
殊、この蒸気機関の時代に於いてそれらの存在、いや、その「存在未満」共は、潮流に取り残され、忘れ去られていく。
そんなもの相手の仕事である。仕事がないわけではない。
しかしながら当然、彼らは閑職。
喧騒と呼ぶに相応しいこの大衆食堂の様子からするに明らかに異質、異物的だった。
此処では誰もが慌ただしい。
客の合間を女給が駆け回る。
盆の上にはカレーの皿。
舶来の香辛料と野菜あるいは豆。
そして肉を煮込んだ異国の料理である。
もっとも、伝統的な調理法などは、このような庶民向けの大衆食堂において余りに煩雑で、本物のカレーというのは高級洋食店でしかお目にかかれない。
此の店ではカレー粉と呼ばれる、予め調合された安物の香辛料を使用し工程を簡略化しているのだ。
だとしても、やはり大衆にとってこうした異国の料理は物珍しく、時好の大波が来ている。
時代と共に新しきを求める。
文明人のあるべき姿である。少なくともこの文明においてはそうだ。
しかし、陰陽一課の二人はそれに逆行、退行するように、それぞれ一杯の、何の変哲も無いただのかけそばを啜っていた。
茹で加減は滅茶苦茶でとても食えた代物ではないが、であるからこそ、二人は咀嚼を忘れ、箸の奴隷となり、唯々諾々と胃に濁流を押し込む。
食事というにはあまりに殺伐で、投棄とするのがより近いような、そんなぞんざいな食いざまである。
勿論、この二人には先を急ぐ必要は無い。
喉の詰まりそうな食いっぷりでもって、間に合わせるような用事は無い。
しかしこうも急ぐのは、ただ単純に腹が減っているからである。
文明人というにいささか動物的過ぎている。
無言。しかしそれは沈黙とは程遠く、箸は器を打ち鳴らし雄弁に語る。
そばのつゆの最後の一滴を飲み干すまで結局、言葉を口にすることはなかった。
一息つき、先に話し始めたのは三好である。
「なあ、又三郎ちゃん。狒正二丁目に人斬りが出たそうだぜ」
誰かがテーブルに置いて忘れた、新聞の一面を指して言う。
人斬り、裏を返せば死人が出たというのにどこか愉快そうでもある。この男はこうした面から、警察官としての資質を疑われることがしばしばある。
「飯を食ったそばから仕事の話をするのはよせよ三好くん」
又三郎は後ろで結んだ長い髪を解きながら制した。
しゃんとした物腰とは裏腹に、この女は中々に怠惰なのである。
「おいおい、いつも忙しく動き回っている風な物言いはやめろ。
それは働き者の台詞だぜ。
警察のくせに、都で起きた事件を新聞で知る。
というのがそもそも、俺たちが窓際通り越してベランダかバルコニーかってぐらいの閑職だってことを証明している」
三好は白々しく正論を吐いた。
「おまわりさんが働き者でどうする。乱世じゃあるまいし。我々が暇なのは、社会的には大いに結構なことなのだ」
「露骨に話を逸らそうとするな」
「うっ……しかしだね三好くん、相手は【人斬り】だろ?
それは所詮人の業なのであって、例えば【人喰い】などではないのであろう?
ならば」
我々の仕事ではないだろう。
と又三郎は結論づけ、話をうやむやに終わらせようとした。
ところが、そこだよ。と、三好が言う。
「そこなんだよ又三郎ちゃん。
確かにこれは人斬りだ。
だがよ、それは我々人間の理に当て嵌めたに過ぎない。
その動機が、ひょっとかしたら人間なんぞにゃ及びもつかないモノであるかも知れないってことよ」
「まさか、人を喰う為に斬った。
とでも言うつもりじゃあるまいな。
けだものが態々そんな、食事の真似事みたいなことをするかい。
それこそ人の理ではないか」
生きた人にそのまま喰らいつくからこそ、彼奴らはけだものと呼ばれるのだろうに。
と、又三郎は笑った。
「まあ、見れ」
三好は、一面の大文字を指す。そこには「五、六人殺傷」とあった。
それを見た又三郎
「なんだね、この好い加減な題目は。
大砲やダイナマイトの類で、肉が千々になったでもあるまい。
死体の数など、読み書きを知らないこどもにだって数えられるだろう 」
「だからさ、千々四散木っ端微塵になったんだよ。
一人の人斬り相手に、五、六人。
いや、正確な数はわからない。
もっといたかも知れない。
バラバラの肉塊にされたんだ」
「どういうことだそれは」
又三郎はおもわず身を乗り出した。
「記事には
【現場には賽の目状の肉が大量に残されており、人の耳が含まれていたことから人間のものと断定。その重量にして成人男子の凡そ五、六人分。目撃者は、犬の面をした学生服の小柄な男の仕業だと語るが、酷く錯乱しており定かではない】
とある」
「賽の目?」
「豆腐を切るだろ?」
「わからない」
「ああ、又三郎ちゃんは料理をしないものな。じゃあ、ええと、どう例えるかな」
三好は一寸虚空を見、考えると、なにかを思いついた。
「こう、りんぴょうとうしゃ……」
かいじんれつざいぜん。と胸の前で九字を切り
「俺がこれに沿って解体されるのを想像してみてくれ。
おそらくそう言うことではないかな」
と言う。又三郎は眉を顰めた。
「……飯を食った後に、中々にグロテスクなことを言うのだな」
「こんな不味いそばが飯なもんかね。
こりゃ餌だ。
まあ、イメージが齟齬なく伝わっているようで何よりだぜ」
三好は続けた
「さて【こんなこと】人間にはまず不可能だ。が、それはさておき、何故やっこさんは【こんなこと】をする?」
「それは、何故人間をバラバラにするかということか?」
うーん。又三郎は暫く考え込んだ後に、待て、なんだか君に誘導されているような気がするんだが。と言った。
「何がだ」
「要するに、この人斬りは人間を食べやすく加工するつもりでバラバラにしている。と言わせたいのだろ?」
君は本当に嫌な男だな。と鼻を鳴らした。
「ま、そんなとこさ。なあ又三郎ちゃん。いよいよ俺たちの仕事っだって気がしてこないかな?」
三好の眼光が鋭さを増す。しかし、又三郎はどこか、納得出来ない様子である。
「だがな、三好くん」
人斬りが怪異の類で、人を喰うつもりで殺したなら、残すか?いや二つの意味でさ。目撃者も彼奴にとっては餌だろうしさ、わざわざ生かしはしないだろう。逃げたとしても、所詮人の足だ。取りこぼしはないだろ。それにもう一つは。
「肉、だな」
「うん。目の前に餌があれば、たいらげるよな。けだものというのは往々にして、飢えてるものだよ」
又三郎はそういうと、自分達のテーブルを指した。
唐辛子の滓を残して、そばの器は空であった。
又三郎は続ける。
「だが、まあ、目撃者は隠れていたのかも知れないし、それに知性を持つ怪異だっていないわけではない。
もちろん、その知性とは、人の理と違った仕組みで動くモノだろうが。
なんにせよ、そもそも人間には成しえぬ所業だ。
三好くんの言う通り、我々の仕事なのかもしれない。
調べてみるべきだろうなあ」
……しかし、もし知性に従い意図して肉を残したとするなら、その意図とはなんだ?例えば目撃されるのを嫌ったとして、逃げるよりも肉を残さず喰った方が、証拠が残らないのだから都合が良いに決まっている。いや、そこまでの知恵はないということか?しかし、目撃者が言うには人の形を取っているとか。なら犬仮面の下はどうなっているのだ……ううん、見当がつかぬ。
一頻りぶつぶつと呟いた又三郎は最終的に
「こう、頭を使うのは君の仕事だろうよ三好くん」と匙を投げた。投げ渡した。
「お前さんも怪異だと思うか。これは」
「考えれば考えるほど、そんな気がしてくる」
又三郎は観念したようにそう言った。
「ところでさ」三好が切り出す。
「今度はなんだね」
「いや、今度はというか地続きの話なんけど、又三郎ちゃん、もしこの人斬りに遭ったら、勝てるか?」
そう言う三好の表情はどこか神妙だった。
「さあね。所詮僕の剣は人のそれ。
瞬く間に相手を斬り刻むような、謂わば埒外の技に敵うかどうかは計りかねる。
ましてこんな大衆食堂の机上では何を言おうと空論だ。
実際に仕合わなければ、なんとも言えん」
又三郎は薄い茶を啜り、目を閉じて言う。
「ま、何はともあれだ。
頼りにしてるぜ中央都署のきっての大剣聖殿」
三好は冗談めかして茶化した。よせよ。と又三郎は苦笑いする。
二人は食堂を後にした。
二人は署に戻ると、屋上で煙草を吹かしていた、同期で保安二課の赤坂源五郎をつかまえた。
丸く大きな目。
どこかあどけない表情の優男である。
「よう、探したぜ」
三好に声をかけられた赤坂は、振り向くなり縁起の悪いものを見たような顔になる。
実際、縁起が悪いかどうかはさておき、都合は悪いのだ。
同期ということもあって、陰陽一課の二人にとってこの男は、保安二課の窓口なのだ。
つまり赤坂からすれば、三好と又三郎、軍学校からの付き合いであるこのコンビは面倒事の権化だということになる。
「見ての通り一服だ。仕事の話なら後にしろよ」
「それは、働き者の台詞だよ。赤坂くん」と又三郎が言う。
「馬鹿を言うな。働き者が、働き者の台詞を吐いて何が悪い。僕はお前ら二人と違って忙しいんだ」
「そういやぁ保安二課、ごそごそと動き回ってるみたいだが、何かあったのか?」
赤坂を探して保安二課の事務室を訪ねた際、なにやら慌しい様子だったのを思い出して三好が問う。
「ごそごそってなぁ、人の部署を虫けらの群みたいに言うなよな」
麝香街だよ。
やくざのシノギに手を出した天狗商会の上役が拉致されたんだ。
まあ自業自得といえばそれまでなんだが。全く、要らぬことに首を突っ込んでお巡りさんの仕事を増やさないで貰いたいねえ。
赤坂はうんざり顔でぼやいた。
天狗商会。貿易業を主とした複合企業である。
「そうは言うがよ、それは保安課の仕事ではないだろ」と三好。
「人員が足りんらしくてな、合同捜査ってやつだ」
「要するに捜査課のパシリってことだな」
「おいおい、何もウチだけじゃないさ。
天狗商会は近頃、議会でも発言力を持ち始めているそうで、警察としては恩でも媚でも売りつけたいらしくてな、殆どの部署が駆り出されてるよ。
声がかかってないのはお前ら妖怪刑事くらいなものなのさ」
赤坂は三好の軽口に反撃した。
「妖怪刑事……かっこいいな……」
又三郎には通用しなかった。
「まあともかく、お前らに構う暇はないんでな、本題から聞こうじゃないか。
先に言っておくけど、仕事ならやらんぞ。
猫の手も借りたいが、化け猫はお呼びでない。
お前ら二人は、藪蛇使いだからな。余計な仕事を増やされては困るんだ」
心配するな。と三好、予防線を捲したてる赤坂を制した。
「赤坂。お前さんに二、三、いや、一つでいい。
狒正の人斬りのことで尋ねたいことがあってな」
「狒正の人斬り?」
赤坂は肩透かしを食らったような顔と声で、三好の言うそれを反芻、反唱した。
「なんだ、知らないのか?」
「いや、こいつはまさしく、釈迦に説法になっちまうと思ってな。
だってあれは、どう見たってもお前ら陰陽一課の案件だろう。
とっくに調べはついていて、僕から話すことも、僕に聞くべきこともないと思っていたもんだからな」
赤坂は、透かされた肩を今度は竦めて、そう言ってみせた。
「おいおい、買いかぶりすぎだ。
俺たちはその事件をさっき、新聞ではじめて知ったんだぜ?
確かにやり口は埒外といったところだが、まだ怪奇の仕業だとも断定できちゃいねえ」
「お前らにわからんことは僕にもわからんよ」
赤坂は、お手上げといった様子でそう言う。
「いや、赤坂くんは昔から賢いから、知恵を借りに来たのだよ」
「そうそう、知恵をな」
又三郎に三好が調子良く合わせる。
「主席コンビにそう言われても嫌味にしか聞こえないんだが」
「身も蓋もなく言えば、役立たずだったな」
「うるせえ。
お前にないのは身でも蓋でもなく人間の心だよ。
というか、そもそもコレはどう見てもお前らの仕事なんだから、門外漢の僕がなにも知らなくて当然なんだよ。
それをいきなり引っ捕まえて無能呼ばわりたぁ、どういう了見なんだ全く」
ふんす、と赤坂は鼻を鳴らした。
「それは僕の二つ名が都の猟犬と知っての物言いか?」と又三郎。
「いや、一介のおまわりさんに二つ名とかないから」捏造するな。と流石の三好もつっこんだ。
「で、結局のところ何が聞きたいんだ?答えられる範囲でなら答えてやる」
「まあ、期待はしないが、そう、遺体の身元はわかったのか?」
赤坂は、遺体の有り様を思い返し、眉をひそめながら言う。
「……手を合わせる気にもならなんだ。
あの肉の塊、アレを遺体と呼んでいいのかはともかくとして、あんな風になっちまってりゃ身元なんてわかるはずもないさ。
人肉のソムリエでもいれば、わかるんだろうけどさ、そんな危険人物がいたらばとっくにお縄さ。
ま、被害者の身元の確認はできないことを前提にした方がいいだろうな」
複数名の被害者の身元がわかれば、犯人の正体が見えてくると考えた三好のアテは外れた。
それぞれ住む地域や年齢、性別がバラバラなら、無差別の犯行である可能性も高いし、
逆になにかしらの共通項があるならばそれは家族であったり何らかの集団への怨恨や復讐、
もしくは「祟り」であることが考えられる。
怪異かそうでないか、を決める手がかりにはなりえないが、その動機を推測することは、相手が人だろうともののけだろうと、有効である。
しかしそのアテは、外れた。
「……なるほど、な」
三好はひとまず、無駄な思惟を巡らせることをやめた。
「まぁ、せいぜい頑張ってくれ給えよ。妖怪刑事諸君。それでは僕はこれにて」
赤坂は、屋上の風に乱れた七三を手櫛で整え、二人を置いて仕事に戻った。
「なぁ、三好くん。これからどうするんだ?」
又三郎は三好の顔を覗き込んでそう言う。
「まぁ待て。なにか知ってそうなのがもう一人いる」
三好は、郊外に住むある人物を訪ねることにした。
せんきゅーべりーまっち