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第一王子、怒られる

「殿下――」

「後にしてくれっ!」


 落ち着き無く歩き回るトリスタンは、何事か呼びかけようとした侍従を怒鳴りつけた。


 ユリアーネの行方は(よう)として知れない。部屋に乱れたところがなかったから攫われたということはないだろうが、昨日のやり取りがどうにも気になる。ユリアーネが泣いていたのは、紛れもなくトリスタンのせいだった。彼女を愛していると言いながら、彼の計画はことごとく裏目にでてユリアーネを傷つけることになってしまった。

 誤解したままで、どこでどうしているのかと思うと、いてもたってもいられなかった。自ら彼女を探しに飛び出してしまいたいほどだったが、さすがに効率が悪いのは分かるのでじりじりしながら報告を待っているところだった。そして待っているだけというのは非常に気力を消耗するものなのだ。


「私はもう王太子ではないのだろう。私にしかできないことなどまだあったか? 他の者のところに行ってくれ!」


 苛立ちにまかせて吐き捨てた後、トリスタンはすぐに自身を恥じた。これはただの八つ当たりだ。この事態を招いたのは彼自身にほかならない。他の誰も、責めることなどしてはならない。


「いや、すまなかった……動転していて。何かあったのか?」


 悄然として詫びると、怒鳴られて目を瞠っていた侍従は気遣うように微笑んだ。


「ご心中はお察し申し上げます。ですが、陛下のお召しでございますので」

「父上の……?」

「はい、ですから、ご足労ではございますがどうか……」


 侍従の表情には懇願の色も浮かんでいた。絶対に行かないと駄々をこねるだろうとでも思われているのだろうか。確かに今のトリスタンはユリアーネ以外のことなど考えたくもないが。だが、国王に呼ばれたとあっては断る訳にはいかないだろう。


「分かった。仕方ないな」


 トリスタンは重いため息をついた。




 父王の執務室に入ると、そこには王に相対するもうひとりの人影があった。一体何の用件なのか、と首を傾げたのも一瞬のこと。その人物は扉が開いた音に振り返り――トリスタンは、息を呑んだ。


「アイヒェンオルト男爵……!?」


 そこにいたのは、ユリアーネの父だったのだ。トリスタンが最後に会ったのはユリアーネを王宮に連れ出す際に挨拶をした時だった。その時は、心配そうにしながらも穏やかに接してくれたというのに、今はなぜか――いや、理由は思い当たるが――険しい顔で彼を見つめている。

 ユリアーネのために何度も彼の領地を訪れたから知っているが、男爵は物静かだが厳格な人だ。何より、義父になると――勝手に――仰いでいた人でもある。そんな人物に睨まれて、トリスタンは意味もなく唾を飲み込んだ。


「ご、ごきげんよう、男爵。てっきり領地にいらっしゃるものとばかり――」

「トリスタン」


 しどろもどろの挨拶に男爵が答える前に、王が口を開いた。静かな呼びかけではあったが、こちらも目が笑っていない。


「アイヒェンオルト男爵が今朝早くに余を訪ねてきたのだ。令嬢のことですぐにも聞きたいことがあると」

「この数日で我が家を訪れる客が急に増えまして。その用件は大きく分けて二つ。一つは娘がトリスタン殿下を射止めたのがめでたいと祝福するもの。もう一つは娘が殿下をたぶらかしたと罵るものです」

「それは……」


 昨日ユリアーネと話した時のように、トリスタンの舌は口の中で固まった。昨日は言葉が見つからない焦りのため、今は父と義父(仮)に冷たく見つめられる恐怖のために。

 トリスタンの予定では、今頃はとうにユリアーネと共に男爵に結婚の許しをもらいに行っているはずだった。だが、意外にもユリアーネは彼の婚約破棄と継承権放棄を喜ばず、アーデルハイトの説得まで必要になった。

 だから弟のジークフリートと更に細工を巡らせていたのだが、アイヒェンオルト男爵に話が伝わることまで考えが及んでいなかったのだ。

 男爵に代わって、王が更にトリスタンを追い詰める。


「そなたは余や重臣たちによく根回しをした。本気でユリアーネ嬢を愛している、そのためならなんでもすると、立場をよく考えた上でこうするしかないのだと納得させた。……だから男爵は当然了承しているものと思ってしまった。確認を怠ったのは余の落ち度でもあるが。だが、まずはそなたから全てを聞き出さなければならないと考えたのだ。

 さて、そもそも疑問だが――ユリアーネ嬢にはそなたと結婚する意思があったのか? 無理強いしていたということはないだろうな? アイヒェンオルト男爵によると単なる物見遊山にと都に送り出したということなのだが」

「私は――」


 四方から鉄の壁が押し寄せてきているような重圧と圧迫感を感じながら、トリスタンは懸命に口を動かした。昨日もユリアーネ本人に対してこんなことを言ったな、といっそ懐かしく思い出しながら。


「ユリアを愛しています。彼女と生涯を共にしたいと願った心に嘘偽りはありません! 父君にも、すぐに許しをいただきに参上するつもりでした」

「ではなぜそうしなかった?」


 トリスタンはまた言葉に詰まった。ことの顛末を語ったら父も男爵も激怒するだろう。彼が叱責されるのは仕方ないが、男爵はユリアーネとは二度と会わせないなどとは言い出さないだろうか。ユリアーネが消えたのも、父親に呼び戻されたからではないのだろうか。

 男爵はトリスタンの沈黙を許さず、穏やかに、だが断固として促した。


「殿下、お聞かせください」

「……お騒がせすることになって……大変申し訳ないと思っている」

「そのことはもう良いのです」


 頭が真っ白になりながらも謝罪の言葉を述べると、男爵はあっさりと首を振った。


「つきあいのある家の娘が、縁談がまとまったと聞けば祝いの一言も述べるのが礼儀だと普通は思うでしょう。そしてその相手が責任も婚約者も放り出して娘を選んだということならば、苦言を呈する者もいるでしょう。ですからそれは致し方ないことだと存じます。

 私が知りたいのは、なぜ私が――娘の父親があずかり知らないところでそのようなことになったのか、です」

「すぐにお伝えするつもりでした!」


 男爵の鋭い視線に脅すように促され、トリスタンは叫んだ。勢いに任せなければとても堂々と言えることではなかった。


「ユリアーネも私を慕っていると言ってくれたから、喜んでくれるものと……。それに、男爵が王太子の肩書きを持った求婚者を歓迎しないと分かっていたので。だから、全て終わった後でひとりの男として申込もうと考えていました!」

「殿下……」


 男爵は低くつぶやくと重々しく首を振った。男爵が静かな表情をしていたのは、感情を抑えていただけだと、トリスタンはこの時初めて気がついた。今や男爵の目には激しい怒りと悲しみが渦巻いていた。欺かれて娘を連れ出されたことへの怒りと、娘が傷つけられたための悲しみだろう。


「確かに、恐れ多くも王太子殿下を婿に迎えるなど当家には過ぎた光栄です。娘もその重圧に耐えられるはずがない。そう簡単にうなずくことはできなかったでしょう。ですが、殿下――」


 男爵の目に強い光が宿り、トリスタンは思わずひるんだ。そこへ、義父になるはずだった人が吐き捨てるように追撃をかける。


「人生の大事を黙って進めるような男に娘をやれるとでもお考えでしょうか。それだけではない、娘が婚約者を押しのけて恥じることのない娘だとお考えだったのでしょうか」

「…………いいや…………」

「貧しい男爵家だからと当家を侮るのもほどほどにしていただきたい!」

「はい……」


 悄然としてうつむいたトリスタンの耳に、王の重いため息が届いた。男爵ばかりか父にまで見捨てられたようで、トリスタンはどこまでも地中深く沈み込んでいくような気分を味わった。


「一度決めたことではあるが、全て考え直さなければなるまい。婚約のことも、継承者のことも。まずは当事者であるジークフリートにアーデルハイト、それにユリアーネ嬢を呼び寄せよ。ああ、後は王妃もだ。女の視点も必要だろうからな」


 だが、王が命じるのを聞いて、トリスタンはゆっくりと顔を上げた。父王が呼び出す者としてユリアーネの名も上げていたのを聞きとがめたのだ。


「ユリアは、父君のところにいるのではないのですか……?」


 深く意味を考えて言ったことではなかった。男爵の言葉に打ちのめされて、物事を考える余裕などなくなっていたから。ただ、疑問に思ったことをそのままぽろりとこぼしただけだった。


「殿下、何と仰いました!?」


 だから男爵に詰め寄られてトリスタンはたじたじとなって後ずさった。王子として、ひとりの男として体面を保つことさえ今の彼には難しくなっていた。だから、男爵を更に怒らせ、彼の立場を更に悪くするであろうことさえ、やはりぽろりと口をついて出てしまう。


「ユリアは今朝から姿が見えない。王宮中を探させているところでした。昨日も沈んだ様子だったから心配で……。でも、てっきり父君のもとに帰ったのかと……」

「とんでもない!」


 男爵の顔から血の気が引いていた。


「娘に会ったのはあの時送り出したのが最後で……では、娘は、ユリアは今どこに!?」


 トリスタンには弁解や言い訳を考える暇もなかった。彼が口を開く前に、部屋の扉が音を高く開かれたのだ。王の執務室に、これほど荒々しく踏み込む者など今まで誰もいなかっただろう。このシュトラールラントは、幸いにしてこれまで王宮に敵の侵入を許したことなどなかったのだから。


「ジークフリート? それとも王妃か? 早かったな――」

「陛下! それにトリスタン殿下っ!」


 怪訝そうな王のつぶやきは、慌ただしい叫び声にかき消された。青ざめた顔で佇んでいたトリスタンも、彼に詰め寄ろうとしていたアイヒェンオルト男爵も、乱入者のあまりの勢いに思わずそちらの方を向いた。そしてその招待に気づき、トリスタンは目を剥いた。


「レーヴェンブリュール公爵!?」


 レーヴェンブリュール公爵――アーデルハイトの父は、普段は冷徹冷静な人物と知られている、王家の第一の忠臣のはずだった。しかしそのような評判が嘘のように、今の公爵は目を血走らせ、トリスタンに指を突きつけている。立派な不敬罪に相当する行為ではあったが、もちろん王も当のトリスタンも、とがめるつもりも余裕もなかった。


「娘が、アーデルハイトが屋敷から消えた。殿下、あなたのせいだ。それとあの女狐の! アデルに万一のことがあったらどうしてくれる!? あなたの考え無しが娘の人生を狂わせたのだ!」

「そんな……アデルまで……?」


 よろめいたトリスタンと入れ替わるように男爵が身を乗り出して公爵に食ってかかる。


「女狐とはわが娘のことでしょうか? ユリアは何も知らなかったのです。軽々しくそのように言うのは止めていただきたい!」

「あなたは――アイヒェンオルト男爵か? ここにいるとは……だが、婚約者のいる男と娘の交際を許すのは軽率ではないのか!?」

「娘をご存知でもないのに……! ユリアは礼儀と節度を持って接していました。度を外れたのは殿下のみです!」


 男爵の発言もまた不敬罪にかすりそうなきわどいものだった。息子がけなされたと思ったのか、反論できないのが(しゃく)なのか、王は立ち上がって睨み合う臣下ふたりを制そうとした。


「ふたりとも、余の前であることを忘れるな。心情は察するが落ち着くように――」

「娘の行方が知れないというのに落ち着いてなどいられません!」


 公爵と男爵と、ふたりの父親の反駁はほぼ同時、怒鳴ったこともほぼ同じだった。正論すぎる内容に、王も無礼をとがめることもできず憮然として黙り込んだ。トリスタンにいたっては、もちろん反論する権利も気力もない。ただ呆然とつぶやくばかりだ。


「ユリア……アデル……一体どこへ……」


 収集がつかないところへ更に数人の足音が響く。


「まあ、扉を開け放したままで。大きな声が廊下にまで響いておりますよ」


 緊迫した空気を和らげる優雅で気品に満ちた声は、王妃のもの。そしてその背後から、ジークフリートも顔をのぞかせる。


「……一体何があったの?」


 まだ何も知らない弟の暢気(のんき)な顔を見て、トリスタンは早く事情を知らせてやろうと大きく息を吸った。()()は兄である彼にほかならないのは承知しているが、ユリアーネばかりかアーデルハイトまで姿を消して、父親たちに責められて、少しでも心の重りを弟に分けたかった。


 五歳差の兄弟ということで、ふたりが並べられて叱られるなど滅多になかったと思う。しかし、これから――そしてこの良い歳になったというのに、その珍しい事態が起きようとしているようだった。

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