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第一王子、ひざまずく

 ユリアーネを連れたトリスタンは、騎士たちから離れ、森の中で少し開けた空き地を見つけた。


「ユリア……」


 木漏れ日を浴びて緑の中にたたずむユリアーネは森の妖精が現れたかと思われるほどに可憐だった。しかし今のトリスタンには彼女にみとれる喜びにひたることなどできない。

 がば、と。宙に残像を残す勢いで跪くと、一国の王子であるはずの青年は名誉も威厳もなくみっともなく叫んだ。


「本当に、すまなかった!」

「殿下、あの……?」


 頭上から降るユリアーネの声を遮って、トリスタンは切々と自身の罪を数え上げた。


「私は君に対してあまりにも沢山の罪を犯してしまった。

 アデルとの婚約破棄も継承権放棄も、君の心も確かめずに進めてしまった。そのせいで君が非難の目にさらされるのも気にとめないで……! 君を手に入れることさえできれば良いと、父も臣下も、君自身さえ軽んじてしまった。

 あまつさえ嘘もついてしまった。今回のことは全て私の勝手な思いから始まったことで、君には何の責任もない。何と言えば気に病まないでもらえるか分からないが――決して君のせいで王座や義務をないがしろにした訳でも、逃げ場にしようとした訳でもないんだ」


 そこまでひと息に言って、息を継ぐ。ここまで列挙しても、彼の罪はまだ尽きないのだ。もっとも重い罪、もっとも言いづらく恥ずべきことがまだ残っている。覚悟を決めたつもりでも、それを口に出すには心臓の血を絞り出すような勇気が必要だった。


「それに……君のことを何てアデルに言ったかも。最低なことだった。いや、言ったのはジークフリートだが……でも、言わせたのは私なんだ。君が――」

「わたしが、王妃の座を望んでいた、ということでしょうか」


 ユリアーネの声が今までになく冷たく冷え切っていたので、トリスタンは一瞬息を詰まらせた。それでも懸命に謝罪を述べようとするが――


「そう……そうだ。本当に――」


 すまなかった、と続けようとした言葉は、またも遮られた。


「アーデルハイト様は、とても思い悩まれたご様子でしたわ。殿下が悪い女に騙されてしまったと……。公爵家のご令嬢ともあろうお方がお一人で飛び出してしまうくらいに。あの方は宝石もお持ちでした。それで、わたしが殿下を――その、騙し続けるように、頼むおつもりだったそうです」

「アデルが、そこまで……」

「とても素晴らしい方ではありませんか。どうして避け続けて……怖い方だなんて思ってしまったのか。わたし、アーデルハイト様に申し訳がありません……!」


 ユリアーネが怒り嘆いているのは、アーデルハイトのためだった。自分自身への悪評よりも、それが彼女を苦しめたこと、嘘を信じて彼女を避けてしまったことに心を痛めていた。


「……アデルにも、謝る。許してくれるとは思わないが、できる限り償う……」


 愛した女性の優しさに改めて心を打たれ、その人を苦しめた罪深さを思い知りながら、トリスタンはひたすら乞うた。ユリアーネを見上げる首は痛み、朝露の残る草葉で衣服は湿って不快な感触を覚え始めていたけれど、そんなことも気にならなかった。


「君に対しては、どうすれば良い……? 君が与えるものなら、どんな罰でも受ける……」

「わたしは、罰だなんて」


 ユリアーネは困ったように眉をひそめると、トリスタンの傍らにひざまずいた。


「後はアーデルハイト様がお決めになることです。わたしなんかが、王子殿下に罰を与えることなんてできません。……危ないところを、助けていただきましたし」

「それは……!」


 ユリアーネの服の裾が土と露で汚れるのを見て、トリスタンはうろたえた。しかも、彼女の言葉からまた彼の行動が裏目に出たのを思い知らされる。


(そんなつもりじゃなかった!)


 彼女を助け出そうと賊の館に潜入したのは、ただいても立ってもいられなかったからだ。令嬢たちを傷つけておきながら、安全な場所にいるのが耐えられなかったからだ。良いところを見せたい、という打算も全くない訳ではなかったが――だが、決して恩を着せるつもりではなかった。


「立ってくださいませ。わたしこそ、トリスタン殿下にお詫び申し上げなければならないことがあるのです」


 だが、ユリアーネの服が濡れていくのを見ると、立ち上がらなければならない訳にはいかなくなる。謝罪する立場だというのに頭一つ低い彼女の顔を見下ろす形になり、トリスタンはひどく居心地の悪い思いをした。しかもユリアーネは、もう怒るどころか叱られる時の子供のような神妙な面持ちになっている。


「君が謝ることなんてあるはずがない」


 抱きしめて慰めようと腕を伸ばそうとして、トリスタンはそんな資格がないことに気づき、半端な位置で止めた。しかもユリアーネはその手から逃れるように一歩下がったので彼はなおのこと傷ついた。


「殿下は、ずっと一緒にいたいと仰ってくださいましたね。そして、わたしもうなずいてしまいました。……でも、それは本当に叶うと思ってのことではなかったのです。何か、遠い世界の……夢のようなお話だと思っておりました」

「あ、ああ。そうだろうね……」


 トリスタンは精一杯さりげなくうなずこうとした。冷静になれば当然のことだった。婚約者のいる王太子が、男爵令嬢と結婚するなど。普通なら、あるはずのないことなのだから。それに、王子に対して面と向かって異を唱えるようなこともできるはずがない。そこに気づくことができなかった、彼が愚かだったのだ。


「まさか、本気でいらっしゃるとは思わず、お諌めもしないで……申し訳ございませんでした」


 ユリアーネもそう言うと一層困りきった表情になったので、トリスタンは慌てて首と手を振った。


「いや、私が悪いんだ! ちゃんと君の気持ちも確かめないで迷惑を掛けて……」

「でも、叶うものだと知ったなら、この上なく幸せで――喜ばしい夢でもあったのです」

「え?」


 間の抜けた表情と格好で固まったトリスタンも目に入らないかのように、ユリアーネは続ける。


「確かに、わたしも信じようとはしませんでした。でも、本当にわたしとの未来を望んでくださっているなら、そのためにどうすれば良いか示してくださっていたら、わたしだって喜んで殿下と同じ道を歩もうと考えたと思うのです。

 ――どうして、話してくださらなかったのですか? わたしには話しても無駄だとお考えだったのでしょうか?」

「それは……」


(私は今、紛れもなく罰を受けているな……)


 彼を真っ直ぐに見上げるユリアーネの栗色の瞳に心臓を貫かれる思いで、トリスタンは胸を抑えた。彼女は怒っている訳でも責めている訳でもない。そういう考え方ができる少女ではないのだ。断罪されて楽になりたい、などと。そう考えること自体が傲慢な考えだと、彼は初めて気づかされた。罰を与えられないことこそ最も重い罰だったのだ。

 加えて、ユリアーネは彼に恐ろしい事実を突きつけた。彼が手順を誤らなければ、余計なことを考えないで最初から全て彼女に打ち明けていれば、トリスタンは彼女と結婚できたかもしれないのだ。


 二重の意味で罪の重さを思い知らされて、トリスタンは打ちのめされた。更には、ユリアーネの問いかけも彼の胸をえぐっている。少女の澄んだ瞳に打ち明けるには、彼の動機はあまりに恥ずべきものに思えたから。


「それは――」


 しかし謝罪する姿勢である以上、黙ったままでいる訳にはいかない。トリスタンは無理やりに口を動かした。一体どうして、弟とふたりして令嬢たちを騙し通せるなどと思ったのか、それを名案などと思ったりしたのだろうかと考えながら。


「君を王妃にするのは難しいと分かっていたから。だから、婚約破棄と継承権放棄が必要だった。君と結ばれるには、そうするしかないと……」

「わたしもアーデルハイト様こそ王妃に相応しい方だと思います。ですが、それは殿下が婚約破棄を選ばれた理由でしかありません。わたしに黙っていらっしゃった理由にはなりませんでしょう?」


 鋭い追求に、トリスタンは必死で頭を絞った。過去の記憶を探って、自分のもっとも恥ずかしい部分を愛する人にさらけ出して。


「父たちの説得も、廃太子に関わる引き継ぎや儀式も、とても煩わしいものだから、君に負担をかけまいと思った。アデルと会わせるのも、きっと気まずいことだと思った。だから、君は何も知らない方が良いと思って――」

「わたしのため、ですか……?」

「――違う!」


 ユリアーネの純粋な瞳に耐え切れなくなってトリスタンは叫んだ。この期に及んで言葉を飾るのは、決してしてはならないことだと思えたから。


「やはり、私自身のためだった。私は、結局自信がなかったんだ。君を信じていなかったんだ。

 婚約破棄も廃太子も……そんな面倒に、君は付き合ってくれないと思っていたんだ。私のために我慢をさせたくない……いや、違う。私のために我慢してくれるとは信じられなかった。王太子でない私自身を本当に愛してくれるかどうか不安でたまらなくて、それで、断れない形にしようとしたんだ……!」

「殿下」


 トリスタンはユリアーネに対して頭を下げた。本当は地に伏して詫びたいところだったが、また彼女を恐縮させてしまうに違いなかったから我慢した。


「全て、私のつまらない見栄から始まったんだ。本当に、すまない……」


 言った後は、ユリアーネの表情をうかがう勇気もなかった。そこへ降ってくる彼女の柔らかな声は、怒りではなく悲しみに満ちていた。


「わたしたち、ふたりともお互いのことが信じられなかったのですね……」

「君に非はない。私のせいだ」


 弱々しく繰り返しながら、トリスタンは途方に暮れている。

 ユリアーネは彼に罰を与えてはくれないらしい。だが、何もなしで済ませることなど、それこそ彼の気が済まない。ならばどのように罪を償うかは、彼が考えなければならないのではないだろうか。ユリアーネの心の傷を癒すため、彼女に負わせてしまった汚名を晴らすため、彼は何をすれば良いだろうか。


「私は、何をすれば良いだろうか。……許してもらおうというのではない、せめて君が傷ついた分を償わなければ。貴族の友人たちにも全て説明しよう。君は何も悪くないと。……それに、君が考えるのはやはり父君の領地のことだよね? 孤児院への寄付とか……融資を集めるように、伝手をたどるようにしても良いだろうか」


 ユリアーネに拒絶された後、彼は王太子にとどまるのか、あるいは父王に勘当されるかは分からない。でも、幾つかの爵位を保持することはできるだろうし、元がついても王族の頼みを無下にする者はいないだろうと期待できた。

 彼女の真心を傷つけた代償をモノや金で済ませようとは、トリスタンとしても恥ずかしくて消えてしまいたいほどだったが、他に思い浮かぶこともなかった。

 それでも、恐る恐る顔を上げた視線の先で、ユリアーネが驚いたように目を見開いているのを見ると、不安になってしまう。


「た、足りないことは分かっている。今だけのことではなくて、何年でも――」

「トリスタン様」


 ユリアーネは一歩進み出ると、トリスタンをにらみ上げた。トリスタン様、と。殿下をつけないで呼ばれたのは初めてだったような気もするが――間近に見上げる栗色の瞳に、そんな思いは吹き飛んでいた。


「それで、終わってしまうのですか?」

「……他にどうしたら良い?」

「ひどいですわ。わたし、とても悲しかったし辛かったのです。なのに、そんなに簡単に仰るなんて」


 罰を与えられないのが辛い、などと思ったのもまた甘いことだった。愛する人に面と向かってなじられるのも、悲しませたと言われるのも、トリスタンにとっては魂を刻まれるような思いだった。


「君は罰するなんてできないというから。金で済まそうというのが失礼だとは分かっているが――」

「わたしと一緒にいるのは、罰だとお考えなのでしょうか?」

「え」


 気づけば、ユリアーネの頬は真っ赤になっていた。これは、怒りではなく、恥じらいのため、なのだろうか。


「ユリア、今何て……」

「二回も言えません」


 ユリアーネは両手で頬を抑えると、そっぽを向いてしまった。


「ユリア……私を許してくれるのか……!?」


 じわじわと、彼女の言葉の意味を理解すると同時に、トリスタンの胸に歓喜が湧き上がる。頬を染めたユリアーネに見とれる余裕もできるほど。


「許せません」

「え」


 だが、抱きしめようと伸ばしかけた手は、短いひと言で叩き落とされた。ついでに彼の魂も地の底へ。

 これも罰の一種なのだろうか、と不安になって見つめると、ユリアーネはまた困った表情に戻っていた。


「わたしにも分からないのです。トリスタン様とずっと一緒にいたいと思っておりました。でも、今回の件でとても辛かったのも本当ですし、ほんの少しですけれどお恨みする気持ちもありました」

「うん……」

「でも、やっぱりお慕いする気持ちは抑えられないのです。……でも、トリスタン様との未来を考えると、悲しい気持ちがどうしても思い出されてしまって……」

「ユリア」


 トリスタンは呆然として愛する人の名を呼んだ。数え切ったと思っていた彼の罪は、まだ残っていた。過去のことだけでなく、ユリアーネに未来への不安まで抱かせてしまった。


(どうすれば良い……どうすればユリアの心を癒すことができる……!?)


 悩み焦った末――気がつくと、トリスタンはまたユリアーネの前にひざまずいていた。


「トリスタン様、あの――」

「これは謝罪のためにしているんじゃない!」


 慌てて止めようとするユリアーネを、トリスタンは声高くさえぎった。


「これは、求婚のためだ。愛を乞う時なら、王族だってひざまずくものなんだ」

「トリスタン様!?」


 驚いたようなユリアーネの悲鳴を無視して、トリスタンは彼女の手を取った。


「ユリア。ユリアーネ。私と結婚してほしい。

 私は、君のために王族としての全てを捨てよう。君の父君にも改めて謝って、父王にも、王妃である母にも君を紹介したい。……きっと、とても叱られるだろうけど。でも、もうそれを隠したりしない。嘘もつかない。

 ただ楽しいばかりでなくて――大変なことも、辛いことも。私の、みっともないところや情けないところもちゃんと見せる。それでも君がまだ私を好きでいてくれるなら――私を信じてくれるなら。どうか、私の愛を受け取ってほしい」


 ユリアーネは随分長い間考え込んでいるようだった。朝露に湿った地面に膝をついたトリスタンの衣服は、それはもうひどい有様になってしまっている。もっとも返事を待つ王子にはそんなことも気にならなかったが。


「信じられるかどうかなんて、分かりませんわ」

「……そう……か……」


 そしてやっと告げられた答えに、トリスタンは倒れそうになった。が、その前に優しい手が彼の身体を支えている。


「信じられるようになるには、何年も掛かるかと思います。トリスタン様、それだけ我慢してくださるでしょうか?」


 同じ目の高さに屈んだユリアーネの、いたずらっぽい微笑みに、トリスタンは言葉を失った。だが、言われた言葉の意味に気づくと――信じられない気持ちも大きかったが――慌ただしくうなずいた。


「うん……もちろん! 君の信頼を取り戻せるなら、何年掛かっても構わない! 絶対、誠実な夫になってみせるから、だから――」

「わたしも、もう勝手な思い込みでどこかへ行ったりはしません。トリスタン様に愛されるのに相応しい妻になるように努めます」

「とんでもない! 君はすでに非の打ち所のない女性だ! 私こそ、君を失望させることのないように努める!」


 ユリアーネの細い手を握りしめて叫ぶと、彼女はなぜか苦笑した。


「トリスタン様。わたし、求婚をお受けしたのですけれど」


 言われて今度はトリスタンが赤面した。その通りだった。求婚を受け入れられたというのに、どうにも間抜けなことを言ってしまった。こういう時にするべきことは決まっているのに。


「ありがとう、ユリアーネ。必ず君を幸せにする」


 そう言うと、トリスタンはユリアーネを抱き寄せてその唇に口づけた。

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