令嬢たち、捕らわれて闇の中
賊たちは令嬢たちを荷物のように扱った。
後ろ手に縛られ、目隠しをされて。それぞれ別の馬に乗せられたユリアーネとアーデルハイトには、お互いがどうなったのかも、どこをどう連れて行かれたのかも分からなかった。
道なき道を急がせているらしい馬上で、激しい振動に舌を噛まないように身体を強ばらせて。押さえつける賊の、荒々しい腕に怯えて。永遠とも思える時間に耐えた後、ふたりはやっと確かな大地に下ろされた。
「ここで大人しくしていろ」
とはいえ闇に慣れた目にはそこがどのような場所なのかを判断するのにも時間が掛かってしまう。
目隠しを外されたふたりが目にしたのは、窓もない湿った石の壁に囲まれた部屋――地下室だろうか――だった。彼女たちに階段をくだった覚えはないけれど、この建物の造りも、運ばれている間にどのような経路を通ったかも全く検討がつかなかった。分かるのは、いかにも堅牢な造りの部屋に、いかつい見張りがいては逃げ出すことなど思いもよらないということだけだった。
「本当に金が取れたら帰してやるよ」
「なに、取れなくても心配するな。あんたらならどこに出しても高く売れるさ」
下卑た笑い声と共に、厚い木材の扉は音を立てて閉ざされた。残されたのは蝋燭の灯りがひとつだけ。炎が揺らめいているからにはどこかしら空気の流れはあるようで、だから窒息する恐れはないのだろうけれど、攫われて閉じ込められた令嬢たちにはそれはあまりにもささやかな慰めだった。
澱んだ空気の中に取り残されて、ユリアーネはしばし立ちすくみ――勇気を振り絞って、アーデルハイトに語りかけた。
「アーデルハイト様、申し訳ありません!」
「ユリアーネ様? 何のことですの?」
叫ぶような調子のユリアーネに向かって首を傾げた公爵令嬢は、この状況にあってもどこか凛として見えた。それでも顔色は青く、表情も強ばっている。輝く薔薇のような人なのに、こんな場所にいるのがユリアーネにはとても気の毒に思えた。
「何もかもですわ。あの人たち……あんな人たちがいるのは、父のせいでもあるのです。この辺りを取り締まるのに、人が足りなくて。民にも申し訳ないし、領主として恥ずかしいことですわ」
「でも、限界というものがありますでしょう。各地からの陳情に全て対応できないのは、恐れ多くも国王陛下も同様ですもの。国の中枢にいる者として、公爵家にも責任の一端はありますわ」
「それに、さっき言ったことも! あの、本心からトリスタン殿下の婚約者などと思っていた訳ではないのです。ただ、あのままではアーデルハイト様が連れて行かれてしまうと思って……」
先ほどの一幕を思い出し、ユリアーネは赤面してうつむいた。何て図々しいことを言ったのかしら、と。
アーデルハイトが周囲の民を救うために自ら生贄になろうとしているのは分かったから。そして、男爵領に隣接する街である以上、ユリアーネにとっても彼らは守るべき民だったから。だから、身体も口も勝手に動いてしまったのだ。
だが、結局ふたりとも攫われてしまったのでは意味がない。むしろ、アーデルハイトに不愉快な思いをさせてしまっただけに思う。
「素晴らしいお心だと存じます。わたくし、感動いたしました」
だが、アーデルハイトは微笑むとユリアーネの手を取った。蝋燭の灯りに浮かんだその美しく優しい顔は、昼間の聖堂で見た聖母のようで、ユリアーネは思わず見とれてしまう。しかも、微笑むだけの聖母像と違ってこの方は声までも清らかで聞き惚れてしまいそうだった。
「お心を強く持ってくださいませ。きっと助けは来ます。わたくし、ひとりで勝手に抜け出してしまったものですから、公爵家の者が探していることと思いますもの」
「アーデルハイト様……」
王妃となるべく教育されているだけあって、アーデルハイトの口調は堂々としていてユリアーネはすがりそうになってしまう。けれど同時に気づいてしまう。触れ合った手が、震えていることに。宝石のような青い目が涙で潤んでいることに。
(アーデルハイト様も怖いんだわ……)
だから、ユリアーネは尋ねることをしなかった。本当に助かるのか、公爵家の方たちがこの場所を見つけることができるのかどうか。代わりに問いかけたのは、もっと別のことだった。
「あの、どうしておひとりで……? お供の方もお連れにならないで……」
すると、アーデルハイトはああ、とため息のようにつぶやいて眉を顰めた。
「座りましょうか。立っていても仕方ありませんし」
手を引いて導かれたのは、部屋の片隅に置かれたソファのようなものに向けてだった。いや、形状からしてソファ以外ではありえないとは思う。けれどあまりにも薄汚れてくたびれてカビさえ生えていそうだったから、そうと呼ぶのに若干の抵抗があったのだ。
ともあれ床はさらに悲惨な状況だし、アーデルハイトも諦めた様子だったので、ユリアーネは大人しく公爵令嬢と隣り合って腰掛けた。
「先ほども言いかけたのですけれど。わたくし、あなたのことをすっかり誤解しておりましたの――」
そうしてアーデルハイトが語ったのは、ユリアーネにとって思いがけないことだった。
ユリアーネが王妃の座を狙ってトリスタンを誘惑したと思っていたこと。トリスタンがユリアーネに夢中になっているようだったので、アーデルハイトは野望のことを打ち明けることができなかったこと。だから、せめてトリスタンの幻想を守れるように、宝石を持ち出してユリアーネの人生を買おうとしていたこと。
こちらが申し訳なくなるほどに沈痛な面持ちで打ち明けたアーデルハイトを、ユリアーネは思わずさえぎった。
「お、お待ちくださいませ!」
「……もちろん、全てわたくしの誤解でしたわ。それに、非常に卑しい考えでした。トリスタン様の愛した方がそんな方だなんてあるはずが――」
「そこですわ。殿下はわたしを愛していらっしゃる訳ではないのです!」
賊に攫われて、薄暗い部屋に閉じ込められて。こんな時にこんなことを話すのはとても場違いではないのかしら、という思いが頭の隅をかすめる。けれど、ユリアーネとしてはアーデルハイトの思い違いを正さなければならないと思った。
「ジークフリート殿下からうかがったのです。トリスタン殿下は王太子の義務や堅苦しい王宮を煩わしく思っていらっしゃると……。たまたまわたしのような田舎者と出会ったために、易きに流れてしまわれただけですわ」
「ジークがそんなことを?」
アーデルハイトはまた首を傾げた。灯りの届かない闇を見透かそうとするかのように目を細めてしばらく沈思し、ややあってきっぱりと首を振った。
「わたくしが知る限り、トリスタン様はご自身のお立場をよく認識していらっしゃる方です。……今回のことは確かにとても性急でいらっしゃったのですけど。わたくしも、あの方のお心にまで寄り添うことはできなかったのですけど」
アーデルハイトはほんの一瞬だけ悲しげな微笑みを浮かべたが、すぐに真剣な表情でユリアーネの目をのぞき込んだ。
「でも、トリスタン様とお話してよく分かりました。あの方はあなたを愛していらっしゃいます。本心からのお気持ちだからこそ、王太子の地位さえも投げ出したのでしょう」
「……本当でしょうか」
「本当ですとも」
アーデルハイトの眼差しは優しくて、不安と不信に揺れるユリアーネを慰め励ますようだった。その優しさが、ユリアーネには信じられない。この美しく毅然とした令嬢こそ、最大の被害者であるはずなのに。ユリアーネのせいで、婚約者を失ってしまったというのに。なのに、この人はユリアーネを気づかってくれるのだ。
「それよりも、ユリアーネ様。あの、わたくしが申し上げたこと……とてもお辛いでしょう? 何てお伝えしたら良いか分からなくて、でも、嘘だとすぐ分かりましたから……」
「……わたしが王妃に、というお話ですね……」
そう、そのことだって。トリスタンに愛されている、なんて言われて霞んでしまったことだけど、確かに傷ついても良いはずだった。でも、アーデルハイトの真摯かつ思いやりに満ちた眼差しの前には、どうでも良いことのように思えてしまう。この人に分かってもらえたなら、それで良いような気さえする。このひとは、どうして――
「どうしてそんなに優しくしてくださるのですか……?」
思わず、考えたことがそのまま口からこぼれてしまう。ほとんど真っ暗闇の中で寄り添っているから、まるで内緒話のような距離感に感じられるからかもしれない。
「さあ、わたくしにもよく分かりません」
アーデルハイトは困ったように微笑んだ。
「トリスタン様を支えるように、と言い聞かされてきたものですから、あの方さえ幸せなら良いと思っているような気もします。それに、お会いしてみたらユリアーネ様もとても素敵な方なのですもの。わたくし、おふたりを応援したくなってしまいました」
最後の言葉は、大事な打ち明け話のように小声でそっとささやかれた。まるで親しい友人と話しているようで、ユリアーネはくすくすと忍び笑いを漏らしてしまう。おかしいだけではなくて、とても嬉しくて、涙まで溢れてしまいそうだった。
次に何が起きるか分からないのに、恐怖ではなく喜びで泣いてしまっている。とても不思議なことだった。でも、それだけユリアーネは救われたのだ。トリスタンに愛されていると、彼の婚約者だった人が言ってくれたこと。応援すると言ってくれたこと。そのことが、彼女の張り詰めていた神経を和らげてくれた。
「もっと早くアーデルハイト様とお話していれば良かったですわ」
「わたくしも同じ思いです」
ふたりは顔を見合わせると少し笑った。
「わたし、逃げ出してしまったのです」
嬉し涙を拭いながら、今度はユリアーネが打ち明ける番だった。
何も知らされずに婚約破棄と廃太子の場に呼び出され、好奇と咎める視線を恐ろしく思ったこと。噂の的になってトリスタンを恨みさえしたこと。ジークフリートの証言から、彼の想いを疑ったのは既に話したことだけれど、そのためにもう父にも合わせる顔がないと思って出家するつもりだったことも。
「でも、気づいたのです。トリスタン殿下のお言葉に浮かれるばかりで、夢見心地で、きちんと先の話をしたことがなかったと。わたしの気持ちをちゃんとお伝えしていなかったと。ですから、国王陛下や公爵様や……どなたよりもアーデルハイト様にお詫びを申し上げた上で、殿下とこれからどうするかをお話しなければならないと思ったのです」
「そうだったのですか……」
「どんなに罵られても仕方ないと思っていたところですのに、こんなに親身になっていただけるなんて。ずっと申し訳なくて恐ろしくてお話できなかったのです。本当に、弱い心持ちでおりましたものですわ。アーデルハイト様はこんなに毅然としていらっしゃるのに――」
「あの、先ほどもお伺いしようとしたのですけれど」
アーデルハイトは眉を寄せてユリアーネをさえぎった。ついさっきユリアーネがしたように、彼女の方でも気にかかることがあるようだった。
「わたくし、そんなに恐ろしそうだったのでしょうか。……ユリアーネ様のお立場ならば話しづらいと思われるのもごもっともだとは思うのですけれど。わたくし、どうも冷たいとか近寄りがたいとか思われているようではあるのですけど、恐ろしいなんて……」
言われて、ユリアーネも改めて首を傾げた。そういえば、自分でも必要以上にアーデルハイトを恐れていたような気がする。もちろん歓迎されるなんて思ってはならなかっただろうけど、仮にも公爵令嬢ともあろう人があからさまに取り乱した振る舞いをするとも考えづらいはずだった。
「殿下に言われたから……かもしれませんわ……」
「トリスタン様が?」
口に出すと、少し前の気持ちの流れが思い出された。
「はい……あの方が仰ったのです。アーデルハイト様はご不快だろうから会ってはならないと。その、何をされるか分からない、と……」
今思えば、そう命じたトリスタンの必死さといい、とても奇妙なことだった。アーデルハイトの顔色を気づかいつつ、ユリアーネはいぶかるのを止められない。
「不思議ですわ。殿下はアーデルハイト様のご気性をよくご存知でしょうに。どうしてそんなことを仰ったのでしょう……」
「わたくしも疑問に思っておりますの」
アーデルハイトも納得がいかないというようにしきりに首を傾けている。
「ユリアーネ様が王妃になりたい、だなんて……そんなことを言ったのは、そういえばジークだけでしたわ。まるで広く噂になっているかのような言い方だったのですけれど。
……まるで、殿下たちがおふたりとも、わたくしたちの悪口をお互いに吹き込んでいたような……」
「まさか」
反射的に否定しながら、ユリアーネはでも、とも思った。トリスタンが義務から逃げるためにユリアーネを選んだ、と信じるようになったのは弟王子のジークフリートの証言が発端だった。アーデルハイトの言い分と合わせると、確かに王子たちの言動には明らかな嘘が含まれている。
「殿下たちにはよくよくお話を聞かなければならないように思います」
「……そのようですわね」
令嬢たちは神妙な顔になってうなずきあった。が、真面目な表情をしていたのもつかの間、すぐにくすくすと笑い出す。親しい友人といると何もかもがおかしくて仕方なくなってしまう、あんな空気が生まれていた。
「そのためにも無事に帰らなくてはなりませんね」
「はい。頑張りましょうね、アーデルハイト様」
「――ええ!」
ごく自然にふたりは手をつないで身体を寄せ合った。お互いの温もりが暗闇と恐怖に立ち向かう勇気をくれるようだったから。
当然顔も近づくので、アーデルハイトはユリアーネの耳元にささやく。
「トリスタン様は――ご不審に思われていることでしょうけれど――ユリアーネ様を本当に愛していらっしゃると思います。ですから、偽りがあったとしても、ユリアーネ様のためのはずです。多分……ご自分を責めることのないように、とか」
「ありがとうございます」
アーデルハイトが励まそうとしてくれているのを感じて、ユリアーネはとても嬉しく思った。トリスタンをとてもよく知る人だからこそ、その言葉を信じても良いと思えて救われた。お返しに、自分も何か彼女を喜ばせられないかと考えて――ユリアーネは第二王子と話した時のことを思い出した。
「ジークフリート殿下は、アーデルハイト様のことをとても褒めていらっしゃいました。外見のお美しさはもちろん、内面も素晴らしい方だと……。だから、殿下がたもアーデルハイト様のことを分かっていらっしゃると思います。ほんの少しお会いしただけのわたしにも分かったのですもの」
「ジークが?」
勢い込んで告げたことに、アーデルハイトは驚いたようだった。とても意外なことを聞いたかのように目を瞠る。でも、すぐに笑ってくれた。
「……そうだと嬉しいですわ。ありがとうございます、ユリアーネ様」
蝋燭は短くなっている。もうすぐ消えてしまうことだろう。そうなったらこの部屋は暗闇に包まれる。朝が来たところで太陽の光が石の壁を越えて届くかは分からないし、朝がもたらすのが明るい未来だとは決して期待することはできない。
それでも、ユリアーネはアーデルハイトが一緒で良かったと思った。この数日抱えていた心の重りの幾らかを打ち明けて、軽くすることができた。友人になれた、と言っても良いと思う。
(何があるとしても、ひとりではないもの)
傍らにいる少女も同じ気持ちだと信じて、ユリアーネはアーデルハイトの細い手を一層強く握り締めた。




