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令嬢たち、出会う

 思いがけず対面したふたりの令嬢は、鏡で写したようにそっくりな反応を見せた。


 まずは驚き。相手の評判や自身の立場を思い出してひるみ、怯えた表情になり。そしてこれではいけないと決意して、拳を握って背筋を正して大きく息を吸う。


「あのっ、アーデルハイト様。わたし――」

「ユリアーネ様。お話がしたいと――」


 言葉を発したのもまったく同じ瞬間になってしまったので、ふたりともそれ以上続けることができなかった。数秒の気まずい沈黙の後、彼女らは気を取り直して再び口を開く。


「……謝りたくて――」

「……聞いていただけるかどうか――」


 そしてまたも完全に被ってしまったので、ふたりは今度こそ固まってしまう。馬車に乗り降りする他の乗客が、彼女たちを邪魔そうに避けていった。

 その状況に気づいたのは、アーデルハイトの方が早かった。公爵令嬢で王太子の婚約者であった彼女は、社交の場で、交錯する会話を御する術も教え込まれていたから。


「……先に仰ってくださいませ。わたくしは後で構いませんから」

「は、はい。ありがとうございます……」


 ほっとしたように微笑んだユリアーネが見蕩れるほどに愛らしかったので、アーデルハイトはとても複雑な気分になった。トリスタンが好きになったのも無理はないと思わされるようで。アーデルハイトも、薔薇と称えられる美貌を誇ってはいるけれど、ユリアーネの素朴な親しみやすさはなかったから。

 と、そのユリアーネが言った内容に気がついて首を傾げる。


「謝りたい、とはわたくしに、でしょうか?」


 するとユリアーネは思い出したとでも言うように目を見開いて大きく何度もうなずいた。胸の前で手を組み合わせた、その仕草もまた非常に可愛らしかった。


「はい! わたし、どなたに対しても今まではっきり言わなくて……アーデルハイト様はもちろん、国王陛下にも公爵様にも……トリスタン殿下にも。大変、申し訳ないことをしてしまいました……」

「……とにかく、ここでは皆さまの邪魔になってしまいますわ。場所を移しましょう」


 何かおかしいわ、と思いながら。アーデルハイトは悲しげにうなだれたユリアーネの手を引いてその場を離れた。




 乗合馬車の駅が設けられているのは、その地域の中心となる都市だ。周辺の農村などよりは人口も多いし、市場なども賑わっている。

 だから、夕暮れ時ではあったけれど、少女ふたりでもそれほど居心地の悪さを感じないような食堂もまだ開いていた。つまり、明るくて広くて、女給も慎みある服装で客も荒くれた男や酔っ払いだけではないような店。お茶だけを頼んで長話をしても露骨には嫌な顔をされなさそうな小洒落た店だ。

 馬車が乗り入れる広場に面したテラス席に座ることができたので、最終馬車を乗り過ごす心配がないのも都合が良かった。


 それでも王都で贔屓にしているような店とは掃除の行き届き方がまるで違うので、席に掛ける時、アーデルハイトは椅子や床に前客がこぼした食事や飲み物の汚れがないか慎重に確かめた。何しろ今彼女が着ている服はメイドから借りたものだから。洗って返すのは当然としても、落ちない染みなんかがついたら申し訳なさすぎる。


「それで、わたくしにお話とは何でしょうか?」


 それぞれの前に茶器が置かれて女給が去ったのを見計らい、アーデルハイトは切り出した。どうしてわたくしが仕切っているのかしら、と思いながら。貴婦人を招いたお茶会などでは慣れた役割ではあるけれど、この場所でそのように振舞うのは、彼女にはどうにも場違いな気がしてならなかった。


「はい……」


 一方、ユリアーネはどこか安堵しているように見えた。もちろん緊張してはいるようだけど。そういえば、この令嬢はあまり社交が得意なようではなかった。アーデルハイトとしてもあえて仲良くするつもりにはなれなかったけれど、ユリアーネはそもそも滅多に華やかな席に顔を見せることがなかったと思う。


(もしかしたら、人見知りをする(たち)でいらっしゃるのかしら)


 ユリアーネについて何一つ知らないことに、アーデルハイトはまたも気付いた。不思議な感慨に捕らわれる彼女の前で、ユリアーネは神妙な顔で口を開く。


「わたし、アーデルハイト様に大変申し訳ないことをしてしまいました」

「それは先ほど伺いましたわ。一体何のことなのでしょうか、詳しくお聞かせくださいませ」


 促す間にも、アーデルハイトは頭の中で幾つかの可能性を吟味している。


 まず浮かぶのは、例の王妃になろうという企みだ。ユリアーネがそのためにトリスタンに近づいたから、アーデルハイトは王太子の婚約者の立場を追われたから。彼女としてはトリスタンの心変わりは仕方ないとは諦めたけれど、父などはまだ怒っていることだと思う。それを打ち明けてくれるというのだろうか。

 それとも――王妃の野望と関連しているとも言えるけれど――トリスタンの継承権放棄の件だろうか。ユリアーネとしても予想外のことだっただろうし、だからこそもうトリスタンに用はないのかもしれないけれど、これも大事には違いないと思う。


 けれど、ユリアーネが言ったのは全く別のことだった。


「わたし……わたし、トリスタン殿下を好きになってしまったのです!」

「は?」


 呆気にとられるアーデルハイトを前に、ユリアーネは重罪を告白する囚人の顔色で続けた。


「アーデルハイト様という婚約者がいらっしゃるのも、この国の王太子でいらっしゃることも、承知していたのですけれど。でも、優しくしてくださるのに舞い上がってしまって……はっきりとお諌めすることができなかったのです。とても、浅ましくてはしたないことでしたわ」


(そこなの?)


 アーデルハイトが予想していたことに比べると、ユリアーネが打ち明けたのはひどく子供っぽくて単純なことだった。見目良い王子に憧れるのは、貴族の令嬢ならば子供の頃にひと通り経験して当然のことで、それ自体は責められるようなことではないと思う。


「ユリアーネ様は王妃になりたいのではないのですか?」


 あまりに驚いたので、アーデルハイトはぽろりと核心をついてしまった。社交や外交に特有の遠まわしな言い回しやほのめかしも、彼女は習得していたはずなのだけど。でも、この場に限っては駆け引きをすることさえ頭から抜け落ちてしまっていた。


「とんでもないことですわ!」


 でも、それはユリアーネも同じだったらしい。顔を青ざめさせて、必死の表情で首を激しく横に振る。どうもこの令嬢の仕草はいちいちか弱い小動物を思わせる。


「わたしなど、田舎の領主の娘に過ぎませんもの。国王陛下のお妃なんて、とても務まりません!」

「ですが、名誉なお役目でしょう? それに、衣装も口にするのも、全て最上のものばかりの暮らしですのよ? 憧れたりはなさいませんの?」


 ユリアーネの口調も表情も真摯なもので、アーデルハイトには裏があるようには見えなかった。それだけしたたかな役者だということかもしれないけれど。揺さぶるつもりで尋ねたのは我ながら俗っぽくていやらしいことばかりで、アーデルハイトは心の中で自己嫌悪に陥ってしまう。

 そして不躾な質問に対してさえ、ユリアーネは気を悪くした様子は見せなかった。それどころか、頑なに首を振り続ける。


「名誉だからこそわたしなどでは務まりません。それに、お恥ずかしいことですが我が家は裕福ではございませんから。分不相応な贅沢は恐れ多いばかりですわ。わたしなどが身につけるのでは、折角の衣装も宝石も可哀想です」


 この令嬢はわたしなど、という言い回しを好むようだった。見た目にはとても可愛らしくて、所作も言葉遣いも決して無作法などということはないのに。しきりと恐縮し続ける姿に、なぜかアーデルハイトの方こそ虐めているような気持ちにさせられてしまう。


「……トリスタン様は何も贈り物をなさらなかったのでしょうか」

「なるべくお断りするようにしていたのですが、幾つかいただいてしまいました」


 またしても探るような問いかけに、ユリアーネは消え入りそうな声で答えた。ただでさえ青ざめていた顔をさらに白くして、震える声でアーデルハイトに聞き返してくる。恐ろしい罪を犯していたことに気付いたとでもいうように。


「わたし……わたし、民の税を無駄に使ってしまったのでしょうか。殿下にそのようなことをさせてしまって――」

「……王族とはいえ私財はお持ちです。あの方が国庫を浪費するはずもありませんし、無用のご心配だと思います」

「そう、ですか……」


 ユリアーネが心底安心したとでもいうように微笑んだので、アーデルハイトはまたも何かおかしいわ、と思った。

 アイヒェンオルト男爵令嬢についての噂はたくさん聞いてはいたけれど、そういえば高価な贈り物をねだるという話は聞いたことがなかった。噂は、ただ王太子と馴れ馴れしく接しているとか王太子の好意が単なる友情というには度を越しているとのものばかりだった。アーデルハイトがたしなめたくらいに憤る人たちも多かったのに、ユリアーネが具体的に何をしたという話はほとんど聞こえてこなかったような気がする。


(トリスタン様とどこかへ行ったとか、トリスタン様がよく訪ねていらしたとか)


 アーデルハイトははたと気づいた。先入観を捨てて事実だけを取り出してみれば、まるでトリスタンが一方的にユリアーネに迫っていたようではないか。だが――


「でも、ユリアーネ様も、トリスタン様のことがお好きなのですよね、そう仰いましたわよね?」


 ユリアーネはトリスタンを愛している()()をしているだけだと思っていた。でも、その前提が間違っているなら。二人が愛し合っているというなら。アーデルハイトさえ潔く身を引けば何の問題もないのではないだろうか。

 それにしても、どうしてユリアーネがこんなに申し訳なさそうな態度なのかという謎は残るけれど。


「アーデルハイト様……?」


 多分、アーデルハイトはとても不思議そうな、戸惑った顔をしていたのだろう。ユリアーネの方でも、噛み合わなさに気づいたのか小鳥のように首を傾げた。


「あの、わたしのことをお怒りではないのですか……? わたしのせいで、あの、殿下が……」


 こんな心元げなおずおずとした問い掛けを、演技だなんて疑うことはもはやアーデルハイトにはできなかった。


「わたくしは王太子殿下の――トリスタン様の支えとなるように務めてまいりました。あなたと共にいることがあの方の幸せだというなら、心から応援いたします。ユリアーネ様のお気持ちは違うのではないかと恐れていたのですけど……わたくしが間違っていたようです。申し訳ないことでしたわ」


 元とはいえ王太子妃になるべく育てられた者として、どれほど情けなく思っていても目を伏せることは許されない。だから、アーデルハイトは俯きそうになる顔を必死に上げて、ユリアーネの目を見て謝罪した。

 その視線の先で、ユリアーネの栗色の瞳が大きく見開かれる。


「アーデルハイト様。わたしを許してくださるのですか……?」

「許していただくのはわたくしの方ですわ。……打ち明けますけれど、根拠のない噂を信じて、あなたのことを悪く思ってしまっていましたの」


 言いながら、アーデルハイトの胸にまたひとつ疑問がよぎる。


(ジークは……どなたからあんなことを聞いたのかしら。ユリアーネ様が王妃になりたがっている、なんて)


 弟同然の王子の言うことだからこそ、彼女も疑うことなく信じてしまったのだ。それに、ユリアーネがジークフリートに乗り換えようとしている、なんて言ったことも。今のユリアーネの様子を見れば嘘に違いないとしか思えない。トリスタンの強引にも思えるやり方といい、あの兄弟には詳しく話を聞かなくてはならないだろう。


「なんて優しい方なのでしょう」


 考え込むアーデルハイトと裏腹に、ユリアーネはにっこりと嬉しそうに笑った。雲間から太陽の光が射すような晴れやかで穏やかな笑顔だった。この笑顔だけでも、彼女についてアーデルハイトが考えていたことはひどい誤解だと分かる。


「でも、やはり謝らせてくださいませ。わたし、アーデルハイト様のことを誤解しておりました。自分のしたこともわきまえないで、勝手に恐れて……殿下が何と仰ろうと、もっと早くお話するべきでした」

「トリスタン様が? わたくしについて、どのようなことを?」


 アーデルハイトはユリアーネの答えを聞くことはできなかった。少女の柔らかい声は、鋭い馬のいななきにかき消されてしまったのだ。


(馬……? そうだわ、馬車の時間が……)


 王都に帰るにしろ男爵領を目指すにしろ、そろそろ最終馬車の時間を気にしなければいけない。どの方面の馬車かしら、と顔を上げたアーデルハイトは、でも、眼前の光景に息を呑んだ。


「なんてこと……」


 ユリアーネの喘ぎさえ、とても遠いところから聞こえる気がした。


 馬車が乗り入れるはずの広場に、今は馬車の姿はなかった。代わりに広間を満たすのは、十数騎の馬だった。その乗り手は、いずれも伸ばしっぱなしの髪を振り乱し、薄汚れた革鎧をまとっている。その手には、残光に不吉に煌く白刃が。どうみても、正規の兵士とは思えない。


「賊!? こんな、街の中に……」

「この辺りは巡回の手が足りませんの。だから夜には門を閉ざすのですけど、でも、こんな大胆な……」


 悲鳴と怒号が飛び交う中、少女たちは早口にささやき合った。どうやら二人はとんでもない不運を引き当ててしまったらしい。初めて身近に剣の音を聞いて、アーデルハイトの背に汗が伝った。

 固まったように動けない二人の前で、馬車を待っていた農夫が商人が蹴散らされていく。彼らが抱えた財産が奪われていく。抵抗するものは斬りつけられて、夕焼けよりも赤い血が視界に舞って――


「お待ちなさい!」


 逃げ遅れた少女が賊の大きな手で掴まれ、服を破かれようとしていた時だった。アーデルハイトは一歩進み出て高らかに叫んでいた。


「何だ? 貴族か?」

「まさか。こんなところに」


 馬上から複数の男に見下ろされると足が震えた。それでも懸命に目に力を込めて、アーデルハイトは訴える。


「わたくしはレーヴェンブリュール公爵令嬢アーデルハイトです。王太子トリスタン殿下の婚約者でもあります。未来の王妃として、民が傷つけられるのを見過ごす訳にはまいりません。その子から手を離しなさい!」


 毅然として告げたつもりなのに、声も情けないほどかすれて弱々しいものだった。だからだろうか、賊たちからは嘲笑が浴びせられてしまう。下品な野次も。その意味がほとんど分からないのは、多分彼女にとっては幸いだった。


「あんたが身代わりになるとでも、お姫様?」

「その通りです」


 それでも、退くことは考えていなかった。言葉で説得できないなら、と。ユリアーネに渡すつもりで隠し持っていた宝石を、アーデルハイトは高く掲げた。


「これは公爵家の富のほんの一部です。わたくしを連れていけば、この街全ての家や店を襲うよりもはるかに高額の身代金が手に入るでしょう」


 すっかり弱まった最後の陽光の下でさえも、その宝石の輝きは明らかだった。眩すぎるほどの煌きに、賊たちの顔色も変わる。おかしなことを言い出す娘から、大事な人質へと。アーデルハイトを見る目が転じたのだ。


(わたくしさえ犠牲になれば……)


 目を閉じて、荒々しい腕にさらわれるのに耐えようとした時。何者かがアーデルハイトの服を引っ張って後ろへ下がらせた。小さく細い人影が、彼女に代わって前に出る。


「ま、待ってください! その方の言うことは違います」

「ユリアーネ様、何を……!?」


 震える声で叫んだのは、ユリアーネだった。先ほどよりも更に白い顔で、それでも必死に賊へ呼びかける。


「アーデルハイト様は既に婚約破棄されてしまいました。王太子殿下の今の恋人はこのわたしです。人質なら、わたしの方が価値がありますわ!」

「ユリアーネ様、いけませんわ! わたくしこそ――」


 ユリアーネも同じことを考えているのを知って、アーデルハイトは必死に彼女の前に出ようとした。しかし相手も同じようにするので揉み合いになってしまう。

 馬に乗ったままの賊たちは、戸惑った表情でお互いに目線を交わした。ついでふたりの令嬢たちを見比べる。

 迷いはほんの数秒のことだった。すぐに首領と思しき一際体格の良い男が、太い声で手下に命じた。とても冷静に、合理的に。


「二人とも上玉じゃねえか。どっちも連れてけ!」

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