第三話: 侵蝕の兆し
颯真は研究棟の廊下を歩いていた。
白い蛍光灯が天井を照らし、静まり返った空間に自分の靴音だけが響く。
昨日のクロスリンク内での出来事が、まだ頭に残っていた。
――あの声、あの微細なノイズ。
指先が、無意識に軽く震える。
脳内の電子音が、微かに反響しているような気がした。
それはまるで、自分のDNAが、何かを感じ取ろうとしているかのような――。
廊下の向こうに真壁が立っていた。
手にはタブレットを持ち、眉間に深い皺を寄せている。
「神谷、少し話がある」
「何ですか?」
「昨日のデータ、確認したか?」
颯真は頷く。
脳内に残るノイズのせいで、まだ落ち着かない。
「お前には、初めての任務を頼む」
「任務……」
「上からの指示でクロスリンク内での監視と、状況確認だ。表に出せないものだが、お前の適合率なら可能性は高いだろう」
颯真は息を整え、拳を握った。
――緊張と、少しの高揚感。
胸の奥で、昨日と同じ声の残響が微かにざわめく。
――「戻れ」
その声の意味はまだわからない。
だが確かなのは、自分が次に入る仮想空間が、平穏ではないということだった。
*
準備室に入り、颯真はヘッドセットを手に取る。
手にした瞬間、微かな冷気が手のひらに触れたような感覚。
装着する前から、身体の中で微細な反応が走る。
「……おかしいな」
小さく呟く。
しかし、後戻りはできない。
真壁が最後に警告する。
「ID_001のデータ出現には十分注意しろ。予測不能の挙動をする可能性がある」
颯真は深く息を吸い込み、ヘッドセットを装着した。
目の前の視界が暗転する。
次の瞬間――
青空と緑の森が目に映った。
クロスリンク内だ。
だが、どこかおかしい。
前回と同様に
光は歪み、風の音が少しずれて聞こえる。
そして、前回とは異なる新たな異常―
遠くの木々の間に、何者かの影。
人間の形をしているはずなのに、何かが違う。
颯真は息を整え、ゆっくりと足を踏み出した。
その影は、まだ自分に気づいていない――。
胸の奥で、昨日の声が再び囁く。
――「戻れ」
しかし今の颯真は、立ち止まることができなかった。




