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第ニ話: ノイズ

風が吹いていた。

 どこまでも広がる草原。淡い光が空気の粒を照らし、揺れるたびに銀の波が走る。


 ――それは、完璧なはずの風景だった。


 神谷颯真は、目を細めながらゆっくりと歩く。

 足元の草が靴底で潰れ、わずかな湿り気が伝わる。

 空の匂い。遠くで鳴く鳥の声。

 どれも「現実」としか思えないほど、精密に再現されていた。


「……クロスリンク、実験開始から十二分経過。順調すぎるくらいだな」


 独り言のように呟いた声が、風に溶けて消えた。

 だが――その“風”に、颯真は小さな違和感を覚えた。


 同じ風の音が、繰り返されている。

 まるで誰かが再生ボタンを押しっぱなしにしているように。


 もう一度、耳を澄ます。

 音の重なりが、わずかにズレていた。


(録音データのループ……? いや、そんな単純な話じゃない)


 空を見上げる。

 薄雲の向こうで、太陽がわずかに揺れていた。

 まるで、空そのものが“息づいている”ように。


『神谷、通信チェック。問題ないか?』

 頭の中に直接響く―

 無機質な女性の声とは異なり、低く響いたオペレーター長、真壁の声。

警察官時代からの馴染みの声に颯真の心にも余裕が生まれる。

「ああ、問題はない。ただ――少し音の再現にノイズがある」

『ノイズ? 記録上は正常だがな。環境シミュレーターを一度再構築する。動かずにいろ』


 指示に従い、颯真は足を止めた。

 風が止む。音が消える。

 世界が息を潜める。


 そして次の瞬間、空気が“ひずんだ”。


 地平線の端に、黒い粒のような“点”が浮かぶ。

 砂嵐のように細かく震えながら、形を変えていく。

 人影のようで、人影ではない。


(バグ……か?)


 思わず近づこうとした瞬間、真壁の声が鋭く響く。

『そこから動くな! 今、空間データが乱れている!』


 その声にかぶさるように、別の音が割り込んだ。

 ――ピ、ピ……ガガ……


 ノイズ混じりの通信音。

 それは確かに、誰かの“声”だった。


『……リ……戻レ……』


「今の声、誰だ?」

『何のことだ?こちらでは確認できない』

「いや、確かに聞こえた。助けを……呼んでいた」


 真壁は数秒、沈黙した。

『錯覚だ。リンクに入った直後は、脳が現実の残像を拾うことがある』


 その理屈に、颯真は小さく息を吐いた。

 だが――胸の奥のざらつきは、どうしても拭えない。


 草原を見渡す。

 今度は、遠くの空が一瞬だけ“裏返った”。


 青空の裏側に、黒い線が走る。

 まるでデータそのものが“剥がれた”ような不自然な光景。


「……やっぱり、何かがおかしい」


 思わずつぶやいた言葉は、風に溶けて消えた。

 だが、風の音の代わりに――微かな“機械音”が響いた。


 ピ――、ピ――。


 規則的に、どこかで何かが脈打つような音。

 それは、まるで“心臓”のようにも聞こえた。


『神谷、戻れ。テストを中断する』

「中断? まだ――」

『いいから戻れ!』


 真壁の声に、初めて焦りが混じっていた。


 次の瞬間、世界が白く光に包まれる。

 視界が崩れ、音が遠のく。



 目を開けたとき、そこは再び現実の実験室だった。

 頭上のライトが眩しく、鼓動が耳の奥で響いている。


 ヘッドギアを外した颯真の手が震えていた。

「……何が起きた」

「システムが一時的にオーバーフローした。ログは……消えている」


 真壁が険しい顔で答える。

「消えている? 記録が?」

「ああ。バックアップも無い。まるで“誰かが意図的に消した”ようにな」


 室内の空気が一気に冷えた。

 誰も口を開かない。

 モニターの片隅に、赤い警告が点滅していた。


 ――《Unknown Access:ID_001》


 真壁は小さく舌打ちし、颯真に視線を向けた。

「今日のことは一切口外するな。いいな、神谷」


 颯真はただ頷く。

 だが、その瞳の奥ではまだ、あの声が残響していた。


 ――「戻レ」


 誰の声だったのか。

 なぜ、あの空間に“他者”の痕跡があったのか。


 静寂の中で、颯真の心に小さな疑念が芽生え始めていた。

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