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第十一話: 無数の現実

廃ビル群の間を縫うように、チームは慎重に進んでいた。

 空は薄暗く、遠くで雷のような轟音が響く。上位ランク隊員たちが別エリアで戦っているのだろう。

 だが、この区域に残されたのは――自分たちだけ。


 AIオペレーターの音声が響く。


『対象反応、距離50メートル。周囲に熱源は一つ。警戒を維持してください』


 桐生は端末を確認し、小声で告げる。

「……間違いありません。先ほどのδランク個体です。建物内部に潜伏しています。おそらく損傷を回復している最中……今なら、仕留められるかもしれません」


 颯真は息を飲む。

 二瓶は無言のまま、ナイフ状の武装を展開した。冷たい鋼の音が、張り詰めた空気を切り裂く。


「行くぞ」

 短く放たれた二瓶の声に、桐生が即座に応じた。

「待ってください。山口さん、久保さん、周囲警戒を。私と神谷さんは前衛をサポートします」


 久保は顔を引きつらせながら端末を構える。

「お、おいマジかよ……こんなの、冗談じゃねぇ……」


 山口は震えながらも頷き、周囲を確認するように動いた。

 ――その瞬間だった。


 建物の奥から、異様な音がした。

 乾いた足音。だがそれは明らかに“人間”のものではない。

 四足とも二足ともつかない、不規則な動き。


 そして、闇の中から“それ”が現れた。


 姿は確かに人間。

 だが、腕の一部は黒く硬化し、指先は節くれ立って鋭く尖っている。背中からは蜘蛛の脚のような突起が生えていた。

 目は真っ赤に濁り、口元は人間のものとは思えぬ角度で歪んでいる。


「……っ!」

 桐生が一歩後退した。

 二瓶は即座に動く。刃が閃き、空気を切る。

 ヘリックスはその一撃を信じられない速度でかわし、壁を垂直に駆け上がった。


「速い……!」

 颯真は反射的に追う。

 瓦礫を蹴って跳び上がり、拳を叩き込む。だが――硬い。

 蜘蛛の脚が弾丸のように迫り、腕をかすめた。皮膚が裂け、血が滲む。


 二瓶が即座にカバーに入る。

 鋭い一撃が蜘蛛脚を叩き落とし、ヘリックスが後退した。

 床にひびが入り、砂埃が舞う。


「……まだ、人の意識が残ってるかもしれない!」

 颯真が叫んだ。

「殺す前に、何か――!」


「甘いこと言ってんじゃねぇ!」

 二瓶の怒声が飛ぶ。

「迷ってる間に誰かが死ぬ! 救える人間を優先する、それがBランクの判断だろ!」


 颯真は言葉を詰まらせた。

 その一瞬――ヘリックスが動いた。


 床を砕き、蜘蛛脚を伸ばして飛びかかる。

 狙いは――後方で震えていた久保だ。


「う、うわぁっ!!」

 糸が放たれた。

 白く粘つく線が久保を包もうとする――が、その瞬間、颯真が駆け出していた。


「させるかっ!」

 振り抜かれた一撃が空気を裂き、糸を斬り払う。

 久保の目の前で糸が切断され、散った光が空中に舞う。


 その勢いのまま、颯真はヘリックスに肉迫した。

 拳が、刃が、光と音を伴って交錯する。

 蜘蛛の脚が折れ、黒い液体が飛び散った。

 最後の一撃が、ヘリックスの胸を貫いた。


 わずかに残っていた“人”の瞳が、颯真を映す。

 ――その唇が、震えた。


「……ごめんなさい」


 掠れた声がそう呟いた直後、ヘリックスの身体が粒子となって崩れ落ちていく。

 光が消えるように、静かに、何も残さず消滅した。


 颯真はその場に立ち尽くした。

 心臓の鼓動が、うるさいほど響く。

 勝ったはずなのに――何か、大事なものを壊した気がした。


(……本当に、これでよかったのか)


 答えのない問いが、頭の中で反響する。

 拳を握りしめるその手は、微かに震えていた。


 一方その頃、少し離れた廃材の陰で、二瓶は静かに跪いていた。

 瓦礫の影に横たわっていたのは、すでに息絶えた一人の人間。

 衣服は裂け、体には無数の糸が巻きついている。

 ヘリックスが潜んでいた場所――ヘリックスのものではない血液反応に違和感を拭えなかった二瓶は一人でその場に立ち尽くしていた。


 二瓶は黙ったまま、死体を見下ろした。

 何も言わず、ただ視線を落とす。


 同じ空の下で、颯真もまた沈黙していた。

 罪悪感と現実。

 光と影。

 二人の胸に残ったのは、それぞれ違う痛みだった。


 風が吹き抜け、崩れた壁の埃を舞い上げる。

 その中で、チームの初任務は――静かに幕を閉じた。


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