電子ニューロネット
◆野口鷹志◆
海洋生命体の巨大キューブの中は宇宙のような星空の広がる真っ暗な空間だった。ふたりの女性の姿。銀の髪に銀のビロードのドレス。女性は自分をホコラと名乗った。
「こ、ここは海洋生命体の電子ニューロネットの中なのですか?」
「いいえ。ここはただの接続点でしかありません。膨大な量子レベルの世界への入口です」
「タナーさんとアッシュさんは?」
「残念ながら二人にアクセス権限はありません。意識はしばらく漂うでしょうが肉体は消滅します。でも安心してください、キューブの市民として迎えいれます。ここに死はありません」
「待ってください。争うつもりはないんです。二人を救って欲しいだけです」
中心に光があった。菱形のフラクタル図形が素早く定期的に流れていくのが見えた。もうひとり、同じ格好に同じ顔の女性が首をかしげる。
「彼らの過去を覗かせていただきました。この空間は人間の脳内とリンクが出来るのです」
「……」
僕はふわふわとモモラと名乗る女性に近づいて見る。金とエメラルドのネックレスの下に、すり替えられた偽の宝珠を手にしている。
「あなた達は記憶データをコピーしたら肉体は不要だと思っているんですね。僕は、僕らはどうしてもそうは思えないんです」
「ええ」モモラは分かったというように手を見せた。「オリジナルが死ねば生きているとはいえないと、言いたいことは承知しています。幾万回と議論されてきた内容です」
馬鹿げた議論だと思った。記憶が単なるデータとして扱われることが許せない。だが人間は全てを記憶したまま生きてはいけないのも事実だった。
だから現実世界の僕らも部分的に思い出の画像や映像を別の媒体へ移していく。その行為の延長に電子ニューロネットが存在しているらしい。
他にいた六体のシビラが姿をかえて巨大なキューブを形成している。宝珠がモモラの手に渡り、まだ数分。
宝珠のすり替えに気付いていないのだろうか。何故わざわざ脳内を覗けると言葉にする必要があるのか。
僕を危険だと思っているからだ。僕の頭を覗くなら、自分たちも覗かれる。僕は巨大キューブを引き裂きナノキューブを操った侵入者だ。
ニューロネットの入口で、致命的な毒を追い払おうと考えている。僕をすべてを無に帰す可能性のある何かだと思っている。
「僕を繋げば、議論はもっとはやく出来るはずですね。なんなら一瞬で」
向こうの世界では情報が高速化し超越的な思考とシュミレーションが可能なことは僕だって知っている。
ずっと僕には何も無かった。タナーさんとアッシュさんに出会うまで、中身が空っぽの無力な人間だと思っていた。いまだって、ここでだって。
だからこそ、何もかも失う事は僕がやるんだ。たとえ僕がどうなろうと仲間を……そして羽鳥さんを守る。覚悟なら出来ている。
「僕が怖いんですか?」
「ふふっ」ホコラは含みのある笑顔をみせた。「ええ、怖いですとも。皆が危険な存在です。外交官ガラボが神を名乗って、有肢菌類の賢者やカラス天狗も神を名乗っていますね。なんと神々の多いことでしょう」
支配者は皆が当然の権利だと主張し、相手を盗人の反逆者で簒奪者だと思っている。神には友だちがいない。周りには臣下と敵しか居ないのだ。
「私たちが彼らの母親だったら全員を呼んで頭をポカリとやって叱ってやりたいですね。貴方はどう思いますか、野口鷹志さん」
そういう彼女たちは自分を何と思っているのだろう、と思った。ただの監視人か部外者のつもりだろうか。
「出来るなら、僕もそうします。ポカリどころじゃ済まさないけど」
浮かんだのはマットとジェニファの顔だった。有肢菌類と海洋生命体ではあるが、文字どおり血を分けた仲間だと感じていた。
「でも僕は争うつもりはありません。あなたがたとも、友だちになれると思っています。ふたりを返してください」
「それは……出来ません。これが良くできた模造品だと分かれば」彼女は俯き、悲しい目をする。「海洋生命体の市民は奮い立ち、人類を許さないでしょうね」
「!!」はじめから気付いていた。いや、僕の記憶にリンクして気付いたのかもしれない。賢者やカラス天狗の情報を知っていたように。
「貴方が友だちになれると感じていることが本心だと分かりました」モモラはホコラと向きあって続ける。「外の友人をどれだけ大切に思っているかも」
「……ふたりを」
「できることは協力しましょう」
「ここに入って理性を保てるなら、DNAに接続遺伝子を持っている同種ということになりますから」
「僕は海洋生命体じゃありません。僕は、僕は二人に何かあったら、あなた達を許さない。僕は怒っている」
「アッシュ、という人間には海洋生命体の接続遺伝子が僅かに認められたようです。彼はここに残ります」
「な、なんだって!?」
「いいんじゃ――残ることでお前さんらを守ることが出来る。ずっとな」
アッシュさんの声がしてタナーさんの姿がずっと下のほうに見えた。ふたりの別れは済んでいると感じた。
「……そんな」
「これが条件なら安いわい」タナーさんは喉を撫でた。「こやつらに責任はない。元々が純粋にデータから生まれたシステムといおうか」
海洋生命体は複雑で巨大なネットワークから数々の実験体をうみ、進化を促進させてきた。
だが自分たちより賢い生物が、邪悪な意識を持って生まれ、自らを滅ぼす危険もあり得た。ガラボのように謀反を画策し、権力を奪おうとする危険もあった。人類が進化するAIに細心の注意を払うのと同じように。
より複雑なチェック機能を持ったプラチナバンクと呼ばれるシステムが必要になった。それが彼女たちだった。
そのセイフティ・システムは複雑な判断を繰り返しながら、監視しあい互いに成長を促進させることで自我を持つに至った。
シビラは市民の代表でも選出された意識でもなく、指導者でも議会ですらなかった。火遊びする子供が火傷を負わないよう見守るためのガイドラインから生まれた自我だった。
「儂がいうのも変な話じゃが、彼女らは君を毒だとは思っとらん。むしろ解毒剤だと思っておる。もとは海洋生命体が自らを守るために作り出したシステムかもしれん。じゃが――アッシュのような混血融合体や、君のような改造感染種が現れた」
「ええ、私たちには選択肢が増えたのです。それを育てるための条件はもう一つあります」ホコラはくるりと舞って僕に近づいた。「ぜひ、君に本物の宝珠を四つ揃えていただきたい。こちらは上手く誤魔化しておきますから」
彼女は、はにかむように笑うと僕にウインクをした。可愛らしく。
「そ、そんなことをしてモモラさん、あなた達は無事でいられますか?」
「この模造品をプラチナバンクの目を盗んで、本物に近づける程度の科学力はあります。大丈夫です」
「ふふふっ。駄目だとしても、しらを切るだけですよね、ホコラ」
「リンクでバレますよね?」
「私たちの宝珠の記憶そのものを消してしまうしかありません。野口さんやタナーさんの記憶ごと、すべて」
「そんなこと……」ホコラは少し迷った顔をした。特別な処置がいるが、アッシュがいれば可能だった。
「そんなことは、まるで野口さんや人間のやることみたいです」
「もう隠す必要もないでしょう。野口さん、あなたが電子ニューロネットにリンクすることは人類と有肢菌類と海洋生命体が繋がることを意味しています。
数々の歴史と文化、知識や能力が融合すれば、覇権争いが、どう発展するかわかりません。
争う理由が無くなると考える者もいるでしょう。しかし過去や未来には、たったいま神々を名乗っている連中より、ずっと賢く卑劣で、狡猾な者もいます。より邪悪で危険な意識も。それを我々はもっとも恐れています。
――だから貴方に託すのです。
自我を捨てた海洋生命体と、データからうまれ自我を得たシビラ。僕にはどちらが人間らしい姿か、分からなかった。




