海洋生命体シビラ(3)
屋根をなくしたカーサの広間が夕暮れの茜色に染まった。八体に分裂した海洋生命体シビラだったが目覚めているのは二体だけだ。
「とにかく集まれたのは最高だな、みんな」奇妙なヒーロー姿の山城が声を弾ませる。
「なんだよ、その格好は」腹を抱えて金子はヒロに手をまわした。中条ヒロは応える。
「日曜日の朝練前に、やってた特撮番組だよな。覚えてはいるが、いま見るとダサいぜ」と笑った。
「俺より目立つんじゃねぇよなぁ、友よ」草薙の横には中島がいる。「ぼ、僕は格好いいと思うけど……」
「このアーマーには野口が居着いてる。いまは精神だけだが、ちゃんと〈ノグ・チタ・カシ〉だ」
「そっか」金子が頷く。「お前の考えそうなことだな、さすがはキャプテンだぜ」
「まあな」
「ぐすっ、居るんだね。野口くん。嬉しいヨ。でもはやく声が聞きたいヨゥ!」
「心配するなよアンディ。三分割した精神を束ねるのに少し時間がかかってるだけだ」
会話しながらも誰ひとりとして気は抜いていない。野戦司教たちの過去の記憶や思いはそれぞれのメンバーに託されていた。
更に〈楔のパス〉は未だ有効で全員の意思疎通は可能だった。キャプテンの山城を中心に分析は進んでいた。
まず警戒しなければならないのはナノキューブによる弾丸。何時でも身体の何処からでもモーション無しに撃ち抜いてくる。
飛来物を高橋直樹の能力〈吸着〉で回避可能なことは実証済みである。さらに前田練也の〈誘導〉を使い高橋の負担を軽減する。
「はじめましてリンダさん。魔力なら分けられます。前田と草薙からもいけます」伊藤は魔女団の先輩に挨拶した。
彼女がずっと魔力を消費し続けているのは感じていた。
「いまは必要ないわ。貴方にも役割があるし、男には頼らないって決めてるのよ」
「いいえ、任せてください。羽鳥と明菜婆さんに指導されました。魔女団には世話になってる」
「ほう」魔女は伊藤をみて頬をゆるませた。「懐かしい名前だわ。羽鳥さんの孫が来ているのね」
裏切り者の司教から洗礼を受けた魔女は子を授かることが出来なかった。擬似アストラル界で海洋生命体の子供を授かるためだ。
リンダには不妊のために結婚も恋愛も諦めてきた経歴があった。見た目はかなり若い。だが実際には伊藤や前田くらいの息子がいてもおかしくはないほどに生きている。
「だから頼ってください」
「ふん。嬉しいことを……私も君たちのような息子が欲しかった」
「愛した人のためですか?」
「いいえ、自分のためよ。魔女団が何百年と言われてきたことは知っているわね。人口過多を促進させる戦いだ、自然界の法則を無視した悪魔の所業だ、楽園の破壊者だ、なんて」
「私は子供が欲しいと思ったことはまだない」マリナさんの考えは少し違った。「本当に海洋生命体を絶滅させて人類を増やしたいなんて考えたこともないわ」
感覚が研ぎ澄まされ、彼女たちの揺れる感情が伝わってきた。愛した男たちは皆、死んでいった。決して楽な人生では無かった。
選択肢など無かった。戦争は人生も結婚も何もかも壊してしまった。人々からは魔女団だけが得をする戦いだと罵られてきた。
「だから誰もが選択肢を持てる世界を作りたいの。あらゆる選択肢を……」
「よく分かりましたよ」伊藤はいう。「俺らが戦わなければ誰も戦わないってことがね。そんな世の中間違っています、最低だよ」
「有肢菌類は大量絶滅、海洋生命体は地上を海に、規律にうるさい地下組織も、内部は腐った魔女団も……最低だよな。でも、この仲間は悪くないだろ?」山城祐介はリンダの前にたった。
発達したニューロネットワークとフォログラムによる精神攻撃は山城の〈壁〉が受け持つ。
彼らの歴史上もっとも脅威的な破壊力をもつ、精神攻撃がただの自己中心的な思考を持つ高校生に一切通用しないのは皮肉だった。
「ふふん。悪くない」
「ええ、悪くないわ」
だからといってシビラに隙がないわけではない。キューブは通常物理攻撃をまったく受け付けないといわれてきた。
自我を持ったふたりについてはどうだろうか。触覚がある以上は痛覚もダメージもある。
物理攻撃とはいえないような弱い当たりや、物理法則を超えた強打に対して彼女らは必死に回避行動を繰り返していた。
ふたりの魔女のもった特有の能力。マリナはキューブをコーティングする泡状の白兎をうみだす。
ニューロネットにより敵対者の攻撃意識に反応して防御姿勢をとる仕組みには穴があった。
リンダの持つ〈どうにも止まらない〉は感覚の上限、下限補正を促す能力である。
魔力を増幅する以外に敵意や、物理的な情報を麻痺させる。かつて、この古典的魔術が海洋生命体の王に有効だとは誰も考えつかなかった。
つまりニューロネットが攻撃だと判断する思考基準をクリアすることで物理攻撃は当てられる。
そして、ずば抜けた身体能力を持ったアッシュとタナーにかかれば、シビラであろうと専守防衛に徹するほかない。
「しかし、よう避けるわい」タナーはアッシュにいった。「相手が女の姿だと、こちらも気が抜けてしまうのかもしれん」
「身体が柔らかいから、上手く当たらんのか。女は皆、クヨクヨしても仕方ないときはクネクネするもんじゃからな」
「ほっほっほ」
「わはははは」
一方のモモラもまた現状に驚愕していた。野戦司教の肉体を支配する精神の入れ替わり現象。
得意とする精神攻撃がまったく通用しない状況だけではない。死した司教の精神を庇うように新たな若い精神が宿ったのだ。
「この記憶置換は我々のものとも有肢菌類のものとも違います。いや、複合された能力でしょうか、ホコラ」
未知の能力に合わせ、同じナノキューブで構成された少女の存在があった。
あの能力で眠っているシビラ六体が奪われるのではないか。恐怖だけでは済まない。物理的にも精神的にも守り抜かなければ。
「時間を稼ぐしかありませんね、ホコラ」
「それにしても、他のシビラが目を覚ますのは一分後かもしれないし、一時間後かもしれないのです。あるいは一週間後かも」
「……」
「統率委員会から六人指名して強制的に起こしましょう」
「それが出来ないのです」
「なんですって?」
「おそらく、目覚めた瞬間を彼らは狙っています。有肢菌類の記憶置換とは別の能力なのは明らかです」
強制的に仲間を起こせば、当然ながらリードタイムが発生する。あの少女のように一瞬でも無垢の状態で自我を立ち上げれば精神を乗っ取られるのではないか。
「モモラも専守防御で動けないとなると、我々の負けですか」
「完全に膠着状態ですね」
「おなじ土俵で戦うのであれば、負けといえますね、ホコラ」
「醜い姿は晒したくありませんでしたが、仕方ない」
アッシュとタナーの挟み込むようなパンチを身をよじりかわすと、ホコラの身体は一本の紐のように捻れていった。
いびつに曲がった顔と、上下に伸びた不快な体型にタナーはたじろぐ。足は短く、手のように形をかえて地をはっていた。
四方八方からの打撃がふたりを一斉に襲った。ナノキューブは変幻自在に体躯をあやつり、もはや何と戦っているのか分からなかった。
「ひいいっ、気持ち悪い」
「爺いが女々しい声をあげるんじゃないわい」
モモラもまた表情を歪め手足を引き千切れんばかりに伸ばしていた。一瞬にして広間が壁に覆われていった。
「何だヨ!」アンディの叫ぶ声。ヒロとアンディは知っていた。野口鷹志がキューブに吸い込まれて眠らされていたことを。「また閉じ込める気か」
囲みにいち早く反応した伊藤と中島はフェイントで突破を試みた。食種のように伸びたモモラの腕をヒーロースーツが掴む。
反転したモモラは、踵を返してタナーとアッシュに向かった。巨大な真っ白なキューブになって、タナーとアッシュを包んだ。
「!!」「やられた」
「狙ってたのは向こうだ」「……」
「……」
静寂が訪れた。みなが老戦士は大丈夫だと決めつけていた。皆の前に巨大なひとつのキューブが沈黙していた。
時を同じくして、ポートを出た方舟の機関室が開いた。潜り込んでいた外交評議会のガラボ、リチー、アレザの三人が姿を現す。
高橋と金子はぐっすりと眠っている。意識はカーサにある。
「さあて」ガラボは特殊鱗鎧と銃器を身に着けて立ち上がる。
「操舵室の相手はたった三人の女だ。たっぷり可愛がってやろうじゃないか」




