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海洋生命体シビラ(2)

 アッシュとタナーはひとりに攻撃を集中した。左右から連撃を浴びせるが、器用に身をよじりかわしつづけた。彼女は唇を噛んで防戦に徹しているようにみえた。


「少し時間が掛かりそうなんですけど、手は貸してくれないんですね、モモラ」

「まさか苦戦しているのですか?」彼女は唇に指を立てて静かにしろというように彼女をみた。「弱音なんて神々に聞こえますよ」


市民シビラは我々の言葉を聞いていませんよ。聞いてくれたことなんてあったでしょうか」

「ありますでしょう。私を貴方のおもりに付けているのですから」


 モモラは冷静に八人の野戦司教への攻撃を始めていた。そのひとり、千葉省吾は地面に散る白兎が草に茂る様子をみる。


 千葉は幼いころ、開拓民として擬似アストラル界に入居した。今となってはどんな経緯でそうなったのかは不明だが。


 荒れた不毛の地を切り開くのは並大抵のことではない。余所者だった両親や農夫。数百人いた人間は壊滅するほど次々と倒れていった。


 飢えと乾きで痩せ細っていく家族や仲間たちを覚えている。山田さん、田中さん、伊藤さん。年の近い子供も沢山いた。


『みんな死ぬのに』とシビラが言った。そうだ、みんな死んだ。意識を失うまえ、桑を持つ手に力は入らなかった。


 幼い千葉が立っているのもやっとの状態で桑を振り上げると、体はふらつき後ろに倒れそうになった。


 両親や開拓民は餓死してまで、土地を耕し続けた。次の世代が生き延びるために、いいや、他に選択肢なんて無かったから。


 この桑は元々は誰の物だったかな。その思いが残っている。兵士が機関銃で戦うより、このほうがよっぽど大変な戦いだと感じた。


「……」伸びた草が絡みつき身体を覆う。引き千切ると全身に小さな切り傷がつき、ヒリヒリと傷んだ。何も音がしない。


 草が音を消している。見まわせば周りの野戦司教も同じ様子でジタバタと草を千切っている。


「……」リアと名乗った小太りで髭面の司教が、なにか耳のあたりを道化たように指していた。


 地下組織で使われる会話術なら耳をふさがれても周波数さえあえば会話が出来るといいたいのか。


「!!」


『頭をさげて散ってにげろ』と言っていたのだ。慌ててしゃがみこむと音速のナノキューブが耳もとをかすめた。


 当のリアは何もない頭部を指さしたまま立っていた。生暖かい血飛沫が雨のように千葉に降りかかった。


 胃が持ち上がり、全身の毛が逆立つ。毛むくじゃらのバウエルは狼男に獣化して絡みつく草を噛みちぎっていた。


『たす……たすけて』


 茂みを散り散りに逃げたかと思われた仲間たちだったが、すぐに足もとに誰かいると気付いた。


 千葉とバウエルは身を屈めながら声の方へ進んだ。落とし穴だ。地面がえぐれて、誰かが落ちた。


 覗きこむと白人のケイドがハラワタをむき出しに倒れている。臓物が溢れだして抑えている。


 落ちて尖った槍に串刺しになったのだ。法衣を着た連中が持っていた槍が並べられていた。


「たっ、助ける。いま助ける」

「グルル……」

 

 無駄だ、もう助からないとバウエルは言っている。だが息のある仲間を見捨てることが出来ない。


「手をかせ、バウエル!」

「グエ、グルル」


 落ちつけと。散り散りに逃げたはずの仲間はまだ、近くに倒れているとバウエルは吠えた。


(桑を使え! 戦闘では役立たずの俺だが、開拓民の息子だ。これだけは他の誰にも負けない)


 両手を振り上げ、日の落ちた空を見上げた。胸部と腹部を撃ち抜かれながら。


(っぐ……ぷっ)


 混濁する意識のなか、星を落とすように握った拳を地面へと力強く下ろした。

 

(桑を振れ、開拓民。山田さんの、田中さんの、伊藤さんの使ってきた桑を!)


 あたり一面に茂った草が、すべて一斉に根こそぎ巻き上がる。はっきりと見えた地面すれすれを銀狼バウエルは走った。


 倒れていた仲間をふたり、さんにんと背に乗せ、カーサから飛び出していく。


 無事に大門を抜けたのは四人と一匹。強化した肉体で共に走るのは巨漢のタバズだ。


「リア、ケイド、千葉の三人は死んだのか!?」足を止めた銀狼にタバズが聞いた。


 北部戦線でダイアウルフとマンモスの化石から二人の能力は生まれた。研究者だったころから、ずっと共に戦ってきた。


「どうした!」バウエルの後ろ足は虎挟みにかかっていた。

「グルル……」


 巨漢タバズは背中の三人を掴んで瞬時に、真横へ跳躍した。罠には爆薬が仕掛けてあった。


 地鳴りのような爆発音と甲高い狼の鳴き声。遅れて血飛沫と肉片が撒き散らされた。


「バウエル!」

「くそっ、くそっ!」


 銀狼の身体は弾け、あとにはチリひとつ残らなかった。怒りに震えるタバズの肉体が膨れ上がり顎下から二本の牙が伸びた。


「逃がす気はないようだ」


 跳躍した先には併走していた海洋生命体シビラが待ち構えていた。タバズの体から救助された三人の司教が分散するように飛びかかる。


 悪夢のような数分だった。真っ先にシビラに飛び出したのは水のカミュと呼ばれていた。


 凄まじい速さで繰り出されたボディブローにカミュの腹部が破裂した。「……」


 水が弾けた。カミュは海岸の小さなログハウスで育った。両親も知人もダイバーだったが、カミュは水が怖かった。


 はじめて母につれられ水族館に行ったとき水中の世界を見てカミュは変わった。


 こんなにも美しい世界があったことをはじめて知った。コバルト色の水平線をみて、母にいった。僕もダイバーになると。


 本格的にダイバーを始めたのは高校生になってからだ。部活の延長で大学に入ると様々な海に潜りに行った。


 水の恐怖を克服してから、出来ないことを乗り越える喜びを知った。自制心の強さを示すのだ。


 シビラはパシャリと散った水の分身を無表情でみていた。カミュは冷静にその顔をみた。


 美しい人形のような顔立ち。だがあいた口の中は真っ暗だった。歯も舌もないのだ。


(これは生物ではない。ならば殺すことは可能なのだろうか)


 海難事故にあったとき偶然バディを組んだ女は有肢菌類であった。どちらかが確実に死ぬ状況でもカミュは冷静だった。


 怪物と化した女は水中でもがき続け、カミュのレギュレーターを奪いに来た。


 酸素のない水中での格闘のすえ、コバルト色の水面に顔を浮かべたのはカミュのほうだった。


 どれほど不利な状況でも乗り越えたときの喜びに勝るものはない。カミュには信念があった。


圧縮気泡破バボー!」


 突き上げた拳でモモラの体制は崩れていた。その勢いを利用して水の鋭利なナイフで肉体を切り刻む。だがモモラは更に身体を反転して水のナイフを受け流した。


「!!」

 

 背後をとったつもりのカミュの首が飛んだ。みずからの生み出した水のナイフによって――。


 まるで水面から顔を出した日の景色だった。コバルト色の水平線が見えた気がした。


 温かい母の手に包まれて夢みた景色、その言葉が聞こえた。『カミュはいいダイバーになる』




「ブルオオオオロオッロオオオオオ!!!」マンモスの血から感染者となったタバズは獣化し、牙を向けて突進した。


 左右の司教はこの攻撃が最後になるだろうと思った。


 三方からの一斉攻撃。左にたったガビは鉄工所で育った。右のタイルは牧場で馬と共に暮らした。


 タバズの肉体は鉄のように硬くなり、その足は逞しく地を蹴った。複合肉体強化による渾身の一撃が放たれた。

 

 ドンッ―――――……。



「降参しなさいと言ったのに」モモラは独りごちた。「……いってなかったかしら」 


 粉々に砕かれた三人の身体があたり一面に舞っていた。モモラは思った。戦闘にはいって一度でも逃げてしまえば、そこで戦いは終わるのだと。


 いかに大軍だろうが鋼の肉体だろうが、我々の前から逃走したものが二度と戻って戦ったことはなかった。


「敗因は初手での逃げ腰ですね」



 八人の野戦司教は、魔女と山城を囲んだまま微動だにしていなかった。この攻撃はすべて、精神攻撃だったのだ。


 そして次々と膝をつき、気を失って倒れていった。最後に立っていたのは巨漢のタバズだった。膝をつかんだまま、じっとこらえているようだ。


「なぜ倒れないのかしら」モモラはいう。「精神が死ねば肉体も滅びる。彼らはとっくに死を受け入れているはず――」


「ちょうど八人でよかったヨ」タバズの身のこなしかた、動きから、モモラにはまるで別人のように見えた。他の七人の様子もおかしかった。「みんなパスはきたかい?」


「!!」タバズの姿が山城にはアンディに見えていた。ヒロと前田、中島に草薙と伊藤までいる。


「……?」


 モモラはふたりの魔女の仕業かと考え、警戒はしていた。何か仕掛けたのは若い男と少女だ。


「ああ、無事だよ。司教のおっさんも」「おお」「へへっ」

「ぎりぎり繋げたよ」「そうか、遅かったくらいじゃん」

「み、みんなは居ないだろ。ほ、細川君は外れたんだからさ」

「野口はいんのか?」


「ここにいる」真ん中の男、山城が叫んだ。「いくぜ、変身チータ!」


「あっはははははは」伊藤と金子は笑いに思わず吹き出した。「ウケるよな」


「ちいっ」老人たちに追い込まれているホコラと、大門前で立っていたモモラは遠く目を合わせた。


「こちらも、少し時間がかかりそうです、ホコラ」



 

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