エリクサー(3)
◆高橋×金子◆
俺は宏美さんを引き寄せて〈宝珠〉を体に密着させた。もとから強引な性格じゃないんだが金子の姿になれば別だ。
宏美さんやアッシュさんから見れば、俺の姿は金子だから。そう思うだけで勇気が湧いた。
だからだ。あの速さで無機質な攻撃。自我はなく冷酷で自動的な処刑人を見ても、ずっと俺は怖くなかった。
「ハァ……ハァ……」
冷静に数発を処理。集中を切らさず、更に数発。また数発。奥歯は割れそうになり、脳みそはパンク寸前だった。
「うっく!」
思ったとおり、ナノキューブの弾丸は定期的で頭数通りに発射される。分かってさえいれば、なんとか対応は出来る。
だが衝撃が強すぎてトラップができない。正面から受ければ簡単に能力を貫通してくる。
「ハァ……ハァ……」
一発もらったらエンドだ。死ぬのは俺だけじゃない。金子も宏美さんも、アッシュさんもリンダさんまで死んでしまう。
「ハァ……ハァ……」
金子なら逃げない。チームでトップを張って、どんな相手だろうが臆したりしない。
どれだけシュートの練習をしてきたか知っている。皆が繋げたチャンスがどれだけプレッシャーになろうが、アイツは決めてきた。
弾丸の途切れるタイミングで金子に繋ぐ。ドングリコロコロどんぶり子、くーちゃんライスはいかがです。あの歌でリズムをとれ。
『ドングリコロコロ、丼ぶり子』
「どんぐりころころ、丼ぶり子」
(……ここだ!)
『頼んだぞっ、エース』
「任せろっ!!」
◆金子×高橋◆
舞う白兎の小さな気泡から視界は遮られていたが、入れ替わるタイミングまで間近で見えていた。
フォログラムからの視点は完全にシビラの隙をついている。パスは繋がっていた。
ジジジジジジジジ―――……。
ヒット回数によって威力が倍増する能力は先だって掛けてある〈磁場解放〉の為。
そこに〈放出〉すれば威力は二倍から四倍、八倍、十六、三十二、六十四、百二十八、二百五十六、五百十二、千二十四、二千四十八、四千九十六、八千百九十二――……。
白泡を巻き込み、威力は天文学的な数字に駆け上がる。物理攻撃を受け付けないとはいえ、コーティングされた泡ごと宇宙に吹き飛ばしてしまえば、無事な生物など存在しない。
カーサと呼ばれる巨大な聖堂からは、人々は少しでも離れようと走っていた。
高橋はシビラの視界を遮り宙に舞ったこの瞬間を待っていた。ここでパスが繋がる。俺は全身全霊の力を右足に込めてシュートした。
ドッ――――――……ッン。
辺りの残骸を巻き込みドーム状の屋根が爆発する。突風はなおも真昼の真っ青な空に向かって伸びていった。
『「うおおおおおおっ!」』
はじめて奴にダメージを与えた。消しとんだ白兎で目の前は真っ白になった。甲高い悲鳴と爆音のあとに一瞬、音が消えた。
「……」
壁パスが高橋に戻る。背中に宏美さんの手がピクッと動き、安堵した。真っ白ですべてを破壊してしまったかと感じた。
死んでしまったかと思った。安心したのも束の間、ワンピースの裂けた胸元に〈聖痕〉が見える。
「綺麗だ。君は自分の能力が嫌いだというけど、そんなのは嘘だ。だって、すごく綺麗だ」
「……っ」
宏美さんが何かを言っている。触れた宝珠と聖痕が意志を持ったように結びついていく。
「……てっ!」
はだけた胸元から全身に描かれていく万華鏡模様。身体のシルエットが浮かび、複雑だがとても美しく目にうつった。
「逃げてえっ!!」
「え、どうして」
泣き声まじりのあえぎ声が聞こえた。でもどうして。確かに手応えはあったはずだ。
俺はみた。空中に火と煙が立ち込めるなか、微笑していた口元がジッパーのように開いたのを。口裂け女、おぞましい鬼のような笑いを浮かべたシビラを。
全身に炎をまとい翼のようにひろげる姿は、まるで報復に目覚めた天使のようだった。
ふたつに割れた。いや四、八体に増殖していく姿がみえた。同じ顔に同じ銀髪、だがポツリポツリと目覚めていくと各々に自我が存在しているのを感じた。
強烈な吐き気が襲った。まだシビラは目も覚ましていなかったのだ。これまでの行動は全部が自動的に処理されただけ。
フォログラムの位置、あの視点では中島の能力を使い間近にシビラが見えていた。
「う、うそだろ。無傷だなんて」
『はやくポータルを』
「いけるのかよ」実体は反射的にヒロへパスを繋ぐ。数瞬のうちに一条ヒロは足元に広がる白兎に隠すようにポータルを開いた。
ムチを引くように魔女のふたりとアッシュさんを吸着する。俺は宏美さんとふたりで縺れるようにポータルに滑り込んだ。
『大丈夫か!』
闇と光が交錯したあと、フォログラムのはずの金子が両手を広げて俺たちを抱き抱えた。何度も入れ替わったふたりの精神が戻り、視点がぐるりとまわった。
「!?」
「フォロじゃない。戻った」
そこはカーサから数キロ離れた方舟の並んだポートだった。油と鉄の匂いがして気温も湿度も異なっていた。
新幹線のようなフォルムの銀色の船が並んでいるが、明かりは見えない。天井がどこまであるのか分からない広々とした空間だった。
「ハァ……ハァ……」
わずかに開いた搭乗口から黄色い光が筋のようにカーブを描いた進路に落ちていた。
二人は再会し、がっちりと抱きあった。その横で宏美が本物の〈宝珠〉を膨らんだワンピースから取り出した。宏美は裾を撫でて高橋を見る。
「高橋くん。ずっと守ってくれていたのは貴方だったのね」
「あ、あ。あん、ああ、あ」
「ふふっ……ありがとう」
「そ、そんなことより」高橋は照れたように鼻をかき、背後のポータルをみやった。「アッシュさんとリンダさん、マリナさんはどうした?」
「引っ張ったんだ」青ざめた金子がいう。「ちゃんとやったぜ」
ポートには高橋と宏美と金子の三人しか居なかった。田中さんと野戦司教の八人も消えていた。
「ど、どうなってるんだっ!」
「まさか残ったのか」
『ごめん』そこにはフォログラムの野口がいた。『止められなかった。皆で逃げるはずだった』
揺らぐポータルが薄っすらと消えていくのが見えた。残ったのは気泡と化した白兎が、ボタボタと床に溢れ落ちているだけだ。皆で武装船に乗り込むはずだったのに。
「戻ろう。いますぐ!」
『待って、カネちゃん』
アッシュさんは自分で残ると決めた。リンダさんもマリナさんも残ると決めたのだ。
だからタナーさんは俺たちと入れ違いにポータルに駆けいってシビラの目前へ飛んだ。
『僕らの戦いじゃないって言われたんだよ。これは魔女団と地下組織にとっての戦いだって』
魔女団の結界が解けてしまえば海洋生命体は地上を好きなだけ攻撃し、海に沈めてしまうだろう。
若い魔女の数は減り、既に地下組織と魔女団は共同戦線がはられはじめている。その礎になるべく、ふたりはシビラと対峙することを選んだ。
「無茶だ。あいつは何体いるのかも分からないんだ」
「だからって放っていけない」
『分かって欲しい』
あの爺さんたちは俺たちを逃がそうとしてる。時間を稼いでその可能性を上げるために戦うつもりなんだ。そんなの分かってる。
『僕らは宝珠を持って脱出するのが、役目なんだ』と野口は言った。『タナーさんと話をしたら、どやされたよ。儂が組んでるのはアッシュであってお前らじゃないって。ちょっとは上手くいくと思ったけどダメだって』
野口は今にも泣き出しそうな寂しい顔をした。俺はアッシュさんに手袋を渡した日を思い出す。
シワクチャで見ていられない笑顔だった。いつも素っ気ない態度だった。それでもあんなに格好いい爺さんは他に居なかった。
「……まだシビラは宝珠がすり替えられたことに気付いていない」高橋は真っ暗な天井を見上げた。「ってことはポータルだって使えるんだ。もし逃げおおせたら、もう一度ポータルを使えば」
「そうだな。とにかく、作戦どおりに方舟を出そう。なんなら連中の戦力だって分散する」
武装船の扉が開くと、スーツスカートからすらりとした長い足が伸びた。はるか昔に見覚えのある高校の女教師。
「律子先生。仙田律子!?」
「巡礼者たちがポートまでは案内してくれたのよ」そう言ったのは後ろに現れた羽鳥舞だった。「こっちだって、まさかタナーさんと高橋がいるとは思わなかった」
「羽鳥、羽鳥なのかよ」高橋は目を丸くした。「お前も居たのか、教会以来かな」
「でも人間じゃねーじゃないか」俺はハッチを見上げて絶望の顔を浮かべた。「律子先生。あんたが有肢菌類の〈センリツ〉だってのは聞いている」
「大丈夫よ。ヨークでも方舟を動かしてるし」肩をあげて羽鳥がいう。こいつはいつも俺たちの先にいる。「信用するしかないじゃない。チッタちゃんも紹介するわ。あれ、見当たらないわね。山城と何処かにいったのかしら?」
「ははは。山城もいるのかよ」
「さっきまで居たのよ」
『まさか、まさか!?』野口の顔が青ざめた。『なんでアイツだけは僕の反対にいくんだっ!』
みなを救い出すはずのポータルで、地下組織と魔女団はシビラへと向かってしまった。
残るはずの山城祐介は、彼らと共にポータルへ飛び込んだ。ほんの一瞬のうちに、姿を消していた。




