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僕の中の悪魔

 ひどい一日だった。僕はベッドに倒れこんで、目を閉じていた。


 これだけ言えば、どれだけ今日が酷い一日だったか伝わるかな。僕が漏らしたのはおしっこ《《だけ》》じゃない。


 カネちゃんたち三人組と僕は、抱きしめあって互いの友情を確かめあうようなことにはならなかった。残念だけど、漏らしていなければ、そういう流れになったかもしれない。


 全身を極度の筋肉痛が襲ってきたのは、ほんの数分後だった。僕は羽鳥さんに捕まれたままトイレに駆け込み、着替えを済ませた。


 なんせ臭いし、時間もかかった。服を全部脱いでホースから水を浴び、ジャージやパンツをゴシゴシ洗った。


 その間、カネちゃんたちには帰って貰うことになった。詳しい話は聞いてないけど、羽鳥さんがうまく言ってくれたみたいだ。


 有肢菌類と大量絶滅について、みんなにどこまで話したのか。みんなが、どこまで信じたのかを、僕は知らないでいる。


 素っ裸の僕は、タオルと制服を受け取った。そう、羽鳥さんから直接。彼女は僕を監視しなくちゃいけない立場だから、恥ずかしいとか情けないなんて言えるわけがない。


 当然あそこも見られた。年頃の女性になんてことをさせているんだろう。すごく怒っていたと思う。顔を真っ赤にしていたし、何度かはプイッと目を反らされた。


「……あ、ありがとう」


「気にしなくていいわ」

 

「二匹は君がやったんだよね?」僕は聞いた。「君の能力があの二匹をぺしゃんこにした。そういうふうに見えたけど」


「私の能力については、教えてくれなくていい」彼女の顔にいらだちが浮かんだ。「あなたの質問が誰の質問か、はっきりとしないうちは答えられないの。一匹か二匹、蜘蛛があなたと混じったのを感じたわね?」

 

「は、はい、多分」


 改造手術は終わっていなかった。現在も僕の中で進行中というわけだ。つかのま、数学のテストの日に感じた恐ろしさがぶり返してきて、圧倒的な恐怖に呪縛される。


「………」


 怖くなんかない。振り払おうとしても駄目だった。どう対処すればいいのか、羽鳥さんを頼ってしまう。視線が彼女に向かうのを止められなかった。でも彼女の口数は少なかった。


「今日はあんまり、おしゃべりじゃないんだね。いつも女子たちと話してるのを見てたから、その、楽しそうに」


「……そうね」


「もしかして、僕を殺すの?」


「ええ、どうかしら。知らないほうがいい場合もあるわよ。本当に知りたい?」


「う、うん。最悪の出会い方だったけど、君にはちゃんとお礼をいいたくて、殺される前に」


「殺す相手にお礼なんて、変だわ」


「……そうだね。でも、ありがとう。僕が君のために何か出来ればよかったけど、何も持ってないから、お礼だけでごめんね。あっ、そうだ。良かったら、これ」


 僕は手提げカバンから薄紫色の爪切りをとりだして、羽鳥さんに渡した。


「爪切り?」


「可愛い爪切りでしょ。母さんが使ってたやつなんだけど、家にもう一個あるから」


「……え、ええ」


「あんまり能力は使わないほうがいいのに、僕らを守ってくれたよね。本当にありがとう」


「……」


 真夜中、何時かは分からない。さっきまで聞こえていた父さんのイビキが聞こえない。転職してからは、家につくなりずっと寝ている。


 きっと僕と同じで疲れはてているんだ。それから羽鳥さんとどんな話をしたかも、よく覚えていない。あのまま、うちまでは一緒に歩いてきたけど、ほとんど喋ることはなかったと思う。


 寝室は真っ暗だった。いつもなら戸口から街灯の明かりが射し込んではいるはずだが、方向感覚が眠っているのか、ほのかな光すらなかった。


 すぐそばで寝ているはずの父さんを感じられなかった。だれもいないと感じたのは、暗いからか、不安がそう感じさせているだけなのか分からなかった。


(……静かすぎる。くそっ、居るなら姿をあらわせ、卑怯者め)


 起き上がり手探りで寝室を出ようと思った。もし、松本が僕を乗っ取ろうとしているなら、その前に手をうつつもりだ。


(……ごめんね、父さん)


 涙が溢れだした。でも仕方ないんだ、方法はひとつしかないから。あんな小さな蜘蛛でも、僕の脳ミソくらいあっさり食べてしまうだろう。そんなことは簡単に想像できた。


 連中には洗脳という方法だってある。ただの屍になってヤツに操作されるくらいなら、いっそ死んだほうがマシだと思った。


(……ごめんね、母さん)


 僕は台所に行って包丁を取り出すつもりでさまよった。手首を切るか、喉元を切るか、そんな方法で蜘蛛が死ぬだろうかと考えながら。


(ビルとか、橋から落ちたらどうだろうか?)


『もう、やめてくれ……そのくらいで』


「!!」


 暗闇の中、かろうじて何かが動いた。ひとりでに体が震えだした。


(誰だっ、松本か!)


『……好きなように呼んでくれ。マット・イーターでも松本でも』


(やっぱり生きてたんだな! やっぱり僕を乗っ取るつもりだったんだなっ)


『まあ、死後の意識などないのだから生きているといえるかもな。だがお前を乗っ取ろうとか、食っちまおうなんてことはしない。色々とあったが、お前の母親だって食っちゃいない。俺が嘘をついていないのは分かるはずだ』


(くそっ、なにが目的だ。何だろうと貴様のいいなりには、ならないからなっ!)


記憶置換オーバーライドでお前の脳を奪ったところで、またまた集合意識に支配されるだけだ』


(くっ……難しくてわからない)


『分かりやすくいうと……お前というハードをフォーマットして、俺のデータを上書き保存したとして、それが俺といえるかが問題だと言ってるんだ』


(も……もう少し、分かりやすく)


『ったく。ともかく俺はな、野口鷹志。お前と共存共栄をしたいんだよ。集合体としての習性かもしれないが、俺はお前の一部として存在することに、充分なほど満足してる』


(ぼ、僕は不満だ。すぐに出ていけっ!)


『まあ、待て。もう八時間以上たっている、出ていくことも記憶置換オーバーライドも出来やしない。これ以上なにも起きやしない』


(じゃ……じゃあ、何がしたいんだ)


『ふっ、さあな。ただ設計士として芸術的な作品を残したかっただけかもしれん。この作品は俺自身が加わることで完成する』


(はあ!? だったら、ずっとここにいるつもりなのか。僕を何だと思ってるんだ)


『お前のことは尊重してる。意識に関与するつもりもない。実際に不可能だしな』


(……嘘か本当かは分かる)


『だろうな、そういう部分は共有しているから。正直にいおう。お前は立派で機能性に優れたうつわだ。だが、使わなきゃ意味をなさない。だから俺はここにいて、見とどける必要がある。単なる傍観者としてのみ存在している』


(だったら、どうして現れたんだ)


『ぷっ……お前が呼んだからだろうが。さもなきゃ夜中に徘徊するお前になんか興味ない。言っておくがな、野口鷹志』


 夜中、徘徊。僕は目を擦って辺りを見回した。玄関から数メートルの場所に裸足で立っていることに気付く。アスファルトが冷たい。


『お前からの呼び掛けがなけりゃ、俺は現れない。それと、少しは感謝してもらいたいね。かなめとしての俺がいなければ、お前は肉体と精神のバランス崩壊で今頃とっくに死んでいたってことだ。俺様がいることで拒絶反応も起きず、快適な今があるってことを』


 そして、ここは最高に居心地がいい。そういった気がした。あれほど早く、時間旋の能力も使わずマット・イーターは現れた。


「……」


 焦っていたから。はじめから、やつは僕という器に目をつけていた。数年前から設計をはじめ、あの日は手際よく改造を済ますつもりだった。


 居場所を求めていたのだ。身勝手で利己的な手段を使って。


(僕は……お前が嫌いだ)


『ああ、知っている。なら呼ばなかったらいいさ。俺からお前に用はない。だがな、ひとつだけ言わせてくれ』


(何だ?)

 

『お前はいいやつだ。俺に人間みたいな感情はないが、それくらいは分かる。だから、死のうなんて考えるのはよせ』


(……う、うん)


『約束してくれ』


(そりゃ、僕だって死にたくないよ)


「…………」


「……」


 朝焼けが雲の端をほのかに照らすのが見えた。穏やかな朝の太陽がゆっくりと顔をだしていく。背筋を伸ばした僕は自然の音に耳をすませた。一日で一番静かな時間に。


 背後に彼女が立っていた。ずっと僕の家の前で待っていたのかもしれない。事情を言わなくちゃ……殺されるわけにはいかない。


 慌てる僕より先に口を開いたのは羽鳥さんだった。ぐっと顔を近づけると、涙でうるうるした眼を僕に向けた。


「ねぇ、教えてっ。どうして、なんで私に爪切りなんかくれたのよっ!!」







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