中央都市リーン
海洋生命体キューブ。一部の下級個体から〈ライブラリ〉とも呼ばれている。
悠久の歴史を持つ海洋生命体の多くは自律神経も、自意識も持たない。求めれば何時でも持つことは可能だが、彼らは自己の思想や判断力などを過大評価していない。
下級民にはヨークの街のように自由で健康的な生活が約束されている。容姿は進化した整形技師により美しく変えることも、筋肉をつけ若く保つことも自由自在だ。
だがそれは上級民の実験場に近い扱いでもある。正しく倫理的で優れた知能を持った個体以外は、永遠の命を持つ上級民にはなれない。また、それ以下と判断された個体は《《法》》のもとに抹殺される。
優秀な個体を生むための牧場が平然と作られている。そのなかで外来種である魔女や強化人間と同化することや配合することは、下層民にとっての夢を現実とする憧れとなっていた。
優秀な子供を授かれば親族までが優遇された。それ故に、あたかも外来種にとっては楽園と称されたのだった。
金子伸之と高橋直樹は中央都市リーンで再会をはたす。彼らは和平交渉中の大司教を殺害した魔女を北部送りにした。
とはいえ魔女を連れ込んだのもアッシュと金子である。外交特権のある施設ビルに海洋生命体の交渉人は一時間と待たずに現れた。
大理石の柱が並ぶロビーで迎えたのは大司教の護衛役のタナーと高橋のふたりだった。
現れたのは三人の銀髪の紳士たちだった。旧世界めいた風変わりなコートを着た男たちは大司教との交渉人だった。
「平和的に行きましょう」評議会を名乗る銀髪がいった。「どのみち、物理攻撃は我々には効果がございません。改めて名のるべきですかな?」
「護衛しておったからの、何度も顔は合わせて知っておるわい」
体格よいリーダー格の男がガラボ、右が小柄なリチー、左は長身長髪のアレザと名乗っていた。銀髪美形に同じ格好をされては田中に区別がつかないのも無理はなかった。
「ええ、そうでした。初対面ではございません。ですが護衛のふたりが生きており、大司教と侍女が居ないとなると話は別です」
「儂らには用がないじゃろう。土産屋に寄る時間くらいはあるが、なるべくなら今すぐ帰りたい」
「詳しく聞きたいのですが、貴方が殺したのかな、大司教と侍女は?」
「いいや、さっきも言ったが魔女がふたり潜入しよって殺したんじゃなぁ。それから死体と共に冷たい北部の雪山に飛ばされよった」
「見つけることは?」
「まぁ、無理じゃろうな。雪山は雪が山になっておる。除雪は挫折じゃろう、ぷぷぷっ」
「可笑しいですか。つまり証拠は何もないと」ガラボは懐疑的な表情のままだった。「それで護衛に失敗した貴方がたの希望は、今すぐ地上に帰りたいというわけですね」
タナーは頭を掻きながら返事をした。「まあ、あまり気を使わんでくれ。短い間じゃが世話になったの」
「帰れるわけ無いだろうっ!」ガラボは声をあらげた。「貴様は逮捕され地下墓地に監禁だ」
「ひいっ。まるで威しじゃのう」
「まるでじゃない、まんま威しだ。いかれた爺いめ!」
「……」
「貴様が兄弟のアッシュだったらまだ良かった。北部戦線で方舟を何隻も破壊されたからな。捕らえれば上級民に格上げだった。だが貴様は何だ。何の仕事もしていない。一体何なんだ?」
「前線には出とらんかったかな。後方でやることがあったんじゃ」
「腑抜けか!」ガラボは苛立ちを隠そうとはしなくなった。「ウイルスで頭を破壊され痴呆と化したか。なら北部ごと津波で水没させてやる。被害者はそうだな、二万人だっ」
「人の命を何だと思っとるんじゃ」
「ふっ、腰を抜かせ。貴様の記録はどこにもない。護衛すらまともに出来ないただの痴呆老人だ。しなびた肌に歯の抜けたアホ面の耄碌ハゲがっ」
ガルボは髪をかきあげ撫でつけると、コートを脱いでリチーに渡した。逞しい胸板と太い腕が見えた。
「すげえ筋肉じゃなぁ」
「ふはは。我々の科学力では肉体を強化することも容易いのだ。上に報告するまえに、たっぷり痛めつけてやる」
「やめておけ」
アレザが銃を抜くと同時にタナーは斜めに移動し、その手を遮った。マガジンが床に落ちてスライドした銃から薬莢がポロリと転がる。
素早いとは感じない。高橋には手品に見えたが驚いていたのはタナーも同じだった。銃の構造が人間社会と同じとは思っていなかった。
「は?」
そのままアレザの背面をとり盾にした状態でガラボとリチーに向き合った。一瞬の出来事に男は言葉を失い、唖然としてタナーをみた。
二人の男は目を合わせると、一斉にタナーに殴りかかる。アレザは蹴り飛ばされ、ガラボともつれ合った。老体が腰をまわすと押さえつけた腕と足からリチーの骨の折れる音が響いた。
「!!」
「くうっ」
床に突っ伏したコートをみてガラボの顔が青ざめた。打撃や銃弾も跳ね返す戦闘用鱗布をあっさり関節技で捻じ伏せるとは。
ただの爺いではなかった。想定していた弟アッシュより速く、技は洗練されているように見えた。
「貴様の戦闘データはなかった。今まで何をやっていたのだ!?」
「さあて。教官と呼ばれておったこともあるかもしれんのぉ」
※
アッシュと金子は身を隠し、もと来た教会に通じる脱出経路を確かめに向かっていた。
「誰かいます」内省的な宏美が長廊の先に立つ人影に向けて構えをとった。白人の女性が五人。
整形手術の発展から若々しく完璧な見た目の女性は、グラマーな体型にぴったりとした背中のあいた紺色のドレスを着ていた。
左右にも二人ずつのドレス姿の若い女性。武装はしていない、それどころか簡単に排除できそうだ。
「何者ですか?」争いを避けようと互いに距離をとる。金子が歩み寄ると、ひとりが前へ立った。
「我々は巡礼者です。大司教様に会いに来たのですが――」
「マリナ。あなたマリナね!」宏美はアッシュと金子の間をすり抜けて前へと飛び出し叫んだ。整形されても彼女には分かった。
「信じられない、あの宏美さんなのですね。お久しぶりです」
「意識が、自意識があるの!?」
洗礼を受けた魔女は大司教を通して海洋生命体へ捧げられていた。現実世界の魔女が老婆ばかりなのはその為である。
だが巡礼を希望した外来種は三年までの猶予を与えられ、疑似アストラル界をさまよい、学ぶ時間が与えられる。
名目上は。当然、外見は美しく整形され意識は薄れた状態にされる。見せしめに海洋生命体の街をまわり、下級民の欲求を高める役割だった。
若すぎる魔女の成長や経験が、自意識を捨てた上級民にとっても悪い条件ではなかったのであろう。
「大司教様の付き人が自我を取り戻してくれるのよ。私みたいな魔女が巡礼者の中に何人もいるわ」
「知らなかった。付き人っていうのは一体、何者なの?」
「……死んでしまったわ」
「それを大司教に伝えるのが貴方たちの目的だったのね」
宏美は海洋生命体も元はただ接続遺伝子を持つ人間だと聞いていた。キューブへの手術が脳の前頭葉にダメージを与えて人間性を失わせていると信じていた。
「宏美さん」短い銀髪に丸みのある輪郭。マリナは困惑したように伝える。「付き人の説明がいるかしら。貴方からも同じ能力を感じるわ」
彼女は〈聖痕〉を使って他者の精神的ダメージを肉体的なダメージに変えて請け負う能力者だ。
洗礼で恐怖による記憶改ざんがなされた魔女たち。恐怖と精神ダメージに違いはない。前任者の侍女が現実世界に戻らなかったのは、巡礼の呪いを解くためだった。
「そ、それじゃ――」
大司教が宏美にムチ打ち、高橋との密会を許さなかった理由も。歴代の大司教は巡礼者を使い、事態を巻き返そうとしていた。
だが何代か引き継がれて権力は腐敗し、本来の目的は忘れ去られていた。あの大司教にも少しは魔女を思いやる気持ちがあったのだろうか。
宏美をムチで従わせていたのは、全て自分の欲求の為だったのか。今となっては分からなかった。
「何代か前の大司教の侍女ね」
「そうよ。海洋生命体の支配から逃れるには彼の協力が必要だった」
「死んでしまったわ。でも私に出来ることなら、その娘さんを」
宏美は躊躇いなく長い銀髪の女性の手を握って、静かに目を瞑った。刹那――ビシビシと宏美の腕や脚に火傷の跡がついていく。
「ひ、宏美さん……」
「……うっ……くっ」
宏美は眉を歪ませ、唇を噛んだ。リンダと呼ばれる女性の銀髪が艶のある黒髪に戻っていき、膝をくずした。
四人の魔女は銀髪のままだ。宏美さんの〈聖痕〉の効果は絶大であり、まさに、この為の能力だといえた。
「はぁ、はぁ。大丈夫ですよ、リンダさん。無事に洗礼の呪いは解けたはずです。少し休んでください」
「……」
「……」
「儂を見るな」アッシュは首を丸めて俯いた。「大司教は魔女がやったんじゃ、儂が殺ったんじゃないぞい」
「カーサには入れるか」金子はマリナに聞いた。「巡礼者に混ざって宝珠まで近づけないか?」
「何をしようっていうの?」巡礼者たちは宏美の表情を読み取り、金子とアッシュを見た。
「奪うに決まっとるじゃろう。宏美さんが〈鍵〉というのは聞いている。カーサに入れるならエリクサーはここから目と鼻の先じゃ」
「正気じゃないわ」巡礼者は計り知れない危険を感じていた。「海洋生命体の上級民を欺けるわけがない」
「やれるさ、仲間からパスが来たんだ。宏美さんなら高橋がいま俺を通して存在してるの、わかるよな?」
「う、うん」嘘はつけない。「数時間前から金子くんの中に八人の意識が入れ替わり立ち代わり話をしていたみたい。今の今まで信じられなかったけれど」
宏美には見えた。金子伸之の中に仲間がいる。手にした海洋生命体コアをみせて、その中の誰かがこう言った。
「私から作戦をいいます。このコアには〈視線回避〉と〈誘導〉の効果を〈吸着〉させています。海洋生命体の電子ニューロネットを欺いて、すり替えることが可能です」
「あ、あなたは一体……」




