変身ヒーロー(2)
「変身!」
数時間前。山城祐介は方舟に連結していた数百の海洋生命体キューブの何処かに野口鷹志が居ると考えていた。
不慣れな計器を操り一部のキューブを船内に取り入れ解析しようと試みた。だが方舟は座礁し、船内に無垢の少女が現れた。
その少女は巫女に似ていたが意識は薄く名前も無かった。イグアナの襲撃が船内まで達したとき、山城は少女に助けを求めた。
眼があった瞬間、いつもの冷静で物事を俯瞰で見る性格ではいられず、笑いが込み上げてくる。
彼の精神は〈ノグ〉〈チタ〉〈カシ〉の三つに分裂していた。精神感応を受け付けない能力者である山城が、その存在に気付いたのは奇跡に近い。
(おいおいおい、またまた……)
迷っている時間は無かった。野口が順応するまでの数分が山城と羽鳥にとっては致命的な時間、タイミングだった。
『考えてる暇はないぞ』
キューブはあらゆる物理攻撃を受け付けない。少女の中身に居る友への最小限の言葉が、「変身」であった。
(お前だとは分かっていた。だが一体どうなってるんだ。また馬鹿なことをやっちまったな、野口)
『馬鹿はどっちだよ! お前を通して僕は、僕は見るはずだった。仲間を繋げることが出来るはずだったんだ』
(……)
イグアナの爪と顎と咆哮が入り混じった音が響く。船内には既に四匹が入りこみ、鋭い尻尾は山城の首目掛けて放たれていた。
掛け声と共に体を覆う未来の甲冑のようなアーマー。それは動く度に色が変わるように見えた。
高速の尻尾をがっちりと掴むと、容易く握り潰すことができた。ふいに全身の肌がザッと総毛だつ感覚。
(いやいやいや、すげえな。これはこの使い方が正しいんじゃないですかね。まさに以心伝心、正義の象徴、パスはちゃんと受け止めましたぜ、兄弟)
『調子に乗るんじゃない。はやく羽鳥さんを助けるんだ』
毎週、日曜の朝に眺めていたテレビのヒーローの姿だ。仮面に漆黒のバイザーが光を反射し、どんな金属より滑らかで夜の水面のように流動していた。
真っ直ぐに振り下ろした手刀は薄く白光を帯び、剃刀のように鋭利だった。残酷に無慈悲に襲撃者の体を切り裂いた。
(いいぞ、これは。これはいい。ヒーロースーツに相棒がインカムから指示をくれる。最高の展開じゃあないか。これは!)
死体の山はみるみる積み上げられていった。船の外には更なる大型のイグアナが闊歩している。
野口鷹志は血飛沫が舞うたびに不快な棘波を感じとっていた。イグアナを媒介として精神は荒野を駆け抜けてきた。
この群生生物を醜いとは思えなかった。改造によって操り易く、自爆という不本意な能力を持たされてはいるが、家族やグループを守るという本能には畏怖の念が湧いた。
『殺しちゃ駄目だ!』
(殺されちゃ駄目の間違いか?)
『どっちも駄目だ!』
(ひとに駄目駄目いうなよ)
『うるさい、駄目人間!』
「山城!」という羽鳥舞の悲鳴と爆発音が同時に聞こえ、気がつくと操舵室の開閉部が粉々に砕け散っていた。
羽鳥は仰向けに倒れ、顔を上げ目の前に飛びかかるイグアナを呆然と見つめた。
三メートルはある怪物の巨体は山城の蹴りで周りの連中を巻き込みながら吹き飛ばされた。
「ど、どうやって!?」
「そいつは後だ。いまは先生と陽炎さんを助けるぞ」
※
※
『死ぬな! 死ぬな! 死ぬな!』
イグアナの爆破を受け、気を失っていた俺は、野口の声で目覚めた。いや、正確には陽炎が俺の心臓に手を加えて九死に一生を得ていた。
『死ぬな! 死ぬな! 死ぬな!』
(分かった。分かったから、もう心臓マッサージはやめろ。泣くのもやめてくれ。こっちが泣けてくるじゃないか)
荒野に爆発による黒煙がいくつも立ち上っていた。傷を庇いながら先生が俺と羽鳥をみていた。
『いくら頑丈なアーマーだってお前は生身の人間なんだぞ。二度と無茶をするなよ!』
(はいはいはい、ついついはしゃぎたくなる気持ちには理解があって欲しかったなぁ)
涙を拭い羽鳥舞は俺の頭を抱えあげた。「無事だったのね。あなたは、あなたは?」
(聞かれてるぜ。なんて言ったらいいんですかね。精神まで細切れにされて肉体も無いお前を紹介するべきか、どうか。羽鳥はまた悲しい顔をするんじゃかいかな。なあ、説明してくれよ。なあ、兄弟よぉ)
『……悲しんでるのはお前だろ』
(助かるんだよな? 戻る方法がないなんてほど馬鹿じゃあないよな。なあ、まさか俺や羽鳥を救う為に、戻れない棺桶に入っちまったか?)
『それ以上は言わないでいい。僕はコントロールに意識を使いすぎた。お前の身体に順応させると同時には、僕の意識はまわせない。あとは無垢の少女になる。海洋生命体のジェニファから聞いたんだ。キューブからは出られないし、出れば僕は僕でいられなくなるって』
(なんてこった。だが心配するなよ、絶対に救い出してやる。お前の分裂した精神も合わせて体に戻してやるからな。なあ、なあ?)
『とにかく、無垢の少女はお前に従順で羽鳥さんを絶対に守るように指示しているからな』
(なあ、兄弟。聞いてるのか)
山城からアーマーが剥がれていくと、ナノキューブは元いた少女の姿に形状を組み替えていく。
「……」不思議な光景に驚き戸惑う羽鳥をみて説明した。
「この娘はチータだ。チート級に強いから、チータ。名前は俺がつけたのだ」
「はっ、馬鹿じゃないの」
黙って羽鳥を見上げる少女の頭を彼女は優しく撫でた。まずいと感じたのはエンパスを簡単に騙せるのかどうかだ。さらに仙田先生は恐らく不可視の糸を使って会話を聞いていた様子だ。
「彼に、野口くんに守られてたように感じたのは、気のせいだったのかしら――」
「ああ。海洋生命体ナノキューブは俺の支配下になった。野口は何処にも居なかった。残念だが、お前は馬鹿だ。野口愛が強いだけだ。ばーかばーか」
「私はチータです。チート級に強いからチータです」
「よ、よろしくチーたん」
少女は微かに笑みを浮かべた。羽鳥は少女の乱れた白いワンピースと髪を整えた。
「羽鳥に隠しきれると思うか?」先生は立ち上がる俺に手を貸しながら小声でいった。「助ける方法はある。あるにはあるが」
「先生、いきなりですねぇ」
「宝珠を使えば、彼の精神を肉体に集めることが出来るかもしれない」
俺は手にした賢者の石を見るとほくそ笑んだ。地下組織と有肢菌類の対立した構図はこの石を奪ったことで大きな変化が起きていた。
有肢菌類の王とまで呼ばれたシルバーバックはもう賢者ではなく単なる名家のひとりだ。
人類を洗脳して殺し合いをさせる大量虐殺計画は回避された。取り返したいだろうなぁ。
樹輪の宝珠はラルフ神父から拝借できるとして、まずは海洋生命体の宝珠エリクサーだな。
シルバーバックは俺が海洋生命体の宝珠を奪おうとするあいだ手を出さないかもしれない。まとめて回収するほうが効率的だ。
世界平和のために宝珠を求め戦う連中は一体どう思うだろうか。俺の目的は野口なんだぜ。またアイツとサッカーがやりたいだけなんだぜ。
「ふふっ、羽鳥の所属する魔女団の目的は宝珠なんだよな。場所は分かるか?」
「……」じっと睨まれた。「さっきからさ、貴方は何でそんなに冷静でいられるのよ。陽炎さんは貴方のために死んだのよ。キューブに居るはずの野口くんは居ないし、どうしたらこんな現状でヘラヘラしてられるっていうの?」
「俺は、危険を大袈裟に捉えるようなタイプじゃあないんだ。大事なことはミッションを続けることだ。諦めない意欲と強さで――」
「はああ!?」掴み掛かろうとする羽鳥を律子が制する。
「分かってやれ」先生は助け船をだした。「仲間がみな洗脳されてから八年だぞ。監視されるのが当たり前の生活を続けてきた男だ。とっくに覚悟が出来ているから、死んでも悔やまないし悔やまれもしないと知っている」
「だからって」
「ふんっ、軽いノイローゼだと思って許してやれ」
「重症よ?」
羽鳥が腑に落ちないって顔で俯いた。何か気の利いた台詞でもいえれば良かったが、先生がいったことが全てだった。
「まあ、俺はあんまり失望しないたちなんだよ。それより先生、このイグアナは?」
三匹のイグアナは逃げることなく俺たちの後に付いていた。まるで主人に従う馬か犬みたいに。
「ふふっ」先生は笑った。「私じゃない。羽鳥だ」
この生物への記憶置換や洗脳は危険らしい。自爆もさること、逆に賢者に見つかる可能性もある。
だが数個体の思考を中心個体が支配する群生生物の自爆行為には欠点があった。
自爆する前に一個体の思考は群生体から切り離されること。そのとき死を予期したイグアナは、拠り所を失い孤独と絶望の渦に飲まれ狂気する。
受け入れ先のない精神は不安や恐怖に支配され重度の精神疾患を伴うほどだ。その意識に寄り添ったのが羽鳥だった。
だが、人間はどうだというのだ。胞子ネットで意識を共有することも、中心個体が精神を取り込むわけでもなく生きている。本当に、いちばん劣った生物なのだろうか。
「イグアナまで貴様らの味方をするとは笑える」と先生が笑ったのが嬉しかった。
「荷物をまとめて。ここから中央都市リーンまでは五日ってところかしら」羽鳥は腕組みしながら荒野をみる。
「方舟は、しばらく直らないぜ。放浪者の陽炎もいなきゃ、どっちに行けばいいのかも分からない」
羽鳥はチータを持ち上げてイグアナの背に乗せた。羽鳥は少女の背中にかぶせてイグアナにまたがった。
「彼らが案内してくれるわ」
(なんだよ。まるで野口が眠てるのを知っているみたいじゃないか。イグアナもチタもベタベタしやがって)
まるで家族みたいじゃないか――。




