公爵とドブねずみ
まともな説明の出来る人物が現れたのはありがたい。それが屁理屈の化け物、細川大也だったとしても。ふたこと目には「来るのが遅すぎだ」と怒鳴る気力もなくなった。
野口の肉体は有肢菌類の〈マット〉の支配下にある状態だが、無事にヨークの街で守られているらしい。
専門用語満載の奇っ怪な幽体離脱の科学的事象は理解不能であるが、〈楔のパス〉という群生生物との交配で得た能力については多少なりと理解できた。
簡単にいえば、現在なんと五人が俺〈伊藤麟太郎〉を媒体に入れ替わりが可能というのだ。
俺の能力〈視線回避〉とアンディの悪意や脅威を集める〈妨害〉を駆使すれば、従属種ほどの知能の連中なら動きをかなりコントロールできる。その事実は身をもって理解していた。
つまり〈使役〉の細川・〈奪回〉のヒロ・〈妨害〉のアンディ、あと三分の一人前しかない野口の能力を掛け合わせることが可能なわけだ。
逆に俺の意識がヒロやアンディの肉体に入ることも可能だと細川はいう。相手を信頼してボールを蹴り飛ばすだけ――というほど単純な行為には思えなかったが。
三人の居る場所が〈疑似アストラル界〉にあるヨークの街って状況が影響しているのかもしれない。細川は何処に居ようが一度でも繋がれば、理論的には出来るというが、いまの俺には無理な相談だった。
数匹の猟犬をアンディとのコンビネーションで始末して前庭へと向かう。血しぶきを浴びながらも研究所の僅かな薬品の匂いが漂っている。
「ヴィダっていうのはどんな奴なんだ」誰に向かって聞くでもなく俺は呟いた。「何が起きてる?」
薄暗い洋館の扉を静かに開きながら背後の細川が応えた。酒と肉の焼ける匂いがする。
「彼らは有肢菌類の名家に歓迎されました。賢者が行方を眩ませたことが、この名家にとっては祝宴に値するようですね」
「そいつを草薙が殺ったと言ったじゃないか。援軍が居ないなら安心しても良いんじゃないか?」
「菌類から見れば私たちの知識など版画や書物の領域にとどまります。気は抜けません」
中央の広間から螺旋階段をのぼると気温差で息が白くなった。賢者は根城でタナーさんらに襲撃を受け傷をおっているはず。
奪われた〈賢者の石〉を追って疑似アストラル界を彷徨っているなら、またとない反撃のチャンスだ。
長方形をした袖部屋を抜けるとパーティー会場が見えた。北京ダックや生魚、フルーツにワインがぶち撒けられている。
俺は唾を飲んだ。中央にはヴィダと呼ばれるネズミに似た怪人の死体があった。頭は破裂して失われている。
数匹ヴィダの猟犬の死骸と共に前田と草薙が突っ伏していた。その部屋の端に気配もなく立っていたのは中島拓也だった。
「……」俺はフォログラムの細川と顔をあわせた。「……」
言葉は必要ではなかった。そいつが誰なのかは知っていた。だが俺は勝手に、いつかチーム11人が集まるのだと信じていた。
『視線を集める能力と逸らす能力。攻守バランスに長けた面白い能力ですね』
「中身は別人か」
青白い顔とぶかぶかのシャツから見える引き締まった下半身。ワイングラスを片手に発話障害を抱えた男はゆっくりと俺を見て口を開いた。
『まったく忍耐力が足りないですね。貴方ら人間は』グラスを口につけて続ける。『このワインは二百年寝かせたものです』
「中島は無事かよ。お前はいったい何者で何が目的なんだ?」
『そう話を急くものではありません。互いの肉体に脅威と興味を持っている我々は、まるで愛しあう恋人同士ではございませんか』
フォログラムの細川が膝をついて前田と草薙の様子を見ているのは俺にしか見えていない。
致命傷ではないが立ち上がるのは難しいようだった。俺の軽く頷く姿を中島はじっと見ている。
『私はヴィダ・ビー。彼らの幸福を許し魂の安息を与え、あるいは願いさえしてきたというのに、料理も酒も、私の古い肉体も台無しにするとは困りものです』
「本体はそっちかよ」
『察しは良いようですね。ならもうお分かりでしょう。始めからこちらの三人は賢者にとっての実験台であったことも』
「な、なんだと……分かるかよ、分かってたまるかよ!」
『海洋生命体の群生生物はよくご存知のはずですが、理解しては頂けませんか。人間の抱える不幸とは、貴方らが明瞭な意思疎通を交わせないところから来るものです』
野口の言っていた言葉。前田、草薙、中島の三人は助け合うことで生き抜いてきたとは限らない。そんな証拠は何処にもないと。
「発話障害は克服したようだな」
『それ以上です。冷戦の間、この肉体を含めた三個体に我ら神々は恩恵をたれたまい、偉大な徳操を実践させようと試みました』
賢者は結束した三人を洗脳せずに利用してきたというのか。複数の個体を操れる海洋生命体との戦いに備え、研究材料として。
「生き抜いてきたのではなく、生かされてきたと?」
『ええ、実際に結果が物語っております。彼らは我々にはない強い連携を持ち、互いの欠点を補いました。我々は自分で自分を助けてしまいますが、彼らは違いましたからね』
群生生物は意思疎通というよりは接続した数個を中心個体が管理するイメージだ。菌類の相互接続よりは単純に思えるが、実戦となれば別である。
ミッドフィルダーの三人は常に連携を意識してパスを繋いできた。二種属のように接続出来ない人間だからこそ生まれる連携だ。
だから二択や三択では終わらない無限の可能性が生まれる。相手を敬い思いやることが出来る。
「草薙と前田は知っていたんじゃないか。お前の中身が入れ替わっていたことを」
『どうでしょうか。ずっと中島拓巳は私でした。しかしずっと息抜きをしていると息抜きにも息抜きが必要になります。彼らが〈チュータ〉と呼ぶとき、過去の中島拓巳が姿を現すこともございました。だが、彼はもう現れることはありません。上手くやったつもりでしょうが、人間には忍耐力がありません。長い間幸福でいることも、不幸に苦しみ続けることも出来ません。すなわち、価値のあることは成し遂げられないのです。当然の帰結です』
だから前田や草薙は中島のあだ名を使い分けていたのか。僅かな希望を持って、ヴィダとの会合に出向いたのだ。
「イトりんさん」細川は強張った目を向けて言った。「ヴィダは私たちの能力には気付いていません。勝機はあります。あなたが魔女団で学んだことをやるのです」
中島を救いだす方法は一つしかない。羽鳥舞がアンディと細川を救い出した術式だ。
しかし、あれは情動感応者だから出来たのかもしれない。過去の記憶に飛び込んで鍵をこじ開ける魔術。
「出来るか出来ないかではありません。やるかやらないかです」
「……」細川はそれだけいうと姿を消して制服姿のヒロと入れ替わった。術中に攻撃されたらヒロが弾き返して時間を稼ぐ作戦だ。
「こっちは任せとけ」ヒロは親指をたてて眉を吊り上げた。「イトりん、野口、頼んだぞ」
(うん、ボクも行く。大丈夫、イトりんとなら出来るよ)
野口は俺の意識をフォローする。俺はヴィダ・ビーに乗っ取られた中島拓巳を見つめた。そして羽鳥がやったように手のひらを向けて距離を測った。
「賢者が居ないうちに研究は切り上げかよ。何で前田と草薙を傷つけた!」
中島の姿をしたヴィダはワインを飲み干すとグラスを置いて両肩をあげた。
『単に身分をわきまえず暴れたからです。この二人だけでなく、疑似アストラル界に入った同種の人間のことです。仕掛けたのはそちらですよ。冷戦が終われば研究など無駄に終わるのです』
「もっと楽な方法があるからか」
『そのとおり、我々はこれを機に直接に海洋生命体を取り込めばよい。貴方ら人間は憤怒や絶望といった愚直な感情すら制しきれず、忍耐が欠けていたのですよ』
「なるほどな、ドブねずみ。俺達にあってお前らに無いものがわかったよ、それは《《共感》》する心だ。いくぜ、羽鳥直伝、絶対的共感共振動だ!!」




