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一人じゃない

 有肢菌類の13名家のひとり〈ビィダ〉は複数の護衛と共に、この広大な屋敷に無断で居付いていた。


 もとは賢者の所有していた建物である。北欧に位置する爬植石生物との境界線に建つ公爵名義の屋敷である。


 敷地に入ると直ぐに居心地の悪さを感じた。まるで建物の設計段階から恐怖が組み込まれているかのような。


 考え過ぎだろう。だが、この場で行なわれてきた拷問や生体実験、解剖や処刑といった恐怖の思念が、屋敷全体を支配しているとすれば、誰もが目を背けたくなるに違いない。


(あの三人の目的は聞いてる?)


 俺の横を並走していた野口が聞いた。雪に覆われた庭園のなだらかな起伏は永遠に続いているように見えた。


 小さな藪や茂みはどれも同じに見え、足跡も音も残さないよう広い歩幅に強い蹴りでぐんぐんと進んだ。野口のフォログラムは走る必要はないのだが、俺に合わせてくれているのだろう。


「チュータはもとより草薙も前田も俺に話たがらなかった。だがこの屋敷には秘密がある。中島を〈ドブねずみ〉と〈チュータ〉と呼び分けしてる理由も何かあるんじゃないか。何か知ってるか?」


(あ、ああ――ヨークの街で賢者は海洋生命体と有肢菌類のハイブリッドを作ろうとしていた。ほとんどの個体は制御不能になっていたけど)


 樺林のなかに窪みを見つけると滑りながら身を隠して屋敷をみた。「細川やアンディも無事のようだな。羽鳥はどうした」


(うん、ヒロちゃんも安全な場所に一緒にいるよ。彼女は……とにかくイトりんも早くこの場所から離れるんだ)


「逃げるわけにはいかないだろ。前田はこう言ってた。被害者の叫びや、犠牲者の声が頭の中で繰り返されるって。後悔の念から解放されることはないと」


(ここに居ちゃマズい。危険すぎる)


「おいおい。俺は用済みか?」視線を察知する能力で何匹かが此方に向かっているのが分かる。

「黙って逃げろってんならチームからは外してくれ。三人を放ってはいけない。あれはあれで、互いに助け合って生き抜いてきた仲間だろ?」


(……)野口は眉をひそめた。確かに連中は賢者の犬として〈魔女団カヴン〉の北の隠れ家を襲ったり〈地下組織メトロ〉の破壊工作員やスパイを駆除してきたと言った。


(死と破滅の間際をくぐり抜けてきた。洗脳されずに賢者のいいなりに与えられたミッションをこなして死の一歩手前を生きてきた……なんて保証は無いんだよ。本当のことだって誰が言い切れるんだい)


「お前からそんな言葉がでるとはな、野口」旧友の顔を歪めている要因は自分おれの身を案じている――だけではない。それ以上の何かを野口は知っているのだ。だが引くつもりはなかった。


 庭園に彷徨いてるのは、山城と共に見合ったことのある有肢菌類の〈猟犬〉だ。あの黒く獰猛な野獣が何匹、何十匹もいる。


(賢者の側近、ヴィダの猟犬だ。一匹でもマトモにやりあえば殺されるよ。それでも行くの!?)


「ひとりでもいく」

(ひとりじゃないだろ)


「……」


 無謀な行為なのは分かってる。でも俺だってフォワードを任されてたんだ。視線回避フェイントで近づく――それから渾身の一発を、固定観念版スパイクを叩き込んでやるさ。


 気温とは裏腹に手のひらには汗が湧き出していた。恐怖は俺の血肉のはずだ。産まれたときから俺にとりついていた身体の一部だ。


「!?」


 何があっても驚かないと思っていたが、ハッとした。決意と共にゆっくりと手を開くアンディの姿が目の前にあった。


 砂浜で見た黒い肌にドレッドヘアのダボ服ラッパーがそこにいた。フォログラムの野口を見たとき、仲間との繋がりは感じていた。自分の中で何かが変わったことも僅かに感じていた。


「ど、どうしてお前がいるんだよ? アンディ……なんで俺がフォログラムになっちまってるんだ。なにが、なにが起きてるんだ」


「落ち着きなヨ。細川くんもヒロちゃんもいる――ボクらはチームだろ、記憶置換オーバーライドだかニューロネットだかは知らないけど、ボクらは〈楔のパス〉って呼んでる」


 自在に肉体を入れ替えることが出来るというのか。眼の前の事実にめまいを感じてあとずさりすると樺林が自身の身体をすり抜けていた。


 つまり入れ替わると俺自身はフォログラムで目の前に追い出されるというわけか。引っ込んだ野口は何処にいったんだと疑問を浮かべた瞬間、野口の存在を感じた。


(ノグ……お、お前。キレイに3分の1しか無いじゃないか。どういうことなんだ。おいおいおいおい!!!)


 肉体があれば吐いていたかもしれない。野口鷹志は己の意識を三分割して、俺たちを繋いでいた。


 それはつまり――。

 

「大丈夫だヨゥ」アンディは感情のこもらない冷たい声でいった。「肉体はユーのひとつしかないけど、一人じゃないっていったろォ? 細川くんの作戦で動くからまずは落ち着いてくれヨ。猟犬が集まってくる」


「何言ってやがる、デブらっぱ!」肉体を媒介してアンディが見えているが、その身体は俺のものだ。第三者から見れば此処にいるのは、たったひとりの伊藤麟太郎のはずだ。


 いいや。そんなことより、野口だ。もし、もしも野口が精神を分割して肉体を離れるようなことをしていれば、意味するのは死より危険な行為だと言わざるを得ない。そう、言葉にもならない。


 精神を細切れにして飛ばしたとしたら、そいつは生きていると言えるのだろうか。更にいうなら死ぬことは出来るのだろうか。


「猟犬がくるヨゥ、イトりん。視線を集めるのはユーの仕事だね。両手は嘴状にしておくけど〈妨害インターセプト〉でユーのヘイトまで喰らうとは思わなかったヨゥ」


「!!!」


 次の瞬間には俺が俺に戻っていた。アンディの姿は俺の立っていた樺の木の横に移動している。やつが自在に入れ替わることが出来るのは理解できたが、危機的な状況でそんな行為に意味があるのかは疑問だった。


「ボクの能力は周りの憎悪ヘイトを集めるんだ。クラスの皆の気持ちはわからないのに、嫌われるのは得意だったからネッ!」


「それ笑うところか? 良くも悪くも注目されてたんだろ。被害者妄想じゃねーのかよ」


 雪に覆われた樺林の隙間から猟犬の群れが蟻のように湧き上がってきていた。全速力で迫る猟犬の一匹は歯を剥き、唸りを上げ、吠えかかった。


 アンディはクラスで肌の色と体臭を罵られ、他のチームにはチリチリの黒髪を馬鹿にされた。猟犬の視線と共に悪意のある感情が幾重にも襲いかかってくるようだった。

 

 木々を利用して左右にステップを踏むと乱れた黒毛の猟犬たちは、もつれ合いながら雪に足を沈めた。俺は魔女の婆さんに教わったとおり木々を飛び跳ねると軽やかに背後をとった。


 被害妄想かもしれない。刺さってくる視線を躱しながら、集まってくる悪意を感じた。誰よりも優しいアンディの感情を餌に――。


『やめて』この髪はチームメイトがカッコいいって言ったんだ。


『怒らないで』肌の色は父さんが誇りに思うといってくれた。


『嫌がらないで』ボクの匂いを母さんは好きだっていってくれた。


 群がる猟犬は濡れた牙を俺の腕に突き立てた。硬質化した腕に食い込んだ牙は簡単には外れない。長く垂れ下がった尻尾と黒々と輝く猟犬の身体がのしかかってくる。


 五匹、六匹と貪欲な猛獣は飛びかかってくる。上下から向かう牙を器用に捌きながらも視線の隙間はなくなっていく。背筋から汗が吹き出す感覚。猟犬どもの鼻筋が、俺の喉元に達する瞬間――。


 〈固定観念板スパイク!!〉


 アンディのもろい部分と、それに反する威嚇的な存在感は敵対者の憎悪をうみ、視線を集める。この扁桃体のメカニズムは俺の〈視線回避フェイント〉と上手くリンクした。


 雷鳴より凄まじい速さで全ての視線は鋼のトゲ針となり、俺の肉体のあらゆる箇所から突き出していた。


 霞のように飛び散った猟犬どもの血が一帯を死の匂いで包んでいた。

 

「おみごとです」  

 

 今度入れ替わったフォログラムは手を叩いてそういった。気味の悪い猫背で中背の痩せた高校生。制服姿のセンターハーフは細川大也だった。


「久しぶりですね、伊藤くん!」髪をかき上げて目もあわさずに薄い唇を開いた。


「貴方には友人の前に、自分の心配をして頂きたいですね。目下、私の心配事は有肢菌類の雑魚が増して獰猛になっていることです」


「プレーを割り振るのはお前の役だったな」俺は笑みが抑えきれないほどの嬉しさを噛み締めていた。「さっさと教えろよ、作戦参謀」





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