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ビューティフル・ネーム

第三章

    ◆ 伊藤麟太郎 ◆




『プハハハハ、弱いやつは喰われるのが運命だろ。分かってないのはお前のほうだぞ、伊藤。金子と高橋は地下組織メトロか、お前は魔女団カヴンに世話になってるみたいだが、俺たちと来い。俺たちは……お前をかってるんだ』




 広大な緑の庭園に中世を感じさせる古い屋敷。人気のない森に通る道は舗装されているとはいえ、凍った腐葉土に覆われていた。




 たった一人。吹雪けば気温はどこまでも下がる寂れた牧歌的な場所。その地下にある何かの施設に俺はいた。




『まさか、羽鳥や魔女団カヴンに借りがあるからか。連中が洗脳を溶いてくれた恩人だからか。違うな、大事なのは自分の力と意志で生き残ることだ。お前は何かに属さなきゃ安心出来ないだけだろ。ビビリのビビりん』




 あのとき草薙に古いあだ名で呼ばれても不思議と腹はたたなかった。むしろ喜びを感じた。




 ミッドフィールダーの三人は制服から目立たない平服に着替え、屋敷の主と交渉を済ませるといって出入りしていた。




 俺にも何着かあてがわれた。こんなものを何処から調達するのだろうかと考えたが、袖に残った赤いシミをみて思いだした。




 幼馴染とはいえ、何年も有肢菌類に利用されてきた連中。前田と中島、草薙は略奪どころか殺戮すら平然とこなしてきたのだ。




 洗濯してあっても残っている血の跡に寒気がしたのは気温だけが原因とはいえなかった。




 地下に掘られた薄暗い研究施設にはホルマリン漬けにされた爬植石生物のバラバラにされた身体が並んでいた。




 円柱型で高さ90センチのビーカーには緑色のドブみたいな液体が詰まっていて、中にはイソギンチャクみたいな腕が揺らいでる。




 苔むした岩からは目玉のような球体が突き出していて、ずっと俺に何か言いたそうにしていた。




 こんなのが次元の揺らぎに生きる不死の知的生命体〈爬植石生物〉だとは驚くばかりだ。




 気味が悪いと感じなくなるほど時間はたっていた。無意味な時間が。無駄な時間は人間の感情も精神も崩壊させていく。




 退屈、孤独、ふと蘇る過去の記憶。小学校の卒業式では指揮棒を振った背の高いやつ、高校では生徒会長をしていた前田錬也。




 8年前に会った前田は優等生だったろうか。まだ俺がデブの〈ビビりん〉と呼ばれていたとき。




 とんでもない。記憶が脳みそを突き抜けるような錯覚と浅くなる呼吸を抑える必要があった。




「……ぷっ」




 やつのあだ名はたしか〈ボーボ〉だったはずだ。体格がよく既に陰毛がボーボーだったあいつは下級生からもワキ毛の前田と馬鹿にされ、デカいくせにうつ向いては悔しそうに泣いていた。




『ワッキー毛! ワッキー毛!』




 チビの草薙のあだ名は〈クーライ〉だった。カマボコやら椎茸の入った弁当を周りのやつらが草薙家だけの特殊なチャーハン〈クーちゃんライス〉といって笑った。




『謎肉と謎野菜まんさいクーちゃんライス! 誰か味見するやついるかー?』




 いつの間にかそれが略されて草薙クーちゃんライスから〈クーライ〉になった。中島はもっと酷かった。




 発話障害と知れるまえだったはずだ。当時はまだモゴモゴと何かを伝えようとしていた。




 両手を口元で擦るような仕草はネズミを連想させた。中島拓巳についたあだ名は〈どぶネズミのチュータ〉だった。




『あっちに行け! どぶネズミ』


『何か喋れよ、チュータ!』




 クラスも別々だった俺たちを繋ぐのは少年サッカーだけ……ではなかった。




 不名誉なあだ名を付けられた者という共通点があった。そんな事に何の意味もないだろうけど。




 今じゃ、あだ名を禁止する学校もあるそうだ。当然とも思えたのは、呼ばれかたで俺たちの自己評価は決まり、自尊心は失われていったからだ。




 なのに草薙は前田の肩をたたいて平然とあだ名を呼んだ。『行こうぜ〈ボーボ〉』『頼んだぜ〈どぶネズミ〉』と。




 再会した俺にも『おおっ、我が友よ。ビビりん』と言い放った。




 気になった俺は聞いた。『クーライよぅ。思い出したくもない酷いあだ名がまさか洗脳や精神攻撃には有効だとか思っているのかよ』




『はあ? そりゃ無いだろ』草薙は少しだけ考えた素振りを見せて続けた。『酷いなんていったら野グソに笑われるぜ。アッハ、ありゃ酷いあだ名だな、まったく。昔は嫌な呼ばれかただったけどさ、俺らにとっちゃラッキーネームだ』




『はあ?』




『あのチームが出来たときの呼ばれ方だ。はじめて必死に走って何度も練習して、勝つことも負けることもあって』




 仲間と出会えた……か。




『ああ、俺たちが一番に輝いてたときのあだ名だ』




『ぷっ』俺は吹き出した。『野グソは酷すぎるだろ。したのは俺だったんだし。知らなかったか』




『ま、まじかよ……そりゃ引くわ。ばーか、そんなのみんな知ってたよ。プッ、プハハハハハ!』


『『アハハ、アハハハハ!』』




 その全てのきっかけを作ったのは野口鷹志だった。ただ一生懸命にサッカーをやりたいだけの才能も運動神経もない子供だった。




 賢者の犬になっていても洗脳されずに記憶を持っていた男たち。残酷な行為も厭わず、誰も信じすに生きてきた仲間たち。




 利用されながらも、自分で考え力をつけて地位を得ていった。もし俺が洗脳されずに有肢菌類や海洋生命体と渡りあって生き残ることを選ぶなら同じことをしたかもしれない。




 想像したら会いたくなってきたよ、野口。俺はビーカーのなかの球体を見つめた。




(やっと目を合わせてくれたね。視線外すのが上手いから繋がらないかと思ったよ、イトりん)




「なっ!!」




 何かが突然、俺の意識に入り込む感覚だった。ホルマリン漬けの物体から飛び込んできたような。




「だ! 誰だ。誰かいるのか?」慌てた声とは裏腹に懐かしさを感じていた。「お前っ、お前は」




(いまイトりんの頭の中に入ってる。マットの立場になったみたいだけど、もっとスゴイよ)




「ふあっ!?」仕組みを理解するのは無理だと思う。どうやって海洋生命体のキューブから脱出したのかも分からないのに。だが言わずにはいられない。




「どうやってるんだよ。いくら何だって意識が飛んでくるか、ふつう、野口は飛べるのかっ!」




(あははは。だって緊急事態だからさ、仕方ないんだよ。ちょっと話辛いな)




「……」俺は目を疑った。目の前には別れた日のままの姿で笑顔を浮かべる野口鷹志が立っていた。




(フォログラムだよ。実際には存在しないから触れることは出来ないけど)




「ホントに野口なんだな。俺がまぼろしを見てるんじゃないよな」




(ああ、そんなことより草薙クーちゃんがやっちゃったみたいなんだ。屋敷の主人と交渉なんて出来るわけがなかったんだ。ここに居たらマズい)




「……まさか殺したとか?」




(うん。さっき有肢菌類の13名家の一人の頭を吹き飛ばした)




「なんてやつだ。やっぱり付いてくるんじゃなかった。ボーボとチュータは何してんだよ」




(へぇ、懐かしい呼び方だね)




 俺は指示にしたがい立ち上がると階段を上がって錠前に手をかけた。鍵はかかっていない。




(とにかく庭園にでよう。見張りの連中はそっちには来ないはず)




「酷すぎる呼び方だよな。まるで変人集団だ。どうして集まったチームなんだか。ホントに恥ずかしくなってきたよ」




(ふふふっ、飛び抜けた個性を持っていたからね。声をかけた仲間は、みんなキラキラしてた)




「……」なるほど。だからかと納得した。偏見のない人間にはそう見えたのかもしれない。




 周りの連中、常識ある奴らからしたら風変わりで異物のような存在。差別的なあだ名をつけて遠ざけたくなるような人間。




(警戒して。この先は何がいるか分からない)




 カモフラージュされた戸口が納屋と繋がっていて雪原が見渡せる。まずは庭園の森に身を隠すことが先決だ。




 誰もが自尊心を踏みつけたくなるような間抜けたちを、素直で単純で信じることしか出来ないガキが集めた。




 そいつにとっては〈ビビり〉も〈ボーボ〉も〈どぶネズミ〉も関係ない。飛び抜けた個性としてキラキラと輝いて見えたんだ。




「まったくお前に会えて良かったぜ。任せろ、俺は警戒心のかたまり〈ビビりん〉だぜ」



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