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くさびのパス (2)

   ◆マット・イーター◆


 そのとき俺は剥き出しになったイグアナの脳を見ながら、野口と同じものを感じていた。直感的に知るのは「ずっと文明的だ」ということだ。


 この連中は野口や細川が恐れるのと同じように俺たちを恐れていた。


 洞穴に住み、共同体として様々なものを造りだしていた記憶。蝙蝠コウモリ野郎と似ている生態環境が良い相互伝播をもたらしたのは幸運だった。


 こいつらは四本足と長い尾という単純なものしか無くても、互いにうまく助け合い、分け合い、子供を育てていた。固い角質で太い脚に甲冑のような尾を使って獲物を運んだり捌いたり出来るようだ。


 ネズミのような小さな子どもの黒目はビーズのようにキラキラとしている。仲間のイグアナとは絶えず鼻を近づけてフンフンと匂いを嗅ぎ合っている。それが遥か古代の偉大な文明の始まりに思えた。

 

「僕に中心個体になる特別な力があるわけじゃない。ここにいるのが無垢な生物ばかりだからじゃないのか?」


『ああ、海洋生命体の王が全ての生物を統治しようと考えるなら、純真無垢なほうがやりやすいに決まっているからな』


「聖地ヨークの人々もまるで機械みたいに忠実だった。純粋で善良な――」


『それは違うぞ。まともな人間なら三日で発狂するか自閉症になるはずだ。見た目では自然に恵まれた環境だが、そんなものはホログラムでどうでも出来る連中なんだ。疑似アストラル界なんてもんは、ロクなもんじゃない』


「うん、僕も理解したよ。ここは現実とは断絶されている。地下牢みたいな世界だ」


 野口の心はこんな争いは間違っていると繰り返していた。俺たちは有肢菌類のような侵略者でもなければ海洋生命体のような征服者でもないのだ。


「僕は彼らと戦えない」


『生の素材は血と肉で出来てはいるが、苦痛も欲望もない。感動も悲しみも、希望もない。だが、はっきりしているのは恐怖心と好奇心だけは残されているってことだけだ。それを理想的な世界と思うか?』


「悲しみや孤独を感じない生物か」


『人間は思考停止を罪悪だと言うが、俺たちからいわせればメリットもある。うじうじ考えるより従順で使えるし、平常心でストレスがないなら、よっぽど健全だともいえるだろ』


「それより、当の本人たちが思考放棄してるなら、僕らが何をいったって余計なお世話だよね」


『ああ、植物やバクテリアと同じ。究極進化の成れの果て、真っ白なキューブの出来上がりだ』


 野口の前にイグアナの大きな鼻が近づき、フンフンと音をたてていた。右手をそっとそこに置くと彼らを怖がらせているモノのが、何なのか知りたいと願った。


「僕の気持ちが分かるかい?」


 このイグアナは身を丸めると巨大な手榴弾のような形状になり、自爆する。実験兵器として生まれていた。


 種族繁栄のため、味方を守るため、たくさんの同胞が特攻し爆死していった記憶が残っている。


「ごめんね。僕は敵じゃない」


『こいつらに人間の言語は理解できない。だが戦意は喪失したらしい。驚いたな、それほど中心個体が群生生物に影響力を持っているとは。敵意はないのか』

 

「マット。吐き気がするよ」


 海洋生命体、こいつらの王は『生命』を単なる素材や道具としか考えていない。そして人間の世界まで、真っ白なキューブで埋め尽くし、自らで取り込もうとしている。


「何でかな、どうしてかな。とても可哀想だよ、すごく可哀想だよ。こいつを見ていたら涙が出てくるよ」


『何故、何故かと問うのか』


 いつもお前は拳を握りしめて自問自答する。野口がずっとしてきたことは、問いに対して自分で答えるという孤独なものだった。


 八年もの断絶された環境は、思考停止していても不思議ではなかった。肉体的に縛られていたからこそ、思考だけが希望になったのかもしれないが。


『何も無駄ではなかったのか――』


「恐怖だけあるのは、身を守るために個体が持つ本能だからじゃないかな。好奇心は恐怖を知るための道具だ」


『そういうことだろう。お前は思考を放棄したいと感じることは無かったか。何も考えるなと自分に言い聞かせたことはなかったか?』


 考えるという行為は自分との対話から始まる。それは一見当たり前に思われるがそうではない。


 実際の生活で「考える」という行為がいかに難しいか、胞子ネットワークの中で産まれ育ち生きてきた俺には痛いほど分かった。


『考えないほうが、ずっと楽だ。考えるより感じるものが大切だともいうしな。お前は、群生生物や胞子ネットワークをどう思う。幸せだと思うか?』


「質問ばかりだね、マット。僕はどんな状況にいたって、考えたいし信じたいんだ。僕が何で考えるのか、それは仲間や君らと共に生きたいからだよ」


『ああ、共に』


 野口、お前がお前で良かった。中心個体に条件なんてものはない。共に語り、共に考え、共に答えを出し、共に分かち合いたい。


 その気持ちが大切だったのだ。それこそが生物が生きる本当の意味じゃないのか。生きること、そのものではないか。


 野口は初めから変わらない。どんなに改造されても、どこの世界へ来ても、変わるはずがない。


 ずっと、ずっとお前はお前でいてくれと、俺は心の底から願う。


「離れていても、仲間を助ける方法があるよね? 三秒で教えてくれ」


『あるには、ある。俺たちに見えたのはゴールキーパーの山城と羽鳥舞だよな。他の連中も見えたか?』


「うん。カネちゃんと高橋ハッシーがいるのは、もっと先の評議会みたいな場所だ」


 海洋生命体の王、シビラと直接対決でもしようというのか。イグアナや半魚人、実験生物、ビーカーに入った薄汚れた奇怪な改造生命体。


 自然界に広がる電子ニューロネット、中央都市リーンに広がる胞子ネットワーク。


 イグアナの流れる微弱な群生意識に乗れば何処へでも飛ばすことが出来ると感じた。野口の意識だけは。


『だが、危険すぎる。分散したままの意識がどこまで遠くに行けるかは未知だ』


「マット。方法はあるんだよね」


『霧散した意識で自我が崩壊する可能性だってある。一部でも意識を失えば、もうこの肉体へ戻れる保証もないんだぞ!』


「時間がないんだ。僕は必ず戻ってくるよ」


『分かった、分かったよ。お前に何をいったところで無駄なようだ。羽鳥の方には〈チタ〉の意識を飛ばす。近くにちょうど良い素体があるようだ』


「無垢な少女? みたいだね」


『ああ、詳細は飛んでみないと分からんがな。フォワード連中には〈カシ〉でいく。この施設には出来損ないの半魚人マーマンしかないようだが、やむを得ないな』


「僕だって分かってもらえるかな」


『話が出来るような奴らとは思えないぞ。金子と高橋は低能だし、アッシュとタナーは耄碌してる。若い魔女がひとり……こいつが鍵になる』


田中タナーさんと芦田アッシュさん、会いたいなぁ。宝珠を奪って、海洋生命体の計画をぶっ潰すつもりなんだね。やっぱり凄いや」


『本体のお前はここに残るが、それでいいか?』


「マット。ノグも行かなくちゃならないんだ。伊藤りんと昔の仲間が苦しんでる」


『あの伊藤とミッドフィルダーの連中もこの時空間にいるのか?』

「いや、現実世界に戻ってる。ノルウェーか北欧の貴族の屋敷みたいだ」


『賢者の研究施設があった場所か。意識を送れるとすれば、ビーカーに入った爛れた生物しかないじゃないか』


「構わない。そこは母さんがいた形跡もあった場所だよね」


 野口の目は輝いていた。戻れる可能性が無くとも、爛れた醜い姿であろうとも。もう一度、母親と会える喜びに満ちているようだ。


『あいつらの目的はワクチンの入手か、わからんな。しかし、三個体を飛ばしたら本体はどうなる!?』


「うん。だから僕の身体は君に見張っていて欲しい」


 お前の肉体を奪おうと画策してきた俺に言うのか、その言葉を。


『お、おい、そう急くなよ。このイグアナどもの群生意識が上手く使えるかはお前の力量にかかってるんだぞ』


「大丈夫さ、仲間がいるから」


『な、なんて野郎だ』


 いつもそうだ。こいつは愚かだが英雄的なことをしようとしている。言語が理解出来ずともイグアナには通じている。


『俺は時間旋と胞子ネットを駆使して、海洋生命体へ接続はジェニファがやる。近い生命体から入り、お前の意識だけを乗り継ぎ飛ばす感覚だ。気を強く持て、肉体がない状態ではそれだけがたよりだ』


「うん。行くよ!」

        

『ああ、もう止めやしない』


 お前の部屋には地味で小さな二位のトロフィーが飾ってあったな。少年サッカー地区大会の準優勝のトロフィーだ。


 お前自身があのバラバラになったチームメイトを繋ぐくさびのパスなんだ。このパスが繋がったとしたら、戦況は大きく変わる。


 変わるどころか、お前がウィルスのように有肢菌類のメインサーバーや、海洋生命体の王の意識に飛べるとしたら。お前は世界中の意識にアクセスし、何もかも手に入れることが出来るかもしれない。


 誰がそんなことを想像できただろう。俺様の始めた改造がどれほどの可能性を示すか、たった一人の少年が全ネットワークを支配することが可能だとしたら。


『お前が有肢菌類、いや全種族にとってのウィルスになるとは、なんて皮肉で笑えるんだ。優勝より、もっと大切なものを掴んでこい。さあ、行け! 行けるとこまで!』

 

「ああ! いくぞっ!!」


 真っ直ぐに、母の元へ――。

 

 真っ直ぐに、愛する人の元へ――。

 

 真っ直ぐに、仲間のもとへ――。


 真っ直ぐに。




            第二部 完




ご愛読ありがとうございます。第三部では、なんと人類史上初! 有肢菌類の胞子ネットと海洋生命体の接続遺伝子を融合させた〈くさびのパス〉という技が登場します。精神を繋いでしまう野口くんの能力で、バラバラだったチームがついに集結……ぜひともブクマか評価をいただけますようお願いいたします^ー^;お願いしますよ。

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