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くさびのパス

      ◆野口鷹志◆


 ずっと誰かと接点を持ちたかった。誰かとコミュニケーションをとって、そこで成功することが何よりも大切だと感じていたから。


 ひとりでいる時間が長ければ長いほど、僕のそんな理想は膨らんでいった。


『どういうことなの。どうして左サイドバックになったの?』


 母さんの何気ない質問がはるか昔に感じた。「シュートをうったり点をとるほうが楽しいと思うけどさ――」と僕は応える。チーム作りの中心に居たのに地味で活躍の場が少ないポジションだと思ったのかもしれない。


『どうせ、あの柄の悪い先輩が決めたんでしょ。嫌ならフォワードにしてもらうようにママからも頼もうかしら』


「嫌じゃないよ。はじめはショックだったけどさ、ちゃんと嶋田先輩が考えて決めたんだから、しょうがないよ」


 本当は悔しかった。母さんは、ずっとシュート練習を続けてきたことが無駄になったと思ったのかもしれない。そのときは言葉に出来なかった。


『……』


 でも、嶋田先輩はチームの全員が見える最高のポジションがこの左サイドバックだと知っていたんだ。今になって思えば、全員の性格や素質を考えに考えて決めたポジショニングだと分かる。


「先輩はさ、みんなが見えるポジションが向いてるっていったんだ。そんだけ皆のことが分かるのは僕だけだし、そんだけの視野があるのも僕だけだって」


『人になにを言われたからって、自分の気持ちが大事でしょ。なんか鷹志らしくないわねぇ』


「そんなんじゃないよ。えっとね――」


 誰がどう動くか、何を考えているか、何がしたいか。少し先の未来、ほんの僅かな可能性。そこにパスが繋がったとき、自分がなんてちっぽけな存在だと感じるほど途方もなく大きな何か〈流れ〉みたいなモノを感じることがあった。


「うまく言えないけど、他のポジションとはぜんぜん違うんだよ」


『ふうん。鷹志がそう思うなら頑張りなさいよ。守備の練習するんでしょ?』


「うん。パスカットとかもあるけど、まずは足が速くなりたいんだ。だから死ぬほど走って走って走りまくるんだよ!」


『このあいだまで百万回シュート練習するって言ってたのは辞めるのね』


「それも続けるってば」


『あははははは、無理しないでいいのよ』


「うるさいなぁ」


 その日は山城とヒロちゃんにも救われた。夕暮れの体育倉庫で僕がボールを磨いていたときだった。山城とヒロちゃんがボールを椅子代わりにして座っていた。そして左サイドバックが僕の居るべき場所だといった。


『一歩引いて立ち止まることは悪いことじゃない』


「?」


『まあつまり、一を書いて止まると書くと正しいって字になる』


「親切だね。わざわざそんな豆知識を言いにきたの?」


 無邪気に笑うヒロちゃんと薄笑いの山城を見てガッカリした気分だった。たしかに僕は足だって速くないし、反射的に動く運動神経もない。でもずっとエース・ストライカーに憧れてきたのは変えようがない。


 それはサッカーを始めた動機にほかならない。何をいわれたって凄い選手のゴールシーンに魅了されたのが始まりだ。あんなプレイがしたい、あんな動きが出来たら格好いい、そしてここぞって時に必ず決めるところが最高なんだ。


『《《くさび》》のパスって知ってるか?』山城は僕とヒロちゃんにたずねた。サッカー用語で使われるのは前線にだす縦パスのことだ。相手の守備陣形を崩したり、攻撃の起点をつくるパスだといわれている。


「フィジカル面で大差がない少年サッカーでは一番に重要だっていうね。嶋田先輩も、それを意識しろっていってたっけ」


『くさびっていうのは、物の継ぎ目とかに打ち込んで外れないようにする大事なもんだ。俺たちが集まったのも野口、お前がそういう役回りをしてくれたからだ』


「……」


 自分が一番に分かっていた。なにも僕を左端に追いやって恥をかかせようなんて誰も考えてない。山城は僕にあったポジション、僕の才能が発揮できる場所があるといいたいんだ。


『ヒロじゃないけど、これも漢字で考えてみろよ、楔って必ずって意味だ。必ずやり遂げる、楔を打つ。心にくさびを打つ、嶋田さんはお前がチームのくさびだってハッキリいってたじゃないか」


「うん。僕、やってみるよ。実は、すこし面白いかもって思ってるんだ」


『ふふっ、頼むぜ、兄弟』



        ※


 雄大に広がる擬似アストラル界の荒野の先に仲間がいる――。


 蝙蝠の顔をした細身の男は丘の上から広がる岩場を眺めている。一方では身を低く屈めたまま砂に混じった焦げ付く匂いを追い、風に乗った僅かな音に耳を傾けていた。


 音波伝達は広大な原野や丘でこそ役に立ち、狭い通りや路地では真価を発揮できないことがよく分かる。


 二匹の蝙蝠男を介して同時に見ている景色。身の振り方や思考までもが僕の頭の中で一度に処理されるというのは不思議な感覚だった。


 本体である僕は、傷を負った仲間たちをヨークの街に追いて、数キロ離れた岩場まで来ていた。ヨークの人々は無害化してる。


 人と人。怪物と怪物。有肢菌類と海洋生命体。マットとジェニファ。胞子ネットワークと電子ニューロネット。


 二匹の蝙蝠男から発せられるのは音波信号だけではない。もっと特別で僕らだけの大切な繋がり。


 見上げると中継地点にはカラスたちが周回していて、アンディたちの状況を知らせてくれる。そもそも細川くんにはネヴァンが付いているから何も問題は無いと思う。僕の頭の中の存在、マットは言った。


『接続個体が二体なら、俺とジェニファで処理ができると考えていたんだが。なんとも奇妙な状態だ。なんせ蝙蝠男二匹にも独立した思考がちゃんと活動しているんだ。上書きせずとも、お前を理解者と認め、同期シンクロしているのが面白い。だから有肢菌類の分裂子とは情報もまったく違う』


「互換性があればもっと接続個体を増やせそうだね」


『馬鹿をいうな。この連中の頭が良くないからウマくいっているに過ぎないだろう。それでもときたま、この蝙蝠男の洞察力には驚かされるぜ』


「頭のいいやつだったら、ノグは〈チタ〉か〈カシ〉のいいなりになるってことかな?」


『単純に頭脳明晰だからという意味じゃないんだ。果てしない議論になりそうだが、結論からいうと――お前にはどういうわけか中心個体としての素質がある。正直それが何なのかは俺様にも分からない。人間のいう〈魂〉のようなものが、お前にだけあるとも思えないしな』


「へえ〜、マットから魂なんて非科学的な言葉が聞けるなんて、そっちのほうが謎だよ」と僕はいった。


 でも、ずっと人との接点を求めてきた僕だからこそ、他人の思考や行動を受け入れることが自然にできたのではないかとも感じていた。


『俺様の推論では、通常の人間なら個体が次々と自閉症におちいるはずだと思っていた。だからお前には蝙蝠男と繋いだネットについて、何もいえなかった。それがどうだ。もうこの視界にも慣れちまってるんだから不思議なのさ。すさまじい視野の広さに――』


「!?」


 丘の上で〈チタ〉が何かを見つけ走り出していた。空気にはかすかに生物の汗の匂いがあった。〈カシ〉の近くでも何かが動いている。群れで襲ってくるつもりだ。


 砂漠に蠢いていたのは蠍の尾を持ったイグアナのような生物だった。蝙蝠男の目からは実際の大きさは判断が難しかったが、縦幅は三メートルか三メートル半はあった。


 『あれは、この世界で最も繁殖に成功した実験体。海洋生命体の接続遺伝子から生まれた群生生物だ。返り討ちにしてやるか』


 素早く背後を取ろうと動くが、イグアナの群れはまるで先を読むように警戒態勢をとった。〈チタ〉は飛び退きながら相手の耳を潰そうと音波による攻撃を仕掛ける。


 相手は六匹か。機械のような動きはおそらく僕と同じ群生生物という証拠。単体での動きではなく、個体が連携しあって動いている。常に計算された群れでの攻撃が可能だ。


 僕は〈カシ〉の背中へ手を伸ばしてグイと引っ張った。大きな蠍の尾がザクリと砂を刺す音がする。喰らえば毒を喰らうだけでは済まずに腕の一本や二本は吹き飛ばされる勢いだった。


『なんてやつだ。獰猛なうえに追撃してくるほど頭もきれるのか。数で圧倒される前に距離をとれ、野口!!』


 マットの声に気づいていなかった訳じゃない。連携と隙を作ることはずっとサッカーでやってきたことだった。僕はディフェンダーを目指して学んでいた。なにも縮こまって守りに入るのが防御とは限らない。

 

 叫喚波動スクリーチ・ボムの振動波で砂と岩を巻き上げながら、ほとんど無意識に僕は左に走っていた。どんなに数的有利な立場だろうと個体が独立した思考を持っている限り、派手に動くノグには警戒の目を向けざるを得ない。


 イグアナの尾は僕の身体を軽々と吹き飛ばすが、この角度で針は向けられずに致命傷にはならない。だからセオリーどおりに追撃に向かってくる個体は――そうだ、思ったとおりになった。


 砂煙を巻き上げて転がるように飛ばされる僕にダメージはない。体制を崩した無防備な僕へと視線が集まるのが分かる。それが目的だった。


 僕を弾いた個体と追撃にくる二体。〈カシ〉への攻撃で土に尾を埋めたままの個体と、そいつをカバーする個体。残りの一体がつまり、この群生生物の中心個体くさびだ。がら空きになったスペースには〈チタ〉が滑り込んでいる。

 

『!!』


 間近にで放たれた〈チタ〉の衝撃波はイグアナの頭部を破裂させた。ぐちゃぐちゃになった赤黒い液体が黄色い砂に飛び散った。垂れ下がってくる尾を片膝をついてギリギリで避ける。


「やった!」


 思ったとおりだ。少し先の未来、ほんの僅かな可能性、そこにポジションが繋がったとき、僕は途方もなく大きな流れを感じることが出来るんだ。


 鳥肌がたっていた。あの日、サッカーを通じて知った感覚が蘇ってくる。忘れかけていた仲間たちとの連携が重なりあう。どうして左サイドバックなのか、答えがあった。


『の、野口……やつらの動きが読めたのか』


「う、うん」


 蝙蝠男の動きはもちろん、意識が繋がってもないイグアナの動きまでが僕には見えた。それは予知や予測のような感覚とは違っていた。


『たった今、全部の個体がお前の思考どおりに動いたようだった』


「い、いや。見えたんだ。嶋田先輩が言っていた広い視野ってのがあったから」


『視野だけだというのか……俺にはそうは見えなかったぞ。ちゃんと説明してくれ』


「せ、説明なんか出来ない」


 僕はただ一歩引いて止まったんだ。一歩どころか、ずっと止まったままの人生だったかもしれない。だから楔のパスが分かったんだ。見えたんだ、そう思った。







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