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教え子のために

 海洋生命体の〈方舟〉には、太古からの記憶を持つ有肢菌類にも理解不能な次元間航法のテクノロジーが詰まっていた。


 数時間前まで、仙田律子センリツはあでやかな色彩でうごめく観測窓の景色を眺めながら、果実の皮とペクチンを使ったフルーツゼリーのように空に浮かぶ色調が、どんな味かを想像していた。


 有肢菌類と人類が互いの領域を超え、海洋生命体の船に乗り合わせるなど、歴史上あり得なかったことだ。


 僅か数分で方舟は擬似アストラル界の荒野に緊急着陸をする。仙田律子センリツ陽炎かげろうは方舟の下を離れ蒸気の立ち昇る砂のうえを足取りかるく横切っていった。


「……」


 胞子がまったく飛んでいない。ここでは〈時間旋〉が使えないことを意味している。


「なるほど」陽炎かげろうは山城から渡された本物の賢者の石を眺めながら言う。


「樹輪の宝珠に近づいていながら君が手にしたのは、この賢者の石だったわけだ。たしかに運命というものを信じたくもなる」


 擬人化した陽炎かげろうの姿はきちんとした裾の際立つ大国の軍師のようだった。金髪で西洋風の顔だちと衣裳が、砂漠地帯に似合っている。


「私は、あの神父にみごとに騙された。原因は分かっている。神父と修道女の信頼しあう精神に目を背けたのだ」


「それも野口のせい、山城くんの目的も野口、我が姫の憩いの的まで野口ときたわけだ。肉体的にも精神的にも稚拙なひとりの人間が、何故にそれほど影響を及ぼす?」


「それは」仙田律子は髪をかきあげて広がる砂漠と立ち並ぶ岩石をみた。


 着陸とはほど遠い。方舟は歪んだ空間から座礁して、この岩と砂しかない砂漠に放り出されていた。


「彼が拙いから。彼が自分では何も出来ないほど、情けない存在だから」


「駄目な役立たずだからだって?」


「ええ、そうよ。救いようのないほど駄目な人間だわ。だから私たちは彼を、愛するのよ」


「分からないね、今では無能とは程遠い存在なんだろうけど。それに、たかがサッカーチームなんかに何の意味があるんだい?」


「あらゆる困難や試練の中でも自分を理解して信頼してくれるのがあの仲間チームなのだと知ったわ」


 仙田律子は野口鷹志にたいして特別な感情を持っていた。母と呼ばれた日から我が子のような繋がりを感じていたのだ。


「それに意味がないといえるかしら?」


「事実、洗脳を破ったのは少年チームだけか。たかがチーム、されどチームか」


 陽炎は密かに笑みを噛み殺し、どんな考えにもとらわれないことに自由を感じていた。彼の持って生まれた〈鏡面蜃気楼〉という能力は、詐欺の成功いかんにかかっていた。

 

 実態のないやいばと本物のやいばを織り交ぜた武術、剣術をマスターするには精密な策略と先読みする内向的でストイックな精神が必要だった。


 こうやって古くからの知人であるセンリツと話すときでさえ、その内気な癖がでて、目を伏せたりこうべをたれたりすることもしばしばであった。


 ゆえに指揮してくれる〈賢者さま〉のような存在を求めてきた。ところがいまや、その関係のすべてが逆転してしまったのだ。有肢菌類の王に背き魔女に忠誠を誓い、海洋生命体の超推進用の方舟を盗み、疑似アストラル界の僻地である砂漠地帯にいる。


「やっぱりこの舟は囲まれているわね。組織的に動いているってことは凶暴なうえ陰謀にも長けているのかしら」


 両手の爪を伸ばした彼女は低く姿勢をとって構えた。右手からだした長刀をくるりと回して陽炎がこたえる。


「いいや、あるのは恐怖だ。向こうが我らを恐れているのだ。突如として現れた方舟と、我ら侵入者に云い知れぬほどの恐怖を感じているのだろう」


 方舟を囲み見ていた数個体はゆっくりと姿をあらわにした。海洋生命体の実験台になったイグアナとサソリが混ざったような四つ足の生物。


「襲ってくるつもりだわ。恐怖より欲求のほうが勝ったようね」


「船に向かっている。まずいぞ、センリツ。連中の目的はこの石ではない!」



         ※


 山城裕介は馬蹄形の制御卓に映された画像に食いついていて、何か分かるたびにボソボソと低い声で独り言のように報告していた。


「一時的に重量オーバーになってる。繋がれていたキューブの山はどこに消えたんだ」


 陽炎と仙田律子、山城と羽鳥舞、四人が方舟に乗り数時間がたっている。山城がたぐいまれな好奇心と集中力で方舟の機器を操ろうと努力するかたわら、まったく感銘を受けていない彼女は声をあげた。


「それがどうしたっていうのよ?」と山城を見もせず答える。「目的地が海だろうと、異次元の街だろうと関係ないでしょ。さっさと全部のキューブを回収して、野口くんを助けるのよ」

 

 次元の海に入ったときから、後方には数百もの海洋生命体キューブが連結して長い列車のような状態になっていた。


 それは羽鳥まじょの術式によって意識を失ったヨーク近郊の様々な大きさの白い立方体だった。


 どれか一つに取り込まれた〈野口鷹志〉を見つけ出すには、この方舟のAI機器を利用して特定することが先決だと思った。


 だが、制御スクリーンを見つめながら山城はお手上げだといわんばかりに両手を持ち上げた。


「運び屋の行き先は中央都市リーン。なんとか目的地を変更できたのは良かったが、コントロールが効かなくなり連結キューブが綺麗さっぱり消えちまった。キューブの山は、連中にとっては重要なお宝だから――」


「そりゃ、そうでしょ。中身は空っぽでも彼らの命そのものなんだから」


「……!?」


「あ、あの」


 山城と羽鳥は互いに見合った。目の前に突如としてあらわれたのは、まだ幼さの残る銀髪の少女だった。五歳か、六歳だろうか。


「ど、どこから来たんだ!?」


「わかりません」


 大人の拳ほどしかない小さな顔をゆっくりと傾げ、麻のワンピースを握っている。可愛らしい顔立ちの白い肌の少女だ。


「お嬢ちゃんは、いつから居たの?」


「えっと、さっきからずっと」


「……」山城が恐る恐る少女の銀髪に手を伸ばす。触れられるということは方舟に仕組まれたホログラムではない。


「な、名前は?」


 少女は潤んだ眼を羽鳥舞に向けた。もじもじと恥ずかしそうな顔をすると、こういった。


「ないわ。名前って、親がつけてくれるものでしょ。どんな名前にしてくれるのか楽しみだわ、ママ」


「マッ、な、なんですって!?」


「羽鳥、お前にこんな大きな娘がいたとしても俺は驚かない。なんせあの楽園に数日もいたら、何かないほうが不思議だ」


「ば、馬鹿ね。あるわけないでしょ!」


「ぐすっ」少女は立ち尽くしながら、すんすんと鼻を鳴らした。


「あ、あなたに言ったんじゃないのよ。こっちの変態お兄さんに言ったのよ。な、名前って、誰か分かんないのに、どうしよう。ちょっと待ってよ」


「ふえ、ふええーん」


「な、泣かないで。いま、考えるから」


 少女は方舟の外側に目を向けた。「……」じっと灰色の空を眺めて言う。


「砂漠から化物たちが襲ってくる。あの二人、死んじゃうかもしれないわ、どうするママ。助けてあげる?」


「えっ、な、何も見えないけど陽炎さんと律子さんのこと……よね、もちろん」


 山城が返事をして立ち上がる前に方舟のエアロックがこじ開けあれるのが見えた。あの屈強なふたりの有肢菌類が船外を見張っていたというのに、そいつは現れた。


「!!」


 イグアナに似た顔立ちだが、首から尻尾にかけてサソリのような甲殻が鎧のように光っていた。羽鳥舞は、おぞましい怪物を前に自分が悪夢を見ているのかと思った。


「……」


 鋭い尻尾が曲がり上部から山城の肩に伸びていた。夢ではない――かろうじて針の先を両手で掴む山城の姿。


「くっ!!」


 方舟のまわりは既に蠢く影に覆われていた。ギワギワ、グウグウという不快な音がそこらじゅうから聞こえた。


 この化物の声だ。実際に動いている姿を見れば見るほど不気味に思えた。舞は、この悪夢が始まる前にやろうとしていたことを思い出そうとしていた。


 本能的にそうすることで現実に戻れるのではないかと考えたのだ。いつも助けてくれた野口鷹志の名前を震える声で呼んでいた。


「たす、助けて、野口ノグチく……チタ……チタ……」



        ※


「ハア……ハア……ハア」


 宙を舞いながら剣撃を放ち続ける陽炎。地べたを這いながら爪をたてるセンリツ。有肢菌類屈指の機動力と戦闘力のはずだった。


 ふたりは、息をきらしていた。この数分で仕留めたイグアナはたったの五匹、尻尾から放たれる針に糸を通すような棘は、幾度もふたりの全身を貫いていた。


 連携の基本はトライアングル。視覚的なフェイクである〈鏡面蜃気楼〉に掛からないのは三個体が一つの意識を共有していると結論付けるしかなかった。


 息のあった化物の攻撃は確実に陽炎の動きのスペースを突いてくる。


「ハア……ハア……ハア」


 一体を斬りつけようとすれば二体がフォローに入り、別の一体が向ける尾の針を弾いたと思うと、同時に他の二体が左右から棘を撃ってくるのだ。


 更には砂に足を取られ、完全に不利な状況に追い込まれていた。三位一組の化け物が、無数の塊となって陽炎とセンリツに襲いかかる。


 既に仙田律子は陽炎の動きに併せて連携をとるようにしていた。少しでも隙をみせれば、確実に致命傷をおう。


「ハア……ハア……ハア」


 まるでチェスだった。単純な斬りあいでは済まず、何手先まで読めるかでやっと一撃を入れることが可能になる。


「指揮してくれ!」太いイグアナの尻尾を受け止め、五本の爪で引き裂く。仙田律子はこの怪物には単体では勝てないと感じていた。


「……うっ!」


 砂山にイグアナの増援が見えた。この生物は胞子ネットワークとは違う何かで情報を共有しているらしい。


「ハア……ハア……ハア」


「意識が繋がっているのは、こいつらの――」倒した六匹のむくろをみて陽炎は言った。「親なのかもしれないな」


「ハア……ハア……。、いや、子供だ」


 親子。親とは自身の遺伝子を受け継ぐ分身に愛情を注ぎ、成長を促していく。人間がいう愛とは生物的に当然な生存戦略だと信じていた。


 だが、本当に無償の愛を捧げるのは親ではないと知った。絶対の愛と信頼、その存在を通して初めて世界を見るのは、子供のほうだ――。



 野口も山城も、友と呼べる存在はひとりもいない。彼らは擬人化し教師として活動していた仙田律子を母と、先生と呼んだ。それに意味がないとは到底思えなかった。




 




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